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89話 「過去の未来」

 真っ暗な闇の中に、誰かがいた。漆黒の闇より黒く染まる長髪を揺らして佇む大人の女性はこちらに背を向けたままで、振り向く気配も見せない。


 ――貴方は、誰ですか?


 問いかけた質問に返事はない。彼女は聞こえてすらいないのか、立ち尽くしたまま微動だにしない。それが不自然で不気味で不明瞭で、目を惹かれたから、気づいたのかもしれない。


 ――ルナは、貴方を、知っている。


 よく知っている筈の人物だ。何度もみたことがある人物だった筈だ。だけど、その正体が分からない。思い出せない。記憶が奥深くにしまわれていて、取り出せそうにない。


 ようやくこちらに気付いた女性は、振り返る。その顔には白い霧のような何かで覆われていて、誰なのか判別できない。だけど確かに、知己の人物である筈なのだ。


 どうしてか無性に思い出したくなって、頭を悩ませる。思い出さなければいけないような気がして脳みそを振り絞らせる。


 ――誰だ。目の前にいる彼女は誰だ。記憶の限りを振り返って思い出せ。喉元まで出かかっている筈なのに、すぐそこに手を伸ばせば届く距離にあるのに、けれど決してそれには辿り着けない。


 もう一度、彼女を見る。相も変わらず霧で隠された表情は、こちらに何を訴えてきているのか分からない。何を話しかけてきているのか、分からない。


 ――貴方は、きっと。


 彼女の名前を呼ぼうとして、口を開く。彼女の名前が分からないのに、どうしてかこの瞬間だけは理解できたような気がして、その名前を指し示そうとする。


 ――■■■■、ですね。


 その瞬間、彼女の霧が晴れていき、同時にこの黒い空間剥がれ落ちていく。

 全てが無色透明の虚無に落ちていき、次第に世界が認識できなくなって、ゆっくりと意識が薄れていく。そして――



 *



 目を開けると、いつもの質素な天井が見えた。何の変哲もない、ファルベの家。その中でルナに割り当てられた部屋だ。

 いつもの白く飾り気のない天井は、昼の強い日差しとともにルナを歓迎してくれる。


「結構眠ってたみたいですね。ルナらしくもない」


 普段なら、ファルベの仕事に付いて行こうと彼の起床時間に合わせて起きているのだが、今日はそれが出来なかったらしい。

 ルナは自己管理能力が落ちたのかとうなだれかけるが、顔を上げて、


「でも、昨日はあんなこと言われたんで、しょうがないですね……」


 昨日ファルベから聞かされた真実を思い返して、そう結論づける。



 *



「俺の目的は――世界の滅亡を止めることだ」


「……え?」


「あんた、何を……言って……」


 突如告げられた真実に、ファルベと共にいた二人は絶句する他なかった。


 世界の滅亡。その言葉自体は当たり前にこの世界に存在しており、誰だって認識している単語だ。だが、誰一人として、この単語を真剣に話すことはなかった。精々が酒の肴や愚痴の一種として、あくまで冗談の一つとしてでしか話していなかった。

 それが普通で、それが当然だった。だからこそ、こうして目の前でその単語を真面目な表情で話している人間を見て、二の句が発せられなかったのだ。


「流石に……冗談、よね……」


 メルトも信じられないといった様子で、恐る恐る尋ねる。もしかしたら、信じられないというより、信じたくないという気持ちの方が強いのかもしれないが。


「そ、そうですよ……そんなこと起こるわけないじゃないですか……」


 動揺していたのは、ルナも同じだった。それもそうだろう。何せ世界の滅亡だ。いつもファルベが戦っている犯罪者などとは規模が段違いだ。そも、比べられるようなものじゃない。そんなことを急に話されると、普段適当に生きているルナでも流石に動揺くらいはする。


 また、今のところその予兆が見えないのも動揺する要素の一つだ。この世界は魔物に脅かされているといえど、基本的には平和そのものだ。何故なら、魔物に対抗する手段である冒険者の母数が多過ぎるぐらいに多いからだ。

