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66話 「無茶の代償」

「見えました! あそこです!」


 馬車の窓から顔を覗かせて、ルナは視界に写るそれを指差す。

 魔物と交戦する複数の冒険者たちだ。それぞれがスキルを使って魔物からの攻撃を凌いでいる。


 だが、


「あいつらも中々いい腕してるけど、撃退までは厳しそうだねえ」


 それは、ルナにも見てとれた。彼らの目的は進行の邪魔をする魔物を討伐、もしくは撃退することだが、現状を見る限り、防戦一方と言ったところだ。

 それでは撃退する以前の話で、無理して攻撃に回ろうとすると、返り討ちにあう危険性がある。


 彼らの冒険者としての実力は申し分ないが、それだけでは敵わない相手だということだ。


「もうこの辺で止めてくれていいさね。これ以上近づくとあんたも巻き込まれるよ」


 ラウラが御者の男性にそう指示すると、馬車が徐々にスピードを落とし、完全に停止したのを確認した後飛び出すように降車する。


 魔物は冒険者を仕留めきれないのがストレスだったのか、ラウラたちのいる方に目を向ける気配は一切ない。


 ラウラはルナに目配せして合図を送ると、


「――ハァッ!」


 ルナが体内に内包する魔力を解き放ち、腕を振るう。無色透明、空気とほぼ変わらない魔力という物質を狙い通りに放つのは難易度が高いが、魔物が巨体なことも相まって、適当に打ってもちゃんと当たってくれた。


 後ろから強烈な一撃を受けてよろめいた魔物が、ルナに目を向ける。

 その隙を逃さず、冒険者たちが一斉に畳み掛ける。


「――!」


 四方八方からの攻撃をまともにくらい、大きな叫び声を上げる。

 打ち込まれた攻撃の数々はその威力から地面ごと吹き飛ばし、土煙を巻き上げる。


 風向きが変わって、ルナやラウラたちがいる方向に土煙が流れ、視界を埋め尽くす。腕で目を隠し、舞い上がる砂を振り払う。

 すぐ近くも見えない程の煙の中、誰かが言った。


「――やったか!?」


 恐らくは、冒険者たちの誰かだろう。先程の一斉攻撃で少なからず攻撃は通った筈だ。だから、その勢いで、魔物の命を絶てずとも、大きなダメージを期待するのも無理はない。

 確かに、手応えはあったような気がする。少なくとも、あの鋼鉄をも超える甲殻に傷をつけることはできた筈だ――


「――!」


 その瞬間、再びの叫び声。耳障りとすら思える大音響が、鼓膜を激しく震わせる。空気にも振動が伝わって、立ち上る土煙が一気に彼方へ流れ去る。


 晴れた視界に写るそれは、


「やってない……みたいだね」


 傷一つない甲殻を煌かせて、その場に佇んでいた。ヒビが入っている訳でもなく、擦り傷すら付いていないのは予想外だった。


 それはラウラもなのだろう。平常心を保つよう努めているようだが、その表情には驚愕の色が浮かんでいる。


「あいつ、五年前より遥かに強くなってないか……?」


 恐らく本人ですら気づいていないような小さな声で呟いた。


 ルナもラウラも人伝でしかこの魔物の性質を知らなかったが、五年前は「下級」の冒険者パーティーが致命傷を与えられる程度の身体だった筈だ。だからこそ、かつてファルベのいたパーティーが中級に昇格できたのだ。


