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けもの係の事件メモ  作者: 秀人


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5/10

インコはその言葉を知らない

元動物園飼育員のペット行動相談員が、動物たちの行動から人間の嘘を見つける。


『けもの係の事件メモ』第五話です。


今回の相談は、河川敷の近くで保護された迷子のインコ。

そのインコは、「カエシテ」「ミナミ」という言葉を繰り返していました。


鳥は言葉を真似ることがあります。

けれど、その意味を知っているのは人間のほうです。


鹿野蒼と朝倉実央は、小さなインコが覚えていた言葉から、ある家族の中に残っていた問題へ近づいていきます。

朝倉実央は、市役所生活環境課の会議室で、小さな鳥かごを前にしていた。


鳥かごの中には、黄色と緑の小さなインコがいる。


丸い目。

小さな嘴。

落ち着かない足取り。


止まり木の上を右へ左へ移動しながら、ときどき首を傾げて実央を見ていた。


「……見ていますね」


実央は言った。


隣に座っていた若い男性が、申し訳なさそうに笑った。


「すみません。人を見るのが好きなんです」


「いえ。見られるだけなら、大丈夫です」


犬や猫に比べれば、鳥はまだ距離がある。


少なくとも、いきなり膝に乗ってくることはない。


そう思った直後、インコが羽を震わせた。


実央は少しだけ背筋を伸ばした。


若い男性の名前は、榎本航太。


二十代後半。

市内のアパートに住んでいる会社員だという。


彼が市役所に持ち込んだ相談は、迷子のインコについてだった。


ただし、迷子になったのはこのインコではない。


このインコを拾ったのだという。


「昨日の夕方、河川敷の近くで見つけました。肩に乗ってきたんです」


「肩に?」


「はい。急に飛んできて」


実央は、鳥かごの中のインコを見た。


インコは首を傾げている。


「人に慣れているんですね」


「たぶん、飼われていた子だと思います。だから、飼い主を探したくて」


「警察には届けましたか」


「はい。拾得物として連絡しました。ただ、生き物なので、ひとまず僕が預かる形になっています」


実央は頷いた。


迷子鳥の相談は市役所にも来る。


掲示板や地域の情報、動物関連の団体への連絡、警察との連携。


できることは限られるが、ゼロではない。


「特徴は記録します。羽色、足環の有無、話す言葉など」


「足環はありません」


「言葉は?」


航太は少し困ったような顔をした。


「それが、その……」


鳥かごの中のインコが、突然高い声で言った。


「カエシテ」


実央は固まった。


航太も、気まずそうに肩をすくめる。


インコはもう一度、今度は少し違う調子で言った。


「カエシテ。ミナミ」


「今のは」


実央はゆっくり聞いた。


「見つけたときから、ずっと言ってるんです」


「カエシテ。ミナミ」


「はい」


インコは止まり木の上で嘴をこすった。


そして、小さく鳴く。


「ミナミ、カエシテ」


実央はメモに書いた。


言葉。

カエシテ。

ミナミ。


そして、すぐに鹿野蒼の顔を思い浮かべた。


これは自分ひとりで判断しないほうがいい。


鳥が何を覚えているのか。


そもそも、覚えた言葉がどこまで意味を持つのか。


それを見られる人が必要だった。


「外部の相談員に確認します」


実央が言うと、航太は少しほっとしたように頷いた。


「お願いします。なんだか、この子、ただ迷子になっただけじゃない気がして」


「なぜですか」


「声が」


航太はインコを見た。


「楽しそうじゃないんです」


実央は鳥かごの中の小さなインコを見た。


鳥が楽しそうかどうか。


実央にはわからない。


けれど、その言葉の響きが明るくないことだけは、少しわかった。


カエシテ。


ミナミ。


鳥は、意味を知っているわけではないかもしれない。


でも、その言葉を覚えた場所には、人間がいた。


その人間が、何を言っていたのか。


実央はスマートフォンを取り出した。


鹿野蒼へ電話をかける。


数回の呼び出し音のあと、眠そうな声が出た。


「はい。けもの係です」


「朝倉です。インコの相談です」


「インコ」


「迷子鳥です。言葉を話します」


「何て?」


実央はメモを見た。


「カエシテ。ミナミ」


電話の向こうで、鹿野が黙った。


短い沈黙。


それから、声が少しだけ変わった。


「その鳥、まだ市役所ですか」


「はい」


「今から行きます」


電話が切れた。


