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燼灰、声はふたつに裂かれて

「今この瞬間、神聖なる殿上院において――上殿(じょうでん)は斬られた!

 上殺しの大罪人は、井上紫雫久(しずく)

 刃浦に再び、裏切り者の井上が現れたのだ!


 これは厄災である!

 刃浦の民よ、声を上げよ――この悪魔を、断じて許すな!!」



 宗峯(そうほう)の張り上げた声が殿中に響き渡る。



「裏切り、者……」


 群衆の奥で、誰かが呟いた。


 それが、次の瞬間には怒号へと変わる。

 怒りと憎悪が、瞬く間に連鎖する。


「上殺しの井上を許すな!」

「二度も殺した!」

「その血を呪え!」



 憎悪は奔流となって宮籬を覆い尽くし、

 祀られた伍剣が、かすかに震えた。


 伍剣の周囲が黒く滲む。

 怒号が重なるたび、その靄は脈打つように膨らんでいく。


 

(――あぁ、これが……)


 刃浦中の怒号を浴びながら、紫雫久は悟った。


(これが、宗峯の狙いだったんだ……)



 大庭で花衣霞は言った。

 (かみ)が復活するにはまだ力が足りない、と。


 今、刃浦を覆う憎悪が集められている。

 この処刑劇が、最後の動力だったのだ。



(全部こいつの……朧面主さえ、計画の一部だった……ッ!)


 跪かされた姿勢のまま、宗峯を睨み上げる。


 逆光の中でも、三日月に歪む宗峯の瞳だけはよく見えた。



 宗峯が、ゆっくりと自らの刀を抜く。

 民衆の湧き立つ歓声が、祭殿を揺らした。


「首を垂れよ」


 紫雫久の襟首に、刃が触れる。


「殺せ!」「殺せ!」


 民衆の声がひとつに重なる。

 自然と息が上がり、全身が震える。



 頭を下げていても、視界は良好だった。


(……あぁ、花衣霞(かいか)に……結ってもらったから……花衣霞……)


 蠢く民衆の中に、人波をかき分ける濃墨の髪が揺れていた。


(花衣霞……あぁ、ごめん……俺、約束、守れなかった……)



 押さえつける剣士の腕を抜け、紫雫久は手を伸ばす。

 



「紫雫久! 紫雫久……!」


 花衣霞は必死に舞台に向かう。

 いくらかき分けても、人波が寄せては返す。



 どんな怒号も耳に入らなかった。

 ただ、思い通りに進まないこの足だけが、夢の中でもがく感覚を呼び起こしていた。


「待て……! 紫雫久!!」


 ――リン


 微かに、鈴の音が耳を掠めた。

 その瞬間、絡みついていた重みがほどける。



「――絶対に、掴めよ」


 澄々の声だった。



 人波が凪ぐ。

 初穂の隙間を走るような軽快さで、花衣霞は紫雫久の元へ駆ける。


 紫雫久の手が伸ばされる。


 その手に、触れ――



「そこまで!」



 凛とした声が民衆を鎮めたのと、花衣霞が紫雫久を抱きしめたのは同時だった。


 振り下ろされかけた宗峯の刀が、宙で止まる。



「……向井、鵜匡(うきょう)……ッ!」


 宗峯の声に確かな怒りが滲む。



「この処刑に関して……五参家として意見を述べても良いか?」


 鵜匡は真っ直ぐに、宗峯を見据えた。




 《第十九章:燼灰、声はふたつに裂かれて》




「まず、処刑に至った罪状について――」


 鵜匡はゆるやかな足取りで祭殿の中央へ進み出る。

 身を起こした紫雫久の前に立ち、その姿は柔らかな影となって重なった。



「先ほど、貴殿は明言されました。

 “神聖なる殿上院において、上殿は斬られた”――と」

 


