第九章 宿りし者
「へぇ、人間も魚とか食べてるんだねぇ」
「あぁ。あとはー…あ。山羊とかも食べるとこは食べるかなぁ」
何気なく呟いた俺の言葉に琴鶴が軽く後ろにひく。
「え、山羊さん……食べちゃうの……??」
「食べるとこは、な」
「人間界、怖いよぉ!あ……もしかして千桐も…??」
何かを予感して否定も肯定もしないうちに後ろへ後ろへと下がり距離を取る。なんだか心外だ。子どもだからまだそういうの可哀想とか思っちゃってなんだろうけど、まるで心ない悪魔を見るようなその目で見るのはやめてほしい。それに俺はまだ口にしたことはないのだから余計に嫌な気分だ。
「ちょっとちょっと、俺は食べたことないかんね?」
「あーびっくりしたっ!!」
俺の言葉に心底安心したようにほうっと胸を撫で下ろす琴鶴。ここまで聞いて大体お察しの通り。今、俺と琴鶴は昨日約束した人間界の話を琴鶴に聞かせてあげていた。もちろん、話は聞いていないが風空も一緒だ。
(それにしても…… )
後ろの正面にある時計の針を見つめながら、さりげなく思ったことがついに、声に出てしまう。
「…っあ~、5時まであと1時間かぁ…」
「なに…今回の会議のこと…?」
顔を両手で覆うようにうつむく俺を、猫の姿の風空が下から覗きこむ。俺は顔を覆った両手から目だけを見えるように手の位置を少しだけ下げて風空に答えた。
「うん。なんつーかほら、緊張というか…期待というか………」
「…なんだか複雑そう…だね」
「だよなぁー…」
実は今日、屋敷で行われる会議に俺も出席するようにとじいちゃんから言われた。なんでも王族の正当後継者だし、しばらくはいるわけだからみんなに紹介しておこうと思ったらしく、俺も出ることになっている。果たして人々は、突然現れた俺を正当後継者として見てくれるだろうか?怪しまれたり、変な恨みを買ったりはしないだろうか。いや、でももしかすると王族だから結構チヤホヤされたりすんのかも…?
そんな緊張みたいな不安と変な期待が朝からずっと、頭をめぐる。それでいて今日はなんだか会議が気になって仕方がない。そんな会話をしていたちょうどその時だった。
―――コンコン…。
木製の琴鶴ん家の玄関のドアから乾いたノックの音が聞こえてきた。
「誰だろね?」
「…ね」
俺の素朴な疑問に風空も続く。ほんと誰だろね?
「…って!!ね、じゃなくてお客さん!!」
「えー…ボク疲れた……」
そういって床からトンと軽く飛ぶとベットに乗り、丸くなる風空。
(こいつ、自分家のお客さんに出る気無いな…仕方ない…)
風空が出ないからといって、子どもの琴鶴に出迎えさせるのもなんだか危ないし。そう考えると、俺が出る以外の選択肢がなかった。
「あーもー。…はーい、今出まーす!!」
答えながら玄関まで力なく歩くと散らかっていた自分の靴を半履きのまま、扉を開ける。
「はーいどちら様……ってじいちゃん!!何?どしたの?」
扉を開けてめんどくさそうに顔をあげた先にいた人物を見て、少し驚いた。外側の黒いマントを羽織って、そこに立っていたのは紛れもなく俺のじいちゃんだった。
「何ってお前…。
今日会議あるっていったろ?まだ支度してないのか?」
「いや、支度は済んでるけどさ。
会議って5時からだろ?あと一時間――」
そこまで言ってじいちゃんが自分の右腕につけたシルバーの腕時計の文字盤を指す。
「今、5時半だろ。もう過ぎてるぞ」
「は?だってあの柱時計が…」
振り返ってみてみるとやっぱりその時計は4時ちょっと過ぎを指している。
俺の見間違いではない。
そこで黙ってベットからやり取りを見ていた風空が口を挟む。
「あ、そういやこの柱時計…そろそろ電池少なくて時間遅れてた……。電池電池……」
そういってリビングの戸棚に電池をとりにむかう。
「風空!?お前絶対知ってたよね!?つか、なんで今更なわけ!?絶対わざとだろーっっ!!」
「えー…違うもん」
怒りのあまりそう叫ぶ俺に楽しそうにそういってくすっとと小さく笑う風空。
「嘘つけ!!笑ってんじゃんよ!!」
「こら、千桐。早く行くぞ」
俺の怒鳴り声にも全然動じないでいる風空に向かって、だらだらと文句を続ける俺にじいちゃんがこづく。
「はいはい、わかった。わかったって!!」
俺は、半履きだった靴を慌てて履き直すともう一度部屋に戻ることもなくじいちゃんに連れられて城へと向かった。
「うぅ…じいちゃんほんとに俺大丈夫なの…??
