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知ってしまったら、れんがいなくなってしまう気がするから……蓮は、訊けなかった。……訊かなかった。
この丘は暗雲の世界には優しく、草がふよりふよりと、心地よい背丈で冬風に揺れる。色褪せてからからの草や葉もあるが、それはそれで蓮にとっては悪くないものだった。
特にふさふさとした、座り心地の良い……優と律と三人で来るときにお弁当やおやつを広げて食べる、殊更大きな木の下へれんを引っ張った。おやつを食べよう、と。
れんに誉められて嬉しかった。……けれど、れんと桜に繋がりを持って欲しくない。悪寒がした。警告が鳴り響いた。
それだけは、絶対に駄目なのだと。
あらあら、とくすくす笑うれんは蓮に手を引かれるがままに桜の木から離れて、別の木の下に腰を下ろした。
隣に座ったれんが座る間際に「この木はどんな花を咲かせるの?」と訊いてきたが……答えを蓮は持っていなかった。悩んだ末にわからないと返すと怒られることも呆れられることもなく、れんは「じゃあ今度一緒に調べよう」と微笑んでくれた。
それがまた、蓮にこの上ない嬉しさをくれる。約束……と言うのにはちょっと弱いものではあるが、それでも“次”があり、彼女と自分を繋げるものが出きる喜びと楽しみ。蓮は大きく頷いた。
にこっ、と微笑んだれんが蓮の手を繋いだまま、空を仰ぐれん。つられて蓮も空を見上げるが……いつもと同じ、ただの曇り空だ。灰色に灰色が重なって、所々黒く見える。まるで自分の瞳の色と同じだ、といつも思う。
蓮にとってはこの空はいつも通りのことで、思うこともなければ望むことも何もないのだけれど。
れんは、どんな気持ちで空を見ているのだろう?
「……。……蓮ちゃん」
ふ、と空から視線を降ろしたれんはくす、と小さく微笑んで蓮の名を呼んだ。恐らく蓮がじっと見ていたことに気づいたのだろう。……正直、恥ずかしいの極みだったが、顔が赤いのを隠したところで……これまた無意味だ。
それでもわずかな抵抗から腕で頬から下を隠し、目を逸らしつつ「……何?」と答えた。
冬の風に若草色の髪を靡かせて、れんは純白に微笑んだ。
「桜のお花を教えてくれたお礼に……おはなしをひとつ教えてあげるね?……蓮ちゃんは“悪魔”って、知ってる?」
「これが、唯一見つかった遺品です。……はい、はい……失礼しました」
ぱたん、と閉じられた扉に律は頭を下げた。閉じられてからもしばらくは頭を下げたままで、頭をあげることはしない。
これは黙祷を捧げている。黙祷を……亡き者に捧げている。……僅かでも、祈りを込めて。
扉の向こうからはわぁっ、と張り裂けんばかりの泣き声と、啜り泣く声がくぐもって耳にはいる。
ぴっ、と背筋を伸ばし、きれいに頭を下げて暫し。律は顔を上げた。動作に合わせて流れ星色のきれいな金髪がさらりと揺れる。
泣き声がとても胸に響いて、苦しくなって、律はもう一度頭を下げた。何度やっても、経験しても、これは慣れないことだし…………やりきれない。
はぁ……と吐いた息は白く儚いものへと形を得て、しかし刹那を生きてすぐに空へと溶けていった。律はそれをぼんやりと見上げる。
悪魔。
その存在はあまり知られてはいない。……知られてはいない、が誰かが消えていなくなると言う事実だけはどうしても拭えないし、誤魔化せないし……誤魔化してはいけないものだ。
優をはじめとした律や蓮の仕事は“いなくなってしまった者の面影”を、悪魔と化して『散って』しまった者と時間を共有し、繋いでいた者へと連れ帰ることだった。探偵でもないし警察でもない。名こそないが、そう言う仕事なのだと言うことは周りにぼんやりとした認識を持たれている。
