第496話 ただいま
夕食が用意されるまでに、着替えと風呂を済ませることになっていたリクレールだが、その前に彼はもう一人…………無事に帰ったことを報告しなければならない人物がいた。
「ただいま……マリア姉さん」
アルトイリス城の最奥に位置する小さな庭園…………沈む夕日に照らされて、どこか郷愁を感じさせる佇まいの石碑を前に、リクレールはそっと跪き、持ってきた小さな花束をゆっくり添えた。
この花束は、リヴォリ城からアルトイリス領に戻るまでの道の傍にあった花畑に咲いていた、特に珍しくもない花々であったが、マリアが生きていたらきっと髪飾りにすれば似合うだろうと思い立って摘んできたものであった。
「姉さん、聞いてくれるかな。僕は……姉さんを殺した悪い奴を、何人も倒したよ。おかげで、僕なんかが西帝国を救った英雄なんて呼ばれちゃって……母さんに見放され、父さんに失望された僕が、そんなふうに扱われるなんて思っていなかった。これも、すべて……ここに居るエスペランサのおかげだ」
『もちろんでございますわ。主様にはわたくしが付いておりますから、主様が負けることはございません。どうかご安心してお眠りくださいませ』
「もう、エスペランサってば、姉さんにも対抗心を出さなくても。けど……エスペランサの言う通り、僕はアルトイリス侯爵として、これからも絶対に負けない国を作っていくつもり。そのためには……たとえ味方であっても、邪魔する者は容赦なく排除する。姉さんの死を無駄にして、アルトイリス侯爵領を、そして西帝国を、食い物にする人たちにはこれからも容赦はしない。それが例え……新しい皇帝であっても」
『ふふっ、聞きましたかお姉さま。主様は、心も立派に育ちつつありますわ。ですから、これからもしばらくは、主様のお傍に居させていただきますわ』
解放を司る聖剣アレグリアを振るって活躍した姉マリアとは逆に、支配を司る魔剣と共に暴君の道を歩むリクレール。
リクレールは時々、果たして姉は今の自分を見て、本当に喜んでくれているか不安になることが多々あった。
それでも、リクレールは今の自分がやっていることこそが、正しいことだと信じている。
「姉さん……きっと姉さんは今、母さんや父さんたちと一緒に天国にいるんだろう。けど、もしかしたら、僕はもう二度と……姉さんに会うことはできないかもしれない」
『主様……』
「だって、僕の行く先は、きっと地獄だから」
リクレールはとっくに、自分はもう引き返せないところまで進んでしまっていることを自覚していた。
そして、これからも敵味方関係なく、無数の屍を積み上げ、時には外道な方法を用いることもあるだろう。
もしかしたら、今頃姉は天国でリクレールの行く末を心配して、安らかに眠ることなどできないかもしれない。
その後しばらく、リクレールは姉の墓を無言で見つめていたが……あたりが暗くなってきたところで、跪いていた体を起こし、最後に深々と頭を下げた。
「姉さん、また足板からはこの城で過ごすことになるから、また明日の朝も来るね。…………おやすみなさい、姉さん」
そう言ってリクレールは踵を返し、庭園を後にした。
エスペランサは何となく、リクレールは姉への帰還報告をしたというより、今回の戦いで多くの敵の血を流したことへの贖罪をしたように思えたのだった。




