86話 「因縁との訣別」
光が視界を白く染め上げる。直後、轟音と猛烈な衝撃波が森中を揺らし、木々をざわめかせる。視界が一瞬にして白くなり、咄嗟に目を閉じたファルベは目を擦りながらゆっくりと瞼を上げる。
「なんだ……何が起こって……」
突然の出来事に呆気に取られるファルベは、光の軌跡が到達した先――魔物の方へ視線を向ける。
「――ッ!」
そこにあったのは、ファルベがいくら攻撃しても傷一つ付かなかった外殻が粉微塵になり、身体の半分以上が露出していた魔物の姿だった。
外殻の内側にあったのはどす黒い皮膚のようなものだった。つまりこの魔物はこれを覆うように硬い外殻で覆っていたということだ。
そして、魔物の足元にはひしゃげた鏃が、無造作に転がっていた。
「これは……矢か」
文字通り光速で魔物に直撃したそれはもはや原型を留めておらず、鏃だと察せられるものが落ちていたのも、ほとんど奇跡みたいなものだ。
そして、矢だったらしき物体の近くから、濃い魔力の残滓を感じ取った。
それで、ファルベはこの矢を放った人物の正体に至った。
高濃度の魔力。そして、弓を持っている人物という条件を満たすのは一人しか心当たりがなかったからだ。
「……ルナ」
ほぼ確実に、彼女の仕業だろう。どうしてこんなに正確な狙いが付けられたのか知らないし、そんな技術を持っているなど聞いたこともなかったが、彼女以外には考えられない。
「なんで……」
理解ができなかった。魔物に挑みにいく直前、ルナはファルベの元に訪れ、加勢に加わると提案した。それは完全な善意からなのだろうとは思うが、ファルベは拒絶した。その行為に明確な理由があったわけじゃない。
ただなんとなく、これは自分一人でやるべきだと思っていたからだ。意地を張っているだけと言い換えてもいいかもしれない。
特に今は、「呪い」の影響もあって心に余裕がなく、よく知っている筈の好意すら素直に受け取れなかった。
だからこそ、理解ができないのだ。あれほど拒絶したのに。あれほど酷く突き放したのに。あれほど冷たく言い切ったのに。それでもどうして、ここまで手助けしようとしてくれるのか。
付いてくるなと言ったから、ファルベに付いてこず遠く離れたところから手助けしようとするような、ルールの穴を突くようなやり方を使ってでも助けようとする理由なんて、思いつかない。
「――もしかして」
一瞬、自惚れた考えが脳裏によぎる。あり得ない筈の考えだ。これまで一度も、考えたことのない考えだった。
――もしかして、自分に生きていて欲しいと、そう思ってくれているのか。死んで欲しくないと、思ってくれているのか。
自分にはそう思ってもらうような資格はない。優しさを受け入れる価値なんてない。
『誰だって、生きる価値はあるさ』
その時、声が聞こえた。懐かしくて、優しくて、泣きたくなる声が、聞こえた。
好意を向けられる価値が、自分にあってもいいのだろうか。前を向いて、誰かの手を借りながら進んでもいいのだろうか。生きる価値があると思っても、いいのだろうか。
『――だって、世界はこんなにも色付いてる!』
また、声が聞こえた。この綺麗な世界に、美しく彩られた世界に、居場所があると思ってもいいのだろうか。
――死んで欲しくないと思ってくれる誰かがいるなんて夢物語を、信じてもいいのだろうか。
「ルナ……」
名前を呼ぶ。それに返答するように、あの時の言葉が蘇る。
『――信じてますよ、ルナは。ルナを連れ出してくれたあの日にかけてくれた言葉も、これまで見てきたししょーの姿も。それに、ルナはししょーの過去の姿を直接見たことはありませんし、ルナがついていきたいと思ったのは、『ししょー』であって、『冒険者狩り』ではないですから』
――ああ、なんだ。あいつの答えなんてとっくのとうに、聞いていたじゃないか。
信じていると言われた。過去じゃなく、今のファルベを見ているのだと言われた。それが何よりの答えではないか。
「――は」
笑みが溢れる。ああやって直接話してくれていたのに、気づいていなかった自分に笑いが出てくる。
