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「宿に戻るぞ。このことをアオイに伝えなければ」
「ちょっと、どういうこと?」
歩調を速めるジグを追いかけながら、イサナが説明を求めた。その際に見えた彼の視線の鋭さに表情を硬くし、状況が想像以上に悪くなっていることに気づく。
ジグは武器こそ抜かぬものの、既にいつ襲われてもおかしくないとばかりに周囲を警戒している。
「イサナ、お前はあの魔獣を説明するときに何と言った?」
「霧を使って戦う危険な奴って……それがどうかしたの?」
「”霧を使って”であり、”霧で姿を消す”とは一度も口にしていない……そうだな?」
「……!」
それだけではない。
伝聞のみで名も知らぬような魔獣を罵倒する際、どんな言葉を使うだろうか。
”魔”がついていようが、どれだけ強かろうが、所詮は言葉の通じぬ獣。卑しい、下賤、野蛮、畜生、そんなところか。
だが”霧食みの馴鹿”は霧を用いた隠形と、それを利用した奇襲を得意とする魔獣。
ジグとて傭兵だ。正面切って戦うことを避け、姿を隠して襲い掛かることを否定するつもりはないが、その戦法が卑怯か否かと聞かれたら卑怯と答える。
だからセイザンの卑怯という評は正しい―――正し過ぎる。
そう、まるで……
「あの魔獣が戦っているところを見たことがあるような言い草じゃないか」
「それって!?」
言葉の意味を理解したイサナが気色ばんだ。
それではまるで、ラーマを襲った魔獣のことをセイザンが知っているということになる。
だが彼は間違いなく否定した。
正確には否定してから家臣の報告を受けていた。だがアルクゥラからの兵が到着したのは戦闘が終わってからで、直接戦い方を見てはいないはずだ。
魔獣の死骸は一見すると恐ろし気で不気味。大きな体と鋭い爪からは凶悪という表現こそできても、卑怯という言葉はどうにも違和感がある。
もしあの家臣とのやり取りまで芝居だとすれば、かなりの食わせ者だ。
「流石にそれは揚げ足取りじゃないかなぁ? 言い間違いだったり、変な言い回しが好きって可能性もあるでしょ?」
シャナイアはすぐに同調せず、単なる思い過ごしや深読みの可能性を提示する。
彼女の指摘も一理ある。魔獣をあまりよく知らない立場だからこそ出てきた発言かもしれないし、決めつけてかかるのは早計だ。あるいは、深読みしたこちらに軽率な行動を取らせて弱みを握るためかもしれない。
「それならそれで問題はない。向こうに協力するつもりがなかったというだけの話だ」
突然現れた余所者を警戒しての情報秘匿ならば、ただの取り越し苦労で終わる話。
ジグが問題視しているのは隠したことではなく、詳細を知っていること。
「仮に情報を持っていたとしてだ。現場で指揮を執るわけでもない当主が、何故そこまで詳細に魔獣の特性を知っている? 鹿型魔獣一種類のみが異常発生しているのならばともかく、新種は複数見つかっているはずだ」
現場の人間が魔獣の細かな特性を把握しているのは理解できる。それが彼らの仕事であり、たとえ冒険者という本業でなくとも生きるために必要なことだからだ。
しかしラクシャナは魔獣の数が多くないため、これまで内輪揉めを続けてきたような部族の集まり。
ずっと重要視していなかった魔獣の対処について、ラクシャナの実質的な統治者に近い存在であるセイザンが、新種とはいえ魔獣一匹についてまで知っているのはやはりおかしい。
「当主とはそれほど暇な立場なのか?」
「人間社会については詳しくないけどぉ……忙しそうか、すっごく暇かの二択な気がするねぇ」
適当に言っているが、流石は年の功。当たらずとも遠からずだ。
彼が怠惰なお飾り当主であれば暇なのも納得だが……なおのこと魔獣について知っていることと矛盾する。それに先ほど会った様子ではとても無能な傀儡には見えなかった。
一瞬見えた彼の掌は、漫然と机仕事についているだけでは説明がつかないほどに豆が出来ていた。
「えーっと……つまり、どういうことです?」
話の流れが見えてこないシアーシャが首を傾げる。
そうこうしているうちに宿に辿り着いた。部屋に戻るとイサナに周囲で聞き耳を立てている者がいないか確認してもらう。
「聞こえる範囲にはそれらしい気配はなしね」
「お前を疑う訳じゃないが、ご老体の件もあるからな……シアーシャ、これを起動してくれ」
念には念を入れて、賭場から頂戴しておいた防音の魔具をシアーシャに渡す。
この魔具なら室内の音は聞こえない。仮にイサナ並みの超感覚を備えていたとしても、防音の魔具を使用していることが分かるだけで会話までは拾えないことは実証済みである。
