第十章 満月と彼
(俺…なんともない…ただの……)
人間。
普通に生きてきたただの人間。
たった今の出来事が、それを証明してくれたように思えたそのときだった。
『久しいな、月明かり』
耳の奥で声が聞こえた。
(え―――…)
思わず、そう声をあげそうになったのも束の間。
「…っっ」
すぐに、激しい動悸と頭痛に襲われ思わず額に手を当てるように抱え込んで頭が割れそうな激痛に目をつぶる。
(これは……マリアさん…?いや、でも……)
男性の声。それは前に夢の中で聞いた声とは違う、透き通ったような透明感のある、しかし、それでいて強く聞こえる男性の声。
(あんた… 誰だ……?)
話しかけようにも姿の見えない内から聞こえる相手にマリアさんのときと同様に念じるように、声には出さずに問いかけてみる。それでも、マリアさんのときのように脳裏に姿が描かれることなく、ただ真っ暗な闇の中に俺がいて、確かに誰かがそこに気配を潜めているのだ。そして、ゆっくりとこう口にした。
『………互いに話すのは初めてだな』
次第にひどくなる頭痛。俺は、声の主に思わず叫んだ。
(そんなことはどうでもいい!!誰だって聞いてる!)
『そうか、君は私のことが知りたいかい。
そうだね…それなら君の言うとおりにしようか』
男性の穏やかそうな声に少し意外に思いながら聞き返す。
(……は?)
次の瞬間、首筋に激しい痛みが走り俺はだんだんと気が遠くなっていくのを感じながら最後に彼の声を聞いた。
『少し………ごめんよ』
見上げた月に何か反応したかのように、突然額を押さえて俯く千桐。周りの誰もがその異変に気づき始め、声をかけようと王が近寄る。
「おい?」
すると、千桐は電撃でも走ったかのように一瞬だけ肩をビクンと震わせるとトサッ…とその場に倒れこんだ。
「千桐…!?」
倒れこんだ孫の名を呼びながら揺さぶるが、ピクリとも動かない。完全に意識を失ってしまったようだ。すると、王の背後に奥の方から靴の音を響かせながら称賛の声を上げる一人の人物。
「さすが王族の子。やはりただの人間ではないようですね。」
「氷音…」
思わずこぼれたその名の人物は、口角を少し上げるとまた続けた。
「しかし、ただのヴァンパイアかどうかも怪しい。
……これは大変興味深いものを拝見させていただきました、王」
「氷音。
お前…あの二人に肩入れしたか?あの"力"に目が眩んだか」
鋭く、静かなる怒りを燃やす王に氷音は愉快そうに千桐を見下ろして微笑む。
「強い力に惹かれるのは当然の心理。あの二人はとんでもないですよ王。このような力もないお方にあのお二人を抑えられるとでもお考えですか?」
「………」
氷音の的確な言葉に王はあとの言葉もなく、ただ黙り込んだ。
『さて、それはどうだろう?』
床に片ひざついた姿勢でその上に乗せていた意識のないはずの千桐から、突然そんな声が飛び出した。
「千桐…!お前、無事…か…」
ゆっくりと身体を起こそうとする千桐に王は慌てて顔を覗き込んで再び言葉を失った。普段の薄茶色っぽい千桐の瞳とは違い、赤く月明かりに反射する瞳。その姿は王の記憶の中であの日の千桐の姿と重なった。
(まさか…ほんとに戻ってしまったのか?)
しかし、あの日のあの狂気に駆られたような雰囲気でも普段の千桐の雰囲気でもなければ、その瞳は虚ろではなく鮮やかな色が凛と澄んでいる。
(いったい…なにがどうなっている…?)
