65話 「痛みの中で」
――どうしてこんなことになるのか。国から外に出ると、視界に連なって走る馬車の集団がこちらに向かってくるし、国境壁から出る時に検問所の男から色々詮索されかけるし、それに、そもそも、
「なんで毎度毎度俺が外に出た途端に襲いかかってくるんだよ! お前みたいな奴に付き纏われたって嬉しくもなんともねえ、迷惑なだけだっての!」
目の前に現れた巨大な魔物に向かって、ファルベはそう叫んだ。最初にこの国に立ち寄った時もそうだし、今回もそうだ。ファルベが壁を越えるなり待ち構えていたかのように森から飛び出し、眼前に迫ってくる。
一体ファルベが何をしたというのか。こんなこと考えたくもないが、奴が恨みを持っていた冒険者たちはもういない。つまりはファルベという個人を狙う理由がない筈なのだ。
一応、彼らのパーティーと関わりを持っていたが、それももう五年も前の話。それに、彼らが初めてこの魔物と対峙した当時、ファルベはその場にいなかった。
だから、ファルベを認識していたとも思えないし、彼らとの関係性を見抜かれる要素など、ない――
「――もしかして、『匂い』……なのか……?」
あり得ないとしか思えない可能性が頭によぎる。魔物は人より優れた五感で獲物である人間の居場所を特定する。
その上、人にはいくら時間が経っても消えないその人物特有の匂いというものがある。何年もパーティーとして行動して、その過程で付くものだってあっただろう。それを嗅ぎ分けて狙ってきているとするのなら、絶対にないとは言い切れない。
魔物に人間の常識なんて通用しない。非常識な察知能力も、非科学的な感知能力も、非論理的な探知能力もあり得るのだ。
そんな連中だからこそ、ファルベに残る匂い――いわば「残り香」と呼べるものを感じたと言われても不思議ではない。
「それか、普通にあいつらと同じような気配を感じたってだけかもしれねえけどな……」
魔物には第六感があるという学説も提唱されている。実態のない人間の気配という曖昧な概念を本能的に感じ取れる能力、それが第六感である。
人間でもスキルで似たようなことを実現できるが、魔物はほぼ全てにおいてそれを持っていると言われている。
もちろん、個体差によってその感覚の鋭さは違いがあるが、おおよそ個人を識別する分には支障がない。
これは全国共通の認識だし、それを証明するような事象も多々起きている。
「ま、そんなことどっちでもいいか……それより――」
次の瞬間、ファルベは身を翻して飛び退る。その後一秒も満たない内に凶悪な爪が地面に大穴を開ける。
あと少しでも遅れていれば、全身が穴だらけの肉塊へ様変わりするところだった。以前までならもっと余裕を持って回避することもできただろうし、反撃する隙間を探っていただろう。
だが、
「くっ……ぅあ……」
地面に着地した途端、凄まじい頭痛に苛まれる。接地した足の裏にも想像を絶するほどの痛みが走る。
ファルベにかけられた「呪い」の効果だ。全身を蝕むそれは未だ一向に治る気配も見せず、むしろどんどん酷くなっているような気さえする。
立っているだけで全身を金槌で殴打されているような感覚。そのせいで行動に制限がかかっている。魔物の攻撃自体の素早さもあるが、それ以上にこの痛覚の影響が強い。
先程の回避がギリギリだったのもそのためだ。
「――ッ!」
痛みでふらつくファルベを魔物は逃さず追撃してくる。大きく開いた口腔から見える大人の腕ほどありそうな牙がファルベに襲いかかる。それを避けようと大きく横に跳ぶ。だが、たなびく服の裾が魔物の攻撃範囲から逃れられず、ぞんざいに食い破られる。
若干肉体にも掠っていたのか、薄い線状の傷から血が溢れ出す。それだけなら気にも留めないのだが、呪いの効果も相まって、擦り傷が致命傷にも似た激痛へと変貌する。
叫びそうになっているところを歯を食いしばって耐える。歯茎から血が出そうなほど強く。そして次の攻撃に備える。
