↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/174

82話 「ファルベ」

 暗闇の中に、一条の銀閃が中に軌跡を描く。それが狙っている先にあるのは、布団と、誰かが寝ているであろう膨らみだ。

 ファルベは迷いなくそこに向かって、長剣を振り下ろす。無駄のない動きで、最短距離を通って標的に向かう長剣は狙い通り、布団とそこで寝ているだろう相手に突き刺さって――


「そりゃ、単純すぎるってもんさね。その程度の攻撃じゃあ、アタシとしても死んでやれないね」


 突き刺さった先には誰もおらず、ファルベの背後からそんな声が聞こえた。


 しまった、と考えた瞬間にはもう遅い。背後にいるラウラはファルベの両手を抑え、取り押さえる。地面に押し付けられるようにして捕まったファルベは憎らしげにラウラを見上げる。


 ――何度こうして地に伏せられてきたのか。もう数え切れないほど、数えるのも馬鹿馬鹿しいほど、その得物を振るっては倒されてきた。

 ファルベはこれまでいとも容易く冒険者を屠ってきたので、ここまで殺せない相手は初めてだった。


「ま、結果としては今回も駄目だった訳だけど、狙いは悪くなかったよ。日中にアタシを殺しに来ても、どうやったって殺せないってのはもう充分分かってるだろうし、だったら寝込みを襲って殺せば良いって考えたところまでは、ね」


 ラウラの言う通り、ファルベは朝方昼間、その両方で襲いかかったが、ラウラが意識のある時間で彼女の感知能力を潜り抜けることはできなかった。

 だから、ラウラに意識がない状態、つまり就寝している時間に襲いかかってしまえば対応できないと睨んだのだが。


 結果はこの通り。ファルベはラウラを殺せるどころか、気付かない内に背後を取られ、こうして取り押さえられてしまう羽目になった。


「だけど、どこもかしこも気張りすぎさね。そのせいで殺意も隠せてないし、あんたが攻撃しようとしてるのがバレバレだったわけだ」


「殺意を隠す……? 何だよ、それ……」


 殺意なんて形のないものをどうやって隠すというのか。というより、ラウラはどうしてそんなものを感じ取れるのか。

 そういえば、日中襲いかかりに行った時も、ファルベが攻撃する前からそれを知っていたように躱し、ファルベを倒した。その時も殺意を感知していたのか。


「さあね。アタシは別に、あんたに殺し方を教えにここまで連れてきたわけじゃないんだ。それに、そもそも、そんなもん覚える必要はないさね」


 当たり前のようにファルベの攻撃を回避し、その上で講釈を垂れるほどに余裕を持つラウラに畏怖の念を覚えるファルベ。そして、冒険者ですらない彼女に手も足も出ずこうして地に伏せられる自分自身に対する怒りも。


 無力を誰より理解していた筈なのに。役立たずだと、誰より感じていた筈なのに。一年以上冒険者を殺し続けて、勘違いしていた。……勘違い、しようとしていた。だけど、その勘違いすら全て打ち砕かれて、悔しさで胸内が満たされていく。


「ま、そういうことだから、今日はさっさと寝ときな。別にまた殺しにきてもいいけど、同じことの繰り返しになるから、アタシとしては、素直に寝てくれるとありがたいもんさね」


 そう言って、一つ欠伸をしてから布団へ潜り直そうとして、


「……って、あんた、随分力込めて振ってたんだねえ。布団が酷い有様だよ。これはもう廃棄するしかないねえ。アタシは新しいの取ってくるから、あんたは寝とくんだよ」


 ラウラは暗い部屋の中を歩いて、廊下に出る。彼女の言い分からするに、予備の布団を仕舞っている倉庫か何かがあるのだろう。ラウラの家は他の建物より大きいサイズで、それを一人で使用していたのなら、余っている一室を倉庫がわりにできるのは理解できる。

 ただ、取ってくるという言葉を聞くと、彼女はまだファルベと同じ部屋で就寝するということだ。


 何度も昼夜を問わず殺意を向けてくる人間と一つ屋根の下というだけでも相当負荷のかかる生活の筈だというのに、同室での就寝に拘るのは、ファルベには理解できる範疇を超えている。


