83話 「第二の人生」
ラウラに手を引かれ、連れてこられたのは小高い丘の上だった。爽やかなそよ風が心地よく肌を叩き、世界を彩る草花を小刻みに揺らす。
遠くにはこの国――カリアナ王国の王城が天を貫くようにそびえているのが見える。塔のように高く長く伸びる王城。薄らとぼやけて映るそれは広大に広がる草原と合わさってどこか神秘的な雰囲気を感じる。
爽やかな風が通る広大な自然、そしてこの国の象徴たる王城で完成されたこの光景は、観光スポットにもなりそうだ。
何気なしにそんなことを考えていると、
「どうだい? 良い眺めだろう?」
気持ちよさそうに目を細めながら、そう言った。黒い髪はそよ風が流れるたびにたなびき、気分が良くなるのも分からないではないが、
「眺めなんて、僕にとってはどこも一緒だよ……」
ラウラの言う、景色の感想は何も無かった。ファルベにとってはこの世界は全て白と黒の構成でできている。
ファルベは所属していた元パーティーに恨みを向ける冒険者たちの裏切りを受けたあの日から、色を視認することができなくなっていた。まるで、この世界がファルベという存在を否定しているかのように。
その瞬間にファルベはこの世の全てに絶望し、いっそ自暴自棄的に人殺しをした末路が今の自分だ。
そんなファルベだからこそ、普通なら感動するような眺めの良い景色を目にしても、モノクロ調にしか見えず、何一つ心が動かないのだ。
色とりどりな景色も、美しい絵画も、誰かの容姿すらも色褪せて、何の感動も生まれない。黒と白で支配された無機質なものばかりだ。
きっと目の前に流れるラウラの艶やかな黒髪も、本来は何か別の色が写っているのだろう。それすらも認識できないのだが。
――「物質に色を付ける」なんてスキルを持っていながら何の色も認識できないなんて、皮肉なものだ。
「ははっ……」
あまりに哀れすぎて、乾いた笑いさえ浮かんでくる。
滑稽だ。何が色を付ける、だ。何が色を変化させる、だ。くだらないにも程がある。
今までだって、こんな能力が役に立った試しなんて一度だってないくせに。何一つ誰かのために使えたことなんてなかったくせに。その後の「冒険者狩り」の時だって、自分の身体を黒色で染めて夜闇に紛れるぐらいの使い方しかしなかったくせに。それなのに、景色を見ることすらできなくなって。
ファルベは、自分という人間の小ささに吐き気を催す。
この世界には数多くスキルがある中で、何の役にも立たない能力を得てしまって、それに見合わない夢を抱いて、叶わないと心のどこかで分かっていても、知らないふりして突っ走って。頑張れば、才能なんて関係ない。努力すれば、いつか報われる。そう信じてがむしゃらに生きてきたつもりなのに、結果はこの様だ。
くだらなさ過ぎていっそ面白いとすら思ってしまう。
「そうだ……。『着色できる』なんてくだらないスキルだって分かった時点で冒険者を諦めなきゃいけなかったんだ。こんなもんじゃ、どう足掻いたって夢は叶わないんだから……」
この世界は生まれた時点で「格」が決まっている。スキルなんてその象徴と言えるだろう。スキルは自分で選ぶことができない。つまり、生まれ持って選ばれた人間とそうでない人間は決まっているのだ。自分は、そうではなかった。選ばれていなかった。果てしなく無価値だった。
「何で気づかなかったんだよ……僕が無能で無力で無知なクズだってこと、誰より知ってた筈なのに」
いや、知ってたからこそ認めたくなくて、そう思いたくなくて、見ないふりしていたのだ。
誰より弱くて、誰より役に立たないファルベのスキルですら、満足に使えない塵芥であるという事実に。
目の前にラウラがいることすら忘れて、ファルベはひとりごちる。自分の世界に入ってしまったかのような、周囲の目を全く気にしないような様子のファルベを見た彼女は、