実央は画面を見つめた。


いつもより、反応が早かった。






鹿野蒼は、二十分後に市役所へ来た。


肩にはいつものショルダーバッグ。


手には、小さな布と、鳥用の餌が入ったケースを持っている。


会議室へ入るなり、鹿野は鳥かごへ近づきすぎない距離で止まった。


インコが鹿野を見る。


鹿野も、インコを見る。


だが、じっと見つめすぎない。


犬や猫のときと同じように、鹿野はまず相手の距離を測る。


「こんにちは」


インコは首を傾げた。


「カエシテ」


鹿野の目が少し細くなる。


「誰に言われたの」


実央は思わず言った。


「答えますか」


「答えません」


「ですよね」


「でも、言い方を聞きます」


鹿野は椅子に座り、鳥かごと同じ高さに目線を合わせた。


「名前はわからないんですよね」


航太が頷く。


「はい。僕は仮でピーちゃんって呼んでます」


インコが鳴いた。


「ピーちゃん」


航太が少し驚く。


「今、言いました?」


鹿野は頷いた。


「呼ばれて覚えたんですね」


「じゃあ、この子の元の名前はピーちゃんでは」


「わかりません。今覚えた可能性もあります。インコはよく聞く音を拾います」


鹿野はインコの羽、足、嘴、目を見る。


「セキセイインコ。若くはないけど高齢でもなさそう。羽は整ってる。大きく弱ってはいないです」


実央は少し安心した。


「よかったです」


「ただ、外に長くいた感じではないです」


「どういうことですか」


「羽の汚れが少ない。体重もそこまで落ちてない。迷子になってから一日か二日くらいかもしれません」


航太が言う。


「じゃあ、近くの家から?」


「可能性があります」


鹿野は鳥かごの中の餌入れを見る。


「餌は?」


「ペットショップで買ったインコ用のシードです」


「食べました?」


「少し」


「水は?」


「飲みました」


鹿野は頷いた。


そして、インコに向かって小さく口笛を吹いた。


短い音。


インコは少し反応した。


羽を軽く震わせ、止まり木の上で足を踏み替える。


「人に慣れてますね」


「はい」


「でも、少し緊張してる」


「わかるんですか」


実央が聞く。


「羽をぴったりさせすぎてる。動きも細かい。知らない場所で、人が多いから」


「会議室が悪いですか」


「鳥には落ち着かないです。声が響くし、壁が白いし」


実央は会議室を見回した。


まさか鳥目線で市役所の会議室を見る日が来るとは思わなかった。


鹿野はインコの声を待った。


しばらく、誰も喋らない。


会議室の空調音だけが聞こえる。


インコは止まり木を移動し、嘴でかごの金属を軽くつついた。


そして、少し低い調子で言った。


「ミナミ、カエシテ」


鹿野はすぐにメモを取った。


「今の、二語がつながってます」


実央も書く。


「ミナミ、カエシテ」


「名前かもしれませんね」


航太が言う。


「ミナミさん?」


「人の名前、地名、物の名前。どれもあります」


鹿野は答えた。


「でも、インコが意味を理解しているわけではないです。聞いた音を真似している」


「じゃあ、手がかりになるんですか」


実央が聞くと、鹿野はインコを見たまま言った。


「なります。インコが知っているんじゃなくて、インコのそばにいた人間が言った言葉なので」


その言い方に、実央は少しだけ背筋を伸ばした。


インコは証言しない。


でも、誰かの声を覚えている。


犬の吠え声。

猫の痕跡。

カラスの記憶。

魚の水槽。


それぞれ違う形で、動物たちは人間の事情を映してきた。


今回は、言葉そのもの。


だが、意味を知っているのは鳥ではない。


人間だ。


鹿野は立ち上がった。


「見つけた場所へ行きます」


航太も立ち上がる。


「僕も行きます」


鹿野は少し考えた。


「鳥はここに置いていきます。移動が負担になるので」


「僕が預かっても?」


「できますか」


「はい」


鹿野は餌と水、かごにかける布について簡単に説明した。


「落ち着かせるために、しばらく布を半分かけてください。暗くしすぎなくていいです。急に覗き込まない。大きな声を出さない」


航太は真剣に頷く。


実央はそれを見て言った。


「榎本さん、慣れていますね」


「実家で文鳥を飼っていたので」


「なるほど」


鹿野は航太を見る。


「鳥の扱い、悪くないです」


航太は少し嬉しそうにした。


「ありがとうございます」


「でも、名前はピーちゃん以外も考えてください」


「そこですか」


実央が思わず言った。


鹿野は真顔で頷いた。


「そこも大事です」


インコが言った。