「そんだけ、俺を相手にするのは余裕だって話なんだろうな……」


 これまで自分の力だと思っていたものがただの思い上がりでしかなかったという事実に歯噛みしたくなる気持ちを抑えて、そう呟く。


 湧き上がる激情を何とか飲み下すことに成功したファルベは、ラウラに言われた通り、床につくことにした。

 ラウラの話したことを鵜呑みにしたわけではないが、しかし彼女を殺すことが出来ないというのが事実である以上、夜遅くまで起きている必要はない。

 無理なものは無理と割り切って、後日また殺しに行けばいい。それまでは、せいぜい余裕ぶっていればいい。


 そう心に決めて、ファルベは眠りに落ちる。



 *



 翌朝。ファルベが起きると、隣には真新しい布団が敷かれていた。だが、そこに人影はなく、その布団で寝ていた人物はもう既に起きているのだろうと察せられる。

 周囲を見回して、部屋の隅にボロボロになった布団が綺麗に畳まれて置いてある。


 ファルベは布団を畳まず、無造作に取り払って起き上がる。起きてからすぐに行動できるのがファルベの特技だ。そのおかげもあって、二度寝せずに朝早くから活動を開始できる。

 だが、そんなファルベより早く起きているラウラは一体何時に起きているのか。そんな疑問が一瞬だけ頭をよぎるが、無駄な思考だと一蹴する。


 廊下に出て、玄関に向かって歩く。ファルベの記憶能力は人並み以上に高いので、一度歩いた道のりはおおよそ覚えられる。だから、慣れていない家でもスムーズに玄関に向かうことができる。


 そうして外に出ようと一直線に向かう途中で、


「朝起きたら、朝ごはんを食べるもんじゃないのかね。こんな朝早い時間にはどこの店も開いちゃいないよ」


「……いらない。そもそも僕はそんなこと頼んでない。お前が勝手に作ってるだけだろ」


「いつまでそんな意地を張るつもりだい? 反抗期の子供じゃあるまいし……いや、あんたはそのぐらいの歳か。気持ちは分かるけど、食べなきゃあんたは生きていけないし、金も持ってないんだろう? なら、他人の好意は素直に受け取っとく方がいいと、アタシはそう思うけどね」


 ファルベに意地を張っているという自覚はない。本当にラウラの好意を受け入れる必要はないと思っている。

 それが子供らしい反骨心であるということに、気づきもせずに。


「お前に言われたのは、家まで付いてこいってことまでで、それ以外は何も言われていないだろ。だからわざわざあんたの作った料理なんか食べなくてもいいし、それに毒が盛られている可能性だってあるわけで、そんな危険性を犯す必要はな――」


 そうやって、料理を食べないように色々な言い訳を並べ立てる最中に――くぅ、という小さな音が、ファルベの腹部から発せられた。

 それが空の胃袋からの警告であることに気づいた二人は思わず見合わせて、


「腹、減ってるんじゃないのかい?」


「……減ってない」


「あんたの身体は、そう言ってないみたいだけどね」


 その小さな音を聞き逃さなかったラウラが、口角を上げながら、ファルベに言う。ラウラの反応が、この空間の気まずい空気を加速させている気がする。

 外にも出れず、ここまで否定すると朝ごはんを共にする訳にもいかず、もはや何が正解なのか分からない状況で、ファルベはジッとラウラを睨みつけている。


 朝ごはんを食べるか食べないかを題目にした押し問答とは思えないほど緊迫した空間の中で、ラウラは一つ大きなため息を吐くと、


「仕方ないねえ……」


 呆れたような表情でファルベの元に歩み寄ると、ファルベの腰あたりに腕を回して、小柄な身体を軽く持ち上げ、肩で背負うとラウラは出てきた部屋に戻っていく。


「なっ……ッ!」


「あんたは無理やり連れて行かれて、無理やり朝飯を食べさせられた。そこにあんたの意思は介在していない……それでいいだろう?」


 ラウラはそれだけ言って、有無を言わさず歩を進める。ファルベは俵でも担ぐような姿勢で運ばれる。それに抗おうとしばらく手足をバタバタと動かしていたが、ラウラの腕にかかる力が微塵も緩むことはなく、それがこれ以上の抵抗が全くの無意味であることを示していた。


 されるがまま、ファルベは連れられて広い部屋に入る。そこに入るや否や、ラウラはドサリとファルベを下ろすと、


「さ、冷めない内にさっさと食べときな」


 木製のテーブルに向かい合うように設置された二つの椅子。その片方に腰掛けて、箸を手に取る。机の上には幾つかの食器が並べられていた。柄が多いわけではないが、細かな場所に花や人物のような絵柄がある。中にはキャラクターもののような柄の入った食器もあった。それはラウラのような男勝りな女性の持ち物にしては意外で、内心少し驚く。