「それが事実だろう」


 宗峯は苛立ちを隠さぬまま、自らの手首を強く握る。


「そして、“斬ったのは井上紫雫久である”――と」


「誰の目にも明白なことだ。ただ事実を並べ立てに来たのか?」


 語尾が鋭く吊り上がる。

 だが鵜匡は片手を上げ、その苛立ちを静かに制した。



「井上紫雫久が、この瞬間、人を斬り殺した――それは不可能です」



 その言葉に、民衆の怒気が一気に膨れ上がった。

 舞台下を埋めるざわめきと野次が、波のように押し寄せる。


「――柚珠葉(ゆずりは)


 名を呼ばれ、柚珠葉が前へ進み出る。

 その手には、砕け散った硝子片が握られていた。


「これは、玻蓮珠(はれんじゅ)

 福田領の方々には、ある程度馴染みがあるでしょう。

 対象の動きを、一瞬奪うことができる占具」



「彼はこれを、紫雫久に対して行使しました。

 ――斬りかかる、寸前に」


 民衆がどよめく。


「どういうことだ?」

「井上は、動けなかったってのか?」



 そのざわめきを掻き消すように、宗峯が声を張り上げた。


「そんなもの、後からどうとでも言える!

 我々は確かに見たのだ――上殿から血が噴き上がるのを!」


 歓声が再び膨れ上がる。


 鵜匡は静かに目を伏せ、背後の家士へ合図を送った。



「――ならば、実際に見ていただきましょう」


「……なッ!?」


 運び込まれたのは、布に包まれた死体だった。

 民衆のあちこちから短い悲鳴が漏れる。


 朧面主の亡骸。



「紫雫久の前に倒れていた遺体です」


「貴様ァ……! 上殿への侮辱であるぞ! 捕えろ!!」


 宗峯の怒号に呼応し、高瀬の家士たちが一斉に刀を抜く。

 しかし即座に向井の家士が立ち塞がり、両家は鋭く睨み合った。



 その緊張の只中で、鵜匡は死体の首筋へ手を伸ばす。


 そして深く刺さった鏃を、静かに引き抜いた。


「死因は、これです。

 死角から射抜かれた鏃――刀傷ではありません」




 民衆のざわめきが、さらに大きく膨れ上がる。

 ――では誰が。

 そして何故、“上殿”を殺したのか。


「よって、この場での処断には理が立たない。

 取り下げを要求する」



 宗峯は、わなわなと拳を震わせた。

 この怒りだけで、己の身を焼き尽くしてしまいそうだ――と、鵜匡は静かに思う。



「――ッだが! 井上紫雫久が上殿へ刃を向けたことは事実だ!

 それだけでも、明確な不敬罪に値する!!」


 荒げられた声が、再び民衆の怒りを煽り立てる。

 紫雫久を敵と見る視線は、未だ変わらない。



「――そもそも」


 鵜匡が、静かに口を開いた。


「これは、本当に(かみ)なのでしょうか?」


「……は?」


 その一言に、誰もが動きを止めた。

 真正面から冷水を浴びせられたような衝撃が、場を貫く。


「私たちは、この歴史の中で一度たりとも(かみ)を見たことがない。

 今日が、初めてその姿を目にする機会だった」


 鵜匡は、民衆を見渡す。


「ならば――誰が、その真偽を見極められるのですか?」


 ざわめきが、今度は力なく揺れ始めた。

 そこに生まれたのは怒りではなく、不安と、疑念。



「民は、“(かみ)が御出でになる”と聞かされ、この場へ集められた。

 御簾の向こうに映る影を、“(かみ)だ”と示され、それを信じた。

 そして運び出された死体に対し、“暴くことは不敬である”と糾弾され――それを“(かみ)の御身”であると認識した」


 祭殿。

 御簾。

 横たわる死体。


 ひとつひとつを示していく鵜匡の指先から、誰一人として目を逸らせなかった。



 そして最後に、その指が一人の男を指し示す。


「高瀬宗峯――」


 鵜匡の声が、静かに響く。


「全てを、“そうである”と定義したのは、貴殿だ」


「――なっ……」


 言葉に詰まり、呼吸が浅くなる。

 これだから……向井鵜匡という男が憎たらしかった。


「そ、そんなもの……! 私とて同じではないか!