「ピーちゃん」


会議室に、少しだけ笑いが起きた。






インコが見つかったのは、河川敷へ続く細い道の途中だった。


近くには小さな公園と、古いアパート、コンビニ、そして空き家が一軒ある。


航太はその道端の植え込みを指した。


「ここです。夕方、仕事帰りに歩いていたら、肩に乗ってきました」


「近くで鳴いていましたか」


鹿野が聞く。


「最初は、チチッていう声がして。振り返ったら飛んできました」


「飛び方は?」


「まっすぐじゃなかったです。低く飛んできて、少し疲れてる感じで」


鹿野は周囲を見た。


電線。

ベランダ。

木。

植え込み。

アパートの窓。


「この辺に、鳥かごを置いている家はありますか」


実央は近くの住宅を見回した。


「聞き込みが必要ですね」


「迷子掲示も」


「市役所と警察、地域掲示板、SNSの案内をします」


鹿野は植え込みの下にしゃがんだ。


小さな黄色い羽が一枚落ちている。


「この子の羽かもしれません」


実央が写真を撮る。


鹿野は羽の位置を見てから、空き家のほうを見た。


「こっちから来た?」


「空き家ですか」


「正確には、その向こう」


空き家の隣には、二階建ての古いアパートがあった。


ベランダには洗濯物が干されている部屋もあれば、カーテンが閉めきられた部屋もある。


一室のベランダに、鳥用の止まり木のようなものが置かれていた。


「鳥を飼っている部屋がありそうです」


実央はその部屋を見上げた。


二階の角部屋。


カーテンは半分閉まっている。


ベランダの端に、古い鳥かごの台が見える。


「確認します」


実央は管理会社に連絡し、アパートの住人情報を確認する手続きを取った。


もちろん、個人情報は慎重に扱う必要がある。


だが、生き物の迷子、近隣確認、そして場合によっては安否確認の可能性もある。


時間はかかったが、管理会社から折り返しが来た。


二階角部屋の入居者は、南川和枝。


七十代の女性。


名前を聞いた瞬間、実央はメモを見た。


ミナミ。


南川。


「ミナミって、南川さんのことですかね」


「可能性はあります」


鹿野はアパートを見上げる。


「ただ、インコは『ミナミ、カエシテ』と言ってます」


「南川さん、返して?」


「逆もあります」


「逆?」


「南川さんに、誰かが『返して』と言っていたのかも」


実央は眉を寄せた。


「何を」


鹿野は答えなかった。


アパートの二階から、カーテンが少しだけ動いた。


誰かが見ている。


そんな気がした。






南川和枝の部屋を訪ねると、応答はなかった。


インターホンを押しても、返事がない。


しかし、室内に人の気配はあった。


鹿野は扉の前で耳を澄ませた。


「何か聞こえますか」


実央が小声で聞く。


「テレビ」


「それなら在宅かもしれません」


「あと、鳥の声はしません」


「飼っているなら、鳴きそうですよね」


「知らない人が来ると鳴く子もいます。でも、まったく聞こえない」


実央は管理会社へ再度連絡した。


高齢の一人暮らしで、最近近隣から「夜に言い争う声がする」と相談があったらしい。


ただ、本人からの訴えではなく、内容も曖昧だったため、まだ確認途中だったという。


実央は表情を引き締めた。


「安否確認の必要があります」


警察と管理会社が到着し、合鍵で扉を開けた。


中にいたのは、南川和枝ではなかった。


若い女性だった。


二十代半ばほど。


部屋の中は少し散らかっている。


テーブルの上には薬の袋、湯呑み、古い写真立て。


そして、部屋の隅に鳥かごがあった。


空の鳥かご。


若い女性は、突然の訪問に顔をこわばらせた。


「何ですか。勝手に」


実央が名乗る。


「市役所生活環境課の朝倉です。南川和枝さんのお部屋でお間違いありませんか」


女性は唇を噛む。


「祖母の部屋です」


「南川さんはどちらに?」


「入院しています」


「入院?」


「先週から」


実央は警察官と目を合わせた。


鹿野は部屋の隅の鳥かごを見ている。


「インコを飼っていましたか」


女性の顔色が変わった。


「……はい」


「黄色と緑のセキセイインコですか」


「そうです」


「昨日、河川敷近くで保護されています」


女性の肩から、力が抜けた。


「生きてるんですか」


「はい。今は保護した方が安全に預かっています」


女性はその場に座り込むように椅子へ腰かけた。


「よかった」


その言葉には、本当の安堵があった。


鹿野は鳥かごへ近づきすぎない距離で見た。


餌入れ。

水入れ。

小さな鈴。

止まり木。

