5-3
どうしてが、また蓮の中でひとつ生まれる。いくら考えてもわからないこの不思議の答えは、いつか出てきてくれるのだろうか?
呆れられたかもしれない。そう思ったが、れんは蓮の予想を簡単に裏切って、その胸に蓮を抱き止めた。優しく、柔らかく……陽の光をたくさん浴びたお布団のようだ、と蓮は……蓮の不安要素は瞬く間に溶けて消えていった。
小高い丘の上。秘密のその場所は定期的に優と律と一緒に草むしりをしたり、掃除をしたりしているから、草が優しくそよそよと風に吹かれていて、灰色の世界に彩りを与えていた。
れんの腕の中で安堵に甘えながら蓮は少しだけ思う、曇り空ばかりの灰色の世界も悪くないのかもしれない。そもそも、嫌な色や汚い色は存在しないのかもしれない。
だって灰色の世界があるからこそ、れんの上品や
純白さ、蔓のようなわかくさいろの髪がこうも際立ち、魅せてくれるのだから。
だから蓮は惹かれたのかもしれない。だって……こんなにきれいな色、惹かれない方がおかしいのだから、とさえ思う。
「…………」
ぎゅっ、とれんの背中に回す手を蓮は強めた。そう、惹かれないのはおかしいことだ、とは思う。とても強く強く思う。……だからと言ってれんに群がってきた輩たちを思い出すと無性に苛立ちがふつふつと煮えたぎって来た。なんなんだあの男たちは、と苛々する。
れんは、蓮と仲良しなのだから迂闊に近寄ってほしくはない。蓮はぐりぐりとれんに甘える。
あらあら?と嬉しそうな声音が少しばかり寒い風が吹く丘に靡いた。次いで頭を撫でられる。……この手は魔法の手なのではないかと、本気で思う。だって荒立っていた波が引いて、穏やかになっていくのがわかるのだから。
からからの、葉のない木が揺れる。虚無なのに、れんの腕の中に居ると不思議と虚無だけには見えない不思議。……れんは、蓮の視界すら変えてしまう能力があるのだろうか?
「……おねえさん。れんおねえさん」
「はい?甘えっ子の蓮ちゃん」
甘えっ子じゃないよっ!そう反論しようとした蓮の口は現状により閉ざされた。だれがどう見てもこの状況は甘えっ子の状態だから。否定できる要素なんてひとつもないし、それを覆す方法や言葉は皆無に等しい。
今の蓮は大好きな大好きな姉に抱きついて胸にぐりぐりと擦り寄せる完全なる甘えっ子真っ只中な末っ子的なことに肩までどっぷり浸かって満足しているのには……残念ながら間違いはない。
くすくすと笑うれんを、肌に感じながらそうっと…………“夢”程度にほんわりと望んだ。
“家族”
今蓮がぽん、と何の気もなしに思った、れんが“姉”で蓮が“妹”だったなら……どんなに嬉しくて嬉しくて、嬉しいことなのだろう……と考えて想像した。それはきっと楽しいのだろう。
律に意地悪を言われたら、れんに甘えに行けばきっと甘やかしてくれる。今みたいにきゅうっ、と抱き締めてくれて、頭を撫でてくれて……律には意地悪の材料にしかならないのだろうけれど、多分「甘えっ子の蓮ちゃん」と言ってくれるのだろう。そうして優が苦笑いし、仲介に入ってくれて……。
……叶わない、望みでも夢見ることくらいは許されるだろう。
れんだって、蓮と同じで“だれか”を拒んでいるのだから。それをれんは口にしたことはないのだけれど、何となく肌でわかった。…………違う。そんなのではなくて、……もっと、もっと、別のもの。別のところで何か“繋がる”ところがある。
…………そう言えば、いつか律とれんにどこか同じようなものを感じたことがあった……あれは何なのだろう?……よくよく考えればそれを蓮は幾度も感じたことがある。……どこで出逢ったのだっけ?
……ああ、でも今は別に考えなくてもいい。今は、れんと過ごす僅かな時間が、時間の方が……大切だから。
考えるのは、静かな夜に。静かな夜に。貴女を思い返せばいつか答えは出てきてくれるのだろうか?