「あんたってさ。もし、もしもだ。もしも、自分に冒険者として十分なスキル――そうだね。例えば、『水を操るスキル』が与えられたとしたら、あんただったら何をしたい?」
「何……言ってんだよ、急に……」
「気に入らなかったかい? なら、そうだねえ……『飛行スキル』とかの方が良かったかい?」
「違っ……僕が言いたいのは、そうじゃなくて……」
ラウラの言っていることが理解できなくて食い下がる。何の脈絡もなく別のスキルがあったらなんてもしもの話をしだすなんて。
ファルベは彼女と付き合いが長いわけではないが、こんな風に無意味な話題を出してくると思えない、と言い切れる程度には信用を置いている。
だから、ラウラの突飛な発言にも何らかの意味がある筈だが、それが理解できなかった。
「それに、何の意味があるって……」
「あんたが意味とか考える必要はないさね。ただ、聞かれたことを、聞こえたままに答えればいいだけさ。そんなに難しいことじゃないだろう?」
昔から、自分のスキルが冒険者に合っていないこと自体は分かっていたから、当然他のスキルを持っていたらと妄想したことがある。
今となっては惨めな現実逃避だとしか思えなくなっていたが。
その妄想を語れと、ラウラは言っている。叶わないと分かっている夢を口に出せと、そう言っている。
はっきり口に出すとなるとどこか恥ずかしい気持ちも湧き上がってくるが、ラウラの有無を言わさぬ雰囲気に押されて少しずつ、話し始める。
「……そりゃあ、そんな力があれば、なんだってできるだろ。魔物を殺すこともできるし、誰かの役に立つこともできただろうよ。お前の言う通り、そういう能力を持っていたとしたら」
ファルベに「着色」以外のスキルがあったなら、どうやっても活躍できただろう。
例えばさっきラウラが出していたような、「水を操る能力」だとしても、水流の勢いを増して直接攻撃として使ったり、壁を張るようにしてサポートしたり、単純に飲み水としてサバイバルに役立てたり、パッと思いつくだけでも様々な用途がある。
もしも、そんな能力が、ファルベに与えられていたとすれば。少しでも誰かの役に立つスキルを持っていたとしたら、きっと。
「それなら、きっと……そうだったなら、きっと……」
――追放なんて、されなかったのに。
そう、声に出しかけて、慌てて口を噤む。取り返しのつかない道を歩くファルベにもまだそんな女々しい後悔があったことに彼自身、驚きを隠せずにいた。
もう変えることができない過去に、帰ることができない場所に、換えることができない人生に、未だ執着しているというのか。
違う、とファルベは頭を振って否定する。あのパーティーに未練なんてない。役に立たないと、必要がないからという、その程度で長年尽くした相手をいとも容易く追い出すような奴らに未練なんてある筈がない。
さっきのは、一時の気の迷いだ。奴らはファルベにとって復讐相手の一部に過ぎず、決して近づきたいなど、まして戻りたいなんて思うわけがない。
女々しい思考を何とか追い出そうと強く目を瞑った瞬間、
「『それなら、見捨てられることはなかったのに』……ってところかね。あんたの様子から察するに」
自分の思考を読んだかのようなラウラの言葉で大きく目を見開く。
ピンポイントで痛いところを突かれたファルベは動揺して震える喉から何とか声を絞り出すと、
「おま……何、言って……」
「別に、人の心を読めるスキルを持ってる訳じゃないよ。あんたの目、口、表情、癖、その全部から拾った情報をまとめて予想しただけさね。反応からするに、当たらずも遠からず、ってところかね」
知ったような口で、知ったような声色で、知ったように話すラウラが気に食わなくて、
「違う! 碌でもねえ連中だったから僕の方から見限ったんだよ! 見放されたなんてくだらねえ、人を役に立たないグズだからって追放したようなクソみてえな連中だ! あんな奴らに思い入れなんてある訳ねえだろ!」
