327
悪趣味で派手な色使いの建物も、夜になってしまえば廃墟と大差はない。
街を出てしばらくすると馬蹄の音が石畳から土を叩くものに変わった。舗装されていない上にここに限らずラクシャナは全体的に道が悪いためガタガタと揺れる。
それでも遠ざかっていくアルクゥラをぼうっと見ていた金の瞳は、瞬きを忘れたように動かなかった。
「いつまでそうしているつもりですか?」
目を閉じて体を休めていたシアーシャが声を掛ける。
馬車に乗り始めてからこっち、シャナイアはずっとそうして後ろを見ていた。正確には敵を足止めするために残ったジグを。彼女は見えるはずもない彼の姿を探していた。
呆れの混じった声をシャナイアは無視した。どうでもいいことだと。
「……」
反射的にそう切り捨ててから、少し思い直して振り返る。
シアーシャの言葉が正しいと感じたわけではない。ただ純粋に疑問が湧いてきただけだ。
「お前は心配じゃないのかぁい?」
ジグは強い……心身ともに、これまで長い人生で見てきた人間の中でも指折りだ。
だがその強さはあくまでも人間の範疇での話。
魔女とは違う。
圧倒的な数で一斉に襲い掛かられれば圧し潰され、街一つを相手取ることなどできない。
そして魔獣でもない。
斬られれば血を流し、怪我が自然に治ることはない。別の大陸の人間である彼は回復術すら使えない。
ふとしたことで簡単に死ぬ、普通の人間だ。
シャナイアより付き合いの長い彼女がそのことを理解していないはずがない。だというのに、どうしてこんなにのんびりしていられるのかが不思議でならなかった。
どこか問い詰めるような響きの混じった問いに、閉じられていた瞼が動いた。
長いまつげに縁取られた蒼い瞳がゆっくりと開く。
深い、とても深い蒼。全てを飲み込んでしまいそうなほど、底知れぬ瞳。
魔女だけが生まれ持つ、姿形が似ていても人間とは違うと断言できるそれを輝かせ、シアーシャは自信満々に胸を張って答えた。
「ジグさんですから」
「…………はぁ」
(これだよ)
心底からうんざりした顔のシャナイアは、話にならない相手を見限るように重いため息をついた。
その自信の根拠を聞きたいというのにこの盲信ぶり、まるで新手の宗教だ。
「あ、信じていない顔。まだまだジグさんの理解が足りませんね」
「うざったいぃ……」
何の自慢なのか。得意げな顔をした同族へ苛立ち交じりの視線を向ける。
それに気づいて自重したという訳でもないだろうが、シアーシャはふっと遠い目でアルクゥラを見た。
今まさに激闘を繰り広げているだろうジグを想い、穏やかに微笑んでいる。
そうあることが自然……戦いの渦中にあってこそジグだと言わんばかりに。
「どうしても戦う強さばかり目立ってしまいますけど、ジグさんの真価はそこではない……私はそう思っています」
「……どういうことだい?」
言葉の意味を測りかねたシャナイアが眉を顰める。
同時にそれは単なる疑問だけでなく、シアーシャの価値観を問うものでもあった。もっとも彼女は気づいていないようだが。
魔女は本能として強者を求める。
より強く。より若く。生命力に溢れた個体を求める魔女の本能。
それだけを聞くと生物として当たり前に見えるが、雄の個体が存在しない魔女にとってこれは難題であった。圧倒的に弱い生物である人間の中で番を探すことのなんと難しいことか。どこぞの宗教でもあるまいし、強いからといって魔獣とまぐわう訳にもいかない。
それほど稀有な存在である、魔女が認めた強さが真価ではない。そう断言するシアーシャの意味と価値観が、シャナイアには理解できなかった。
「あの人は、どんな状況でも絶対に生きて帰る」
「それが真価っていうのかぁい?」
馬鹿馬鹿しい話にシャナイアの声が上ずった。
