81話 「出会いの記憶」
目を開けると、そこは真っ暗な街の中だった。前も後ろも右も左も、全てが闇に包まれている。今自分がいるのは街中とはいえ、裏路地なので人影はほとんどない。
大通りの方面には夜中であっても人が多く行き交っているので、あまり大通りに近づきすぎると自分がこれからやろうとしていることが人々にバレてしまう恐れがある。
息を殺して気配を消す。基本的に冒険者は自分のスキルに自信を持っているため、言い方を変えればスキルに頼り切りになってしまっている。つまり、自分は奇襲されてもスキルで対応できる、どんなことをされたとしても咄嗟に反撃できる。そうやって考えているので、夜更けの裏路地だろうが関係なく平気な顔して歩いている。
――だが、甘い。スキルばかりに頼って五感が鈍った冒険者程度、殺すのは容易だ。
スキルが強い。そんなものは当然分かっている。だが、それと殺しにくさは別だ。何せ、気付かれないように先制攻撃で仕留めきれば、相手がどんなスキルを持っていようが関係ないのだから。
陰に身を潜めて存在感を消す。そして、裏路地を通る誰かを観察する。自分が殺すに相応しい獲物を選別するためだ。
抜き身の長剣を構えて待機する。ここに隠れる少年は鞘を持っていない。どうせ会話もせずに殺しに行くのだから、鞘にしまう必要がないのだ。それに、鞘から抜く際に発生する音を聞かれて獲物に気づかれるかもしれない。そういった理由から、少年は長剣を抜き身のままにしているのだ。
一人、誰かが歩いてくる。長身の女だ。夜の闇の中でギリギリ見えるほど黒に染まった長髪を揺らして歩いている。見たことのない人間だ。この女は果たして冒険者なのだろうか。
いや、違う可能性が高い。少年はとある事情で冒険者を憎んでいる。そのため、この国の冒険者らしき人間はある程度顔を覚えている。それで見覚えがないということは、この女は冒険者ではないのだろう。
――僕は、人殺しを楽しむ変態じゃない。人を貶め、見下す連中を殺し、その名誉を地に落とすことが目的なんだ。
殺しという非合法な行為を行う自分を正当化する魔法の言葉。殺しは仕方なく、なのだとそう思って醜い感情を押し隠す。気付かないようにする。そうでなければ、きっと、壊れてしまうから。
構えた剣を下ろし、踏み込んだ足を止める。冒険者と関係のない人間まで殺す必要はない。殺意を収め、昂った心を鎮める。
このまま静かにしていれば、女もこちらに気づくことなく通り過ぎるだろう。そう、思っていたが、
「……わざわざアタシがこんなに隙を見せてやってんのに襲いかかって来ないんだねえ。今巷を騒がせている『冒険者狩り』さんは案外臆病な奴さね」
その言葉で、少年は驚愕に目を見開いた。何故自分がここにいるとバレたのか、理解できなかった。少年は全身を黒い色で染めることで、暗闇の中に溶け込んでいるのだ。更に、物陰に身体を隠しているので、本来なら見つかることはありえない筈なのだが。
いや、考えるべきはそれじゃない。今考えなくてはいけないことはこれからどうするか、だ。この女は自分の素性も居場所も、これからしようとしていることもバレているのなら、
「消すしかない……」
良い言い方をすれば即断即決。悪く言えば、短絡的思考で、少年は判断を下す。長剣を持ち直し、走り出そうと一歩踏み込む。
裏路地に立つ女は動かない。こちらが何をしようとしているのかも分かっている筈なのに、一切動く気配がない。今更恐怖で足が動かないというわけでもないだろう。だって、もしそうだとするなら、そもそも標的にされるような迂闊な発言をしないだろう。
何か狙いがあるのか。だが、それを考えている時間はない。どう理由かは知らないが、女はこちらの居場所を知っている。だから、増援――衛兵か冒険者を呼ばれた場合、不利になるかもしれない。口封じはさっさとしないと、手遅れになってからでは意味がない。
覚悟を決めると少年は女の背後に周り、足音も、気配も消した一撃で気づかれることなく殺す――
「あんた、殺気を出しすぎさね」
一つも動揺していないような声色でそう言うと、後ろを見ることもなく少年の斬撃を躱す。そして少年の手を掴んで、足を払う。少年の腕を女手が押さえているせいで長剣を動かせず、足を払われたことで大きく態勢を崩す。