「――はははははははは!」
おかしな話だ。どうして気づかなかった。どうして気づけなかった。どうして、気付こうとしなかったんだろう。
馬鹿にも程がある。だって、普通はあれだけ好意を全面に押し出していれば気づく筈だ。どれほどの鈍感な奴だって。それに気づけなかった自分は、馬鹿以下でしかない。
笑った。今までにないぐらい笑った。これだけ笑ったのは、ファルベが初めて冒険者を殺したあの日以来なものだ。
あの時は絶望し尽くしたが故の嗤いだった。だけど、今は違う。嬉しくて、おかしくて笑っているのだ。
「本当に、今までどれだけの好意に気づかなかったんだろう」
天を見上げ、自分の馬鹿さ加減に呆れる。これまでも与えられた好意を無碍にしてきたのだろう。
きっと、その優しさ故から厳しく当たってきた人間の思いも理解せず、無意味にしてきたのだろう。
「ああ、そういえば、お前を忘れてた」
視線を下ろし、目の前にいる魔物を見つめる。
「悪いな、俺の馬鹿さ加減に呆れてたんだ。許してくれ――なんて、言わねえけど」
どこからか飛んできた矢の存在を警戒しているのか、魔物はこちらを睨みつけてくるが、自分から襲ってこようとはしていない。
長剣を握り直す。ゆっくりと持ち上げ、刃の先端を魔物に向けて突きつける。
「――――ッ!」
こちらの殺意を感じてか大きな咆哮をあげる。その声に怯まず笑みを浮かべて、
「さあ、第二ラウンドだ」
*
吹っ切れたファルベの動きは格段に良くなった。「呪い」の効果が無くなったわけではないが、これに関しては気持ちの面が大きい。
相手の攻撃に対して的確な動きで回避し、隙を突くように刃を振るう。
勢いよく切り上げられた刃は、魔物の外殻の下にある皮膚に刺さり、深く切り込みを刻む。肉を斬る確かな手応えに、ファルベは安心する。鎧のような甲殻に包まれていた時では考えられなかった出来事だ。
血飛沫が吹き出し、確かなダメージを与えているのが分かる。
そして、外殻を破壊した後何度か刃を交えて分かったことだが、
「……やっぱり外殻とその下の皮膚は回復速度が遅い」
他の魔物に比べて、傷の治りが目に見えて遅い。やはり外殻さえなんとかしてしまえば十分に勝機はある。
それに、もう何度も見た攻撃だ。魔物のあらゆる攻撃を最小限の動きで回避し続ける。
そして、返す刃で斬りつけ魔物の身体が修復する前に斬り続ける。
古い傷が治りきっていないのに次々と新しい傷をつけられ、そちらの修復に力を注いでいると外殻が一向に再生できない。
あの矢を受けた途端何もかも上手くいかない様子に苛立ちを隠せないのか、歯をガチガチと鳴らし、威嚇する。
「ハッ、相手に思った通りの行動ができないからってムキになるなんて、さっきまでの俺みたいだな」
何をやっても意味がなくて、それを受け入れないように抗おうとするなんて、まるで鏡を見ているような気分になる。
そんな魔物を手玉にでも取っているかのような余裕な笑みで迎える。だけど、
「足が、震えてるな……」
小刻みで、服の上からだと気にもならないような、けれど確かに身体を支える両の足は震えていた。まるで産まれたての子鹿のように、情けなく震えていた。
それも当然だろう。ついさっきまで圧倒的な力の差で「死」を目の前に感じていたのだ。いくら顔や口で勝ち気になっても、調子に乗ったようなことを言っても、身体は正直に恐怖を伝えてくる。
――怖いな。死ぬのが、怖いな。殺されるのが、怖いな。
素直にそう思った。痛くて苦しくて悲しい思いをするのは嫌だ。それを今まで自分が他人に与えてきたというのに身勝手なものだと我ながら思うけれど。
恐怖はそのまま寒気へと変換され、背筋に冷たい何かが伝う。全身のそこかしこに鳥肌が立ち、もう一度死ぬ可能性を強く感じている。
ルナの矢によって刃の通らない外殻を破壊したとはいえ、魔物の攻撃は掠っただけで致命傷を免れない威力のものだという事実は何一つ変わらない。依然奴の爪は簡単に人間の肉を斬り裂き、直撃すれば確実に死が待っている。
