79話 「決戦の前の」
地平線の彼方から、朝日が顔を出す。いつもと同じように、何も変わらず。この日が誰かの終わりを迎えるのだとしても、そんなことは関係がないと言わんばかりに。
「もう、朝か……」
ゆっくりと上体を起こして呟く。昨日は寝るのが遅かってせいで十分な睡眠時間が取れていない。こんな状態では今晩の戦いに支障が出てしまう。
「こういう時……二度寝できる奴が羨ましくなるな……」
木の幹にもたれかかる形で寝ていたファルベは眠気の取れない目を擦りつつ起き上がる。ファルベは一度起きたら、その後にすぐ寝ることができない。
これも名前を覚えられないのと同じように、ファルベの過去に由来するものだ。「冒険者狩り」だった時代では、ファルベは夜でしか暗殺を行えないせいで朝昼のあたりは夜に備えていた。しかし、ファルベは当時国中のお尋ね者だったため、国内で気を抜いて休める場所がなかった。(完全なる自業自得でしかないが)
そのためファルベが就寝するのは国外だった。そこなら誰も知らない穴場で休んだりできた。検問所をスキルを駆使して潜り抜ける技術を手にしたのもその時だ。
だが、国外ということは当然ながら、魔物に襲われる危険があり、ファルベは魔物に対する対抗策を有していなかった。だから、起きていようと寝ていようと魔物が近くに来たら起きたり、一度起きたらその後すぐに寝ないような習性を獲得したのだ。
今ではその感覚も弱くなっているとはいえ、二度寝ができない性分なのは変わらない。特にこの村では安心できないという意識も少なからず影響している。
「というか……そういえば、あの時はどうして、奴に襲われなかったんだ?」
ファルベは国外に拠点を置いていた。もちろん、「冒険者狩り」だった一年半の全てそこにいたわけじゃないし、国外に拠点を置いていた時期もそれほど多くはなかった。殺しを行う直前や直後といったところでは確実に人目を避けられる国外を選んでいただけだ。
だが、その時はファルベはあの魔物に襲われたことは一度もなかった。そもそも、あの魔物について知ったのはここ――カリアナ王国に来てからのことだ。それまでは認知すらしていなかった。だからこそ、ファルベは追放の理由を知らないままでこれまで生きてきたし、逃げ続けていられた。
ならば、どうしてあの時は襲われなかったのに、あれから五年近く経った今はここまで狙われるのか。
しばらく、思考の海に沈んでから、分からないものは分からないと見切りをつける。
ともかく、二度寝することはできず、特にやることもないので適当にこの国を歩いてみるか。
「どうせ俺の命も今日で最後……なんだからな」
どうせ今日終わるはずの命、避けられぬ死の運命が眼前にそびえる、行き詰まりの人間なのだ。残る時間は何も考えず、適当に過ごしすごしてもいいだろう。
ラウラたちのいる村から離れて、遠くに歩く。空にはゆっくりと雲が流れ、青い空に複雑怪奇な模様を作る。
長くたなびく雲は青空の中にまるで迷路のようなものを生み出しており、これは人工的に作られたものなのではないかと疑いたくなる。
こんな誰も気にしないような場所に遊び心を加えてくるこの世界の神様に悪態の一つでも吐きたくなる。こっちの気も知らないで、なんて。いや、それもこの世界に神様なんて存在がいるのであれば、の話だが。
「はぁ……俺らしくもねえこと考えてんな……」
感情を持たない空という概念にすら八つ当たりしようとする自分の浅ましさにため息を吐く。そんな感傷に浸るような人間じゃなかった筈だったのに、今日に限ってこんなことを考えてしまうなんて。……しかし、ファルベにはその理由も分かっていた。
――正直なところ、ファルベには何の考えもなかった。あの魔物と一人で戦いに行くことは絶対に必要であったが、それにあたって、彼は自分が生き残るための手段を思いついていなかった。
つまり、魔物と戦ったとして、勝つための算段が一切なかったのだ。