 意外ついでに言うなら、料理もそうだ。皿の上には色とりどりな料理が並んでいて、栄養バランスなんかも考えられて作られていそうだ。ラウラなら大皿一品の大胆な料理、なんて失礼にも程がある予想があったので、それも驚く要素の一つだ。


 そんな考えを巡らせながらも、ファルベは素直に椅子に座る。無駄な抵抗はするだけ時間を浪費するだけだ。渋々座るファルベは、料理に手をつけるでもなく、ただただ机と向き合っていた。


「……無理やり連れてきてなんだけど、食べるなら食べな。そんなに机に穴が空くぐらい見つめても、料理は無くならないよ」


 箸も持たず、眺めるばかりのファルベに怪訝そうな様子で声をかける。勝手に連れてきて指摘するのはおかしいのだと彼女自身も理解しているみたいだが、それでも一言言いたくなるぐらいにはファルベの様子が不自然だったようだ。


 ファルベはじっと料理を見つめて、


「……どうして、お前はここまでするんだよ。関係ないだろ? 僕が何をしようが、関係ない……筈だろ」


 どうしてそんなに気を使うのか。自分に何かをしようとするのか。ラウラにとってファルベは命を狙う危険人物で、実力差があるにしろ嫌悪するのが当然の反応だ。好意を向けるのは論外としても、こんなに世話を焼くのも普通じゃあり得ない行動だ。


 それなのに、ラウラはどうして、ここまでしようとするのか。


「昨日だってそうだ。別に僕を捕まえなくても、あの瞬間僕に声をかけなくても、お前には何の不利益もなかった筈だ」


 ラウラはあの裏路地で、わざわざファルベを呼び出した。彼女にとってあれはリスクしかない行動だった。結果的にファルベより強かったから何とかなったものの、あの時点では互いの実力差ははっきりしていない。

 特に、「冒険者狩り」なんて悪名高い人間で、殺しの数は五十人に及ぶ。そんな人間に確実に勝てると分かっていたとも思えない。相手がラウラより強かった場合のことを考えなかった訳がない。それなのに、居場所が分かっているような発言でこちらを誘き寄せた。


 そして、案の定殺されそうになったのに、やり返すでもなく、騎士団につき出すでもなく、捕まえて自分の家まで連れてきている。

 ファルベにとってはラウラのその一連の行動が理解できない。


「僕が勝手に何も食わずに外に出て行っても、そのせいでどこかで野垂れ死んだとしても、それがお前に関係あるのかよ! お前にとっちゃ僕はただの殺人者で、なんの関係もない部外者だろ!?」


 ファルベが以前ラウラとどこかで会っていたり、何らかの関係を持っていれば別だが、そんなことはなかった。少なくとも、ファルベの過去にラウラの記憶はない。

 だからこそ、彼女の行動が不可解だった。


「それなのに、どうして僕に構うんだ。何の意味があって、こんなことをするんだよ!」


 人の為に何かをする。誰もができて、誰でも思いつくことではあるが、それは口で言うほど単純なことではない。例えば、今この時みたいに、料理を作るという簡単な行為だってそうだ。

 それをすること自体が難しいのではなくて、それをしようと思えるのが難しいのだ。勿論、そう思える相手が自分に近しい人という前提があれば、その難しさも無視できるだろうが、ラウラとファルベでは当てはまらない。


 それなのに、ラウラは当然のようにファルベを受け入れ、一緒の飯を食べている。

 何の変哲もないそれは、普通の関係じゃないこの場においては異常とも言える光景だった。


「……僕には、訳が分からない。殺そうとしたのに、敵意も向けてこないことも、仕返しをしてこないのも、罵倒してこないのも、理解できない。……それが、本当に気持ち悪い」