それがあまりに一瞬だったので、少年は理解が追いつかず、目を白黒させる。
天を仰ぐように倒れた少年はその時初めて、自分を倒した相手の顔を見た。
男勝りな強気の表情を浮かべているというのが分かるが、それ以外に特徴的な部分など、見当たらない。黒い髪に黒い瞳。やけに白い肌も特徴と言えなくもないのかもしれない。
その女は少年を見るなり驚いた表情に変わって、
「……アタシが言い始めたことだけど、本当にアンタがあの『冒険者狩り』なのかい?」
少年は十一歳という幼い人間で、到底数々の冒険者を殺し、この国を脅かす存在だという風には見えなかったのだろう。
「知ら、ないよ……お前たちが『僕』のことをなんて呼んでるかなんて……興味もない」
一度もそんな話を耳にしていない少年からすれば、自分がなんと呼ばれているのかなんて分からない。さっきも「冒険者狩り」と呼ばれていたことから、その言葉の通り、冒険者という職業の人間を狩る――殺す、という認識で、自分のやっていることが周知のものだと判断しただけだ。
それにしても、「冒険者狩り」なんて、安直な名称だ。それを否定できないようなことをしている自覚はあるが。
「ま、アタシを殺そうとしてたのは事実みたいだし、そうしようと思ったのは『冒険者狩り』って単語を聞いたからだろう? 正直、『冒険者狩り』については当てずっぽうだったんだけど、こうして口封じにくるってことは合ってたってことじゃないかい?」
「もしそうだとして、それで……僕をどうするつもりなんだ。このまま騎士に突き出すのか? それとも、冒険者を殺した僕を殺すのか?」
今この場でもどうやって逃げ延びるかを考える少年。話を繋げて、何とか逃げるための隙を探る。
今も女が握っている少年の腕は固定されていて、動かせそうにない。何とかこれを振り解かないと、逃げようとしても逃げられない。
次に、女の格好に注意を向ける。裏路地に来るのは基本的に表通りを歩けない立場の人間か、人目につくと困るような後ろめたいことを隠している人間か、どんな人間に襲われても対処できると考えている考えなしの冒険者か、である。
それら全てに当てはまるのは、何かしら自分の身を守れる、もしくはスキルを使用するための武器や道具を身につけていることだ。それなのに、少年を捕まえている女は、何も身につけていない。武器らしきものも、何か特別な道具も、持っていない。装飾の少ない服装、それ一つだけしか彼女は身につけていなかった。
着の身着のままといった様子の女と比べれば、明らかに得物を持っている少年の方が戦闘では有利だというのに、どうしてか逃げられないように捕まえられているのが少年の方という不可思議な状況である。
女は少年を捕まえている手と逆の手を腰に当てて、考え込むように凛々しい眉を寄せると、
「アタシとしちゃ、そうしても良いんだけど……」
やはり、早く逃げないといけない。このまま捕まったままでは騎士、もしくは衛兵の所へ連行される。それでは駄目だ。殺さなくてはいけない。殺さなきゃいけない。殺してしまわないといけないのに、こんなところで終わるなんてあり得な――
「いや、やっぱりそれはやめておくよ」
「――は?」
少年は予想外の言葉にポカンと口を開ける。さっきはそうしても良いとか言っていたのに、急にどうしてそんな心変わりをしたのか。全くもって理解できなかった。
「アタシにはあんたがどうして冒険者を殺そうとしてるのかは知らない。言いたくないなら聞くようなこともしない。だけどね、何か理由があるんだろう? そうしなきゃいけなかった理由がさ」
女は少年の心を分かったような口を聞く。事情を知らない癖に、知ったような口で少年に同情する。それが、何故か妙に気に入らなくて、
「……憎いからだよ。僕を見下して、見捨てて、自分たちだけ良い気になってる冒険者共が、気に入らないからだよ!」
奴らは思い上がっている。少しばかりスキルに恵まれたから、天から与えられた才能が大きかったから、そうじゃないものを見下して、使い捨てる。
そんなの、不平等じゃないか。どうやっても抗えない生まれ持った才能でこの世界の立場が決まるなんて。
そこに努力した過程も、尽くしたという結果も加味されない。
「そう思わせるだけの出来事があったってことかい。まだ子供だってのに……可哀想なもんだ」