いまだかつて経験したことのない不可思議なできごとに王は立ち上がったその姿をただ呆然と見つめる。静まり返ったその中で氷音の薄笑いと言葉だけがよく響いた。
「ほう…それはどういう意味か、是非ともお聞きかせ願いたい。先程とずいぶん雰囲気が変わった気もしますが……一体どちら様でしょうかね?」
口調からあふれる揶揄の響き。だが、千桐の声と姿のその人は気を悪くすることもなく、穏やかに笑った。
『これはこれは………自己紹介遅れて失礼したね』
驚きを隠せない皆に一度背中を向けて少し歩き、窓を背に立ち止
まるとくるっと振り返ってこう名乗った。
『私の名はラデス。聞いたこと、ないかい?』
「ラデス?…生憎、私はご存じないのですが」
そんな鈍い反応が気に食わなかったのか、忌まわしそう顔をす
る氷音に続いて、他の人々も怪訝そうな表情を浮かべた。
ただ一人、王を除いては。
「いや待て、ラデスと。今、そういったか…?」
「ええ、そうですが…王はお知り合いで?」
「知り合いも何も…もし俺の予想が違ってなければこのお方は初代のヴァンパイアにして初代王…ラデス=カルア…」
あり得ないとばかりに疑いながらも声にした予感に目の前の千
桐の顔でラデスが優しく微笑む。
『覚えていてくれたようで、私は嬉しいよ』
「初代の王、だって…?」
突然、黙り込んでいた氷音以外のがたいのいい若者の一人が肩
をわなわなと震わせてそうつぶやいたかと思うと次の瞬間、大き
く声を張り上げた。
「そんなわけがあるか怪しいヤツめ!」
敵意むき出しの若者を相手に、それでもなお千桐の姿をしたラ
デスは心を乱されることなく、それどころか困ったように問いか
ける。
『信じて…もらえないのかい?』
「当然だ!大体、初代といえばもう数十年も経っているんだぞ。そのままの状態で生きているなら未だしも、その姿で初代王を名乗るなど…ふざけるな!」
「そ、そうだそうだ!」
「初代王が生きているなどあり得ない!信じられるか!」
完全に啖呵を切った若者に圧倒されるかのように、ちらほらと共感の声が上がり始める。 一方、半信半疑の王はどちらの意見にもつけずただその様子を困惑した表情で見つめていた。
『そっかぁ。…まぁ、とりあえず話を聞いてくれよ。私はー……』
「うるさい!さっさっと立ち去れ、薄気味悪い!」
ついに、我慢ならなくなった若者がどこからか取り出した銃をラデスに構え、その引き金にそっと左手を添え人差し指を掛けてグッと力を込めはじめる。
『やれやれ…。仕方ないな』
説得をあきらめて、ラデスは自らの赤い瞳にそっと手を当てるとまるでほこりが目に入った時のように軽く何度かこすって、ゆっくり開いた目を開き銃を構える若者の方へすっと手を伸ばした。
すると、どうだろう。
銃口から飛び出した弾丸は勢いよくラデスへ向かって放たれるも、その身体を貫く直前、見えない何かに弾かれるようにパンッという音を立てると確かにあったはずの弾丸は粉々になり、灰のように散って消える。
「な…っ!?」
何かの間違いだと思ったのか若者は、もう一度引き金を引こうと指をかけ直すが、そのあとの行動は起こせなかった。ラデスによってそれを封じられたのだ。赤く光る目を向けられただけなのに、まるで石にでも固められたように指先ひとつ、ピクリとも動かせない。差し金を引けずにそのまま立ち尽くす。動かせるものといえば口と目線ぐらい。
「な、なんだ貴様!なにをした!!」
攻撃を不可思議な技で封じられた若者が今までより警戒を強めて強くにらむ。
『何って……、見ればわかるだろう?』
「分かるものか!早くとけ!気味の悪い技を使いやがって!」
『じゃあ……物騒なものはもうかんべんしてくれよ?』
不機嫌な若者に小さく苦笑いを浮かべるとラデスは、また目を閉じてゆっくりと開く。するとその時には、先程までのような光はなくただの赤い瞳に戻っていて、同時に若者の封じられた動きも解け、自由になる。自由に動けるようになったことを確かめるかのように手を握ったり閉じたりしたあと、若者はまだ怒りが残ったまま、ラデスに鋭い声を投げかけた。