なんか信じてもらえるか不安なんだけど…」
俺の少し前を気品ある歩き方で先導するじいちゃんの背中に問いかける。
(まぁある意味では信じてもらいたくない…つーか信じたくない、よなぁ…)
その辺の事情は複雑なところである。
「そんなもん知るか」
「んな適当な……!」
「まぁ、なるようになる。ほら、ついたぞ」
俺は文句をつけてたじいちゃんの顔から視線を外して、じいちゃんの後ろからのぞくように顔をだして前を向いてみる。真っ赤な絨毯のような質のよさそうな布地に、シンプルに金で縁取られた扉。そしてその前に黒いスーツを着て正装した男の人が二人、左右に立っている。
(すげー…警備…?みたい人かな?)
俺が感心してるそばからじいちゃんが何やらそのなかの一人に近づき、耳元で何かをささやいている。しかし少し離れた俺の耳までは、聞こえてこない。
(なーに話してんだろ…)
目の前の聞こえない会話を想像していると最後にじいちゃんが俺を一度指差して何やら一言付け足すと、急にその人の表情が驚きに変わり、目があったその時子どもである俺に対して慌ててバッと頭を下げて深く一礼した。
(え。なになに?なにがあったの?なに聞いちゃったの?)
悠々と何事もなかったのようにその人から離れ、戻ってくるじいちゃんに俺はすぐさま問いかけた。
「え…。じいちゃん何話したの?」
「何でもないさ、ほらお前は初めてだろう?」
じいちゃんの答える側から二人の門番らしき人が両側から大きな取っ手に手をかけ、扉はギギギ…と重々しい音を立てて、ゆっくり開く。
二人によって開かれたその扉の音に、室内にいた人の視線が一点に注がれた。
(…すっげー…。これが会議室…)
実のところを言うと今の俺のリアクションは少しおかしくて、実際は特にすごいと思えるようなものもない、一つだけ床ではなく段のようなものの上にある回転椅子とその下の床には何の変哲もない長テーブルがひとつと周りに数十個程度の腰掛が散乱しているような部屋で、唯一すごいと思えるのはその広さとじいちゃん家ににて少し古臭いような部屋の空気だった。
しかし、そうして見渡していた感想を考えているのも少しの間で、すぐに意識は俺とじいちゃんに注がれる視線を感じ取ってしまうことに向けられた。
「おい…あの少年がそうなのか?」
「あの方が…」
「どうなるんだろうな、後継者の話…」
ぼそぼそとあがる騒ぎ声も一切気にすることなく、カツカツと靴の音を響かせながらあの回転椅子に腰を掛ける。俺もそんなじいちゃんに続いて座ろうとするがじいちゃんの隣にあまりの椅子はない。どうしようかと考えていると、下の方から赤い髪の若者が「よかったら」と散乱していたうちのひとつの椅子を差し出した。
聞こえるか聞こえないか程小さな声で「…どうも」と答え、じいちゃんの隣に椅子を置いて腰を掛けると軽く咳払いをしてじいちゃんが口を開いた。
「……これより報告会、及び会議を始める。
誰か報告することはないか?」
じいちゃんは辺りを一度見回してみるが、手をあげる者など誰もいない。
誰もがその傍らに座る千桐にそれぞれの思想を浮かべ、それの紹介のときを待つように静かに見つめている。そんな彼らの様子を見てじいちゃんは、腕を組み一度だけ深くため息をついてなにかを決めたように切り出した。
「……先に紹介すると逆に会議がうまくいかんと思ってこれの紹介は後にしようと思ったんだがな。どうやらこのままの方が会議は進みそうにないな。…じゃあまず俺から行こう……千桐」
