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Dear  作者: 雨神
何もない彼女の瞳
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59/62

9-5

 そして蓮がつれてきてくれた場所は、家族でくることがよくあるのだと言う場所。小高い丘だった。


 そこにはたくさんの木々や冬だけに咲く花たちがあり、ちいさな町を見渡せる場所だった。れんが普段いる鐘の塔がよく見えて、ひとびとが暮らす町もよく見えて。……こんな姿にならなかったら、先程みたいに蓮と当たり前のように毎日手を繋いで買い物とかが出来る日々があったのだろう。……そう思うと少しだけ胸が軋んだ気がした。


 これで“六枚目”だった。


 ずくんっ、と体に、負担がかかる。一気に重たくなった。頭が痛い。だけど、


(……だけど……!)


 まだ。まだだ。もう少しだけ待っていてほしい。せめてせめて今日と言う日が終わるまで。


 蓮の楽しそうな笑顔をもう少しだけ見ていたい。それさえ叶えば、れんは自ら『散る』つもりだった。せっかく“逢”えて話して仲良くなれて嬉しかったけれど、しあわせな日々であったけど、別れは必ず訪れるものだ。今日を別れてしまったら、れんはこの町から……いいや、この世界から自ら『散る』ことを決めていた。


 はじめて見たとき、蓮に出“逢”えたときの姿を見る限り、蓮は紫暗色の彼の手伝いをしているのだろうことを知った。蓮は悪魔の散らし方を知っていて、そして『散らす』ことの出来る存在なのだと、悟った。なんて皮肉だろうと思った。まさか悪魔を母とする、その愛娘が悪魔を『散らす』力を有していただなんてだれが想像するだろうか。だれも想像なんてしないだろう。


 だから出“逢”えた時には大きな希望を抱いた。赤子の頃に別れて以来、一度も見ていない、話していない他人同然だったから、れんにはそうではなくても蓮にとっては初対面の存在だったから、きっと『散らして』くれるだろうと思った。


 手離した愛娘に『散らして』もらえるならばそれはどんなにしあわせなことだろうと思ったが、蓮との関係はれんが想像していたものとは真逆なものになり、心を許されるまでに親睦を深めてしまい、毎日顔を合わせて話す存在になった。


 町からずうっと握っている手を蓮は話すそぶりを一切見せない。時おり握っている手を見てはふにゃりと花が綻ぶように笑って、またぎゅっと握る。前を走るこどもが時折親の姿を確認して安堵し、また走り出すような表情だった。……そう、まるで親を見るような瞳で自分を見る蓮に、もしかしたら蓮は自分と親子であることを感づいているのではないかとすら思うことがあった。紫暗色の彼が、れんのことを話しているのではないのかと……。


 ……しかしそんなことはあるわけがない、とすぐに己の愚かな考えをれんは否定した。紫暗色の彼が安易にそう言った大切なことをぺらぺらと話すだなんて考えづらいし、想像すら出来ない。悪魔たちがあれだけみんながみんな口を揃えて『優しい子』だと言っている紫暗色の彼のこと。最も生き者すべての心を尊重し、考えて涙を流すほどの彼だから、そんなことは決して有り得ない。ならば蝶々の少年かとも考えたが、それこそ有り得ないことだと首を横に振った。彼だって一度は悪魔と化してしまった身の上。執着を持つ相手の意を無視するわけがない。


 そう、悪魔にはそう言った心の衝動があるからこそ、れんは蓮の前からそうっと消えるつもりでいた。今、こんなになついてくれて、笑顔を見せてくれているのに、そんな相手を『散らす』だなんてこと、例え仕事だとは言え辛いことをさせるわけにはいかない。させたくはない。仕事をする側と『散らして』もらう間柄の前に、蓮とれんは親子なのだ。親である側のれんからすればそれはそれで悪いことではないが、しかし何よりも愛する愛娘の心境を考えると、そんなものを背負わせたくはなかった。


