93話 「人質交換」
「人質交換……ですか」
意外と言う他ない方法を提案するメルトに動揺を隠せないルナは再びその単語を反芻させる。今この場において人質交換という行為の有用性が理解できなかったからだ。
現在のルナとメルトにおける最大の障害は相手が人質を握っている事実であり、それ以外はそれほど大きな問題でもない。
つまり、メルトやルナが代わりに人質となったとしても、問題は一つも解決しない。その結論に至ったからこそルナは頭に疑問符を浮かべて問い返しているのだが、その反応も予想通りだとばかりに口角を上げたメルトは、
「そう、人質交換。あ、安心して。ルナちゃんを人質に差し出すなんてしないから。あの人の代わりに人質になるのは私だよ」
自信満々にそう言う。だが、ルナの不安はそこではない。自分が人質として囚われたところで魔力放出による圧力で無理やり引き剥がすことは可能である。だからメルトじゃなく、ルナが人質の代わりになることに一切拒否感がない。
ルナは人質交換の無意味さを指摘しようと、口を開く。
「いえ、別にそれでどうにかなるならルナが代わりになることもやぶさかではないのですが……結局意味がないと思います。だって、今ルナたちが困っているのは人質がいることそのものじゃないですか。それが誰であるか、という部分が問題ではなく」
「そうね。人質がいるってだけでみんなが動けなくなってる。だから人質が誰であろうが基本的には関係なくて、いること自体が問題、っていう意見は正しいわ。でもそれが私の場合は気にしなくてもいいの」
「どうして、ですか」
納得のいかないルナは食い下がる。詳しい説明もされていなければ、発言の意図も知らされていないのだから当然と言える。
だからこそメルトもルナの疑問に嫌な顔せず答える。
「ルナちゃん覚えてない? 私のスキルのこと」
「スキル……あ、もしかして」
「そう。ルナちゃんの力でも犯人を倒すことはできるでしょうけど、それじゃ周りに被害が出る。でも、私のスキルならあいつの動きに制限をかけて制圧できるわ」
「メルトさんの力……『軽量化』の能力ですね。確かにルナやラウラさんの身体を宙に浮かせたように犯人の体重を軽くさせたら地上にいる人たちに手出しできなくなる……」
「そう。宙に浮いていたら姿勢制御もままならないでしょうし、私がスキルを解除しない限り地上に戻ってくることもできない。その間にここの人たち全員を逃せば、あとはルナちゃんの力で気絶させるなり私が捕らえるなりできるはず」
メルトのスキルを以前体感したルナだからこそ、彼女のやり方にたどり着くことができた。メルトのスキルはほぼ無重力に近いレベルまで軽くできるものだ。それを使えば慣れない犯人はなにもできずに空中で無駄な足掻きをするだけだろう。そうなればこの状況は一変する。
ただ、メルトのスキルは発動条件として軽くする対象の身体に直接触れる必要がある。そのためには触れるだけの距離に接近する必要があるのだが――
「だから、『人質交換』なんですね」
人質は相手に生殺与奪の権を握られるほど無防備な状態で近くにいるということであり、それはつまり、射程圏内ということでもある。だからこそメルトは人質交換という形で犯人の元へ近づこうとしていたのだ。
メルトの真意に気づいたルナは少しだけ思案すると、
「やはりメルトさんが危険にさらされるのでルナとしても推奨したくはないですが……駄目ですね。ルナに代替案がない以上、それでいくしかなさそうです。それに……」
メルトに向けていた視線を外し、現状の問題である現場に目を向けると、
「冒険者狩りはまだか! 早くしねえとマジで殺すぞ!」
怒号はさらに勢いを増しており、もはや爆発寸前ともいえる状況になっていた。だが、それでも人質に手をかけていないところを見るに人質がいなくなれば自分の形勢が不利になることを理解できる冷静さは保っているのだろう。それもいつまで続くかは分からないが。
