10-1
何が哀しいのかと訊かれたら、答えはないと答える。
だって答えはないのだから。なんの比喩でもなく、ただまっすぐに答えはないのだから。
あれだけたくさん降っていた雨は、気づかないうちに小雨に変わっていたことに気づいたのは目的の場所から少し離れたところ。
蓮は、雨で濡れたからか、と笑われて誤魔化せる程に涙に頬が濡れていた。
小雨が、雨が頬に舞い降りてきて流れる。
その中には蓮の瞳から溢れた雨も流れていて。
「…………っ!」
ぐしっ、と啜った鼻はつんと痛く、いつものくせで瞳を拭おうと挙げた腕を蓮は躊躇いながらもだらりと降ろした。
灰色を織った黒い瞳が見据えるものは、毎日の楽しみだった鐘の塔。
この場所は、短いながらも蓮にとっては日だまりのように明るくて微睡みに膝枕してもらっているような暖かさが確かにあったもの。
その場所が、どんどんと“翼”によって細かく細かく、砂のように消されていく。
踏み込む勇気はあった。けれども胸の中にあるものが、蓮を占めている感情が足を動かさない。
ぐしゃぐしゃに。ぐしゃぐしゃに。、汚いまでに顔を汚して、鼻を真っ赤にして、その様を見ながら泣く。
これは蓮にとっての“準備”だった。これから、否応なしに訪れる羽ばたきに対しての、準備。
だから恥じるべきことではない。蓮はありったけの感情を涙と言う愛しさに形を借りて世界に確かに存在させるために泣き続ける。
ぼろぼろと。惜しみ無く。惜しむものかと。
ころり、と足元に転がってきた赤茶色のレンガの欠片が、暴れ狂う翼に跳ねられて……まるで導かれるようにやって来た。
きれいにラッピングしたクッキーを手にしたまま、蓮はばしゃりと濡れたレンガ道に両膝をついて、ぱしゃんっ、と座り込んだ。手のひらで包めるほどのレンガの欠片、鐘の塔の欠片を胸に抱き、再び涙を頬から流し、記憶に佇ませる。
ひとりかも知れないけれど独りではない。涙を流す蓮の瞳には今まで目を逸らしていた感情がじわりぽわりと広がっていった。
哀しいから、だけでもなく痛いから、だけでもなく、涙は瞳から溢れてくるのだと言うことを蓮は暖かに理解した。心に刻み込んだ。
冬は、大嫌いだ。律の意地悪よりもおつかいに行くことよりも大嫌いだ。それでいい。蓮は、それでいい。
これが蓮なのだから。甘やかされて育ってきた蓮の根本。たから今さらこの根っこを変えるつもりはない。
ぎゅう……と手のひらにあっさりと包めるほどのレンガの欠片を胸に抱いて、これ以上にないほど、涙を流して流して、前を向く。レンガの欠片は大事に懐に入れた。
それが、いずれ必ず“何か”になるから。
走っている間はどうしようもないくらいに混乱していて苦しくて、胸が痛くて心がちぎれてしまいそうだったのに、今は驚くくらいに頭は冴えていた。
そっと胸レンガの欠片をに抱いて蓮はゆったりと立ち上がる。
すう……と止みかけの雨空を仰いで息を吸う。空気を肺に入れる代わりに涙がぼろぼろと歌わずにはいられない小鳥のようにあふれでる。
そして蓮はゆっくりと歩き“悪魔”の元へ歩み寄る。目印にしていた脇道は鐘の塔が崩されたことにより、形をなくしてしまっていた。
それでも蓮は導かれる。雲のようにふわふわと切ない音色に瞳を細めるとまた涙が膨らんだ。
気付き。芽生え。
歩み寄るこの足こそが正にそれを形にしたもので、それを見てもらえることに無償の歓喜に足が震えて立ちすくんだ。
「……いらっしゃい、蓮ちゃん」
誰よりも、何よりもこのひとに今の自分の姿を見てもらえることが嬉しくて誇らしくて。
微笑む彼女に……れんに、蓮もまた微笑む。




