第497話 いただきます
「ごめんごめん、みんなお待たせ! 気持ちよくてつい長風呂しちゃった!」
「慌てなくても大丈夫よリク、私だってついさっきまで寝ていたところだから、人のこと言えないわ……」
「そうよ、リクレール君。あなたはご主人様なんだから、待たせたことを悪く思う必要なんてないわ」
風呂でついうとうとしてしまったリクレールは、夕飯を待たせていたことに気が付いて、慌てて食堂に駆け込んできた。
外はすっかり暗くなり、食堂は術式ランプの灯りで何とか明るく照らされている中、ヴィクトワーレとエレノア、それともう一人が席についてリクレールの到着を待っていた。
「リクレール様、この度は某などを晩餐に招いていただけるなど、誠に光栄の極みでございます……」
「僕も、サミュエルとはゆっくり一緒に食事をして、色々話したかったんだ。来てくれて本当にありがとう」
珍しくこの場にいたのは、アルトイリス家の家宰のサミュエルだった。
リクレール自身、そういえばこの老将と食卓を囲んだ記憶がなく、最も信頼できる家臣の割には、踏み込んだ話をあまりしたことがないことに思い至り、こうして夕食に招くことにしたのだった。
一方サミュエルの方も、先代当主のマリアや、さらに先代のリクレールの両親とも同じ食卓に着いたことはなかったため、彼にしては珍しくそこそこ緊張しているようだった。
それでも、サミュエルの背筋はまるで一本の柱が通っているのではないかと思えるくらい、まっすぐな姿勢で椅子に座っており、それを見たリクレールやヴィクトワーレも、「見習わないと」と思ってしまうほどだった。
さて、リクレールが席に着いたところで、満を持してレイが本日の夕食を運んできてくれた。
「まずはスープと前菜からお持ちいたしました。スープは長芋のポタージュ、前菜はにんじんのラペでござます」
「まあ、長芋! ポタージュにするなんて珍しい!」
「ほほう、このラペはよい香りがしますな。果物だけでなく、蜂蜜も使われている……この老いた身体でも、食欲が増してきますな」
長芋のポタージュは、その独特の粘り気とクリーミーな舌触りがあり、リクレールが食べた時もその濃厚さは体に染み渡るようだった。
にんじんのラペも、干しぶどうやはちみつの甘みに加えて、にんじんそのものの甘みも引き立っており、とてもおいしく仕上がっていた。
こうして彼らの気分と食欲が高揚したところで……メインディッシュが運ばれてくる。
「ん、なんかとんでもなくいい匂いがする!」
「はて……焼かれた肉の匂いではありますが、あまり嗅いだことのない香りでございますな」
「これはもしかして、羊のお肉?」
「お待たせいたしました皆様、マトンのローストでございます。どうぞ、お好きなように切り分けて、お召し上がりくださいませ」
「ふふふ、これ、私も手伝ったのよ。すごく大変だったけど、それ以上に楽しかったわ!」
そう言ってエレノアがウインクするが、ほかの3人……リクレールも、サミュエルも、ヴィクトワーレも、メインディッシュのあまりの凄さに絶句していた。
そもそもマトンとは老いた羊の肉であり、普通の調理では独特の強い臭みが出る上に、食感もパサパサしており、ラム(子羊肉)に比べると圧倒的に食べにくい。
そのため、貴族の食卓には基本的に上がらない肉なのだが、到底そうは思えない、暴力的なまでのいい匂を発する湯気と、肉汁を浴びて輝くその表面は、まさに「肉」と形容するに相応しいものだった。
「レイ、これ……本当に羊のマトンなんだよね? 僕の知っているのと、違うというか……」
「はいご主人様! 長い戦いから戻ってきたご主人様に元気になっていただこうと、丸一日かけて焼き上げました!」
「丸一日!? そ、そんなに!?」
「ふむう、この香りは……まるでワインのような……」
サミュエルがそう言ったところで、リクレールもようやく気付いた。
確かに、この香ばしさや強い匂いに混じっている芳醇な香りは……ワインを煮詰めたものに近かったのだ。
リクレール自身は未成年なのでワインは飲めないが、姉のマリアはワインが好きで、時々嗜んでいたのを近くで香りだけ楽しんでいた記憶がある。
そして、このワインの産地は…………
「間違いない。我が領地で産出するブドウの香りがする……」
「ご明察でございます。サミュエル様の領地で醸造されたワインで、香りづけさせていただいております」
何とレイは、サミュエルのために香りづけにまで拘ったのである。




