第400話 敵の知恵
地下牢に再び静寂が訪れてしばらく時間が経った後、またもや入り口の扉が開き、ランプを片手に何者かが階段を下りて来た。
その人物は、なんとリクレール本人だった。
彼はいくつかの牢屋の中を見て回った後、最後にトライゾンの牢の前までやってきて、そこで足を止めた。
「トライゾンさん、お元気ですか?」
「…………」
「あれ、せっかく僕が用意させた食事、手を付けなかったんだ。もしかして、このまま意地を張って餓死する気?」
「…………」
リクレールの言葉にトライゾンは一切耳を貸さず、まるでそこに誰もいないかのようにずっと無視し続けた。
(やっぱりこの人、僕に負けたのが相当ショックなのかな)
『いい大人が、プライドのせいで拗ねているだけですわ。しかし主様、本当にこの男と話すつもりで?』
(エスペランサも言ってたでしょう、使えるものは何でも使う、たとえそれが敵だとしても)
どうやらリクレールは、トライゾンと話したがっているようだが、トライゾンの方は一切その気がなく、どうやっても口をきいてくれそうにない。
そこでリクレールは、わざとらしくため息をついた。
「あーあ、僕が買いかぶりすぎたかな。貴方がこの程度で生きるのをあきらめるような、志の低い人だとは思わなかった。ロパルツさんに聞いた話とは大違いだ」
「…………ロパルツが、何を言ったというのだ」
裏切り者の名前に反応したのか、壁の方を向いていたトライゾンがようやくリクレールの方を向き直った。
彼の豊かな髭や髪は、ここ数日全く手入れされなかったせいで、かなりぼさぼさになっており、もし今が冬なら本物の熊と見間違えてもおかしくはないだろう。
リクレールはトライゾンがようやく口を開いたことに内心ほくそ笑んだ。
「あなたはリヴォリ城から撤退を決断した時、こう言ったそうじゃないですか。「私はただ守りたかっただけなのだ」と「前皇帝の治世で急速に消耗していく西帝国を立て直す」のだと。確かに貴方は失敗し、こうして僕たちの捕虜となって、処刑を待つ身となった。それに、僕にとって、あなたは姉を見捨てて死の原因を作っただけでなく、シャルの親類を死なせ、実家にも侵攻した、許せない敵だ。けれども………貴方の手腕は本物であることは疑いようがないことも事実だ」
「……………何が言いたい」
「単刀直入に言おう、あなたの知恵と意思を、僕が受け継ぎたい。僕はあなたと敵対したからこそ、その力をまざまざと見せつけられた。反皇帝派をまとめ上げ、反乱まで起こさせた政治力と謀略、そしてあの豊かな領地を作り上げた治世の手腕、そのどれもが今後僕に必要なものばかりだ。まあ、戦いは僕の方が上手なようだけどね」
「貴様……」
「もしあなたが、本当に西帝国のためにこの内乱を主導したというのが本心であれば、あなたが死んだ後の西帝国のために、その知識を僕に渡してもらいたい。もし、お願いを聞いてくれるのなら、そのお礼に少しだけましな死を上げようと思う。断るようなら、僕はあなたのことを、結局私利私欲のために国を乱した「小悪党」として、その名を永遠に刻んでもらうことにする。さあ、どうする?」
リクレールのあまりにも厚かましすぎる「お願い」に、今にもはらわたが煮えくり返りそうになるトライゾンだったが、同時に彼は自分を打ち破った年端も行かない敵対者の少年に、若干ではあるが親近感を覚え始めた。
(仮にも仇敵相手に教えを乞うとは……底抜けのバカか、それとも……)
実のところ、トライゾン自身リクレールとの面識はほとんどなく、噂話や息子が語る法螺話からしか情報を得ていなかったので、こうして改めて相対したことで、自分は間違った先入観を抱いていたのではと思うようになった。
だが、その考えもどこまで正しいかわからないし、リクレールがどこまで本気かも定かではなかった。
「もし、私がお前に教えたとして……その内容が出鱈目だったら、どうする?」
「そんなのは聞いてみないとわからないし、鵜吞みにしないで自分なりに解釈するよ。もし嘘ばかり教えたのなら、あなたのことを「それまでの人」と評価するだけだ」
「ほう、言うではないか。いいだろう、私とて矜持というものがある。果たしてお前が受け止めることができるか、試してやろう」
トライゾンの瞳には、久々に生気溌溂な色が戻ってきたように見えた。