していることがしているこだから、理解を得てはいるが……けれどどうしたって律たちの仕事『悪』と捉えている者は少なからず存在していた。仕方がないことだ。事実悪魔を『散らして』いるのは他でもない自分達なのだから否定しようがない。少ないその視線は甘んじて受ける。むしろ受けるべきなのだ。
大事なだれかを、自分達が『散らして』いる。……行き場のない哀しみは、受けるべきだ。仕方がない。
「……昔々……、少しだけ、昔……」
こつこつ、とレンガ道を歩きながらだれにでもない、誰かに話しているわけでもないが、律はぽつりぽつりと祈るように話しはじめた。紡ぐように、謡いはじめた。
むかしむかし、悪魔が現れました。
悪魔は何もかもを失ってしまって、哀しくて哀しくて哀しくて、哀しみで織った片翼の薄い黄色い翼を広げて家を壊しました。
その悪魔は、もともとはとても優しい優しい、家族思いの男の子でした。
男の子は、家族をとてもとても愛していました。
けれど家族は、引き離されてしまったのです。
男の子のお父さんが、男の子を売りに出しました。裕福ではない自分の家では仕方がないと思い、男の子は頷きました。
けれどお母さんがいやだと言いました。
あんなにあんなに仲が良かったお父さんとお母さんが大きな喧嘩をしました。
あんなにあんなに愛していると言っていたお父さんは簡単にお母さんを殺してしまいました。
男の子は、哀しくて哀しくて仕方がありませんでした。
愛してるはどこにもないのだと思いました。それが世界の真実だと思いました。だから何もかもがなくなってしまえばいいのだと、哀しくて哀しくて、泣きながら翼を広げて暴れ続けました。
つらい。うそつき。つらい。いたい。いたい。
こんなことならなんにもいらない。だれもいらない。いらない。いらない。
哀しいなら、哀しい想いをするひとがいたならつらいから、全てすべてがいなくなればいいんだと、男の子は命を全て『散らして』しまおうと思いました。
ーーーーけれど、
「お。桜色さんの方は終わったか、律」
ぽそりぽそりと物語を謡いながら歩いていた律はいつの間にやら優と待ち合わせをしていた場所へと辿り着いていた。
家からそう離れていない、若草色の翼を持っていた悪魔の繋がり先からの帰り道の喫茶店。
甘いのが大好きな律の保護者は木製のテーブルにひとつのコーヒーを頼んでいて、辺りには空になったたくさんの砂糖やミルクの容器が転がっていた。……どれだけの甘党なんだ、とその光景に律は肩を竦めて笑い、かたんと向かいの椅子を引いた。
「……けれど、悪魔は出逢うのです」
「ん?」
「悪魔の」
おはなしですよ、と律は小さく笑って向かいの席に腰を降ろした。律に気づいて寄ってきた店員に律もコーヒーをひとつお願いする。
あっまい色の……最早コーヒーと呼べる品物ではないものを至福に満ちた顔で喉に通す保護者。彼が飲んでいるものは決して飲みたくはないが、緩みきった顔を見ているのは、彼が作ってくれる甘いお菓子を食べることよりも律にとっては至福にだった。
「具合は大丈夫ですか?……“欠片渡し”はいやでも悪魔を感じることになりますから……」
遺品、悪魔と化した者の遺したものを渡すことを律たちは“欠片渡し”と呼ぶ。
悪魔と化してしまった者が世界に在ったと言う証を確実に見つけて渡す。それが“欠片渡し”
すでに『散らして』しまったとは言え、優は悪魔の心と悲鳴を一心に受ける能力ゆえに“欠片渡し”はつらいはずなのだが、けれど優は自ら率先してその役割を果たしたがる。
重みある大切な仕事那だけに、ただ駄目だとは言えない。それが優と言うひとの優しさではあるが、体と心が保てるのかと……律は不安になる。
艶やかに微笑む紫暗色の瞳が穏やかに細められる。
ひらひらと手を降りながら優は決して軽んじることなく、しっかりと言った。
「大丈夫大丈夫。逐一心配しなくても、優さんは強いから何も心配しなくていいんだよー」
ひょいっ、と少しだけ身を乗り出して優に頭を撫でられる。