沸々と湧き上がる感情を爆発させる。けれどそれが本当に本心なのか、本心を覆い隠すための方便なのか、自分自身でも分からなくなっていた。
口早く捲し立てて、荒い息を繰り返すファルベは、
「だから、だから……っ! 僕は、見捨てられた、訳じゃ……ない」
言い聞かせるように、まるでそう思い込ませるかのように、呟いた。
そうやって食い下がろうとすること自体が、ラウラの言葉の肯定になると気付くこともなく。
そんなファルベに哀れむような視線を向けたラウラは、
「……はあ。これは思ってたより拗れてるねえ」
大きなため息と共に頭を掻く。細長くともどこか頼もしい彼女の指先が黒い髪をなぞる度に、それは綺麗に指と指の間をすり抜けていく。
彼女と会ってから幾度となく見たその仕草は、彼女の癖なのだろうか。
ラウラは呆れているのか、哀れんでいるのか、それとももっと別の感情なのか、読み取れない何かを表情に浮かべて、ファルベを見つめる。
「……でもそれは、あんたの本音じゃない。それはあんたが一番、よく分かっている筈さね」
ファルベの心を見透かすような、目だ。彼の過去を見てきたような、目だ。
「あんたがこれまでどういう人生を送って、何があってそんなに拗れたのかも知らないさね。ただ、そんなアタシでも、あんたの言葉の全部が全部、嘘で塗り固められたもんだってことぐらいは分かる」
彼女は炎のように赤く染まる双眸でファルベを見据えたまま、動かない。
「あんただって本当は分かってるんだろう? あんたが後悔している過去の原因は自分にあったってことをさ」
ラウラの言葉に、ファルベは二の句を継げなかった。
――あの追放の原因は、自分にあった。そう言われたのが妙に腹が立って。
「あれ、に……あんなもんに、僕の落ち度があったって、お前はそう言うのか!?」
努力はしていた。雑事以外なんの役割も与えてくれなかった冒険者達の中で、自分の立ち位置を確立させようと、できる限りのことをしようとした。
孤児院で何もない日々をただひたすらに浪費するだけの人生を抜け出し、憧れの冒険者という夢の溢れるその場所で少しでも長く居続けるために、尽くした。
何せ、初めて自分にできた、「居場所」だったから。
たとえ魔物との戦闘に巻き込まれる危険があってもそこに居続けられるように、居場所を奪われないように、頑張ってきた。
一息つく間もない雑用の中で、戦い方を学ぼうとした。リーダーや、他のメンバーの目を盗んで彼ら彼女らの扱う武器を振ってみたりした。当時のファルベにとっては重すぎて、到底満足に振るうことはできなかったけれど、それがいつか実ると信じて、隙を見つけては練習した。
他にも、パーティーとして活動している中で手に入った書物を読んで、役に立てるような知識を得ようとしたこともある。夜中に、眠る時間を削りながら、少しでも役割を得ようと知識の収集に励んだ。
そうやって、努力を続けていた自分に、追放されるべき理由なんて、あるはずがない。
「そうだ……そうだよ! 僕に理由なんて無い! 無いんだよ! あいつらが追い出そうとしたのは、あいつらの勝手な自己満足でしかないんだよ! 僕は関係ない!」
頑張って頑張って、頑張り続けた末路がこれだ。それを知ろうともせずに、突き放して追い出した。それが事実で、それだけが真実だ。
「勝手に孤児院から引き取って、勝手に期待して、勝手に追い出しただけだ! それの、それのどこに! 原因があるって言うんだよ!?」
ファルベを連れ出したのも、雑用係を押し付けたのも、全てあのパーティーの連中だ。そこにファルベの落ち度があるなんて、あり得ない。そう、あり得ない筈だったのだ。しかし、こちらを見つめるラウラの視線は変わらず鋭くファルベに突き刺さってきて、
「だったらどうして、あんたは『冒険者狩り』なんかになったんだい?」