かごの扉。


扉の留め具が少し歪んでいる。


「逃げたんですか」


鹿野が聞く。


女性は首を振った。


「逃げたんじゃありません」


「では」


「私が、外へ出しました」


部屋の空気が変わった。


実央は言葉を失いかけた。


だが、すぐに落ち着いて聞く。


「なぜですか」


女性は、両手を握りしめた。


「祖母が、ずっとその子を大事にしていて。でも、入院することになって、私が世話を任されました」


「お名前は」


「リリです」


実央はメモに書いた。


インコの名前、リリ。


女性は続けた。


「祖母は、リリを誰にも渡したくないって。でも、病院に連れていけるわけじゃない。私は鳥の世話なんてわからないし、仕事もあるし」


「それで外へ?」


「一度だけ、窓を開けたんです。自由にしてあげたほうがいいのかと思って」


鹿野の声が低くなった。


「インコは外では生きにくいです」


女性はびくりと肩を震わせた。


鹿野は続ける。


「自由に見えても、餌の場所を知りません。天敵もいます。気温も危ない。飼われていた鳥を外に出すのは、自由ではなく放り出すことです」


女性は涙を浮かべた。


「わかってます。今は、わかってます」


「なぜ、返してと言っていたんですか」


実央が聞いた。


女性は顔を上げた。


「リリが?」


「はい。『ミナミ、カエシテ』と」


女性は、目を見開いた。


それから、泣きそうに笑った。


「祖母です」


「南川さんが?」


「はい。祖母が、私に言っていたんです」


女性は手で顔を覆った。


「母の形見を返してって」


鹿野は黙って聞いていた。


女性の名前は、南川千尋。


和枝の孫だった。


千尋の母は、数年前に亡くなっている。


その母が使っていた古いブローチを、和枝は大切にしていた。


しかし千尋は、生活費に困り、そのブローチを勝手に売ってしまった。


和枝はそれに気づいた。


入院前の夜、部屋で言い合いになった。


「返して、千尋。返して」


和枝は何度もそう言った。


リリは、その声を覚えた。


ただ、「千尋」はうまく拾えなかったのかもしれない。


南川。


ミナミ。


返して。


その音だけが、リリの声に残った。


「祖母は、次の日に倒れて。入院して。私は怖くなって」


千尋は震える声で言った。


「リリがそれをずっと言うから。責められているみたいで。だから」


「外へ出した」


実央が静かに言う。


千尋は頷いた。


「消えてほしかったんだと思います。言葉も、その子も」


鹿野の表情は変わらなかった。


だが、声はとても低かった。


「リリは、言葉の意味を知りません」


千尋は顔を上げる。


鹿野は続けた。


「でも、その言葉を聞いた場所にいました」


「はい」


「リリは責めていたんじゃないです。覚えていただけです」


千尋は泣き出した。


声を殺すような泣き方だった。


実央は、空の鳥かごを見た。


小さな止まり木。


餌入れ。


歪んだ扉。


インコは、その中で人間の言い争いを聞いていた。


意味を知っていたわけではない。


けれど、声の調子や繰り返される音を覚えた。


人間が隠したかった言葉を。


鳥は、そのまま外へ持っていった。






リリは、その日のうちに南川家へ戻された。


ただし、すぐに千尋へ任せるわけにはいかなかった。


和枝の入院先、管理会社、警察、親族、市の福祉担当とも連携し、世話の体制を整える必要があった。


千尋は、ブローチを売った店に連絡すると言った。


すぐに戻るかはわからない。


だが、探すことはできる。


和枝にも、ちゃんと話すと言った。


「リリは、祖母のところへ連れていけますか」


千尋が聞いた。


実央は少し考える。


「病院の規則次第です。難しい場合もあります。でも、写真や動画なら見せられるかもしれません」


鹿野が言った。


「声も録れます」


千尋はリリを見た。


小さなインコは、鳥かごの中で止まり木にとまっている。


環境が戻ったせいか、保護されたときより少し落ち着いて見えた。


「リリ」


千尋が呼ぶ。


インコは首を傾げた。


「リリ」


今度は、自分の名前を真似るように短く鳴いた。


千尋は涙を拭った。


「ごめんね」


リリは答えない。


代わりに、餌入れのそばへ移動した。


鹿野が静かに言う。


「謝ったら、世話してください」


千尋は頷いた。


「はい」


「謝罪より、毎日の水です」


千尋は泣きながら少し笑った。


「はい」


実央はその言葉をメモしたくなった。


謝罪より、毎日の水。


鹿野らしい。


きれいな言葉ではない。


