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動物型以外の魔獣は死んだからといってすぐに動きを止めるとは限らない。
頭部の取れた虫がしばらくの間は動いているように、単純な構造を持つ生物はしぶといと相場が決まっている。
ジグは突いた剣をすぐに引き戻すと油断なく距離を取る。
頭を潰された糸切奇居虫は少しの間だけ爪で空を掻いていたが、やがて動きを止めて倒れ伏した。
「……」
ジグはそれでも警戒を解かないまま注視している。
過去には死体から寄生生物が現れたこともあった経験上、魔獣への死亡判定は厳しく行うことにしていた。頭部なしでも活動可能な生命力を持つ個体がいないとも限らない。
「……終わったか」
間違いなく死んだと確信してからようやく構えを解く。
それでも視界から完全に外すことはないが。
同じくいつでも魔術を使えるように待機していたシアーシャが歩み寄ると、新手がいないか周囲を警戒しながら戦闘態勢を解いた。
「お怪我は?」
「問題ない。蜘蛛の糸は捕縛のためという固定観念に囚われていたな」
ジグは双刃剣を片手に戦闘の跡を見渡すと、糸切奇居虫が吐き出した糸を手に取った。
絹とまではいかなくとも滑らかな手触りをしている。力を籠めて引っ張ってみるが、びくともしない。
試しにとナイフを使ったが全く切れる様子がなかった。峰にある鋸状に生えた幽霊鮫の歯をがりがりと押し当ててやっと削れるほどの強度を持っているようだ。
「頑丈だな。魔力で作られた糸がこれほど丈夫なら、普通の糸などいらんのではないか?」
「裁縫するには太すぎませんかね? それに魔力で作られた糸はいずれ分解されるので、何かを作るのには向きませんよ」
「保存食はどうするんだ?」
木に括り付けられた野盗たちを見上げる。
繭にされた彼らの生死は不明だが、部分的に赤く染まっているのを見るに死んでいるのだろう。先ほど助けを乞うていた野盗も初手で首を貫かれていたように、仕留めてから捕縛しているらしい。
「長期の餌を保存しておく分は普通の糸を使っているらしいですよ?」
「使い分けているのか……器用な」
呆れたように呟きながら糸をくるくると巻いて回収する。
売ったり利用するわけではないのだが、どれくらいで分解されるのか興味があった。
「それより糸切奇居虫ですよ。どうしようかなー」
シアーシャは不思議な糸よりも魔獣の方へ興味津々なようで、くるくると死体の周囲を回って矯めつ眇めつ見分している。
まさか丸ごと持って帰るつもりだろうか。
脚が長いから大きく見えるが、胴体部分は荷台に乗らないこともない。脚も捥いでからまとめて束にすれば運べないこともないが……中々に手間だ。
「ギルドに売らないのか?」
「ある程度はそうしますけど……美味しいところは私が貰います」
彼女は一番大きな脚を探して見比べながらそう言った。
今回の依頼は街道に居るであろう魔獣の駆除であり、特定の素材を納める類の依頼ではない。どんな魔獣が出てどこを貰おうが文句は言われないので問題はない。
「一応言っておくが、そいつの腹には人間も入っているぞ」
「弱肉強食、自然の摂理ですね」
流石は魔女と言ったところか、その辺りを気にするほど繊細な生き方はしていないらしい。
ジグとてその程度で怯むような人間でもない。戦争が激化した際には他所の傭兵が死んだ仲間を口にする光景すら見てきたのだ。
ジグは一緒になって美味そうな場所を探り始めた。
「蟹っぽいけど、奇居虫ってどこが美味しいんでしょう?」
「よく動かす部位はそれだけ美味いと漁師に聞いたことがある……爪じゃないか?」
「でも脚もよく動かしますよ?」
「ならば複数部位のいいところを少しずつ取ればいい」
「ジグさん頭いいですね! そうしましょう!」
相談の結果、無事な爪一本と一番大きな脚、加えて味噌二瓶を取り分とすることにした。
蟹と同じ要領で脚を捥ぎ取り、まとめて縛ると荷台に積み込む。傷まないように麻布に氷を詰めて一緒に置き、保冷もしておく。こうして個人でも簡易な氷室を使えるのだから、本当に魔術とは便利なものだ。
「物は相談なのだが―――」
糸切奇居虫の解体途中、面白い物を見つけたジグがシアーシャへ一部を譲ってくれないかと申し出た。
「はい? いいですけど……何に使うんですか?」
「そのうち分かる」
怪訝そうなシアーシャへ曖昧に濁して作業へ戻る。
野盗たちの死体はそのまま放置してある。後ほどハリアンに報告しておけば誰かしらが確認に来ることだろう。手馴れた様子だったので余罪も見つかるかもしれない。
そう運よく馬車が通りがかることもなかったので、一度野営を挟むこととなった。
シアーシャが糸切奇居虫へ熱い視線を注いでいたが、碌な調味料もない状態で食べるのは勿体ないと諭して我慢させておく。
翌朝。
寒さに急かされ足早にハリアンに戻ると、荷台に眠そうなシアーシャと大きな甲殻類を満載にしてギルドへ向かう。
糸切奇居虫はそれなりの大物のようで、他の冒険者からじろじろと見られているのを感じる。一攫千金を妬むのとは質の違う羨ましそうな視線がある辺り、この魔獣が美味いというのは本当らしい。
「あ、お帰りな―――」
受付で書類仕事をしていたシアンは大柄なジグに気づいて声を上げ掛け、すぐに驚愕に顔を歪める。
身を乗り出して怒りとも悲しみともつかない表情でジグに詰め寄った
「シアーシャさんは!? 怪我を……ま、まさか!!?」
「落ち着け、ちゃんと居る。……おい、そろそろ起きろ」
シアーシャの姿が見えないことに取り乱したようだ。
荷台で寝こけている彼女を指すとほっと息をついて胸を撫でおろすシアン。
心配してくれるのは結構だが、冒険者が仕事で命を落とすことなど日常茶飯事のはず。だというのに一人の冒険者にこれほど感情を動かすのはいかがなものだろうか。
そんなことを考えながらシアーシャを起こして報告をさせる。
二度寝したことですっきりした顔のシアーシャが荷台からひょっこりと顔を出し、シアンに気づいて笑顔で挨拶する。
「あ、シアンさん。おはようございます」
「もう、心配させないでくださいよ……」
「―――なるほど、糸切奇居虫ですか」
「中身までは確認してませんけど、繭のどれかに商人が入っていると思います」
依頼の報告をまとめているシアンが少しだけ目を伏せた。
行方不明となっていた商人の死亡はほぼ確定となったわけだが……こんなご時世、死体が見つかるだけでも運がいい方だ。
「分かりました、後ほど身元確認のために人を派遣します。……何はともあれ、依頼完了ご苦労様でした。シアーシャさんがご無事で何よりです」
「ありがとうございます」
「糸切奇居虫も爪と頭部以外はとても状態がいいですが……あの、一部欠けているのは?」
「私たちで食べます」
「ですよねぇ……」
ジグが二人のやり取りを横目に昨日のことを考えていると、話を聞きつけたのか奥からアオイが現れた。不可解なのは隣にノートンが居ることだ。
「二人ともお帰り。やっと昨日の続きを話せるね」
話を持ってきたことといい、どうにも今回の件には奴が関わっているらしい。
ギルドを通した正式なものなのは間違いないが、どうにもきな臭いことになりそうだ。
「シアーシャ様とジグ様。お疲れのところ申し訳ありませんが、よろしいでしょうか」




