第八章 眠れる血族の血
―――――…千桐たちが夢のなかに落ちる頃。
久々に王の帰った城では、会議が開かれていた。
「王、そろそろ例の件をお決めになりませんか?」
「そうですよ。
いつまでも待ってはいられないですし…それにあのお二人以外に相応しい方など、もういないではないですか」
初めに発言した彼ら二人の言葉に同意を示すような、王へのざわめき。しかし、王は表情ひとつ変えずに澄ました顔で答える。
「後継者候補のことか。何故そう急ぐのだ?もう少し経ってからでもいいじゃないか。あいつらもまだ子供なんだし…」
「ですが!!
王に何かあったときはどうなさるおつもりですか!?」
力を込めて言い放つその言葉に微動だにしなかった王の眉間がわずかにぴくりと動く。そして鋭い瞳で迷いなく言い切る。
「俺に何かとは?生憎、俺はまだこの座を譲る気はないが」
見つめ返すその瞳だけでも、十分に若者を圧倒する。若者は「も、申し訳ございません」、と小さくなりがらもなお、くいさがる。
「あの、しかしですね…」
「そう焦るな。
王のことだ。何か理由があるのでしょう」
再び語りだした若者の声を、黙って聞いていたもう一人のある若者が遮った。
「氷音…」
月明かりだけの差し込む薄暗い部屋。雲に隠された今はほぼ暗いが、やがて窓の外でゆっくりと夜風に流れた雲の合間から月明かりが再びこぼれだし、氷音とやらの姿を照らし出す。紫の毛髪が夜風に揺れ、左の髪を右に寄せるように右側の前髪が女性のミディアムほど長い。耳元には左耳だけに金の細いチェーン先に一欠けらほどのアメジストのような石の小さなピアス。そしてまた、口を開いた。
「私どもでは、信用なりませんか?
何にこだわっているのか話してはくれませんか?? 王」
若者の急かすような問いかけの嵐から王を救おうとしたわけでもなければ、王がひとりで抱えているその何かを聞いて相談に乗ろうとするわけでもない。ただ、興味本位で探るような、そんな問いだった。
王の第二側近で他の者よりは少しばかり立場も上とはいえ、王自身に対する氷音の態度に目に余るものがありながらも、しばらく考え込んで覚悟を決めると静かに言い放った。
「……王族の正当後継者が、戻ってきた」
「……正統…」
「……後継者…!?」
途切れ途切れのお互いの言いたいことを補い合うように口々に呟く周りの者たち。驚きに黙りこんだ空気のなか、先程氷音に話を遮られた若者が確かめるかのように小さくつぶやいた。
「正統後継者って……」
「ああ。カルア家の、な」
「そんな。一体誰が……まさか、あの少年ですか!?」
そして思いついたように昼時に見かけた少しばかり心当たりのある人物をあげる。
「ああ」
動揺を隠せない若者を前に王はやはり表情一つ変えることなく即答した。
「しかし!!あの方が仮にカルア家の血を引いているにしても今はただの人間ですよね?なら、いっそ王族の血を引かなくとも力のあるあのお二人がよくはありませんか?」
これまた先程の若者が一際大きな声を張り上げて訴えかける。
「そ そうですよ!!」
「力を持つものの方が……」
さらにそんな彼に同意する者たちが、口々にざわめきたてる。そんなざわめきの中、王の静かな一言は誰もが耳を疑うほど、弱気な小さな声だった。
「……分からないんだ」
いつでも凛としており、何に迷うことも、臆することもない王。そんな王が今、自分たちの目の前で何かを憂いているのだ。
「王…?分からないとは一体…?」
ただならぬ空気を察して若者は遠慮がちにその理由を問うてみる。王は、事実を口にすることを覚悟して悲痛そうに顔を歪めてぽつりと言葉をこぼした。
「あいつは、確かに……」
ヴァンパイアに目覚めたんだ、と最後まで言わずにその続きをぐっと呑みこんで心の中でそうつぶやく。
(この傷が消えないその証…か)
そういってキィ…と響く回転式の椅子に腰を掛けながら今は血の固まったその傷跡をわずかにこぼれる月明かりにかざすように、ここではない、どこか遠い景色を見るような悲しげな目でそれを見つめる。
「王…申し訳ありません!その、こんな話を…」
そんな王の姿を見て若者が深々と頭を下げながら小さくなった。王はあの続きを語ってはくれなかったが若者にとって、そんなこと等もうどうでもよかった。ただ、王の気持ちをそこまで深く考えることなくあんな質問を投げかけた自分の言動を心の底から恥じた。そんな若者の姿に王は慈しむように深々と頭を下げたままの若者の肩に手を置き、一度だけ小さく微笑み頭をあげるよう促した。