俺を呼んで、じいちゃんがポンと背中を軽く叩く。
「ぇ!?もう俺なの!?じいちゃん俺は最後だって言わなかった?」
互いに正面を向いたまま横目でコソコソ…と小声で囁きあう俺たち。
「仕方ないだろ。みんなお前が気になって会議どころじゃないらしいしな。まぁどのみちやるんだ。とっとっとやっとけ」
「そんな無茶苦茶――」
な、と俺が言い切るよりも早くさっきより少し強く背中を押されてコケそうになりながらなんとか踏みとどまって俺は、少し前に歩み出る。
(自己紹介ってったってねー、何を言えばいいんだか…)
そもそも生まれ落ちた頃からのヴァンパイアと、人間の道を外れた俺とじゃあ色々勝手が違うもんでなんて言えばいいのか困る。
(ま、なんとか……なるかな、うん)
自分で自分にそう言い聞かせて、思いきって口を開く。
「えっと……じいちゃん、じゃなかった。王の孫の、篠月 千桐です。えと、ここに来たのには訳があって…」
そこで、言葉につまる。説明の仕様がない。
「訳が、あって……その」
(それで……何から話せばいい?
きっと何をいっても信じてもらえない…)
上手く言えない。元は人間で、人間界に住んでいたこと。今さら目覚めた理由。
思いだせない、人間の頃とヴァンパイアになるあの境の日のこと。
突然ヴァンパイアの血族だといわれ、普通の生活は送れないと突き付けられ、友人と家族と別れたこと。言う必要のないことも、思いだしたくないことも、今頃になってすがりたくなる平穏だった日常も。何もかもがギリギリの瀬戸際でせき止められていた何かから弾けたように溢れかえって俯く目にうっすら涙がたまりはじめる。
「……っ」
(ダメだ…ちくしょう…。
こんなに大勢人がいるってのに泣くわけには…)
堪えようともしてみるが、緩み切った涙腺は弱々しくただ涙を垂
れ流すように目じりから徐々に頬を伝い始める。
「はぁ…」
するとその様子を見かねたじいちゃんが立ち上がってため息をついたかと思うと突然俺を後ろへどけるように肘でぐいっと後方へと押しのけて代わりに続けた。
「…~っ」
じいちゃんの服の袖でこすられるようにどけられて、その摩擦で少し痛みを感じて思わず声が漏れる。
(なんだよ!わざわざあんなどけ方しなくてもよかっ――)
そこまで言って、俺はじいちゃんの行為の意味に気が付いた。
そう、こすったのだ。
乱暴で、雑なやり方ではあったが確かに袖で目元をこするようにして、気づかれないよう涙を拭ってくれたのだ。
「とにかく、だ。こいつが正真正銘俺の孫。ただヴァンパイアに戻ったことはまだない。それだけだ」
淡々とそれだけ告げて、再び回転椅子に腰かけるじいちゃんにつられて、俺も再び腰を掛ける。そしてじいちゃんはなぜかあの日の夜、俺がヴァンパイアに目覚めた事実とじいちゃん自身を襲ったことを言わなかった。
「……他に意見、報告はないか?」
自己紹介のその後、再び会議は再開されたが進んで話そうとする者もいないため王が自ら皆に問いかける。何度目かのその問いかけに奥の端の方から手が上がった。
「氷 音。……報告か?」
指名され、すっとその場に立ち上がるとはきはきと口を開いた。
「いえ。自分はそちらの方について一つ質問がありまして…」
「なんだ。
ようやく話が出たかと思えば……結局また千桐のことか」
一度だけ千桐に目配せして王に視線を戻すと深々と頭を下げながら続ける。
「…申し訳ございません」
「まぁいい。どのみち他のやつらも同じだろう?
