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「今のは……?」
誰かが呟いた。もしかしたらそれは自分だったのかもしれない。
失態だ。せっかく夜闇に紛れて姿を隠しているというのに、これでは奇襲の意味がない。
丸耳どもが今のを聞き取れているとは思えない上に、相手は身体操作の拙い魔術師。気取られた可能性は万が一にも満たないだろう。
それでも油断はしまい。
敵を侮るは武人にあらず。理外の一手が常に潜むと心得よ。
先ほど一瞬感じた妙な気配は何らかの魔術を行使されたと見るべきだ。
武人が体の動かし方に熟達しているように、魔術師もまたこちらの想像を上回る手練手管があると見るべきだ。
であれば時はこちらに味方しない。向こうの準備が整う前に一気に片付ける。
「……!」
男は仲間への合図を言葉ではなく鯉口を切ることで伝える。
応じて返って来る音を耳にしながら、近づいてきた標的に視線をやる。悪路のためか、急に速度を落とした馬車に人影が映った。
(あれか)
木々の隙間から見えたのは二人の影。
愚かにも山道の多いラクシャナで安物の魔術灯を使っているらしい。不安定に明滅する魔術灯に照らされた影はちらついていて姿が見えにくい。
だが灯りの間近にいる向こうはそれ以上に視認が難しいはずだ。
この隙に距離を詰めて一気に仕留める。
「や―――ッ!?」
合図と踏み込み。
同時に行おうとした瞬間、背筋が粟立った。
今すぐに、全てをなげうって避けなければ死ぬ……そんな予感が全身を駆け巡った。
これまでの人生で一度として感じた事のない、虫の知らせにも近いそれ。
理屈ではなく本能が警鐘を鳴らしている。男は瞬きよりも短く過ったその直感に従った。
「よけろぉおおおお!!」
返事は待たない。悲鳴のように叫びながら全力で横に跳ぶ。
鍛えた体と魔術を全開にした後先を考えない本気の跳躍に体が軋む。
防御術を展開する余裕はない。身を固めて急所を護り、少しでも被弾面積を小さくするために伏せる。
「―――?」
予想していたような轟音はなかった。
ただ乾いた風が通り過ぎたような音と、何かが髪を掠めたような感覚だけが男に残っている。
不自然な無音が訪れ、怪訝に思って顔を上げた。
「くぁっ!?」
直後、今度はとてつもない質量を感じさせる何かが頭上を薙ぎ払った。慌てて伏せる。
先の静かな何かが通り過ぎた時とは対照的なそれにより、木々が激しくぶつかり合うような音が豪雨のように押し寄せる。聴覚が優れているが故に、耳を叩き続ける音の奔流に意識が遠のいてしまいそうだ。
「ぁああああ!」
まるで嵐や土砂崩れ、災害の類だ。
大自然の猛威を前にして人の身で出来ることなどない。男は身を小さくして当たらぬよう祈りながら、通り過ぎるのを待つことしかできなかった。
「…………ぁ」
どれほどそうしていたのだろうか。
音の暴力で朦朧としていた意識が戻り、気づけば周囲は静まり返っていた。伏せていた顔を上げて音を立てないように周囲の様子を窺う。
男の目に映ったのは、見覚えのない景色だった。
「なんだ、これは……?」
そこが自分がさっきまでいた場所だと信じられない。
そう思えるほどに辺りの様子は一変していた。
男たちが身を隠していた木々は一区画ほどが消滅し、街道が丸々一本増えたのかと勘違いするほどに拡張されていた。
付近にある切り株は正確に測ったかのように膝上のあたりで切り揃えられている。あまりにも不自然な光景だ。地面の高低を全く考慮せず図面に線を引く様に伐採すればこうなるだろうか。切り株の断面は鑢を掛けたように滑らかだ。
切られたはずの木も見当たらない。台風か何かで消し飛ばされたかのようだ。
驚愕のあまり身を起こして視線を背後に向けると、そこには仲間の武人たちが同じように呆然としているのが見えた。あの一瞬で迷いなく動けたのだろう。怪我もなく四人全員が無事だ。
我に返った一人が誰にともなく尋ねる。
「お、おい……一体何が起きた? 今のは、なんだ?」
「……」
その問いに答えられる者は誰もいない。
聞かれた三人は一様に戸惑った顔でかぶりを振り、顔を見合わせた。誰一人として今起きたことを説明できなかった。
いや、ひとつだけ心当たりはある……あるが、”まさか、あり得ない”と理性がそれを挙げることを拒んでいた。それはここにいる全員がそうだった。
再び降りた沈黙。
「―――ほら見なさい。生きていたでしょう?」
彼らが守っていた……真実から目を背けるための沈黙が、引き裂かれる。
異様な状況にそぐわない涼やかな声が見晴らしの良くなった場所に降り注いだ。
「うわぁ、ホントだ……今ので誰も死んでないの? 人間って結構すごくなぁい?」
次いで響くのはどこか退廃的な色を滲ませた声。地を這うような音は足元から這い上がり、男たちの耳朶をざらりと撫でている。
蒼と金。
二つの色が夜闇を彩っている。
「っ、……!」
男たちが息を呑んだ。