女は少年に視線を向けたまま、そうひとりごちる。そこに何の感情があったのか、少年には理解できなかったけれど、少なくとも彼女は本気でこちらを気遣っていると、何となく察した。
だが、いやだからこそ、少年にはいよいよもって訳が分からなくなってくる。彼女は見たところ少年のように落ちるところまで落ちたようには見えない。なのにどうして、そんなに同情するようなことが言えるのか。
「あんた、アタシについてこないかい?」
「……お前は何を言ってるんだ?」
「そう警戒しなくても、取って食ったりはしないさね。ただ、あんたはまだやり直せるって、そう思っただけさ」
やり直すなんて、そんなこと出来るはずがない。少年は既に戻れないところまで来ている。走って、走り続けて、いつか燃え尽きることが確定している、終わりを定められた運命だ。
そんな人間が、やり直せる筈がない。
「あんた自身はそう思えなくても、『変わりたい』って意思があるなら、どんな人間であれ望むものになれるもんさ」
どうしてそんなに言い切れるのか、理解ができなかった。どうしてそんなに優しく話しかけてくるのか、理解したくなかった。
今の少年にとって誰かの「優しさ」は恐怖でしかなかった。冒険者を殺すと決めた、あの日に「優しさ」に裏切られた少年にとっては。誰かを信用するということは、その誰かに裏切られる可能性を孕むということだ。それが少年には耐えられない。もう二度と、裏切られたくなかった。信用していた誰かから、信用を踏み躙られ、悪意を向けられることに我慢ができなかった。
「さ、選びな。アタシの誘いに乗って付いてくるか、このまま捕まって騎士団に突き出されるか」
ほとんど脅迫にも近い二択の選択肢。これで騎士団に突き出される方を選ぶ人間なんていない。二つに見えて実質的には一つだけだ。
「何で……」
「あんたみたいな子供が荒んでるのを見ると、放って置けないってだけの話さね。それ以上でも、それ以下でもないよ」
嘘は、言っていない。少年は過去の経験上、嘘を極度に警戒している。そのため、誰かが言葉を発する時、その表情や声の出し方、呼吸の仕方を事細かに観察して、嘘を吐いているかどうかをおおよそ判別することができる。
ほとんど勘にも近い判断方法によれば、彼女は嘘を吐いていない筈だ。
嘘がないなら、少年のことを放って置けないという言葉は信用できるのか? その、まるで、母親のような言葉は――
「いいや、違う。そんなこと、ない。……ない、筈だ」
信用なんて、してはいけない。本人に嘘を吐く気が無くても、嘘になることだってある。そう簡単に信用など、してやるか。
「何か言ったかい?」
「……いや、何でもない」
「じゃ、返事を聞かせてくれないかね。あんまり長くここに居て、変な奴に絡まれるのも面倒だしねえ」
頭を掻いて、本当に面倒臭そうに女は言う。
「……僕は、お前を殺すよ。お前はまだ、信用できないから」
「あんたがそうしたいならそうすれば良いさ。アタシの家に来れば、幾らでも殺すチャンスは巡ってくるからさ」
自分が殺されないとでも思っているのか、余裕な態度を崩さない。
――ああ。お前がその気なら、本当にやってやる。一日中だろうが一晩中だろうが四六時中だろうが、関係ない。いつでもどこでも殺せるタイミングがあれば、殺してやる。だから、
「……分かった。お前の提案に乗ってやるよ」
「そうかい。なら、付いてきな」
そう言って、女は裏路地を出ようと歩き出す。少年は一瞬、躊躇いかけたが、決意したことを曲げることはできない。
少年は、訳の分からない殺意を秘めたまま、彼女の背中に付いていく。
「……そういえば、自己紹介がまだだったね。これから、いつまでかは知らないけど、一緒にいる身だ。名前は教えておかないと不便さね」
女は立ち止まって、黒い長髪を揺らしながら振り返ると、
「アタシは、ラウラだ。敬称はなくてもいいさね。それで、あんたの名前は?」
「……………………ファルベだ。あと、僕は人の名前なんて覚えられない。覚える気もない」
「そうかい。ま、気が向いたらでいいさ。アタシとあんたは、長い付き合いになりそうだからね」
そう言って、女――ラウラは再び歩き出す。
これが、「冒険者狩り」の少年――ファルベと、後に師匠となるラウラの、初めての邂逅だった。