 手を離さないまま指を指して愛娘は教えてくれた。花をろくに知らない、何も知らない自分に教えてくれた。


 まだ蕾である薄桃色の蕾の花の名前は桜と言うそうだ。自慢げに得意気に教えてくれた。


 れんは、れんが知っている花はたったひとつだけ。純白色に咲く“蓮”と言う花だけしか知らない。


 自分がそう呼ばれ、いつか顔も覚えていないだれかにつれられて見たことのある花。ああ、あれが蓮の花なんだと強い衝撃を受けたことをしっかりと覚えている。まるでどこまでもどこまでも広がり、受け入れ水の流れを見守るような淡い光のように存在が鮮やかなきれいな花。


 自分にその名前は似合わない、と本心で思った。何も考えず知らず覚えようとせず、ただいつも白い服を着ているからと“はす”と呼ばれてきて、そしてその名前で呼ばれる度に何の抵抗もなく頷いてきたが、蓮を産んでそうではないと決定的に感じた。


 自分はそんな花にはなれなかったけれど、でも我が子にはそんな花になってほしいと願って、そして何も与えることが出来ないから、れんは当時唯一持っていた自分の名前を我が子に捧げたのだ。


「せっかく蓮ちゃんから教えてもらったんだから」


 覚えておこう。しっかりと心の中に刻み込んで、自分自身を『散らして』しまっても、絶対に絶対に忘れないように。


 春に咲くから、桜と覚えたわけではない。蓮に、大事な大事な愛娘に教えてもらったのが桜の花なのだと、これは思い出の花なのだと。そう覚えることにした。


 開花するその時を一緒にはいられない。


 そう思ってしまったのが“七枚目”だった。










 雨が強く降りしきる。正確に言えば降っていた、と言えよう。暴れ狂う翼たちを文字通り背にして、彼女はオカリナを吹いていた。


 奏でる音色は、愛しい娘を想うといつもいつも同じ音色になってしまう。それは他人に、れん以外の者からすればどんな音色に聴こえているのだろう?


 いつもはそんなことを想わないのに、今そんなことを想ってしまうのはやはり衝動と想いを解放したからだろうか?


 蓮を産んだ鐘の塔がどんどんと崩れていく。悪魔が思い出を崩してしまうのは、名残を消すためだ。形が残ればだれだってそこへ足を運んでしまうだろう。それをさせないための最後の……最期の想い。


 忘れてくれて構わない。そう言った利己的な考えからその衝動は生まれる。全くもって自分勝手極まりない。呆れ果てて言葉が出てこない。


 しかしそれでも、それでも壊さずにはいられない。それが悪魔と言う生き者の成の果てだ。


「…………」  


 不意にれんは奏でていたオカリナから口を離した。膝にかけていた大切なブランケットの上にそうっと手を乗せる。


 左目から生えている翼と背中にある六枚の翼が少々邪魔をしていて見えづらかったが、だれが来たかはすぐにわかった。


 いつもオカリナを吹いているとやって来る子。まるでオカリナが合図のようにやって来る子。


 暗雲のような、灰色の混ざった黒い瞳で、れんは同じ色の瞳を持つ女の子をいつも通りに迎え入れる。


「……いらっしゃい」


 女の子の持ち物がいつもと違っていたことに申し訳なさを覚える。……間に合わなかった。それ以前に衝動に負けてしまった己のふがいなさ、弱さに苛立ちが立ち込める。


 雨だから来ないだろうと油断して最後の別れをひとり未練がましくしていたのが間違いだった。まさかあのタイミングで紫暗色の彼が来るだなんて予想すらしていなかったから。


 彼と話しているうちに、心が爆発を起こしてしまった。蓮への“愛”しさが溢れて止まらなくなって。我慢が持つのは蓮や蝶々の少年が大切に想う紫暗色の彼を自分から逃がすだけで精一杯だった。


 何度も続く、永久に止まらない「ごめんなさい」を心の中で呟き続ける。


「……蓮ちゃん」


 呟き続けながら、余程泣いたのだろう、見ていて痛々しい程に泣き腫らした瞳でれんをまっすぐに見る、れんが最も執着する……愛娘が、


 蓮がそこに立っていた。


 そこに、すぐ傍にいるのに、愛娘の涙を拭う資格のない自分の、伸ばしたいのに伸ばせない手がひどく辛かった。





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