「………おい」
『ん?』
辺りをぐるりと軽く見渡していた視線を若者に向けるため、ラデスは振り返った。
「それで、一体なんだ? さっきのは」
『さっきのってー…ああ、もしかしてあれを知らないのかい?』
「知らないから聞いているんだろう!」
相変わらずマイペースなラデスに調子を乱され若者はつい、声を張り上げた。
『ああ、そうだね。すまなかった。あれはねー……』
ラデスがそう言いかけた時。
「…………『月眼』、だろう?」
「ツキノ…メ……?」
突然、そう呟く王に若者が疑問を浮かべオウム返しのように繰り返す若者に、王は静かに続けた。
「月明かりを源に様々な能力を宿した瞳のことをそう呼ぶそうだ。王族だとか関係なしにヴァンパイアの種族だけに時折持つ者が現れるらしいが、ここ数年、月眼を持つ者は現れなかった。……あいつらが現れるまではな」
言葉の最後に、明らかに王の表情が変わった。それに少し心配しながらも、若者は王に尋ねた。
「あいつら?王、あいつらとは一体――――…あ!」
最後まで言い切ることなく、自分で導き出したある人物を脳裏に浮かべ確かめるようにそっと王の目を見ると、王は肯定するようにうなづいた。
「もう心当たりがあるだろう?」
「あのお二人…そうか、だから満月の夜は目の色が…」
謎が解けたかのようにひとりそうつぶやく若者。
「まぁ、極めて希な特質だから知る者がほとんどいないのも無理はない。俺が知ってるのもあの二人とこいつ以外、初代一人だけだしな」
「初代一人……!?それじゃあ……っ」
改めて確認した衝撃の事実に、皆の注目が千桐の姿のラデスに集まる。
『私は、正真正銘……初代ヴァンパイアだ。
もっとも、今はこの子の月眼に宿る魂だけの存在だけどね』
またしても苦笑いを浮かべたラデスに誰もが状況についていけず少し沈黙が流れる。そして、周りの皆より少し早く状況の整理がついたらしいあのラデスに攻撃を仕掛けた若者が先に口を開く。
「ん?ということは正統後継者であり、月眼も持つ千桐様が次の王になれば我々も平穏な日々を送れる…ということですか??」
「おぉ確かに!あの二人正直、気味悪いからなぁ。
いつ何仕出かすかわかったもんじゃない」
「同じ月眼を持つお方ならもしかすると、あの二人に勝てるやもしれんな」
口々にそう言いだして、残りの皆もほっとしたように胸をなでおろす。
「ん、もう9時前を回ったか。
そろそろ会議を引き上げたいのですが…よろしいですか?王」
ふと壁にかかった時計を見上げた若者がただそこだけにある物のように黙り込んでいた王への問いに、少し動揺したあと返事が返ってくる。
「ん……あ、ああ。そうだな、解散していいぞお前たち」
「では、お先に失礼いたします。
おつかれさまでした。みんな、帰るぞ」
パンパンと手を叩いて帰宅を促がすと、正統後継者であり、頼りになる力を秘めた千桐に安心してわきあいあいとにぎやかに騒ぎながらぞろぞろと出ていくそんななか。
「え~、いつももう少しゆっくりしてるじゃないスか~。今日はどうしたんスか秋霖さん」
若者に対していじけるようにブーイングを投げる一人の青年。見た感じ20歳前後のその青年は、たぶん集まっていた人々の中では千桐を除いては最年少といった感じだ。
「バカ!銅お前!いいから今日だけ黙って…ほら!帰った帰った!」
「ちぇ…なんだよ。あーあ冷たいなぁ。みんなの頼れるリーダー、秋霖さんが今日は冷たいなぁ!」
「なんだなんだ銅、秋霖さんに構ってほしいのか?」
「べっっつにー」
「うそつけ。そんなに膨れて」
部屋を押し出されしっしと手を振る秋霖に、口をとがらせてしぶしぶ帰路につく銅につられて残っていた数名の人たちもつられて騒ぎながら帰路につく。
みんなが部屋を出たあと、最後に秋霖は王に
「今日はゆっくり休まれてください」
と付け加えるともう一度一礼すると、部屋を後にした。
『みんなして二人二人って口にしてたけど、もしかして現代ってこの子以外に月眼を持つ人でもいたりするのかい?』
