92話 「同時多発的異常事態」
――怒号は突然だった。だからその場に出くわしたルナとメルトは驚き、一瞬動きを止めてしまった。しかし、足を止めたのはその一瞬だけだ。即座に判断を下し、メルトより先にルナは走り出した。
こうした事態はもう何度も経験しているし、体験している。だから当然、ルナはメルトより素早く事を把握し、判断を行えた。数秒遅れて彼女の後をメルトが追いかける。
声の先にいたのは大柄な男性だった。背丈はルナの二倍近くあるだろう。もしかすると、それ以上かもしれない。それ単体で人をも殺せそうな視線を周囲に走らせている。
禿頭に青筋を浮かべた厳つい表情の男は、周囲を睥睨する。まるで何かを探しているかのように。人混みの中に求めている「何か」がなかったのだろうか。落胆したように一瞬だけ眉を寄せるも直後に怒りを浮かべ、
「俺が探してんのは、冒険者狩り! そいつだけだ!」
男は大声で怒りとも絶叫ともとれない声を上げる。隆々と盛り上がる筋肉で誰かの首元を絞めていた。大男に極められているような状況の誰かは苦しそうに喘いでいて、それはつまり――
「人質……ですね」
先程の台詞もそういうことだろう。男は冒険者狩り――つまりファルベを誘き出すことを目的としており、そのためならば無関係の人間すら巻き込むのを躊躇しない。これは立派な犯罪行為であり、冒険者狩りの仕事だ。
「助けないと……」
だから、メルトはそう言って走り出そうとする。だが、ルナが前のめりになった彼女を片手で制し、言う。
「それはそうですけど、ルナたちでこの状況を打開しようとするのは危険だと思います」
「なんで……」
「ルナの力はラウラさんのおかげである程度の制御がつくようになりましたが、ここまで人が密集する場所で使ったら確実に巻き添えが出ます。そして、メルトさんのスキルを使うにしても、触れる距離まで接近する必要がありますよね? なら、それまでに人質が傷つけられないと断言できない以上、その方法すら適切だと言えません」
彼女のスキルが遠く離れた位置からでも発動できるならどうにかできるかもしれないが、以前の経験上直接触れるというのが条件だと考えるのが妥当だろう。
もっとも、解除する分にはその制限は発動しないようだが。
「なら、どうするつもり? このままただ待ってるだけじゃ何も解決しないわよ」
何もできないまま時が過ぎて行くのを見送るしかないメルトの表情には、焦りが見え始める。自分の提案が即座に却下されたこともそれを増長させているのだろう。冷や汗が首筋を伝って、先細る軌跡を描いていた。
「分かっています。ルナだって、このままずっとここにいるつもりはありません。だから――」
ルナはメルトの表情を確認するように少しだけ視線を上げると、
「――救援を、呼びます」
言うや否や、ルナは外套の中をゴソゴソと漁り、遠隔通信用の魔道具を取り出した。メルトはルナがそれを使用している場面を直接は見ていないため、手に持っている道具が誰にも繋がっているのか、分からずにいた。
「救援って、誰に……」
「そんなの決まってますよ。こういう荒事に慣れている、ししょーです」
手慣れた様子で外側に蓋を開き、内側に嵌められた水晶が顔を覗かせる。指先がそれに触れると同時に水晶の表面が仄かに光り始める。水晶の中身がぐにゃぐにゃと歪んで、元に戻るのに数秒もかからなかった。
そこに映された景色は、こことは違う裏路地のような背景と、そこに佇む、
『お前から連絡をよこしてきたってことは、なにかあったってことだな』
少し前に離れたばかりの、ファルベの姿だった。
いつもの如く外套で姿を覆い隠しているので、表情は見えないが、少なくとも機嫌が悪いわけではなさそうだ。
「そうです。ししょーの持ってる魔道具と繋がってるルナの魔道具の位置はある程度特定できると思いますので、至急こちらまで来て欲しいです。詳しい情報や、現在の状況はししょーが向かってくる途中で話しますので」
自分の伝えたいことを早口で、しかしはっきりと聞き取れるほど滑舌良く言葉を並べるルナに、メルトは少しだけ驚いたような表情を浮かべるも、すぐに安心したように一つ息を吐く。
メルトはファルベという存在そのものを嫌悪し、信用していないが、その反面実力に関しては評価している。それは、彼女が過去に身をもって体験しているからだが。
彼がここにくるとするなら、確かにこの事態を解決することはできるかもしれない。少なくとも、メルトやルナだけで解決しようとするより成功する確率は遥かに高い。
だからこそ、安心して気を抜きかけたのだが、
『あー……悪い。ちょっとそっちに行けそうにねえわ』
気まずそうに話す、ファルベの言葉を聞いて驚きよりも先に疑問が浮かんだ。