 知らなかった! 向井鵜匡、それはお前も同じだ!

 無闇矢鱈にこの場を撹乱しているに過ぎん!!」


 宗峯の頬は赤く染まり、鼻先には脂汗が滲んでいた。


「えぇ。私も(かみ)の姿は知りません。ですが、この死体には見覚えがあります」


 宗峯の目が、大きく見開かれる。


「雪色の髪に琥珀の瞳。面長の顔立ち、耳の下に二つ並んだほくろ……

 朧彩堂(ろうさいどう)の主人の特徴と、酷似しています」


 鵜匡が、ゆっくりと宗峯へ歩み寄る。


「高瀬でも指折りの大店。そして、高瀬を裏で牛耳る裏夜市の主。

 ――貴殿は本当に、この男を知らないと?」


 紺碧の瞳が、真っ直ぐに宗峯を射抜く。

 物事の本質を暴き立てるその目を、宗峯は昔から心底嫌悪していた。



「高瀬が……?」

「全部、仕組んでたのか!?」

「俺たちを騙してたってのか!」


 民衆の怒りが、じわじわと別の熱を帯び始める。


 向井の家士が、鵜匡へ耳打ちする。

 鵜匡は静かに深呼吸を挟み、宗峯へ問いかけた。


「御簾裏の部屋の壁から、鏃を射出する装置が見つかりました。

 ――こちらについて、ご説明いただけますか?」



 決定打だった。


「高瀬を許すな!」

「あいつが犯人だ!」

「刃浦の民を馬鹿にするな!!」


 先ほどまで紫雫久へ向けられていた民衆という刃が、一斉に宗峯へと切っ先を変える。



 ふと、横目で紫雫久と視線が合った。


 その表情は、安堵にも、焦燥にも見えた。



 紫雫久は、無意識に唾を飲み込んだ。

 右手を握られる感覚が、霞みかけた視界を引き戻す。


「……花衣霞」


 芯を失ったような、頼りない声だった。


「大丈夫……私は、ここにいる」


「これで、よかったのか……? これで……」


 民衆の怒号が飛び交う中、伍剣がかたかたと震える。

 怒りに震える宗峯の拳と、その震動が重なって見えた。



「――まずい、」


 紫雫久が立ち上がりかけた、その時――


「皆! 伏せろ!」


 鵜匡の声が響く間もなく、竜巻じみた暴風が祭殿を襲った。

 まるで岩塊を叩きつけられたかのような衝撃が、全身を軋ませる。


 暴風の中心に立っていたのは、宗峯だった。


「黙れよ、愚民どもめが……」


 刀を握る右腕が、赤黒く隆起している。

 振り抜いた余波だけで、祭殿が軋むようだった。


「有象無象が……喚くな。所詮、贄にしかならぬ燃え滓どもが……!」


 吹き荒れる風圧に、誰一人として顔を上げられない。



煌羅嘉(きらか)ァ!」


 宗峯が、叫ぶようにその名を呼ぶ。


 吹き付ける風巻(しまき)の向こう。

 紫雫久が目を凝らした先には、伍剣の中心に立つ煌羅嘉と――

 目隠しをされ、後ろ手に縛られた宏花(ひろか)の姿があった。



「――なっ、澄々は……!」


 刀を掴もうとした手が、何者かに止められる。


 掴まれてはいない。

 影が――動かない。


「しー……っ。動くなよ、良い子だから」


 澄々の声が、すぐ耳元で響いた。



「蒙昧な民よ。そんなに見たいなら、見せてやる」


 宗峯は、大きく口を歪めて笑った。

 吹き荒れる風の唸りすら、彼の嗤声に呑まれていく。



「――これがお前たちの信じる、“神”の姿だ」



 煌羅嘉が、ゆっくりと――宏花へ刀を振り翳した。

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