ただの眼球であるはずなのに、まるで月がそこにあるかのような異常な存在感を放っていた。それが自分たちへ向けられていることに、どうしようもないほどの息苦しさを覚えた。
標的が姿を現したというのに、誰一人として動かない……動けない。
相手は魔術師だけだ。お誂え向きに障害物もない今なら、一気に距離を詰めて仕留められる。だというのに動けない。蛇に、いや月に睨まれたようだ。
「だから言ったでしょう。油断してはいけませんと」
「……流石に認めるしかないねぇ。にんげん、こわい」
不思議なもので文字にすれば呑気な会話も、異質な生物同士が交わしている理解のできない言語のように感じられる。
「っ、……ぅぉおおおおお!!」
皆が動けない中、内頬の肉を食い千切った痛みで呪縛を断ち斬った一人が刀を抜いて躍りかかった。
半狂乱に近い状態でもそこは達人。体に叩き込んだ動きに淀みはない。
流れるような足・体捌きにより一歩目から速度を得るにとどまらず、切り株を発射台にして急加速。瞬く間に魔術師との間合いを詰め、寝かせた刀身を肋骨目掛けて鋭く突き込む。
「とても良い動きです。けど……」
点での攻撃に弱い防御術を見越した対魔術師用のお手本のような平突き。
この距離まで接近されれば並み、いや腕利きの魔術師であろうとなすすべなく葬れる、まさしく必殺の技。
「―――迷っちゃだめですよ?」
されど刃は届かない。
いつの間にかシアーシャの腕を覆っているのは、巨大な籠手を象った土の腕。
執事を思わせる所作で胸元に添えられた土腕に刀が直撃する。
風を纏った切っ先はすり鉢状に土腕を穿ちながら刀身をめり込ませて止まると、呆気ないほど軽い音を立てて折れた。
刺さった切っ先がこぼれ落ち、抉れるように穴の開いた土腕は見る間に再生していく。
「化けも、がぁあ!?」
言いかけた声が苦痛に歪む。
土腕から勢いよく伸びた棘が刀を引こうとした腕を貫いていた。魔術を組むのが速すぎて防御術が間に合っていない。
「くそっ……いぎぁあああああ!?」
苦痛の声が悲鳴に変わる。
男が刺さった棘を抜くよりも先に破裂したのだ。腕の中にある棘が。腕を内部から破壊されるという想像を絶する痛みに男の動きが乱れた。
弾けた腕を見て絶叫する姿はもはや武人ではなく、獣から逃げ惑う獲物と変わりない。
「ほら、痛くても頑張らないと……」
前腕が花束のように狂い咲いた男は、飛び散る血肉に完全に正気を失ってしまった。
目を覆うような惨劇を起こした張本人はクスクスと笑いながら、無防備な頭を撫でた。たおやかな腕の振りに似つかわしくない轟音を伴った土腕が男の頬を張る。
”ごぎゅ”と間抜けな音を立てて回転した首が仲間たちの方へ振り返った。
苦痛に彩られた顔が何かを訴えているが、喉が捻じれているために口からは掠れた空気が漏れるだけだ。
「死んじゃいますよ?」
「悪趣味ぃ……」
横目でそれを見ていたシャナイアは美しくない殺し方にため息をついた。殴殺などの暴力的な魔術は彼女の美学に反するのか、嫌そうにしている。
その背後数メートルに、気配を消して音もなく一人の影が湧き出た。
最初の一人が腕を弾けさせて周囲の意識が逸れた瞬間を逃さず、姿を惑わす隠形の魔術と音を出さぬ体術により後方を取っていた。
(とった……!)
声に出すような無様は晒さず、意志のみを尖らせて滑るように距離を詰める。
気づかれている可能性を考慮してギリギリまで意識を反撃に備え、どうあっても魔術が間に合わぬ距離に来たところで引き絞った腕を……
(……あれ?)
一人目の心臓を平突きで貫き、そのままもう一人の首を薙ぐ……その腹積もりで距離を詰めたというのに、おかしい。何故、自分の視点はこんなにも低いのか。女魔術師二人よりも背は高いはずなのに。
気づけば目が合っていた。独特な光彩が弓なりに曲がる。
(きんのめ。きもちわるい)
視点が回る。自分の体が映った。足がない、胴体が転がっている―――首がない。
警戒するよりも先に魔術はとうに行使されていた。
夜闇に紛れさせて糸のように足元へ張られた細い影。本来敵襲を知らせるだけの単純な罠は、彼女に掛かれば触れるものを切り裂く凶器にもなりうる。
如何に優れた聴覚であろうと、物言わぬ影相手では意味がない。
「足元注意ってねぇ」
蜘蛛の罠に自ら突っ込んだ男は膝から先を失い、倒れ込んだ先に張られた影の糸で首を失った。
彼が鋭すぎる切れ味により自身の死因すら理解せぬままに逝ったのは、ある意味で幸せだったのかもしれない。
「まあ……陰湿ですこと」
”おーやだやだ”と口元を押さえるシアーシャと、
「猟奇的な奴がどの口でぇ」
”これだから野蛮魔女は”とやれやれ仕草のシャナイア。
二人の魔女が互いを責め合うのを他所に、生き残った二人の武人は顔から色を無くしていた。
理外の一手?
想像を上回る?
(これが……これがそんな次元の存在か?)
人の形をした災害。そう呼ぶに相応しいナニかを前に、人が出来ることなどなかった。