「……桜の蕾。が、あるんだよ」
くっ、と腕から出て、でも手は握ったままで、離さないで、蓮は丘にある木の蕾を指差した。いつもなら、優に見つけてもらわないと見つけられないのに。
とてもとても不思議。不思議がたくさん。
とて……と大きめの律の靴を履いたれんは躓きそうになりながらも必死に踏ん張って、蓮の引く手に答えてくれた。
気持ちよくわがままをきいてくれるれんに、やはり何か格別な感情を抱いてしまう。
「わぁ……あれが花の蕾なのね……はじめて見た……」
えへん、と彼女が知らなかったものを胸を張って教える。蓮が知っていてれんの知らないことを自分が教えられることが嬉しい。もちろん、蓮が知らないこともたくさんあって、ひとつひとつ教えてもらうのも嬉しくて楽しいのだけど。
ぶかぶかの袖口で口許を隠しながられんは感動したかのように蕾を凝視する。蕾ひとつに何を、と思ったのだけど、
「あの色が、この花の色なのね……」
「え?」
「ほら。くるりと包まれているようなあの部分」
言って、あそこ。とれんが指差す。その指の先を辿って、蓮も蕾を見上げて、目を凝らした。
ただ、銃弾のように、枝のコブのように思っていた蕾は、固く固く閉じられていて、しかしほんの少しだけ色を見せていた。私はここに居るのだと……もう少ししたら広がるのだと、まるで存在を認めてほしそうに。
導かれて知る、蕾の形。ただ単に“蕾”なのではなく、そこには花の意思が、心があった。
れんが導くように教えてくれなかったら、きっと……きっと蓮はこんなことを考えすらしなかった。感じたりすらしなかった。
世界が、広がっていく気がした。この町のようにずっと曇り空ばかりの蓮の世界から、光が雲に手を伸ばしてくるかのように、灰色のどんよりとした重たい雲ではなく、真っ白い雲を見上げているような感覚で、それは目を開けられないほどに明るく純白で。
それと同じくらいに、れんを見ると眩しかった。それほどに蓮の世界には、れんは純白で、きれいで。
桜の蕾を見上げるれんの手をより一層強く強く握りしめる。桜は、春を待たないで散ってしまうから。
桜は、春の訪れを知らせる花なんかではない。桜は、冬との惜別を告げる花なのだと律がいつか……あの性格には珍しく泣き出しそうな顔で……ああ、そうだ。蓮が小さな頃から律は泣きそうになると無理矢理に笑っていたんだっけ。そんなことをふと思い出した。
何故だろう?れんは律と全然似ていないのに、ところどころ同じものを感じてしまう。重ねてしまう。重なってしまう。
きゅっ……と強く握る蓮の手に応えて、れんも握り返してくれた。蓮みたいに何か胸のざわつくような……切羽詰まったような握りではなく、包み込んでくれるような柔らかさ。
そしてどこかにある強さと…………“何か”
にこっ、とれんは微笑んだ。
「私はね、お花はひとつしか知らないから……桜ってお花を覚えておこうと思って。……せっかく」
蓮ちゃんに教えてもらったんだしね、と純白に微笑むれんに頬が熱を持った。照れてしまっている自覚はあるのに、けれど頬が緩むことを留めることが出来なかった。目をそらしたいくらいに蓮自身は照れているのに、だけど嬉しくて笑う。
思っていることとしていることが、違う……これはどういうことなのだろう?
えへへ……と蓮はどこか「誉めてもらった嬉しさ」をそのまま笑顔で形にしてれんに示した。
それから照れ隠しのように蓮はれんに訊いてみる。なんだか気になったから。
「れんおねえさんの知ってるお花って……何?」
何気ない質問であり、軽い質問である。少なくとも蓮はそう思っていた。……思っていた、のだけど。
蓮は目を丸くした。驚いた。問いを渡した蓮はれんが刹那に見せた……いいや、魅せた、と言う表現の方が正しいのかもしれない。
「…………ふふっ。ひーみつ」
ね?と軽やかに広げた言葉の前の表情は、とてもとても……うまくは言えないが優しさと哀しさに溢れていた。泣きそうになると、笑う。正にその感情の顔で。
胸が、きゅー……と苦しくなった気がした。逃げ場のないとこらろへ追い込まれて、掴みたいものがすぐ傍に在るのに、届かないような。
冬よりも嫌いかもしれない、と思った。
なのに、冬よりも抱き締めたい気がした。
これは、なんなのだろう?
知りたい気がするけど、知りたくない。