それが怖い。一発も受けられないということが怖くて、緊張して、だからこそ。
口を歪めて、笑う。さっきの楽しくて笑っていた笑顔とはまた違った、分かりやすい作り笑顔だけど。下手くそな、見栄だけど。
笑う。ファルベという少年は笑う。怖くて怖くて仕方がなくて。今にも逃げ出したくなるほど恐怖に支配されていて。歯が奥でカタカタと音を鳴らしている上、足が確かに震えているけれど。
――だからこそ笑おう。先が見えなくて恐怖しているからこそ、見栄を張ろう。かっこよく余裕ぶって構えていよう。
恐怖していても、それを乗り越えるだけの力があると、教えてくれた人がいるから。未来が不安でも、ちゃんと自分の足で歩けるように勇気をくれた人がいたから。どれだけ惨めで情けなくて、どうしようもない部分を曝け出しても、それでも「信じている」と言ってくれたあの子がいるから。
そんな皆んなに報いるような自分でいたいから。
――皆んなに報いれるような自分になれると、誰よりも自分を信じているから。
ファルベは、笑う。最近表情筋を使っていないから、人に見られたら笑われるほど下手な笑顔を浮かべる。
「――――ッ!」
またも死が迫ってくる。ファルベに大切な人を殺された遺族たちの怨念が体現されたかのような生き物は、苛立ちを血のように赤い瞳で訴えながら、全身を使って体当たりをしてくる。
身体の半分以上の外殻を壊されている魔物は甲殻の残った部分で勢いよく突っ込み、地面の泥を蹴散らす。
ファルベは自分の背丈の何倍もある体格の魔物から目を背けず、しっかりと見据えたままで、
――前へ走った。
攻撃を避けるために逃げるわけでも、後ろに下がる訳でもなく、前へ走った。
当然、このままでは魔物の巨体に吹き飛ばされるか押し潰されるかして、一生動かない肉塊と化すだろう。だからファルベも無策で突っ込む訳じゃない。
ファルベはずっと集中を向けていた「それ」から意識を外す。
すると、魔物の眼球を塗りつぶしていた「着色」スキルの効果が途切れ、魔物に再び視界を与える。
「それで、目が見えるようになったら、ほんの一瞬でも視界に意識が向くよな。気配と匂いで正確な位置が分かってるはずでも、無意識的に視界に映ったものを優先しちまうよな」
一瞬、コンマの秒数にも満たないほどの一瞬。魔物の動きが緩む。魔物が目を向ける先にあったのは、木の幹に描かれた、ファルベの姿だった。
ファルベは前へ走る寸前に、近くの幹にスキルを使って自分の「絵」を描いていた。そして、直後に魔物の眼球に付けていた色だけ解除したのだ。
普通ならこんなものに騙される筈がない。だが、怒りに支配されていた上、さっきまで視界を潰されていて突然それが無くなったために、木に写ったそれをファルベ本人だとうっかり誤認してしまった。
それが原因で自分が把握しているファルベの位置と、目に見えるファルベのようなものの位置に齟齬が生じて、迷いが出た。
これが魔物の動きが緩まった理由である。
そして、一瞬別のところに向いた意識が、二度同じ手に引っかかる要因となった。
ファルベは動きの緩まった魔物の足と足の間をスライディングで抜け、背後に回り込む。ついさっきも魔物の下を通り過ぎるやり方をしたため、恐らく何も手を加えず同じことを繰り返しても対応されていただろう。
奇策をもって相手の意表を突いたからこそできる芸当。自分のスキルの「弱さ」を知っているファルベだからこそできる「強み」だ。
「アアアアアアア――!」
魔物に負けない雄叫びを上げてファルベは長剣を突き刺す。魔物は外殻を前へ、剥がれた部分を背後へもっていくような体勢だったため、ちょうどファルベがいる場所が柔らかくなっている部位だった。
血が飛び散る。それを気にせず突き刺した長剣を持ったまま走る。どす黒く醜い皮膚に大きな裂け目ができる。
ずっとずっと走って、外殻の残っている部分まで到達すると長剣を引き抜く。
大量に血が吹き出し、それを再生できずに苦しむ魔物。そこから目を離さないファルベは、「それ」を見た。
「あれは……!」