「――は?」
「心の底から殺意で構成されてるようなナチュラルボーン殺人鬼みたいな例外はあるけどね、基本的に人殺しっていうのは『最大級の現実逃避』だ。耳を塞いでも、目を閉じても、口を噤んでも、逃げられない現実から逃げ切るためには、自分を追い詰める元凶をこの世から消すか、自分が消えるかしかない。だけど、自分が世界から消えるってのは余程の覚悟がないと受け入れられないもんさね。それに比べて他人を消すのは、案外簡単なもんだ。だって、他人に与える痛みも、苦しみも、全部結局は他人事でしかないからね」
ラウラはそれがさも当然であるかのように語る。彼女なりの人生経験から出た答えなのだろう。
全ての痛みは、他人事。ファルベはその言葉に、少しだけ眉を寄せる。ファルベも、これまで多くの人間を殺してきた。だが、その中でファルベ自身が痛みを覚えたことは一度もなかった。
たとえ誰かがファルベの振るう得物によって斬り刻まれようが、所詮は他人の痛みでしかないから。
「誰かを殺さなければ、自分の見たくないこと、知りたくないことから逃げられない。なら、その逃げたいことって、一体何のことだろうね?」
「――めろ」
「殺して殺して、五十人にも及ぶ被害を出してでも見たくないことって、何のことだろうね?」
「――やめろ」
「そんなもん、決まってるだろう――」
「――やめろって、言ってるだろうが!」
聞きたくなくて、ラウラの言葉が終わる前に打ち切ろうと叫ぶ。それ以上、彼女に話されると、見たくないものを見させられるような気がして。
だけど、怒気を上げるファルベも意に介さないように、ラウラは、
「いいや、やめないね。あんたが他人を殺してでも逃げたかったのは、『責任』からだ。追い出された責任。自分に責があるって自覚がないとできないことさね」
「それは……ちがっ……」
真正面からそれを突きつけられて、ファルベは何も言い返せなかった。より正確に言うのならば、言い返そうと言葉を紡ごうとはしたが、自制心がそれを止めた。
その行動が意味すること、それを理解していながらも、ファルベは見苦しい言い訳を探して中に視線を彷徨わせる。
「そ、れは……」
「違うなんてことはないだろう。それはあんた自身がよく分かっている筈さね」
言い返したいのに、唇は震えるばかりで言うことを聞かない。力が入らず、言葉が出てこない。
「わか……ってる……はず」
「そうだ。分かってる筈だ。だから、言い訳なんて探さずに本音を言いな!」
そして、ファルベの中でカチリ、と何かがハマる音がした。
「そんな、こと……」
ぽつり、とそう呟いたことで、ファルベの心の内にある障壁が、決壊した。
「……っ! そんなこと、分かってた! とっくの昔に、分かりきってたさ!」
知っていた。理解していた。誰よりも、分かっていた。
一度そう認めてしまったら、別の事実にも必然的に気づくことになる。
それは、ラウラから言葉を突きつけられるたびに心の中に湧き上がる妙な激情だ。それが発生した原因、それがようやく理解できた。
――そうか、全部、図星だったんだな。
ラウラの言葉は全て、ファルベが知っていて、けれど知らないようにしていた事実だった。だから、ムキになって、意地を張って、噛み付いていたのだ。
何度も怒りを表すごとに、逃避の自覚を証明しているとも知らずに。
「追放された理由が僕にあるんだってことぐらい、僕が一番よく分かってた!」
ファルベにはそれをされるだけの心当たりがあって、それをされて当然の仕打ちをした。
「だって、僕は……あいつらに……あいつらを、殺そうとしたんだから!」
*
その時は、夜の更けた時間帯だったと思う。野営中のパーティーメンバーが全員寝静まった頃。ファルベは音を殺して立ち上がり、目的の場所へ向かった。