「……時間もあまりなさそうですし」
悠長に考えている時間はない。今すぐにでも行動しないと自棄になった犯人に人質が殺されてしまう。苦しそうにうめいて顔を青ざめさせているのが、時間制限の短さを物語っていた。
「分かりました。メルトさんの方法で行きましょう。ですがまずは人質交換ができる状況にもっていかなければいけないですよね。そこは大丈夫ですか?」
「うん、たぶん大丈夫だと思う。ただ、絶対とは言えないし、私は本番に弱いから。失敗する可能性はあるわ。でも」
メルトはその青く長い髪の隙間から決意を秘めた眼差しを犯人に向けて、
「やらなきゃ、駄目だから。できるかどうかじゃなくてね」
不安も疑念もある。だけど、それで弱気になるわけにはいかない。そんなメルトの決意を受けたルナは、犯人に向けていた視線を戻しメルトに向き合うと、
「……ルナは周囲の人にある程度説明して回りますね。いつでも逃げられるように。最悪、ルナが吹き飛ばしてでも」
「そうね。全く知らないままの人たちが取り残されるのは避けなきゃだし。吹き飛ばすのは……あくまで最終手段にね。私の作戦が失敗したら……そうするしかないかもだけど」
ルナもメルトが失敗すると決めつけたいわけではないが、これまでファルベと行動を共にしてきて分かっていることがある。それは「想定外は常に起こりうる」ということだ。言ってしまえば当たり前だろうが、あまりに単純なその思考も、案外普段できない人間が多い。
冒険者狩りという特殊な環境の傍にいたからこそ、ルナは想定外の発生しやすさもよく分かっていた。
だから、メルトの作戦が成功するものだと信用しつつも、次善の策を講じていたのだ。策というにはやや強引さの目立つものであることは否定できないが。
ともかく、ある程度の算段が立った段階で二人は別れ、行動を開始し始めた。
*
「その人を離しなさい!」
人混みを割ってメルトが前に出る。犯人は突如として現れた第三者の姿に驚きを隠せない様子だったが、それもすぐに怒りの色で染め上げられ、頭に血を登らせると、
「なんだてめえは! 俺の邪魔をしようってんならコイツを殺すぞ!」
「邪魔なんてする気はないわ。私はただ、提案をしにきただけなの」
「提案だぁ……? 今すぐ人質を話せとか言い出すんじゃねえだろうな!? んなこと言った瞬間、コイツを殺すぞ!」
「だから、邪魔する気はないって言ったでしょ。でも、貴方の人質さんとっても苦しそうじゃない。このまま首を締め続けると意図せず死んじゃうわ。そうなると人質の意味がなくなるでしょ。だから、今の人質は解放して。その代わり、私が人質になるから」
太く、血管が浮き出るほどに筋肉のついた腕で極められている青年は苦しそうに手足をバタバタと動かしている。もはや一刻の余地もなく、メルトはそんな彼を目前に両手を上げて、犯人に対して声を張り上げる。
「お前が、人質だぁ? んなもん無理に決まってんだろうが!」
「どうして? 私は武器も持ってないし、非力だもの。貴方に捕まえられたらなにも抵抗できないわ。それに、さっきも言った通り、今の人質はもうじき人質としての価値を無くすわよ!」
思いもよらないところで否定されたメルトは焦りを隠すことに努めていた。だが、それに集中してしまい、自らの語気が強くなっていることに気づけなかった。
「駄目な理由なんて一個しかねえだろうが! んなことも分かんねえのかこのアホが!」
犯人の腕がより一層強く締められるのを見て、状況を悪くした上に未だ動けないことに歯噛みし、相手の返答を待つ。
犯人の男はメルトを睨みつけ、大きく口を開くと、
「お前がどんなスキル持ってるか分かんねえのに、迂闊に近づけさせるわけがねえだろうが!」
――犯人の男は、意外と頭が回っていた。