魔物の引き裂いた皮膚の内側。そこに大きく、禍々しい球体があった。そこから多くの筋のようなものが魔物の各部位に繋がっている。
全身に繋がる謎の球体は強力な力を内包しているのが見て取れる。
「そういえば、聞いたことがある。魔物の中には『核』が存在する個体もいるって」
核とは特定の魔物の動力源であり、それが存在している限り無限に傷は修復され、強大な力がいくらでも湧いてくる。
だが、その代わりにその魔物は核を壊されれば一切の力を失い、最後には自分の身体を支える力すら失って自壊する。
ファルベは随分前に聞いていたことだが、自分は冒険者しか相手にしないからと言って聞き流していたことだ。それが初めて核を見ることで頭の片隅から引っ張ってこれた。
つまり、あれを壊すことがファルベの勝利条件なのだ。
すぐさま足に力を入れ、そこに向かって飛びかかろうとする直前。
乱暴に斬り裂かれた魔物の肉体が急激に修復され始めた。
「なに……クソがッ!」
魔物はこちらに反撃してくる様子も見せない。恐らく、反撃する力も外殻を修復する力も全て、核を守るための皮膚の修復に集中させているのだろう。
奴にとっては今が生涯最大のピンチだ。ここさえ防いでしまえば、何度も同じ手には引っ掛からず、容易くファルベを葬り去れる。そのために憎しみや怒りを抑えて傷の回復だけに意識を向けているのだ。
対してファルベもこの機会を逃せば後はない。自分に尽くせる手段は全て費やした。今が最大のチャンスであり、唯一の勝ち筋だ。
ここでトドメを逃すわけにはいかない。逃してしまえば、ルナがやってくれたことも、何もかも無駄に終わってしまう。
走る。魔物とファルベの位置関係を考えると、それほど距離はない。だけど、一歩踏み出す時間が永遠に感じる。
いや、永遠なんかじゃない。ただ、ファルベの思考が加速し、他の時間がゆっくりに錯覚しているだけだ。
二歩、踏み出す。魔物の傷はゆっくりながらも着実に修復していっている。大きく開いた傷口は完全に修復されるまではまだもう少しかかりそうだが、この速度で回復し続けるとも限らない。
三歩、踏み出して、ようやくファルベは魔物のところまで到達する。長剣を構え、力一杯押し出したそれは核に向けて一直線で向かう。
「間に、合え――ッ!」
鋭く突き出した長剣は月明かりを反射して鈍色の軌跡を中に描く。空気を切って、音を裂いて向かうそれは、魔物の身体の内側まで侵入して――ようやく届いた。
甲高い音を立てて、刃と核が接触する。グリップを握る掌に強い衝撃を受けたことが確実に攻撃を当てられた証明となった。
だが、当たっただけで終わらず、より一層力を込め、押し込む。
ピキ、と小さな音と共に核にヒビが入る。それが連鎖するように音と一緒にヒビが増えて、それの欠片が地に落ちる。
音は断続的に響いて、ヒビを増やし続ける。そして、直後核の他に音を立てるものがあった。
それは、ファルベの持つ長剣だ。飾り気のない無骨な長剣。長く連れ添った相棒のような存在。それにも同様にヒビが入ったのだ。
核と同じ速度でヒビ割れ、終わりに近づくその剣は、けれど最後まで役割を全うしようと耐えている。
あの日、初めてファルベが冒険者を殺した日。あの冒険者から奪った無骨な剣を、ずっと使い続けていた。普通は剣なんて消耗品だ。だからここまで使い続けることができただけで十分だ。
一番最初にファルベの罪を一緒に背負った剣。ずっと使い続けて共に連れ添った剣。
そして、因縁が始まって、因縁を断ち切る剣。
その役目を最期まで果たしてくれた。だから、
――ありがとうな
ファルベがそう言った直後、核と長剣が同時に砕け散った。そして、
「――――ッ!」
魔物は最期に雄叫びを上げると、力なく倒れ、そのまま動かなくなった。
雄叫びを上げたのは、自分が負けた悔しさだったのか、上手くいかなかった怒りなのか、自分を殺した相手への賞賛なのか、分からなかった。
けれど、これだけは言える。
「やっと、終わった……」
ファルベのその声は、煌めく夜空に吸い込まれて、消えていった。