パチパチと音を立てて燃える焚き火から少し離れた位置に置いてあったのは食料だ。明日の朝に食べる予定のもの。それの目の前まで来て、ファルベは全身が緊張で固まっているのが分かった。
自分を落ち着かせるために、大きく深呼吸して、ファルベはポケットに隠していたそれを取り出した。
何枚かの小さな葉っぱ。だが、今ファルベが持っているのはただの葉っぱではない。
ほんの一欠片ですら口に入れてしまえばたちまち人の命を奪う、毒草だ。
それを食べやすいようにちぎって、朝食にするはずの食べ物へ振りかけようとする。
「これで……もう……」
解放されるだろうか。この、報われない生活から。どれだけ頑張っても認められず、与えられた役割は給仕という名の雑用係。朝から晩まで働く地獄のような生活から。
ちぎった葉っぱを持つ二本の指から力を抜けば、重力に従ってそれらは落ちていき、ごく一般的な朝食を人殺しの毒料理へと変貌させるだろう。
それで、全てを終わらせられる。
「あと……少し……」
覚悟があれば、それは実行できる。簡単なことだ。力強く握る指を、離せばいい。たったそれだけの簡単な仕事だ。
そう言い聞かせて、ようやく覚悟が決まったその瞬間に、
「ちょ……ファルベ君、一体何してるのかな?」
見張り番をしていたパーティーメンバーに見つかってしまった。
*
「結局、僕が入れようとしたのが毒草だったこともバレて、大騒ぎになったよ。そりゃそうだよな。今まで文句言わず働いてた人間がリーダーも含めた全員を殺そうとしてたんだからな」
パーティーメンバーから厳重注意を受け、それからしばらく、ファルベの行動は警戒されていた。
「あいつらからすれば、さっさと追い出したかったに決まってる! 魔物と戦うこともできない役立たずのくせに、他人への殺意だけは一丁前に持ってんだからな。要はいつ爆発するか分からない爆弾だろ? そんなもん、ずっと抱え続けたい訳がねえんだよ!」
怯えた子供の顔をしながらも、確実に殺そうとしてくる人間に、好意を持てる筈がない。きっと誰だって追放しようとするだろう。
せめて雑用以外にできることがあるなら別だが、まともに使えた試しのない子供なら、尚更。
「僕が冒険者を殺すようになったのだって、僕が悪いんだよ!」
ファルベが冒険者を殺したのは、かつて所属していたパーティーに恨みを持つ、別の冒険者との因縁だった。だが、あれは最後の一押し、ただのきっかけに過ぎない。
真にファルベが「冒険者狩り」として活動する原因になったのは、パーティーの追放を命じられたあの日、あの瞬間、逃げ出してしまったことだ。パーティーメンバーと同じ場所にいては、見たくないもの聞きたくないことを知らなくてはいけない。だからこそ、ファルベは逃げて、けれどどれだけ遠くに逃げても、日を跨いで逃げ続けても、逃げ切ることはできなかった。
見ないようにしたくて、知らないようにしたくて、ずっとずっと、逃げたままでいたくて、ファルベは彷徨っていた。そこで、「きっかけ」と出会った。彼らを殺したのは、丁度そこにいたから。そこで殺して、冒険者に憎しみを向けることで、自己の行いを正当化できると思ったから。ただ、それだけのことだった。
それから一年半もの間、なんとか逃げることに成功していた。だって、自分は、「スキルという一要素のみで他人を蹴落とし、人を見下す冒険者を罰する」正義であると思い込んでいられたから。
でも全部、本当は分かっていた。分かっていたから、理解してしまっていたからこそ、ファルベは誰よりもその事実を否定したかった。そうでなければ、大量の人間を殺し続けた罪の重さに、耐えきれなくなってしまうから。
「本当は、分かってたさ……全部僕が悪いんだってことぐらい……。でも、だったらどうしたら良かったんだよ!? 僕に行くあてなんかなかった! 僕にはあの場所しかなかったのに、それを追い出されて、どこにも行けなくて……だったら、どうしたら良かったんだよ……」