「あっ!? どこでこんな面白そうなものを……ズルいです!」
蒼い目が興味津々とばかりに輝き、ぴょこぴょこと頭が左右に振られている。
共鳴管と同じく一般人ご禁制の魔具に彼女が強い興味を示したが、今はそれどころではない。
「いいなーいいなー。あとで―――」
言葉の途中で、パンと手を打ち鳴らす。
途端にシアーシャはぴたりと口を閉じ、しゃんと背筋を伸ばして聞く体勢を作った。心なしか普段よりも凛々しい顔つきにすらなっている。
「うわ……あなたそれどうなの」
訓練というよりも、調教や躾に近いやり取りにイサナがやや引き気味だ。
ジグは基本的に依頼主である彼女に甘い傾向があるが、しかしそこは傭兵。有事の際に指示を下す場合、迷わず従うように日々仕込んでいた。
「えぇ……魔女の威厳がぁ……」
魔女らしからぬ従順な態度にシャナイアが嫌そうな顔をしている。いずれ彼女にも教え込まなければ。
そんなことを考えつつ注目する面々の顔を見回す。
丁度いい機会だ。一度話を整理しよう。
「ここラクシャナでは、ギルドでも把握していない魔獣が複数発見されている。新種の魔獣は全て謎の霧を発生、利用する特性を持っているらしい……ここまではいいな?」
「はい。変な霧ですね」
始まりの原因から順を追う。
これが理由でタギリ家から支援要請が出され、別の思惑も兼ねたハリアンが受けた。
「環境や生息域の差を考慮しても、これは異常な現象……そういう認識で間違いはないな?」
この中で最も冒険者としての歴が長いイサナに尋ねる。
彼女は似合わない思案気な顔をすると、ジグの問いにゆっくりと首肯した。
「……魔獣の生態や姿形が似通うことあっても、全部共通して霧を利用しているなんて普通はあり得ないわ」
「だがこれらの異常にはストリゴという前例がある……つまり、祖先の技術」
「澄人教もうろついてるらしいし? あり得るんじゃないかなぁ。あれだけえらい目に遭ったのにまた無暗に起動するとか、本当に学ばないねぇ!」
「……」
愉快そうに嘲笑するシャナイアと、無言ながら”うんうん”と同意するシアーシャ。
ジグは意識して無表情を作って彼女たちを見ないようにする。
祖先の技術という化け物から、魔女と同じ気配がしたという事実は彼だけが知っている。まだ誰にも話していないそのことを頭の片隅に置いたまま、話を進めた。
「祖先の技術を求める澄人教と、その影響を受けたと思われる魔獣。そして、その生態に詳しい当主」
「なるほど! 見えてきましたね、繋がりが。こうしてみると案外単純ですね」
「…………」
得心したシアーシャがポンと手を打つ傍らで、イサナは苦汁を舐めたように歯を食いしばっていた。
かつての同胞が、外道どころか邪法に手を出していたとなれば無理もない。放っておけば介錯するとでも言いだしそうな顔つきをしている。
「落ち着けイサナ。まだ邪推、妄想の類に過ぎん。アオイや他の冒険者たちも何か掴んでいるはずだ。彼らと合流してギルドとしての判断を仰ぐぞ」
これは門外漢の傭兵が予想に予想を重ねた、不格好な推理の真似事。
こうだったら最悪だという仮定の下に動く、ある種の臆病な保身行為にも近い。傭兵という使い捨ての駒が生き抜くための、常に最低最悪を想定せざるを得ない職業病だ。
魔獣の知識に関しては専門家であるアオイがいるのだ。彼女であればジグの推論に“そんな馬鹿なことはあり得ない”と一笑に付すかもしれない。そうであって欲しい。
「俺の早とちりであればそれでいい。追っ手はいるか?」
この中で最も感覚に優れているのはイサナだ。
聞かれた彼女は耳を動かし、窓の隙間から外を窺うと、首を振った。
「今のところは。でもあなたの想像通りなら監視ぐらいついているんじゃない?」
「仮に全く無関係でも監視くらい付けるさ。かつて追い出した同胞が現れたんだ、内心穏やかでいられないだろうさ」
彼女が感じ取れないということは、近くには居ないと見ていい。
だがあのご老人ほどではないにしても、こちらの感覚を掻い潜る腕利きくらい隠しているかもしれない。あるいは同じ聴覚に優れる者として、遠見の魔具を使用した監視もあるかもしれない。
いつぞやの僧兵たちのように魔術の気配や匂いを感知できる距離にいれば気づけるが、街中ではそうもいかない。
「どうやって連絡します?」
「御者に手紙を届けて貰う……いや、下手をすれば消されるか」
ジグたちを警戒するなら当然、その馬車も目を付けられていると考えた方がいい。
妙な動きをすれば野盗の仕業に見せかけて誘拐。拷問という名の取り調べを受けるかもしれない。
「……手間だが直接会うしかない。ラーマからアルクゥラへ北上しているアランたちと入れ違いにならないといいが」