とはいえ、それも仕方ないと思うしかない。商団を逃すために戦った冒険者たちを助けるためにファルベは一度、あの魔物に攻撃をしている。だが、奴の鎧のような甲殻には擦り傷すら入っていなかった。ファルベ自身が攻撃を強化するようなスキルを持っておらず、所有している得物に依存するという前提を考慮しても、一つも傷が入らないというのはもはやどうしようもない。
今更自分のスキルがどうのこうのと文句を垂れるつもりはないが、手も足も出ないと戦う前から分かりきっているというのは良い気分ではない。
そうやって適当に歩いていると、いつしか日は天高く登りきって、ファルベは国境壁が目前になっていた。
ここまでくるのに何度か冒険者を乗せているらしい馬車とすれ違ったが、怪訝な顔をされるだけで何か特別話しかけられるようなことはなかった。
一応、あの村から出発する直前にもう一度自分にスキルを使っておいたのだ。今日の夜までは騒ぎを起こすようなことをしたくないからだ。その思惑通り、この国に住む人間から不審がられることはなかった。
……だが、そんなことより、今のファルベの思考を埋め尽くすのは、やはりあの魔物に対してどう戦うのか、というところだった。
何か有効な策が思いつくとは到底思えなかったが、何もしないで死を待つより、せめて一矢報いてやろうという気はあった。それが可能であるか、不可能なのかはこの際無視して。
「……どうしたもんかなあ」
そんな呟きは、澄み渡る青空の中に寂しく消えていった。
*
――その頃、ラウラの屋敷では。やたら広い部屋の一角で、一人の女性と、一人の少女が、顔と顔を突き合わせて食事をしていた。
「やっぱり、ルナはししょーをどうにかしてあげたいんです!」
昼食を共にしているラウラに、そう言った。ラウラは口の中で咀嚼していたそれを呑み込みと、正面に座るルナに向かって、
「でも、昨日の夜はこっぴどく突き放されたんだろう? 取り付く島もない……もう、聞く耳も持たないってぐらいに」
ルナは朝起きてから、ラウラに昨晩の出来事を話した。ラウラの作った弁当を持って、ファルベにそれを届けに行った際、自分も一緒に行くと提案した、あの出来事のことを。
結果としては全く認められず、何の意味もなかったのだが、それでもルナは、
「それでも、やっぱり……ルナは、ししょーに死んで欲しくはないんです。まだ、ルナにはししょーが必要なんです」
どうしても、引きたくはなかった。やっぱり、一年程度の付き合いではあっても、ルナとファルベの出会いは印象的だったし、そのことについて感謝もしている。
ファルベがあそこで行動を起こしていなかったら、今のルナはあり得ないし、それはつまり今のルナがこうやってラウラと出会えたのも、普通の友人ができたことも、全てファルベの力によるものだ。
それなのに、一度突き放されただけで引き下がって、みすみす彼の死を見逃したとあっては、悔やんでも悔やみきれない。
「ふぅん。ま、あんたとあいつがどういう関係なのかってのはアタシにゃ関係ないことだけどさ、でも、こうやって一つ屋根の下で過ごしたあんたがそこまで言うんなら、ちょっと手助けしてやるかね」
そう言って、ラウラは食べ終わった食器を持って立ち上がる。それとほとんど同時に、ルナも昼食を平らげていた。偶然……ではないだろう。ラウラがルナの方に食べる速度を合わせていたのだ。
ラウラはそういう小さな気遣いを気付かせないようにごく自然な様子で、
「……ただ、その前に、これを片付けてからにするさね」
ルナの分も含めた分だけ重ねた食器類を手に持って、そう言った。
「そうですね……あ、もちろん、ルナもお手伝いしますよ!」
いつもの如くラウラが食器洗いを行う傍らで、ルナは洗い終わった食器を手拭いで拭き、所定の位置へ片付ける簡単なお仕事だ。ラウラもルナもせいぜいが一週間程度の付き合いだと言うのに、手慣れた様子で片付けていく。
元から多くない食器を全て洗い終わるのもそう長く時間はかからなかった。
「これで全部終わりましたね……それで、その……お手伝いしていただけることって、一体なんでしょうか」