けれど、生き物に向き合うにはたぶん、そのほうがずっと大切だった。






数日後、実央はけもの係を訪れた。


鹿野は店の奥で、鳥用の小さな止まり木を削っていた。


「それ、何ですか」


「予備の止まり木です」


「リリ用ですか」


「サイズが合えば」


「手作りなんですね」


「合わない止まり木は足に負担がかかるので」


鹿野は紙やすりをかけながら答えた。


店内には木の粉の匂いがした。


実央は鞄から資料を取り出す。


「南川さんの件、その後です」


鹿野は顔を上げた。


「和枝さん?」


「はい。病院でリリの動画を見たそうです。とても喜んでいたと、福祉担当から連絡がありました」


「そうですか」


「ブローチは、売却先がわかりました。まだ戻せるかは未定ですが、千尋さんが手続きを進めています」


「よかったです」


鹿野は短く言った。


「千尋さん、リリの世話記録をつけ始めたそうです」


「いいですね」


「水、餌、掃除、声かけ。毎日書いていると」


鹿野は止まり木を見る。


「リリが覚える言葉も、少し変わるかもしれません」


「新しい言葉を?」


「はい」


実央は椅子に座った。


「鳥は、嫌な言葉も覚えるんですね」


「よく聞く言葉を覚えます。人間にとって嫌な言葉かどうかは、鳥には関係ないです」


「だから怖いですね」


「だから、人間が気をつけるんです」


鹿野は削った止まり木を手のひらで確かめた。


「鳥は小さいですけど、声をよく聞いてます」


「鹿野さん」


「はい」


「リリは、千尋さんを責めていたわけではないんですよね」


「はい」


「でも、千尋さんは責められていると思った」


「人間は、そういうことがあります」


「動物が何も言っていなくても」


「はい」


実央は、リリの声を思い出した。


ミナミ、カエシテ。


小さな鳥の声。


意味を知らない言葉。


それでも、その言葉は千尋に届いた。


届いてしまった。


いや、届く必要があったのかもしれない。


鹿野は、いつものノートを開いた。


表紙には「事件メモ」と書かれている。


今回の題名は、すでに記されていた。


インコはその言葉を知らない。


実央はその文字を見て言った。


「今回は、少し切ないですね」


「そうですか」


「インコは意味を知らないのに、人間だけが意味を知っていた」


鹿野はペンを持つ。


「だから、人間の問題です」


そして、ノートに書き始めた。


インコは言葉を覚える。

けれど、その意味を人間のようには知らない。


返して。

ミナミ。

リリ。

ごめんね。


鳥は、聞いた音を繰り返す。

その声に傷つくのは、言葉を知っている人間のほうだった。


インコは責めていない。

隠された言葉を、ただ持っていただけだった。


鹿野はペンを止めた。


実央は、ノートを見ながら言った。


「鹿野さん」


「はい」


「動物って、けっこう人間を見ていますね」


「見てます」


「犬も、猫も、カラスも、魚も、鳥も」


「人間も、見られることを覚えたほうがいいです」


実央は苦笑した。


「市役所の窓口にも貼りたいですね」


「苦情が来ます」


「でしょうね」


店の外で、川沿いを自転車が通る音がした。


午後の光が、けもの係の窓から差し込んでいる。


鹿野は止まり木を紙袋に入れた。


「届けますか」


「リリに?」


「はい」


実央は少し考えた。


「私も行きます」


「鳥、平気でした?」


「犬よりは」


「だいぶ基準が犬ですね」


「私にとっては重要な基準です」


鹿野は少しだけ笑った。


二人は店を出た。


河川敷へ続く道には、春の終わりの風が吹いていた。


どこかの家から、鳥の声が聞こえる。


それがリリの声かどうかはわからない。


けれど、実央は足を止めなかった。


小さな声にも、残るものがある。


それを、少しずつ覚え始めていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


第五話では、インコの言葉を手がかりにした事件を描きました。


鳥は人間の言葉を覚えることがありますが、その意味まで人間と同じように理解しているとは限りません。

でも、そばで繰り返された声や空気は、ちゃんと残ります。


今回のリリは、誰かを責めていたわけではありません。

ただ、人間が隠したかった言葉を覚えていただけでした。


次回は、河川敷で見つかった狐の足跡をめぐる話です。

野生動物の仕業に見せかけられた、人間の偽装を追っていきます。

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