みんなが帰ったあとも一人ぼんやりとしていると、不意にラデスが後ろから現れて王は彼を振り返り一瞥するとまた前に向き直って答えた。
「ああ。まだこいつも会わせたことはないが、こいつと同い年ぐらいの双子の兄弟がな」
『双子…。数十年に一人いるだけでも珍しい月眼の子が…』
「そうだ。だから力がなくても正当な王位後継者のこいつか、王族でなくても力のあるあの二人がっていろいろもめてたんだが……どうやらあっさり決まりそうだ」
はっと不敵に笑ったようにも見えたが、それがうっすらと涙の滲んだ悲痛の笑みだったのだとすぐに気付いてラデスは話を変えた。
『王は、お帰りにならなくてもいいのかい?』
「……………まだ、帰るわけにはいかない」
そして、ラデスはまた自分の言動に後悔した。
『…そっか。
そういえばこの子――…千桐は王のお孫さんだったね』
「……………………。」
ひとりごとのようにそうも呟くが、王は感嘆ひとつ漏らすことはなかった。ただ、表情だけは苦痛そうに歪めた。
二人ともついに口を閉ざし、気まずい沈黙が広がる。
冷たい夜風で、カーテンがふわっと大きく膨らむ。1分ほど時間を置いて、ようやくラデスの方が先に口を開いた。
『……すまない』
「………なにを?」
『その…、この子をこんな運命に巻き込んでしまって…』
「………………」
また王は少しの間、黙り込む。が、次は王の方から口を開いた。
「………ラデス」
『なんだい?』
静かにラデスの名を呼んで、冷たい沈黙が破られる。
「ヴァンパイアから逃れることはできないのか?
お前は、こいつに王を継いでほしいのか?」
『それは……そんなの私だって望んじゃいないさ』
言葉に迷いながら、同じく苦痛そうにゆがめて目をそらしたまま答える。
「………そうか」
(初代ならもしかして…とは思ったんだがな。
方法を告げないってことはつまり…)
初代でも知らないか、そんな方法など存在しないということ。今のままなら、ヴァンパイアに戻ることがあったとしても満月の夜か、月明かりを浴びた時だろう。しかし、月眼の力は負荷がかかるためもし王となって今後月眼を使うようなことがあればもしかすると人に戻ることさえももう無くなってしまうかもしれな
い。以前ヴァンパイアに目覚めたように、自我を失くしてしまうかもしれない。
どこまでも広がる悪い想像ばかりにすっかり黙り込む王に、ラデスは立ち上がると微笑んでこう言った。
『だいじょうぶ。
どうするかは……きっとこの子が決めてくれることだから』
「ラデス…」
『…じゃあまたね』
そう言い残したのと同時にフッ…と、倒れこむ千桐の身体。
「あ、おい!ラデ…千桐!!」
思わず孫の名前で呼びながら、あおむけに倒れた千桐を何度も揺さぶる。
「ん……あ…れ?俺何して……て、じいちゃん?」
「千桐…!」
「んんー…じいちゃん。
なんだか…さっきまでの記憶がないんだけど?俺、何してたっけ?」
片肘をついて起き上がろうとしたまま状態でつい先ほどまでの記憶を思い出そうと千桐は懸命に思考を巡らせている。その目はいつもの千桐の茶色に戻っている。
「覚えて…ないか?」
「う、うん。なんか、ごめん…」
何を悪いと思ったのか、ばつの悪そうな顔で小さくぼそっとつぶやいた。目の色だけじゃない。話していて、ちゃんと千桐だなと実感できた。それが、ただ嬉し
くて柄にもなく、自然と笑みがこぼれる。
「ま、いいさ。さて、今夜の会議も終わったことだし、今日は琴鶴ん家に世話になって一緒に飯でも頂くか」
「え?あ!そっか、俺会議に出てて……あれ?でも、なんで寝てたんだろ?」
立ち上がってそう言った王に対して、千桐が先に前を歩きながらひとり、呟いては首をかしげている。元気そうな様子に王の口から心から安堵の思いがこぼれた。
「良かった……」
「え?なにかいった?」
先を歩いていた千桐が少しだけ聞こえたのか、のんきに振り返って尋ねる。
「いや、なんでもない。早く帰るぞ」
「え?あ、うん?」
二人は、満月の光のこぼれる中、琴鶴たちの家へと急いだ。