「ま、そんなに急がなくても、ゆっくりと教えてやるさね。あいつがあの魔物と戦いに行くのは今晩だろう? まだ時間はたっぷりあるんだ」
ファルベの危機に対して居ても立っても居られないという風に焦りを見せるルナと対照的に、ラウラは余裕を持って話している。ルナにはラウラのその余裕は到底理解できるものではなく、
「そう断言できる保証なんてどこにもないじゃないですか! ししょーが、早まって今すぐに出発している可能性だって……」
「そりゃないさね。絶対にあり得ない。あいつは自分が話した通り、夜遅くに出発するだろう。これについては断言できることさね」
ラウラには何か確信を持って話しているように感じる。だけど、ルナにはその理由が皆目検討もつかない。何がどうしてそんなにどっしりと構えていられるのか。
「どういうこと、ですか……? 何で、そんなことを……」
混乱する頭をなんとか落ち着かせて、震える舌から、その言葉だけを吐き出す。
「ファルベのやつは言ってなかったかい? 夜は基本的に出国は認められてないんだ」
「それは……言ってました。夜中に出て行って、視界が悪い中で万が一、魔物に襲われたら大変な目に遭うからって、確かに」
そう言えば、確かにファルベは言っていた。だけど、それがどうして彼が夜遅くに出て行くことと繋がるのか。そこの繋がりがまだ分からない以上、ルナとしては納得がいかないのは変わらない。
「絶対に認められていないってほど厳しく規制されてる訳じゃないんだけどね。ともかく、例外はあれど、基本的には夜間の出国ってのは認められていない。それは、民間人も冒険者も等しくね」
国外に蔓延る魔物の軍勢と戦う冒険者ですら、夜には国の外へ出られない――仕事をさせないほどに、警戒しているらしい。
だとするならば、それが彼の行動に関連している証明になるのは、
「つまり、夜は国外に人気がなくなるわけだ。だって、皆が出国を規制されて、外に出られないんだから。その次に考えるべきはあいつの性質だね」
「……性質? ですか」
ファルベだけが持つ、他の人間と違った性質。スキルでもなく、容姿や性格みたいな部分でもない、彼だけの性質。それは、
「もっと言うなら、体質……って言った方が正しいさね。あいつの体質……森に住む魔物にとって排除しないといけない人間と同じ匂い――いや、気配かもしれないけどね。それを纏っていて、国境壁という隔たりがなくなった瞬間に殺しにくるような……そういう体質だ」
そのせいで、この国の入ってくる商団が襲われることになったのだ。ただ、この体質はファルベ自身が何かをしたから獲得したわけじゃなく、過去に繋がりのあった人間の因縁であり、ファルベにとっては巻き込まれ事故のようなものだが。
「ファルベのやつがここから外に出た時点で狙われる。つまりあいつが今すぐにここから出ようとすれば、何も関係ない他の冒険者もあの魔物との戦闘に巻き込まれることになるんだ。だって今の時間帯――昼頃は冒険者にとっても仕事をするのに一番いい頃合いだからね」
それは、ルナにだって想像に難くない。ファルベが異常なほどに恨まれて、この国から出た瞬間に狙われるとするならば、その時外にいる冒険者は戦闘に巻き込まれるということだ。
その冒険者たちが一緒に戦うことで魔物を倒せるならそれでもいいかもしれないが、そもそも五年間もまともに討伐できなかった時点で、この国の冒険者に倒せるだけの実力があるとは思えない。
それにもし、倒せるとしても、全く被害を出さずに討伐できると言えない以上、ファルベがそれを認める筈がない。
「あ、そういうことですか。ししょーは自分が外に出るとあの魔物に襲われると分かっているから、周りに被害が出ないように、誰も外に出ない夜を狙って向かうってことですね」
「そういうことさね。あいつが周囲がどうなっても構わないって考えなら今すぐ追いかけた方がいいかもしれないけど、そんなことはあり得ないからね。じゃあ、あいつはいつ出発するのか。その答えは、一つしかないさね」