 そうして平和を享受している今は、たとえ明日世界が滅ぶと宣言されても殆どの人間が真っ赤な嘘だと信じ切って話半分ですら聞かないだろう。


 でも、


「いいや、それがそうでもないらしいんだよな。あいつ――ラルフの奴に聞かされた限りだと」


 ファルベの意見は変わらなかった。二人がそれをどれほど否定しようと、彼はまるで未来が確定しているとでも言うかのように揺らがない。


「ラルフさん……あの、魔物研究家の方ですね」


「そうだ。俺が昔、自首して処刑されることになったのをあいつが介入して止めたってのは、さっき話したよな」


 メルトの同行を認めたときに聞いた話だ。ラルフという人物はその知識から多くの国で重要視されており、多大な権力を持っていると。それのおかげでファルベは処刑される寸前で止められ、命を繋ぎ止めたのだった。

 その事実はルナも覚えているし、理解もしている。が、それとこれとの繋がりが分からない。


「話してましたし、流石に覚えてますけど……それがどうしたんですか? それと今の話との関係性が分からないんですが……」


 話についていけてるようでついていけていない気がして、ルナは困惑しつつ聞き返す。質問を質問で返すのはなんとなく良くない気がするが、この際仕方がない。


「俺はあいつの力で処刑を免れた後、アイナハル王国の国王と会ったんだ」


「国王と……! そんなに簡単に会えるものじゃないでしょ」


「普通なら、な。だけど、あいつが一声かければ騎士も大臣も、全員がすんなり会わせてくれたよ。それで、見たんだ。病的なまでに魔物を駆逐することに執着する王の姿をな」


 魔物はこの世界の脅威であり、それを全て滅ぼしたいというのは全世界共通の認識だ。だから、魔物を駆逐したいという願いはごく一般的なものだと言えるだろう。しかし、ファルベが病的なまでになんて言葉を使うほどだ。一般人が考えるそれとは格が違うと思ってしまう程の執着なのだろう。


「ラルフは見慣れてたからか無表情で聞き流してたけど、初めて見る俺からすれば恐怖でしかなかったよ。だって、老齢で寝たきりの人間が、四六時中『魔物を殺せ……魔物は、この世に存在してはならぬ生物だ……』なんて呟いてんだからな。しかもそれが一時の気の迷いとか、気が触れてただけとかじゃなくて、平常運転だからな。真顔で接してるラルフの方を疑いたくなったよ」


 必死に魔物討伐を促している国王の姿はそれほど印象的だったのか、台詞の一文字まで覚えているファルベ。

 好奇心、というより怖いもの見たさでルナも若干会ってみたいという意思に駆られるが、そんな程度の動機では流石に合わせてくれないだろうという至極当然の結論に至ってその考えを放棄する。


「それで、その王様から聞いたの? 世界が滅亡するって、話を……」


「いいや、国王は魔物の討伐を叫んじゃいたが、そのことについては触れてなかったよ。取り敢えず、国王の異変に疑問を持たせた後で、ラルフから聞かされたんだ」


 そこでちゃんと二人が理解できているか確かめるように見回すと、一つ大きな息を吐いて続ける。


「事の発端は、百年前だ。突如として、『未来予知』のスキルを持つ人間が現れた。未来を見て、それを現実的な映像として他者に共有できる、そんなスキルだ」


「それは……」


 およそ人が持っていい能力だとは思えない。「時間停止」のスキルを持つシャルロットも大概だったが、「未来予知」のスキルはそれ以上だ。

 未来は本来誰にも分からない筈だというのに、事前にそれを知ることができるなど、もはや神の所業にも等しい。


「最初はあまりに胡散臭かったからか信用されてなかったみたいだけど、それから数年間、予知が当たったとしか思えない現象が各地で散見されるようになって、次第に国王も含めた王国全体がその予知者を確保しようって雰囲気になっていった」


 詳しい予知の内容を話していないのでファルベ自身もそこまでは聞かされていないのだろう。


「そこで、当時の国王――まあ、要はちょっとおかしくなってる現国王のことなんだが、そいつが予知者に自国の未来を見てもらおうとしたんだ。予知者も実績があった訳だから、良い未来を見て安心したかったんだろうな」


 その心配も、理解できないものではない。自分の政治が完璧なものであるかどうかなど、その未来がやってきてからでしか分からない。でも、スキルでそれを事前に知ることが出来たなら。自国の未来が明るいものになると確定させることが出来るなら。見てみたいと思うのは不思議じゃない。