「なに? 来れない理由って。そっちで何か起こったの?」
不穏な空気を敏感に感じ取ったメルトは、その不安をかき消すために質問する。だが、それは不安を解消する可能性を秘めているのと同時に、逆に不安を掻き立てる可能性も含んでいるということで――
『俺のいるところの近くで、犯罪者が暴れてるらしい。事前情報をもらってる時間もなさそうだから、相手を完封できるって自信は持てないな。まず負けることはないと思うけどな、ちょっと時間がかかる可能性が高い。だから、そっちの問題はできればそっちで片付けてくれ。あとは任せた』
――実際、嫌な予想の方が的中してしまった。街中、それも人だかりが多い中でも被害を出さずに犯罪者を捕縛できる技術を持ったファルベはこちらに来れない。
一番の戦力たり得る人間が、一番必要となるタイミングで、一番抜けてはいけない場面で、不在になることが確定してしまった。
一瞬、ファルベへの悪態をつきかけて、なんとか止める。自分でなんとかできる気がしないから、他人を頼って、その力が借りれないから相手に責任を転嫁するなど、あってはならないからだ。
自分の非力さを棚に上げて他人を批判するほど人間性を捨てたつもりはない。
「……で、ファルベのやつは切っちゃったわけだけど、どうするつもり?」
「……どうしましょう」
流石のルナでも想定外だったのか、悩ましく整った眉を寄せる。
ある程度冒険者狩りと行動を共にし経験を積んでいる筈のルナですら状況を打開できなかった。それに歯噛みするメルトだったが、いくら悔しがったところで時間が止まったりしない。
人質をとる犯罪者の激情は止まることなく高まり続け、手に持つ刃が無実の人間を傷つける凶器になるまで、そう時間はかからないだろう。
「考えてる時間なんてない。一刻も早く行動しなくちゃ。手遅れになる前に」
「それは、ルナも分かってます……けど」
「代替案がない以上、迂闊に動いて状況を悪化させるのは避けたいんでしょ? 正しい判断だと思うし私もそれが可能ならそうした方がいいと思う。でもね、私はなにもできずにこのまま見てるぐらいなら、失敗覚悟でも行動しなきゃならないって思ってるの」
何やら覚悟を決めたように正面を向くメルトを横目に、ルナは思考を巡らせる。
――正直なところ、彼女の言う通り、次善策がなく正解を導けない状況で勝手に行動するのは避けたい。ルナが以前、ファルベの指示に頼らず自分の判断で犯罪者を捕らえようとした時、大惨事を引き起こしてしまった。その前科があるため、どうしても消極的になってしまう。
しかし、行動しなければこのこう着状態を打開することが不可能であることも理解できている。
「……なにか、良い作戦があるんですか」
苦し紛れだった。なにもできずに、なにも思いつかずに、現状維持を望む本能を押し留めて、なんとかその一言だけを発した。
それはなにがなんでも行動しなくてはという無意識からだったのか、それとも行動しないことが正解であると肯定したいが故の質問だったのかは分からないけれど。
そんな、複雑な心境を込めた視線をメルトに向けると、彼女は自信ありげに笑顔を浮かべて、
「……ある。ただ、賭けの要素が強いし、リスクも高いし、私が考えた通りに状況が動くとも言い切れないけど――それでもあるわ。上手くいけばこの状況を打開できる作戦が」
「それは、どういう」
作戦の不確かさに嫌な予感を感じて、詳細を聞こうと質問を重ねる。メルトの言う作戦は、「作戦」ではない。彼女自身理解している通り、これは「賭け」だ。作戦はある程度の勝算を担保していなければならない。曖昧で、勝算の方が少ない作戦など作戦と呼べない。
やはり、現状維持で新しく作戦を練り直すほかないかと考えが傾き始めた瞬間、メルトは再び口を開き、
「私が囮になるわ」
「――へ?」
あまりに唐突なその言葉に、ルナは間抜けな声を上げる。
今、問題となっているのは犯罪者の立っている場所が人だかりのど真ん中であることだ。戦闘行為だけでいいのならば、相手を油断させる囮は有効かもしれないが、囮を出したところで人だかりが消えるわけではない。
結局戦闘行動をするのなら、被害が出るこの状況も変わらない。そのはずだと言うのに、メルトの表情は相変わらず自信で満ちている。
不安に駆られるルナを安心させるために、彼女はフードを取っているルナの頭を優しく撫で、
「だから、私が囮になるの。それがこの状況を打開する一手。もっと噛み砕いて言うなら――」
そうして、メルトはそこで一度区切ると、
「――要は『人質交換』ってやつね」
随分長らくお待たせ致しまして申し訳ございません。今後は執筆スピードを上げていきたいです(願望)




