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子、家族を見ることがれんにとってはとても胸が痛くなるものだった。それは自分には叶わなかったことで、自分自身で手離したものだったから余計に胸が痛んだ。
蓮のためだなんて言う利己的なものを盾にして痛みを覚えるだなんてことがあまりにも狡い気がして、外に出ることができなかった。
それはすべて自分が招いたことだってわかってすらいたのに、それでも手を繋いで歩く親子を目にしたら間違いなく泣き崩れてしまうだろう自分の姿をあまりにも簡単に想像できたから、れんは普段誰も近寄らないこの場所へと隠れるように隠っていたのだ。
だけれど、痛いであろうとずっと思っていた光景の中に…………公言は出来ないけれど、愛娘と一緒に歩くことが出来る。それは夢を越える更なる夢で、そして得られる機会はきっとこの一度だけだろうと思ったからこそ、蓮の申し出に首を縦に振り、それを受けた。
はじめて着るスーツは少し大きく肌になれないものだったが、蓮に手を引かれて町の中を歩くのはまさに夢心地だった。
辺りを歩く親子連れを見ても、思ったより辛くはなかった。それよりも誇らしさと自慢と自惚れがれんを占めた。
だれもが、きっとどの親もが抱くのだろうものだが、心の中では大きな声で自慢ばかりしていた。
私の娘はこんなに可愛いんだ、と。
手を繋いで歩き、にこにこと笑う蓮を見るとそう言った思いが募りつのった。比べる気はなくともやはり比べてしまう。駄目だと思ってもどうしても周りにいる、歩く蓮くらいの女の子を目にすると蓮と比べてしまって勝ち誇った気分になってしまった。どの女の子よりも自分の娘が一番かわいい。なるほど、これが親の欲目なのかとひとつ学んだ。
……しかし周りの目と言うのは何て節穴なんだろうか、とそのあとれんは心底思うことになった。なんだかよくわからないが、何度も何度も知らない男性に声をかけられてはお茶や食事に誘われる。これが俗に言うナンパだと言うものか、としみじみ体感した。以前、蓮を生む前だったら……悪魔と化してしまう前まではもちろんただの人間だったから、食事も水分も必要だったから、何も考えずに着いていっただろう。興味も関心も持たなかったから……恐らく浅はかに着いていっただろう。
しかし蓮を生んでからは価値観は変わり、世界の見方も変わる。蓮はこんなのに引っ掛かってはいけないと、蓮の目の前で何度も断って見せたが何歩か歩けばまた声をかけられてしまう。……どれだけ物好きなんだと、れんは段々と面倒を思い始め、なるほど、これが呆れと言うものか、とまたひとつ学び、同時に憤りも学んだ。れんばかりを見る町の男性たちを見て何て節穴なんだろうかと。これはだれがどう見ても親の欲目であり、……確かに蓮は整った顔立ちではあったがまだ幼い身であるからナンパの対象には特殊な性癖の持ち主以外にはあり得ないのだが、なぜ蓮には一切声をかけないんだと、不服がれんの中に蓄積していった。そうして不機嫌と……あまりに長々と続いたためにそろそろ苛立ちがれんの中に貯まっていく。彼女の心を乱暴に訳すならば「蓮の方が私よりも可愛いだろうが馬鹿野郎」だった。
悪魔と化してしまい、年を取ることがなくなってしまったれんは見かけだけなら少しだけ蓮と年の離れた姉妹のような姿で、年頃の娘のような姿だから声をかけられてしまうのだが、れんがそれに気づくことはない。残念ながらなかった。
自分に声をかけてくる男性たちの気持ちなんて全くわからないれんであったが、隣にいる蓮の不穏な空気には敏感に感じとることができた。まるで幼子のようにぷぅっ、と頬を膨らませている蓮はれんより先に痺れを切らしてしまったらしく、赤子の手を捻るようにれんに声をかけていた男性たちを蹴散らしていった。蓮は男性に声をかけられても着いて行かないどころか思いっきり追い返せるようでれんはほんわりと安心したが、その安心のしどころが地味にずれていることに彼女は気づくわけがなかった。
それよりも、そう、それよりもその安心よりも勝ったのがやはり蓮の行動ひとつだった。
言い寄ってくる男性たちを完全に追い払ったあとにぺたっ、と蓮はれんの腕に帰ってくる。まるでちいさなこどもが親から少し離れたことに不安を感じたかのようにぴったりとくっついてくる蓮が震えるほどに可愛かった。
それまでれんが見たことのある“親子”の憧れの姿のひとつだったから、それは余計にれんは夢心地な気分で、少しだけ『散りたく』ないと願うが、願う度にそれは余計に希望を減らしてしまい、自分を抑えられるかどうかがわからなくなってくる。
一緒にいられる時間が少ないことはわかっている。そもそも、こうして一緒に歩けることだって叶わないはずで、望まれないことのはずだった。
彼女は今あるこの環境、状況があるのは奇跡であることだと、宝をくれた何かに対してただただ感謝するばかり。
蓮の名前を、一人言などではなくて、本人を目の前にして呼べる尊さとどんどん少くなっていく時間の切なさ。夢心地でしあわせでしあわせでたまらなかったが、なくなっていく時間にはどうしたって“哀”しさが少しずつたまっていってまるで砂時計が作る山のように高くなっていった。
しかしそんなことは、だれかに打ち明けることはできない。痺れを切らしてぷつん、となった蓮がとうとうれんの手を引いて走りだし、手を引かれて走ることに楽しさが流れ込んできた。
もーっ、と怒りながら走る蓮に手を引かれながら十数年ぶりに走るれんは体力はなくとも足は気持ちだけで動いた。
その何気ないことがとても大切で苦しい。ああ、世界はどうしようもなくきちんと裏表がはっきりと存在しているのだと思った。きちんと半分ずつで、きちんと混ざりあっていて。そこから大切を見つけ出せるからしあわせは宝なのだと、少なくともれんはそう至った。