 だけど、


「でも、その予知者が観測した未来は、国王の望んだものじゃなかった。寧ろ、絶対に見たくないものだったんだ」


 国王が望んでいたのは、自分の統治下にある国民の、ひいては国の未来が素晴らしいものになることだ。だけど、そうならなかったということは。見たくない未来というものは。



「――予知者が見た未来に、人類は残っていなかった」



 これこそまさにファルベの言っていた世界滅亡。人類という種が全滅する未来だったのだ。


「その、原因は……」


「さあな。それは未来を見た奴らにも分からなかったらしい。見えたのは、人間の死体が大量に転がっているところだけだったみたいだ。ただ、当時急速に魔物の数が増えていったことから、国王は魔物がこの世界を滅ぼす存在だと考えたみたいだ」


 それが、魔物に対する執着心の正体だった。人類が滅んだらしき未来を見て、直後に魔物の急増が報告されれば、それが原因であると考えるのも無理はない。

 現に、今の時代でも人類に対する最大の脅威は魔物なのだから。


「……ちょっと待って。今、あんた未来を見た『奴ら』って言った? 国王の他に誰か見てたの?」


「ん? ああ、予知を見たのは予知者と、国王と、ラルフと、もう一人の側近だったらしい」


「……ラルフさんもいたんですか!? その百年前の時代に!」


 過去ルナもラルフに会ったことがある。ファルベに連れられて王城に訪れた際に、えらく歓迎を受けた。彼は何か常人と雰囲気が違う気がしたが、見た目は普通の大人だ。そんな彼が百年前から生きている人間なんて、信じられない。


「いた、みたいだな。だけど、百年生きてる割に見た目が若いってのを気にしてるんなら、杞憂だと思うぞ。そもそも、スキルでなんでもできるこの世界で、百年見た目が変わらないなんて大した問題じゃないだろ。そういうスキルをあいつが持ってたってだけの話で」


 ファルベはなんの疑問もなくそう言った。彼も彼なりにラルフを信用しているということなのだろうか。

 だけど、ルナはそれに何か引っ掛かりを覚えた。


「でも……!」


「そこは問題にするところじゃない。ともかく、魔物が世界滅亡のきっかけだろうと考えた国王は、当時から魔物研究の第一人者だったラルフにその対策を任せた。そこで作られたのが、今の『冒険者制度』だ」


 魔物の脅威から世界を守るための防衛機関。強力で大規模なスキルを持つ人間を有志で集め、国外に蔓延る魔物を狩る組織。その土台を作ったのが、ラルフだったわけだ。


「……気になったんですが、どうして魔物を倒す人達のことを『冒険者』などと言うのでしょうか。冒険っていうのは、どこか見知らぬ土地を探索したり、何か難しいことに挑戦したりすることを言うんじゃないでしょうか」


「冒険者の意味はルナが言った通りだよ。冒険……つまり、魔物を全て倒すなんて不可能にも近い目的に挑戦することを指している。そして、それを行う人間を総称して、『冒険者』と呼んでいるんだ」


 隣にいるメルトも驚いたような表情を浮かべていた。彼女もルナと同じく冒険者という単語の意味を深く考えたことはなかったのだろう。


「話が逸れたが、ラルフはまず、アイナハル王国で冒険者という職業を定着させた後、五十年かけて各国にも冒険者制度を浸透させていった。あいつは当時から魔物の知識で一目置かれてたからな。他の国もあいつの説得に応じてくれたみたいだ。それで、全国に冒険者として魔物を倒す専門職を作り、いつか来る筈の世界の滅亡の危機に対して備えてるって訳だ」


「そうだ。冒険者の地位がやたら高く設定されていたり、優遇を受けられたのも、魔物の数より多いくらい冒険者の頭数を揃えたのも、全部……」


「全部、世界を滅ぼすくらいの魔物と戦うための手段だ。予知を見た連中からすると、人類が全滅する未来を避ける為に、とにかく戦力を集める必要があった。だけど、冒険者の地位が低かったり、命を賭けても何の補填もされなかったら、皆んな辞めていくだろ? 割に合わないんだから。それを防ぐ為に、冒険者の地位は他の職業よりも高くなってる。国民が自発的に冒険者を目指そうと仕向ける為に」


 そこで、話すべきことは終えたとばかりに大きくため息を吐く。その瞬間、どこか緊張感を帯びた空気が緩まり、ルナも切迫した感覚から解放される。


「ま、これが世界滅亡の真実。それに対抗するための王国の思惑の全てだ」


「でも、今のを聞く限りだと、魔物に滅ぼされるのを防ぐ為に冒険者が用意されたって話だけど、そこにあんたの役割はないでしょ? だって、あんたは冒険者じゃないわけだし」