……それで、質問とはなんだ?」
顎の下で両手を組み合わせ、頬づえをついたような姿勢で王は、話を聞き入れようと体制を整える。その姿に氷音ももう一度姿勢を正し直し、恭しく語り始める。
「そちらの後継者の方。
いえ、千桐様はヴァンパイアでいらっしゃるのでしょう?」
「当然だ。そもそも血筋すら受け継いでいるのだからな」
それがどうした?とでも言わんばかりの王の受け答え。
「しかし千桐様は王族であるにも関わらずヴァンパイアとしてい
まだ目覚めぬ、と。
ヴァンパイアは、昔から『満月』の夜に力が増すと言います。
そこで千桐様に『満月』を見せるのはいかがでしょう?」
「千桐に…」
「俺が……??アンタそれ、本気で言ってんの??」
絶句するじいちゃんの横から割ってはいり、相手が仮にも年上であることも忘れて千桐は氷音に聞き返す。そうせずにはいられなかった。満月を見れば自分がどうなるかを、じいちゃんの話で知っていた。それも、自らで自分を制御できなくなってしまうことも。故に、氷音のその言葉が許せなく感じていた。
「アンタ、それで俺が……っ」
「やめろ。千桐」
思わず席を立ち反論しに向かおうとする千桐をじいちゃんがグッと伸ばした腕で行く手を阻み、阻止されてハッとする。
それで、俺がどうなるかは俺たちは知っているが一度目覚めたことを知らないここの人たちはまだわからない。
(そしてたぶんじいちゃんはこれからも話すつもりは……)
ぐっと拳を強く握り、俺は静かにうつむいた。わずか数秒ほど。
「……いいだろう」
「じいちゃん!?」
一歩前に歩み出たから聞こえた予想外の声に俺は振り返る。ポンッ…と頭に優しく強い、じいちゃんの手が重なる。
「心配するな、俺が絶対にお前は守ってやる」
「じいちゃん……」
迷いなく先を見据えたその真っ直ぐな目は、少なくとも俺には嘘には見えなかった。そして二人の前にたつ氷音が口元を緩ませて妖しく微笑んだ。
「では王の許可も頂いたことですし、真の王位後継者のご帰還を祝して、その素敵なヴァンパイアのお姿でもお披露目していただきましょう…?」
くすくすと笑いながらくいと氷音が窓のそばにあった紐を引くと、天井で何かが動く。薄暗い天井に目を凝らしてみると赤いカーテンが開いていくのがわかる。どうやら、あの紐は天井のカーテンを開くためのものらしい。少しずつに月明かりが差し込む。また自我を失くして狂気に駆られてしまうのか思うと、自分自身が怖くてたまらなくなり、すぐにでも月明かりの照らし始めるこの場所から逃れたくなる。
(落ち着け…)
自己暗示をかけるように、覚悟を決めると床に視線を落とし一切の光も拒むように固く目を閉ざす。鼓動が明らかに速度を増すのを感じる。ふいに脳裏でいろいろな記憶が流れ去るように通り過ぎる。
(ぜったい…ヴァンパイアの本能なんかに呑まれてたまるか…!)
唇から血が出るんじゃないかと思うほど強く噛みしめた時、俺は自分自身になんの変化もないことに気づく。
(あ…れ…?)
どう考えても、目を閉じてからもう数十秒は経過している。ヴァンパイアに戻ったものの自我だけが保てているのか、本当に何の変化もないのか。確認するべく、恐る恐る俺は目を開いてみる。全身を包む月明かり。辺りを見回すとすでに周りの人々の口からは鋭い牙が光って見える。しかし、口元を触ってみても牙のあるような感覚はしない。至って普通の人間の姿のままの俺に疑問やら驚きやらで沈黙する人々がようやく、ざわめきはじめた。
「おい、ほんとに王族の方なのか…??」
「そうらしいんだがな…」
「なんも変わらんぞ、ただの人間ではないのか?」
「王族とはいえなぁ。やはりあの二人の方が…」
あちらこちらで上がる疑惑と別の誰かへの支持。しかし俺にとって後継者候補などどうでもよかった。
(俺…やっぱりただの人間なんじゃ…)
広げてみた両手を見ながらそんな考えが浮かぶ。たった今起こったその考えを肯定するような事実にとめどない嬉しさがこみ上げて手が震えた。
何も、変わることはなかった。
それだけがただ嬉しくて、つい上に広がるガラス張りの天井の向こうに空高く輝く満月を見上げる。