 優しさに触れたことのないファルベには、ラウラの行動一つ一つが気持ち悪かった。彼女の考えの一欠片すら理解できなくて、恐怖すら覚えていた。


 素直に自分の気持ちを告白したファルベの言葉を受け止めた上で、ラウラは微笑みを浮かべると、


「何だ、気にしてたのはそんなことだったのかい。じゃ、混乱するあんたの疑問に答えてあげようか。……って行っても、そんな大それたことでもないんだけどね」


 そう言って、ラウラは手にした箸を皿の縁に置いて、


「言っちまえば……今のあんたに必要なものだから、ってところさね」


「今の、僕に……必要……?」


 答えを聞いても、やはり理解不能だった。ラウラの中では何か筋の通った理論があって、それに従ってこう言っているのかもしれないが、ファルベにはその思考が分からない。


 だって、どう考えても不必要だろう。ファルベにとって今必要なのは、こうして彼の身柄を押さえているラウラから逃げ出すための手段で、のんびりと朝食を食べることではない。


 こんな、ごく普通の家庭で起きる、一般的で平凡で、誰にでも起こる常識的な行為なんて――


「こんな、ことなんて……僕は、望んで……」


 ――こんな、普通の人間にとっては当たり前のモノを、望んでいるとラウラは思っているのか。

 誰にとっても当たり前に手に入るモノで、あまりに当たり前だから、皆んなそれが存在するのが普通だと信じ込んでいる――「日常」なんて。



 ――もう二度と手に入らないと手に入らないと思っていた。もう二度と訪れないと思って諦めていた。


 今まで沢山の人間を殺して、拭いきれない罪を背負った自分には、絶対に与えられない筈の、日常。

 朝起きて、誰かと一緒に簡単なご飯を共にして、「おはよう」と笑い合う。そんな平凡な日常。


 ラウラとファルベで、それを完璧に再現できているかはともかくとしても、やっていることは同じと言えるだろう。


 ――ファルベは孤児だ。両親は既におらず、その身柄は孤児院に保護されていた。そこでは、同じような境遇の子供達と、保護者の大人だけだった。だから、ファルベには両親と一緒に食べる「朝ごはん」という文化を人生で一度も経験したことがない。


 だけど、昔、本で読んだことはあった。一ページ毎に家族のような写真が貼り付けてある本。窓から入ってくる朝日と一緒に、家族でご飯を食べている様子が写っていた。

 そして、その本には「いつもの光景」と書かれていたため、それが一般的なのだと認識していた。


 もっとも、幼少期は孤児院にいて、パーティーに拾われてからは「日常」を送れるほどの余裕もなく、道を踏み外してからは当然、そんなことはできなかった。


 だから、ファルベにとっては額面上の存在でしかなかったのだ。憧れて、追い求めても、決して手の届かなかったモノだ。


 それが今、目の前にある。欲しくて欲しくてたまらなかったものが、すぐ傍にある。


「僕、は……こんな、もの……」


 普通を知らなかった。平凡を知らなかった。誰とも同じ気持ちを共有できなかった。世界は自分を見放していて、温かみのない、冷たく苦しいものだった。それがファルベにとっては普通で、常識だった。


 けれど確かに、普通じゃない普通の光景がそこにあった。


「あれ……? どうして……」


 視界が突如としてぼやけだした。視点が定まらなくて、世界が上手く捉えられない。

 その異変に、ファルベは思わず手で目を拭う。だけど、視界の不安定さは収まらず、拭っても拭っても、滲んだそれは治らない。


「何で……」


 分からない。どうしてこんな異変が起こっているのか、分からない。

 拭っている手には、何やら多量の水分が付着しているが、その原因すら、分からない。


 そんな異変に戸惑うファルベをしっかりと見据えたラウラは、


「……ゆっくり食べたらいいさね。アタシは、急かさないからさ」


 優しげに微笑んで、そう言った。



 *



 しばらく経って、朝食を食べ終えたファルベは、何をするでもなく、部屋にいた。どこかに行く気分でもなかったし、用事も特に無い。


 部屋の奥から、食器の片付けを終えたラウラが歩いてくる。


「さ、朝ごはんも食べ終わったことだし、次は外に出かけるよ」


「……は? 急に何だよそれ。そもそも何でまだ僕がお前のやる事に付き合わないと――」


「ああ、もう。面倒くさい御託はいいから、あんたは付いてくればいいさね」


 そう言って、ラウラは有無を言わさぬ圧力を感じさせる言葉を放つ。


 どうせここでいくら断ったところで、ラウラは認めないだろうし、最終的には朝ごはんの時みたいに、無理やり連れて行くから、抵抗するだけ無駄だと思い、彼女に従う。


 憂鬱そうに吐くため息の中に、それ以外の何かも含まれていたのだが、ファルベがそれに気づくことはなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。