どうしようもなかった。いや、違う。それすらも言い訳なのだろう。あの時、逃げようとせずもっとちゃんと話し合っていれば、別の道があったかもしれない。
ここまで道を踏み外す前に、踏み止まれたかもしれない。
追放されたことも、その後のことも、全てがファルベの馬鹿な行いによって引き起こされたのだ。全部、自分が悪い。他の誰でもない、ファルベという人間が悪かったのだ。
全てを告白しきって、項垂れるファルベ。もはやラウラの顔を見ることすらできなくなった。彼女が今、どんな表情をしているのか、見たくなかったから。
言いたいことを言い切って、押し黙ったファルベを前に、ラウラはため息を吐くと、
「仕方がない、なんて言わないよ。今こうなっているのも、全部あんたの選択なんだからね。だから、過去に起こったことはあんたにだって責任がある。それはもう変えられない」
ファルベの独白を聞いても尚、変わらず厳しい意見を突きつけるラウラ。子供を相手にしているとは思えない大人気なさだ。
彼女なりの不器用な優しさ、と言い換えてもいいかもしれないが。
「だから、次はこれからの話さね。いつまでも後ろばっかり向いてるんじゃなくて、あんたが進むべき道の話さ」
「進むべき……道? そんなもの、ないよ。僕はもうどうしようもない。もうどこにも居場所なんてないんだから……」
逃げて、逃げて、自分の背負う責任から向き合おうともせずに背を向け続けたファルベだ。そんな奴が、未来に希望なんて持てない。
「もう無理なんだよ。僕は自分にある責任も、人殺しの罪悪感も、全部見ないようにしてきた、弱い人間だから」
ファルベという人間は誰よりも弱い。それはスキルだけの話じゃない。自分の選択からも逃げようとしてしまう精神も弱い。内も外も、平均から大きく下回った彼は、まさに「最弱」と言えるだろう。
「僕に、将来なんてものは……もう……」
――ない。自分の熱量が尽きない限り走り続けて、過去から逃げ続けて、燃え尽きた瞬間に人生を終える。ファルベはその程度の人間だ。
「……あんたは」
その時のラウラの声は、さっきまでとは明らかに違っていた。落ち着いているのか、呆れているのか、顔を見れないファルベには判別が付かなかったけれど。
沈んだ表情のままのファルベに、次にかけてきた言葉は、
「あんたは、弱いってわけじゃないさね。そいつは卑下しすぎってやつさ」
「……何、言ってんだよ。弱いんだよ! 僕は! 惨めで卑怯で情けなくて、誰より弱い人間なんだよ! そうでなきゃ、そうでなきゃ……こんな人殺しのクズになんて、ならないんだよ……」
こんな人間になったのは、ファルベ自身の弱さが原因だ。なら、ラウラの言葉の真意はなんだというのか。
「ま、過去から逃げてたってのが弱いってのはその通りなんだろうけどね。だけど、弱いばかりじゃない筈だよ」
「何が……」
「あんたは、アタシがさっき言ったこと、覚えているかい?」
「……さっきって、いつの話だよ」
「あんたに、もしスキルがあったらって話の時に出してたスキル名。それを、覚えているかい?」
そういえば、幾つかのスキルを提案されていた。どれもが自分より強い能力で、そんなものがあれば、と一瞬考えてしまったものだ。
「覚えてる……けど、それがなんだって言うんだよ」
だが、それとこれとの関係性が見えず、ファルベは首を傾げる。
そんなファルベを前にラウラは、
「あの時話したスキルはね――全部、あんたが殺してきた冒険者のスキルさね」
「――ッ!」
今まで、全く気にしていなかったことを聞かされ、驚きに目を見開く。
「自分で弱い弱い言っているスキルで、あんたはそいつらに勝ったんだ。ま、殺すってのは方向性が違うけど、あんたなりの強さはある証明だろう」
「――」
「なら、後はその強さをどこに向けるかっていう話さ」