「ああ。俺は直接世界の滅亡に対して何か役割がある訳じゃない。俺は殆ど魔物と戦わないからな。でも、間接的には役立ってるんだぜ? 何せ、世界を滅ぼすだけの魔物がこの世界にやってくるなら、冒険者は一丸になってそれに立ち向かわなきゃいけない。つまり、冒険者の地位を使って悪さをする連中に輪を乱されると困るわけだ。だから、そいつらを捕まえる人間が必要になってくるんだ」


 それこそが、今の冒険者狩り。大きな難題に立ち向かう為に団体を崩そうとする不埒者を排除する役割なのだ。


「……でも、未来ってのは思った通りにはいかないもんで、修正するのが大変だよ」


「どういう意味?」


「いや、ラルフや王様が考えた通り、冒険者の地位を向上させたことで、人数は増やせたんだ。狙った通りにな。でも、人数が多ければ多い分、組織が大きくなればなるほど、末端が腐ってくる。監視の目が行き届かないところは、次第に楽な方に流されるようになっていく」


 人の心は脆いもので、自分以外が何かを為してくれるなら、全て任せてしまおうと考えてしまう。大義を持って入ってきた筈の人間ですら、周りに流され心が腐蝕していく。自分は違うと思っていても、いつしか周囲と同じ色に染められ、違った筈の「何か」を失うことになる。


「魔物を倒さなきゃいけない職業の筈なのに、誰かが倒した魔物の一部を奪おうとする輩が出てきたりな。冒険者制度だって当初の予定通りに稼働できてるかって言うと、ちょっと怪しくなってるのが現状だ」


 憂鬱そうに頭を掻く。ファルベもこれまで数多くの犯罪者と相対してきた。その中には始まりが清く美しいものだった筈の人間だっていたのだろう。

 それはファルベの近くで見てきたルナも少しは理解できる。


「そうですね。ルナもそれは……なんとなく分かる気がします」


「そっか。ルナちゃんも、こいつと一緒にいたんだもんね。そういう人とも会ってきたんだ」


 若干ファルベに棘を見せつつ、ルナに同調するメルト。それに気分を悪くしたファルベは、少しむくれた顔をして、


「……つーか、さっきから聞いてて思ったんだけど、いい加減俺のこと『こいつ』とか『あいつ』って呼ぶのやめてくれないか? 何か、嫌な気分になる」


「それならあんただって私に対する言い方を変えなさいよ。私にもちゃんとした名前があるんだけど」


「……」


 自分の言ったことをそっくりそのまま言い返されて、ファルベは二の句が告げなかった。彼女もファルベと同じくあまり良い気はしてなかったらしい。


「……分かったよ。悪かった。俺も話し方を変えるよ……メルト」


「あ、ごめん。やっぱ名前で呼ばれるとムカつくから呼ばなくていいわ」


「な――ッ!」


 梯子を外された形になったファルベは絶句して、ただメルトを見つめる他なかった。



 *



「さて、と。そろそろししょーがお仕事に行く時間になりますかね」


 ルナは寝巻きから手早く着替えて、それから大きめのクローゼットから焦げ茶色の外套を取り出して羽織ると、一階へ降りる。


 一階の応接室には既にファルベとメルトがいて、


「すみません。遅れてしまいました」


「いいのよ。ルナちゃんも色々大変だったし」


 ルナの謝罪に柔らかい笑顔で返事をするメルト。そんな彼女に心洗われる感覚を覚えつつ、ファルベのいる方に視線を向ける。


「ま、でも遅刻は遅刻だからな。俺もいなくなってた間溜まりに溜まった仕事がわんさかあるんだ。そうのんびりしてる暇はないぞ」


 ルナもファルベもカリアナ王国にそれほど長く滞在していたわけではないが、彼の仕事量を考えると、いない期間の分だけでも相当な量がある筈だ。

 その言葉を受けて、申し訳なさげに会釈をするルナ。そんなルナを見てメルトが、


「ちょっとファルベ! 言い方を考えなさいよ! 起きたばかりからそんなこと言わなくてもいいじゃない」


「事実なんだからちゃんと言っとかないと駄目だろうが。そもそもメルトがルナに甘すぎるんだよ」


「そんなことないわよ!」


 その後も二人は言い合いを続けて、次第にルナを気にする余裕がなくなっていった。言っては言い返して、その繰り返しを何度も続けて。

 不毛な争いを続ける二人の様子を側から眺めるルナは、


「なんだか、楽しくなりそうですね……」


 そんな感想を抱いたのだった。



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