第3話:【初めての『文字』、初めての真理】
1. 指揮者と拡声器
「……いいか。魔法ってのは、願いを叶える祈りじゃない。世界という演算機への『命令』だ」
カイの狭い地下倉庫。
リアは、ボロボロのパイプ椅子に背筋を伸ばして座り、カイの講義を食い入るように見つめていた。
カイが壁の黒板(鉄板にチョークで書いたもの)に書き殴ったのは、複雑な幾何学模様……ではない。
『H-E-A-T』
「ヒート……?」
「そうだ。聖詠学院じゃ、火を出すのに『炎の精霊よ、集いて燃え上がれ』なんて長い歌詞を歌わされるんだろ? 無駄だ。システムが理解するのは、この四文字に対応する『分子振動の加速命令』だけだ」
カイは、文字の構成要素を一つずつ分解して説明していく。
Hは水素の励起、Eはエネルギーのベクトル、Aは増幅、Tは閾値。
リアにとっては、天動説が地動説に変わるほどの衝撃だった。
今まで「心で感じるもの」だと思っていた歌が、カイの手によって「緻密な論理設計」へと解体されていく。
「お前は、喉のデバイスに頼りすぎて、自分の声の『芯(基音)』を忘れてる。デバイスを切れ。生の声で、この文字のイメージを叩き込め」
「え……? でも、生身の声だけで熱量を制御するなんて、高階位の魔導師でも十数年は修行しないと……」
「俺が隣で『調律』してやる。お前はただ、俺の書いた通りに叫べ」
2. 鋼鉄を溶かす「四文字」
二人は倉庫の裏にある、廃材置き場へと向かった。
目の前には、厚さ十センチはあろうかという、廃棄された軍用装甲車の残骸。
「これを、さっきの四文字で貫け。……合図を出す」
カイがリアの背後に立ち、その肩に手を置く。
リアの身体に、微かな緊張が走る。
カイの手から、奇妙な振動が伝わってきた。
彼自身の喉が、超低周波で共鳴しているのだ。
「——解析開始。空間インピーダンス、整合。……リア、いけ!」
「——っ! 《 H・E・A・T!! 》」
歌ではない。
それは、リアが今まで出したことのない、鋭く、研ぎ澄まされた「音の弾丸」だった。
その瞬間、リアの視界が真っ白に染まる。
カイが指先でリアの背中を叩き、彼女の歌声の周波数をミリ単位で補正していく。
バラバラだった音波が、カイの導きによって一点に収束し、恐ろしいほどの密度へと変換された。
ドォォォォォォォン!!
爆音と共に、目の前の鋼鉄の装甲が、まるでバターに熱いナイフを押し当てたかのように、一瞬で蒸発した。
火が出るのではない。
熱そのものが空間を焼き切り、向こう側の景色が透けて見えるほどの巨大な穴が空いている。
「な……っ!? あんなに短い詠唱で、この出力……!?」
リアは自分の喉を抑え、呆然と立ち尽くした。
学院の最高級クラスの合唱でも、これほどの局所熱量は生み出せない。
「出力の8割は捨てた。今の声なら、もっと絞れたはずだ」
カイは平然と言い放つが、その額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
生身の歌声を「文字」の威力に変換するためには、カイによる超高速のリアルタイム演算が不可欠なのだ。
3. 深まる絆と、迫る影
「……凄い。私、今まで何を歌っていたんだろう」
リアは、熱を失い赤く光る鋼鉄の断面を見つめ、高揚感に頬を染めた。
カイという「指揮者」がいれば、自分はどこまでも高く、遠くへ行ける。
そんな確信が芽生えていた。
「勘違いするなよ。今の魔法が成立したのは、俺とお前の『波長』が偶然合ったからだ。……それより、さっさと隠れろ。デカい音を出しすぎた」
カイがリアを抱き寄せるようにして、影に隠れる。
数秒後。
頭上の通路を、青い発光体——都市警備隊の飛行ドローンが数機、慌ただしく通過していった。
「……あいつら、最近敏感すぎるな。基底音の不安定化を隠そうとしてやがる」
「システムが、不安定……?」
リアの問いに、カイは答えなかった。
ただ、その目は地上の華やかな光ではなく、さらに深い地の底、世界の「根幹」を見つめているようだった。
「リア。お前、しばらくここにいろ。学院に戻れば、昨日の暴走の責任を問われて拘束される。……それに、俺の『デバッグ』には、まだお前の声が必要だ」
「……ええ。喜んで。……あ、でも、着替えとか、その……」
「そこらへんに落ちてる作業着でも着てろ。サイズが合わなきゃ、数式で縮めてやるよ」
「それは魔法の無駄遣いじゃないかしら……?」
初めて、二人の間に小さな笑いがこぼれた。
地下のゴミ溜めのような場所で、世界で最も贅沢な「プライベート・レッスン」が始まろうとしていた。
しかし、その頃。
地上の聖詠学院では、リアの失踪を受け、冷徹な目をした「特別調律師」たちが動き出していた。
「——歌姫が地下に逃げただと? ……構わん。ゴミ箱をひっくり返してでも、彼女の『声』を回収しろ」