「そんなの……詭弁だ」
ファルベはゆっくりと口を開く。
「良いように言ってるだけだ。僕は弱いんだよ。弱いから、この世界からすら見放されてる」
「世界から、ねえ」
「だって――見えないんだ。僕には、この世界の色が。『色を付ける』スキルを持っておきながら、色が分からないんだ。世界から僕に与えられた唯一の才能が全く意味のないものになって、それを見放されたって言う以外になんて言えばいいんだよ」
白と黒だけの世界。誰からも、何からも色が失われて、何も見えない。世界からの祝福である筈のスキルも意味をなさず、この世界から置いてきぼりにされた存在だ。
ただ一人、この世界に必要のない人間だ。
「誰も僕を必要としてない……むしろ殺したいって、いなくなって欲しいって思ってる奴の方が多いだろう。僕はもう……取り返しのつかないことをしてしまったから」
これほど惨めに情けない言葉を吐く人間の、どこが強いと言うのか。
こんな人間はさっさと見捨てられて当然だ。弱くて、面倒臭い人間は、キッパリと突き放されるべきだ。あの時追放されたみたいに。
「確かに、そう思われていても仕方がないことをしたさ。けどね」
それでも、
「あんたは世界から見放されてなんかいないさ」
――それでも、ラウラはファルベを掴まえて離さない。
「何で、お前は……そこまで……」
分からなかった。散々弱みを説いただろう。情けないところを見せただろう。それなのにどうして、彼女は見放さないのか。
「だって――」
その時、一陣の風が二人の間を通り過ぎる。それは、爽やかとは言い難い突風で――
「だって、世界はこんなにも色付いてる!」
――それは、始まりを告げる、風だった。
ラウラの言葉がファルベの心に巣食う靄を強引に吹き飛ばして、かき消した。
一つ、何かの色が瞳に映る。炎のように真っ赤で、長い髪に付いた色だ。
二つ、色が見える。たなびく髪と同じ、真紅の瞳が見える。
三つ、色が見える。四つ、色が見える。五つ、六つ、七つ――
段々と色付いていく世界は、確かにファルベを迎えていた。
「色が見えないのはあんた自身がそれを否定していたからさ。あんたのスキルは――いや、この世界は、あんたを見放してなんかない」
ラウラはそう言って、手を伸ばす。綺麗な肌色のそれは何か力強いものを感じて、
「誰だって、生きる価値はあるさ。ただ、その生きている中で何を為そうとするかってだけの話さね」
前を見る。ラウラは視線を外さずに、こちらを見据え続けている。
「あんたは、何をしたい?」
「――僕は」
何をすべきか、考えはもう、決まっていた。
「僕は、僕がやってしまったことの、後始末をしたい。それで赦されるわけじゃないにしても、僕が殺したことで悲しんだ人間が多くいる。その人達のために、僕がやらかしたことの責任を取りたい」
一番最初に人を殺したあの日にすべきだったこと。それを今から、始めよう。それで自分の罪がなくなるわけじゃない。もしかしたら、自己満足のエゴであると言われるかもしれない。
だけど、それでもファルベは確かにそうしたいと、思っている。
「――そうかい」
ファルベの返答を聞いたラウラは、それだけ言った。
次の瞬間、目に何か熱いものが溢れるのを感じた。今朝感じたものと同じ感覚。それが涙であることに、ようやく気づいた。
けれど、それは悲しいから出てきたわけじゃなく、とても温かい涙だった。
そして、ラウラの手がファルベの頭に触れる。軽く力を入れて、彼女の胸のあたりにまで持っていく。
抱き寄せられる形になったファルベは、誰にも見られることのない涙を、静かに流した。
そんなファルベの頭をラウラはゆっくりと、優しく、撫で続けた。
間違いに気づいて、弱さと向き合って、新たな生き方を決める。
――この日、最弱の「色使い」は第二の人生を歩み始めた。