生きて帰るなんてたったそれだけのこと、臆病者でもできる。そんなことの何に価値があるのか。
そんな感情がありありと浮かんでいるシャナイアに構わず、シアーシャは滔々と語る。
「これまでジグさんと過ごす中で、私はいろんな強い人たちを見てきました。そんな彼らを見ていて、ふと気づいたんです―――強い人ほど、己の死を受け入れていることに」
「……」
「当然のように殺して、当然のように死ぬ。戦いに手を抜いている訳ではない。けれど死が絶対に避けなければならない最悪の結果ではない……そんな気がするんです」
これまでの感情豊かな表情から一転してどこか超然と語るシアーシャ。
人と同じでありながら不自然なまでに整っている顔には個としての感情が抜け落ち、魔女の本性が仮面のように浮かび上がっていた。
「……少し、分かる気がするねぇ」
ある一定の域を越えた強者は己を顧みない。死よりも誇りを、何かを成すことにこそ重きを置く。
いつかジグと殺し合い、満足して逝った槍使いもそうだった。何かを極めた人間はどこか達観しており、生に対する執着が弱まっていく。
「でもジグさんは違う。命は懸けるし、無茶もするけど、決して死を受け入れない。生きる……生きようとする意志が誰よりも強い。それこそがジグさんの真価……私が信じる所以です」
”信じる”と、魔女らしからぬ言葉を口にしたシアーシャの顔に色が戻る。
枯れ木が色づくように、空っぽの器が満たされるように。
「……契約破ったくらいで魔女に挑むくせに」
「そのくらいでなければ務まりませんよ。私たちの相手は」
彼女の気持ちが今のシャナイアには理解できた。
気づけば口を尖らせて憎まれ口を叩かずにはいられないほど、良く分かってしまう。信じるという一言にどれだけの感情が籠められているのかが。
それが気に食わなくて、でも表に出すのが嫌で押し込める。感情を抑えるという慣れぬ行動の反動から無意識に体が揺れる。
「あらあら」
シアーシャはきまりが悪そうに左右に揺れる同族にくすくすと笑い、ほっそりとした手で指し示した。
最初に自分を、次いでシャナイアを。
「私と、あなたと、あの魔獣」
最後にもうこの世にはいない、自らの手で葬ったものをたおやかに握り潰す。
一歩間違えればその手の中にシャナイアがいたことを思うと、この状況がどれほどおかしいことか。
「いずれも劣らぬ真正の化け物たち。一度遭遇すれば生きて帰れぬ存在と三度戦って、その全てを生き抜いた―――これ以上の説得力はないでしょう?」
”おしゃべりは終わりです”
言外にそう告げたシアーシャは薄い笑みを浮かべ、ゆらりと立ち上がった。
蒼い瞳は酷薄なまでの重みを伴って暗闇に向けられている。
笑顔。獲物を前に捕食者が見せるソレは、野生動物が牙を剥くに等しい意味をもつ。
「お前に同意するのは癪だけどぉ……ジグ君は心配するより、信じてあげる方が喜びそうだ」
シャナイアもそれに応じて金の瞳を爛々とさせる。
「どうどう、落ち着け!」
馬車が揺れ、怯えて嘶く馬を必死に宥める御者の声が外から聞こえる。
二人の魔女が静かに、しかし激しい魔力を迸らせていることを感じ取ったのだろう。余波にあてられた魔力灯が風に揺られる蝋燭のように明滅している。
「私たちも仕事の時間です。何かに一生懸命になると人生に潤いが生まれますね」
「ボクは違うけどぉ、ジグ君たっての頼みだからねぇ……ちょっとだけ、張り切っちゃおうかな?」
魔女がその気になった。敵対する者の強さとは無関係に。
それだけで暴力的な魔力が吹きすさび、風もないのに草木がざわめく。
「「―――?」」
音もなく忍び寄っている者たちはそのことに気づかなかった―――気づかないのに、奥底に眠る本能に体が震えた。