 けれど、今回は致命傷なんて与えられなかった。それどころか、ただ相手をのけぞらせただけだ。

 殺意に満ちた赤い瞳は今も変わらず血の色で染めながら、こちらを睨みつけている。


 ひりつく空気が漂う均衡状態は、数秒しか続かなかった。


「――ぁ?」


 弾かれるように飛び出した魔物は一瞬にして距離を詰める。

 そして、近づかれたのを認識したときには魔物はその剛腕を振り上げていた。


 この時動けたのは、ラウラ一人だけだった。今までとは比べ物にならないくらいの、異常なまでの速さだった。


 真っ先に狙われたのは、ファルベを助けた冒険者の男だった。魔物の致死の拳が彼を頭から叩き潰そうとしている。


 全員が、魔物の動きに対応しきれず、固まって動けなかった。その中でも唯一反応できたラウラはいかんせん、彼と距離がありすぎた。

 何かスキルがあれば、それを利用することもできただろう。しかし、ラウラは完全な「無能力者」である。

 スキルなんて持ってない。他人より少しだけ感が鋭いだけの、ただの人間だ。


 そんな彼女が、化け物じみた――いいや、化け物そのものの動きをする魔物のスピードに追いつけるはずもない。


 振り下ろされる腕が、一人の冒険者を叩き潰す――


 ガキィン、と金属と金属が打ち合うような音を響かせて割り込む存在がなければ、そうなっていただろう。


 それは、拳を側面から叩き斬る長剣だった。使い古された、無骨な剣。

 それは、ルナにとっては見慣れた得物であり、


「ししょー!」


「はああああッ――!」


 大きく掛け声を上げて、拳の軌道をずらす。ファルベは実践経験自体は豊富とはいえ、技術だけでは単純な暴力を防げない。だから、軌道を逸らすことにだけ全霊を注ぐのだ。


 火花が飛び散る。音は絶え間なく響き渡り、ついにファルベは、狙い通り拳の軌道をずらすことに成功する。


 冒険者の身体のすぐ横を通り過ぎた拳は地面を深くまで貫いた。自ら埋める形になった魔物はそれを引っ張り出そうとこちらから注意を背けている。


「逃げろ!」


 ファルベがそう叫ぶと、他の人間たちが、まるで止まっていた時間が動き出したように、一斉に行動を始めた。


 埋まった拳を引き抜こうとしている魔物の横をなんとか商団の馬車が通過し、カリアナ王国まで迎えるようになった。


 そして、冒険者たちはこの隙に攻撃を当てても意味がないと判断し、馬車がカリアナ王国まで行く道中の補助にあたった。


 商団は、命の危険を感じたからか、今までのスピードとはかけ離れた速さで王国までの道を駆け抜ける。馬に相当な負担がかかっているが、それもお構いなしと言った様子だ。


 その馬車の中に、冒険者たちも、ラウラやルナも乗り込む。魔物は走り抜ける馬車を睨みつけながら、これ以上追っても追いつけないと悟ってか、森の方へ帰っていった。



 *



 検問を通り抜け、商団の馬車の中。ファルベは安堵から、大きくため息を吐いた。その瞬間、声も上げられないほどの痛覚が全身を駆け巡った。


 苦しい。苦しい。苦しい。息を吸うのが苦しい。息を吐くのが苦しい。空気に触れるのが痛い。誰かに声をかけられるのが、苦しい。目を開けているだけで痛い。誰かに触られるのが痛い。馬車の振動が痛い。ただ、そこに存在するだけで、苦しい。苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい――――


 あまりの激痛に、その場でのたうち回る。どうしようもない痛みが、発散しようもない苦しみが、ファルベを本能的にそうさせる。


 原因はさっきの魔物の攻撃を防いだことだろう。あの瞬間は、ファルベは使命感のようなものに駆られて、痛みも、苦しみも無視して行動した。

 というか、その瞬間だけは、何も感じなかった。怖いとも、恐ろしいとも、感じなかった。


 そして、国境壁を超えて安心した途端、痛みが一気にやってきた。否、戻ってきた、と言うべきか。


 無視していたそれが、今になってぶり返して、ファルベを苦しめる。


 意識が朦朧としてきた。あまりの痛みに発狂しそうなのを脳が防ごうとしているのか。視界がだんだんと暗くなっていって、意識が薄れて、


「ししょー!死なないでください、ししょー!ルナと一緒に……」


 誰かのそんな声を最後まで聞き届けることなく――意識が途切れた。



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