「構わない。いつかは言うことになる。それに……」
「……はい?」
また言いかけてやめた王に、若者は聞き逃したのかと耳を傾ける。
「いや、なにも。みんな、今日はこれで解散だ。」
「あ、はい。お疲れさまでした」
「「お疲れさまでした」」
若者に続いてその場の者が全員がそう口にし一礼すると、帰っ
ていく。
王はぞろぞろとそれぞれの家へ帰る若者たちの背中を最後まで見送ると、また回転椅子をまたキィ…ッと回して大きく息を吐きながら背もたれにもたれかかる。そして、後ろの大きな窓ガラスと向かいあい、孫のことを脳裏に浮かべた。
紅い瞳。鋭い牙。満足の夜。そして…血族。
これだけの条件が重なっていながら、王はまだ孫の正体が人間なのかヴァンパイアなのか、断言できずにいた。最も、正しく言うなら断言したくなかった、という方が適当であるのだけど。
(…結局、みんなには断言できなかったが大きな確率で千桐はヴァンパイアだな……)
わずかとはいえれっきとした血がその身体を巡っている。
ましてや、ヴァンパイアに襲われたことで本当に目覚めたのだとしたら?………あり得ない話などではない。
「…なぁ千桐。お前はどちらなんだ…?」
誰もいない王室に、呟いてみる。当然、王以外誰ひとりとしていない部屋で答えが返ってくるわけもなく、ただ虚しく、広い暗がりにこだまするだけ。
「……………」
風通しにと開いたままの窓ガラスに夜風が当たり、時折入る風が古いせいか少し黄ばんだような淡い薄橙のカーテンを揺らす。さきほどのように雲の隙間から、また月明かりが差し込む。
(…やっぱり月明かりは好きになれんな…。)
そういってため息をつきながらカーテンを閉めに椅子から腰を上げて椅子から立ち上がる。
今は歳ゆえに王族とはいえ、本能が弱まっているため普通の人間らしくいられるが若い頃は時々表れるその本能を自ら抑えることなどできなかった。そして、その力を増すのはここでも人間界でもそれは―――…月明かり。
どこに隠れようとも淡くぼやけるあの光から、逃れられる場所などない。
例え光の一切閉ざされた場所であろうと、満月の夜だけはヴァンパイアに戻ってしまう。そしてどれほど苦しくとも、易々とは終わらせてくれない生命。
(心から愛してくれる人間か、互いに愛し合える相手が
できたら死ぬこともできるらしいが…それでは遅すぎたな)
静かに目を閉じて、窓枠にこつんと頭をもたれさせて、夜風に浸る。今更、死にたいなんて思えなくなってしまった。死のうと思うには、もう愛しい存在が出来すぎてしまった。妻に、息子に。そして、孫までも。
そこで、ハッと思いだして王は目を開いた。
(千桐が…月を見上げたりなんかしたら……)
ふと、目覚めた時の千桐を思い出す。まだ目覚めたばかりのせいか、あのときの千桐に意識はない。千桐自身の心の安定はもちろん、琴鶴たちの安全も心配だった。
「鳳来!」
王は、バッと黒いマントを翻すとカーテンを開いたままの窓から飛び出し、真っ暗闇な辺りにそう叫んで、うっそうと木の多い茂る森の中へとわけ入ると急いである場所へと向かった。
「……やっと寝た……」
千桐や琴鶴が眠るのを見届けて、寝静まった部屋にひとり、そう呟いて琴鶴に付き添うように座っていたベットの隣から立ち上がり戸締りとして窓を閉めようとしたときだった。
―――…ピクン。
無意識のうちに気配を感じとり、気配のした窓から外へ出る。飛び出したその前には見渡す限り森しかない。玄関はもっとわかりやすい方にあるのだから間違えたわけでもないだろうし、第一、こんな時間に人の家を訪ねる輩がまず不審である。鋭く辺りに警戒を張っていると、ふと、大きなフクロウが一匹、前の大木
に止まっていた。
「……だれ」
しかし、フークが警戒を向けたのはフクロウではない。その背後に気配を感じる人間の方だ。背中に背負っている剣の柄に手をかけながら、フークは問いかけた。
「……………」
しかし向こうは返事はせずに黙ったまま。
すると雲の切れ間から現れた月の明かりが漏れて微かにそのフ
クロウが照らされる。その首には、金の細い首輪がかけてある。金の細い首輪は、王家の使いを現す印。
「……なんだ…王家の使いか。
びっくりした、王も来てるなら言えばいいのに…」
暗闇からゆっくり姿を現すその人物に、抜きかけた剣から手を離すと、その人物――――…王も小さく呟いた。
「……相変わらず、冷たいな」
「……琴鶴を護るのが……ボクの使命だからね…」