「だから、ラウラウさんはそんなに余裕を持っていらっしゃるんですね」
「アタシとしちゃ、そもそもあいつを止める気はなかったってのもあるけどね。一度死んだはずのあいつがなんの因果か生き残ったんだ。その命は、あいつ自身の思う通りに使わせてやりたかったんだ。だから、あいつのことを考えるなら、手を貸してやる必要はないんだけどね」
そう言って、ラウラはルナに向き合うと、
「だがまあ、弟子の弟子――孫弟子のあんたのためだ。アタシももう少しだけ付き合ってやるさ。けどま、その前に」
顔の前で人差し指をピンと立てた。それが教師のようで、ルナはラウラの教え子になったような気分になる。
ルナの魔力を制御する方法を教えてもらったということで、ラウラの教え子と定義しても何ら間違いでは無さそうだが。
「一人、協力者が必要なんだ。手伝ってくれるかどうかは……本人次第だろうけどね」
「それは、誰のことなんですか? ルナもご一緒した方がいいですか?」
「いや、アタシだけで大丈夫さ。あんたはアタシが戻ってくるまで適当に過ごしてればいいよ。でも、あんまり緊張しすぎないようにね。……大丈夫さ。あんたの師匠は、死なせないさ」
「で、でも……ルナも何かしないと……」
嫌な切迫感に追われるルナは何かしていないと落ち着けないようで、話を終わらせようとするラウラに食い下がる。
「そんなに急がなくても、今晩の主役はあんたなんだから、すぐに出番は回ってくるよ。アタシも、もう一人も直接ファルベの奴を手助けすることはできないからね」
世界中の大半が扱える「スキル」を何の理由か使えない人間も存在する。目の前にいるラウラもその一人だ。
ラウラの思惑は分からないが、この中では一番強大な力を持つルナが重要になるのは事実だ。だからこそ、ルナには意気込みすぎていつものパフォーマンスを発揮できないというのを避けるべきだと言いたいのだろう。
それが何となく分かった気がして、ルナは小さく頷くと、
「そう、ですね……。分かりました」
「うん。じゃあ、アタシはちょっと出てくるから、しばらく待つんだよ。ファルベのやつが出ていく前には戻るからさ」
ラウラはルナを安心させるように、頭を軽く撫でると、どこかへ行ってしまった。
その後ルナ以外誰もいなくなった広い部屋の中に残ったものは、
「……ルナが、主役。頑張らないと……」
小さな少女が、己を鼓舞するための呟きだけだった。
*
――やがて日は落ち、約束の時間が訪れる。視界が真っ暗な闇に覆われ、伸ばした手の先すら見えなくなっていた。
ただ、一人の少年を除けば、だが。その少年は息を潜めて、足音を殺して、検問所を潜り抜けていた。検問所には夜番の衛兵が鎮座していたが、彼もまさかここを潜り抜ける者がいるとは思っていなかったのだろう。ほとんど透明と変わらないほどに景色に溶け込んだ少年に気づくことはできなかった。
とはいえ、少年の技術は衛兵の警戒を遥かに凌駕しており、彼が最大限の注意を払っていたとしてもそれに気づくことはできなかっただろうが。
ともかく、そうして検問所を潜り抜けた少年は、煩わしそうにスキルを解くと、
「クッソ……頭が痛え……。スキル使うだけでも、これかよ……」
今でも一切衰える気配のない「呪い」を受けて、その効力に苦悶の声を上げる。スキルを使うには集中しないといけないが、それをすると酷い頭痛が襲うという現状に文句を垂れてもしょうがないし、受け入れるべきことなのも分かっているのだが、それでも言ってしまいたくなるのが人の性というものだ。
平常とは言えない足取りで、遠くに薄っすらと見える森に向かって歩く。少年――ファルベが外に出てきたというのに、あの魔物がいきなり襲いかかってこないというのは、やはり奴も夜行性というわけではないのか。
その願望にも近い予想で、絶望しかない未来の中に少しの希望を見出す。
それが希望とも言えない程度のものであると、薄々感づいていながら。
ゆっくりと、けれど確かに、森に向かって進む。確定した「死」の待つ、その場所に。