木から飛び立ち、主人である王の肩に止まったフクロウを一度指で撫で、王は背を向けて再び家に戻ろうとするフークの背中に呼びかけた。
「千桐は、…どんな様子だ?」
「……さぁ?ボクは琴鶴以外の他人のことは知らないよ…」
孫の様子を尋ねる王に、フークはふぁとあくびをひとつして、冷たく突き放す。いつもならこの時点で言い返しもする王だが、よほど心配で頭がいっぱいなのか、今回はフークのそんな生意気な態度にすらたじろいでいる。そんな様子を見かねてフークはため息をひとつ吐いて小さく王に告げた。
「……気になるなら入れば?」
「なら、お言葉に甘えて失礼する」
ずっと考え込んでいた頭をあげてそう答えると、王は先に玄関先から戻ったフークのあとに続いて奥へと進む。一番奥の部屋では、隣り合う2つのベッド。その手前側に琴鶴、奥側に千桐が。二人そろって静かに寝息を立てていた。二人とも争った感じもなく、フークも何も言わないところを見るとどうやらここではまだヴァンパイアに戻ったことはないようだ。
「……よかった…」
孫の安らかな寝顔を見つめて、王は呟くように言った。
(きっと、お前が人間のままでいられる方法を見つけ出す。
だから、それまで…待っていてくれ、千桐)
悲しさなら、俺で断ち切って見せる。
痛みなら、すべて背負って見せる。
王は声にすることなく、でも確かに――――…胸の内でそう、固く誓った。
「さて、どうやら千桐も大丈夫みたいだし俺もそろそろ失礼するとしよう。夜遅くに邪魔して悪かったな」
王が屋敷へ帰るため、千桐に背を向けたそのときだった。王の肩に止まっていたフクロウが急に飛び立って千桐の布団の上にとまる。そして騒ぐようにその布団の上を歩き回る。
「あ。こら、鳳来!」
小声で鳳来を叱るもすでに遅く、布団の上での騒がしさに気が付いたのか千桐がゆっくりと体を起こした。
「…ん。あ、あれ?じいちゃん!?……あ」
月明かりを眩しそうに、幾度か目を擦りながら千桐はすぐにじいちゃんの背の後ろにあるものに釘つげになっていた。 何を見ているのかと思い、その視線の先を追ってみる。すると、そこには窓の向こうに切り抜かれたように浮かぶ満月に
近い大きな月。千桐はそれを見つめているのだ。
(まずい…!)
慌てて、目を隠そうと王が千桐に近寄よる。
「……千桐っ!!」
しかし、返ってきた千桐の反応は王の想像とは全く違ったものだった。
「見てよじいちゃん!綺麗な月……!」
「…………は…?」
あまりに意外な反応にそのあとの言葉はなく、ただ千桐のその様子を黙って見つめていた。
「ほら見てよ!!どうしたの、そんな難しそうな顔して?」
呆然とする王の前で、千桐は首をかしげている。
「…千桐。お前、月みたのに何ともない…のか?」
「へ?……あ!そういえば!!」
言われてようやく気が付いたらしい千桐だが、容姿にも内面にも特に変わったところはない様子。
「……何とも…ないや…」
二人とも、必死に理由を考えてみた。すると、ずっと壁にもたれて黙っていたフークが突然こう切り出した。
「あのさ……事情はよくわからないけど…昔から満月には強い力が宿る。ひょっとして以前の時も満月だったんじゃない…?」
「そう? 確かあの日は………」
千桐は、記憶を辿る様に徐に目を閉じる。
(確かあの日は―――……… そう、天気予報を見てたんだ。それで…)
『今日の藤城では、綺麗な____が見えるでしょう』
『うん、もうちょっと見てからね』
ノイズのような音ともに、薄れた記憶が脳裏で蘇る。しかし、偶然なのか、まるで意図的に伏せられているかのように大事な手掛かりばかりがノイズに呑まれていた。
(ダメだ、大切な手がかりばかりが思い出せない…)
俺は、記憶を辿るのをあきらめてため息をつくと、目を開いた。
(あの日の空には、どんな月が浮かんでいたのだろう…?)
ふっと目を開けた瞬間、この目に映った満月に近い月を見つめて
そんなことを考えていると、じいちゃんが気を取り直したように
俺に話しかけた。
「とりあえず、俺も今日はもう帰るから、明日な」
「ん?ああ、おやすみ」
じいちゃんが出て行ったあと戸締まりを確認すると、風空も再び琴鶴のベッドの隣で壁に背を預け、座って眠りにつく。それにつられるように俺もまた、ベットに横になると目を閉じる。淡い月明かりの眩しさ具合がちょうど眠気を誘い、すぐに意識は夢へ夢へと落ち始める。
(そういえば…)
意識が完全に夢に落ちる寸前、脳裏に先ほどの月が浮かんだ。満月に近い、丸い月。(明日は…満月か…)
そして俺はすぐに眠りに落ちた。