避けてばかりではどうしようもないと分かっていても、攻め手に欠ける現状、仕方がないと割り切るしかない。
次々に迫り来る暴力をやや大袈裟とも言える動きで回避していく。それでもギリギリでの回避しかできず、ほとんど綱渡りに近いのは変わらないが。
魔物が一つ行動を起こすたびに大穴を開けるので、地面がもはや原型を留めていない。
もう何度目かも分からない攻撃がファルベに襲いかかって、避けようと踏み込んだ足が、脆くなった地面によって滑り、態勢が崩れる。
「しまっ――!」
た、と言葉が最後まで続くことなく、魔物の非情な攻撃がファルベの目の前まで迫ってきて――
「――!」
直後、魔物の側面に大砲の弾のような巨大な球形の物質が直撃する。相応に大きい音量と魔物の叫び声が混ざる。
「少年、大丈夫か? ……この魔物は、聞いたことがあるが、まさかこんなところで出会うとはな」
ファルベを抱え上げてそう呟くのは三十代の大柄な男だ。筋肉質で硬く太い腕がファルベの身体を支えている。
「あ、あんたは……」
「カリアナ王国に入る商団の用心棒として雇われた、冒険者さ。そんなことより、少年。怪我はないか?」
男は野太い声でファルベに声をかける。自分の倍近く年齢差があるだろう人間からの言葉は、少しだけファルベ心に余裕をもたらしたのか、ファルベはゆっくりと頷く。
それを受けた男は一瞬微笑みを浮かべるが、すぐに引き締まった表情に戻り、
「……なんて、かっこ良くは言ったものの、俺一人じゃどうしようもないな。さっきは不意打ちだったからなんとか助けられたが、次は恐らく」
その続きは言われなくても分かった。あれだけの攻撃でも態勢を多少崩させただけで、その鎧のような甲殻には傷一つ入っていない。むしろ怒りを増幅させただけのようだ。
男は巨大な球体に触れるとそれは一気に萎んでいき、人差し指と親指でつまめる程度の大きさになった。
先程の大きさを持ち運んでいるとは思えないため、小さくなったこの状態が本来の姿なのだろう。そこから推察するにこの男のスキルは、
「――『巨大化』ってところか」
「おっ、察しがいいね。……って、そんなことより、あいつ、どうしたもんかな」
魔物は相変わらず殺気を放ってこちらに襲い掛かろうとしている。
男はそこから警戒を切らさないように見据えながら、
「でも、俺も一人で来たわけじゃないからな」
そして、男の両脇に二人の男女が現れる。細めで何を考えているのかよく分からない男性と、すらりとした綺麗なスタイルの女性。
この二人もファルベを抱えている男と同じく冒険者なのだろう。商団というほどだ、用心棒も一人では務まらないわけだ。
「少年は商団の方に避難させるから、君達で足止めをしておいてくれ」
テキパキと指示を出し、男女はそれに同意する。そして、男と二人は行動を開始する。
「ちょっとだけこの子を預かっておいてくれ」
商団の中心人物らしき人間にそう言い残し、ファルベの身柄を預ける。
それを見届ける前に男は既に戦いを始めた二人に合流するために駆け出す。
遠くで戦う彼らの様子を眺めながら、ファルベは何もできない無力感を噛み締める。元よりファルベには魔物と戦う力はない。いや、全くないわけではないが、彼の攻撃力は持っている得物に依存するので、刃物が通らない身体を持つ魔物が相手の場合、どうしようもないのだ。
だからあのまま残っていても何かできるわけではないと分かっていても、悔しい気持ちがなくなるわけではない。
しばらく、傍観に徹していたファルベだったが、そのおかげで周囲を見る余裕ができ、この場に近づいてくるその存在に気づいた。
「あれは、馬車か……?」
カリアナ王国の方向から現れたそれはただの馬車だ。しかし、国境壁からほど近いこの場所で戦いが起こっているのに、向かってきているということは何も防衛手段がない訳ではないのだろう。
ファルベは目を凝らして、馬車を見つめる。大きく開いた目が空気に触れたことで強烈な痛覚を訴えてくるが、必死にそれを無視して見続ける。
そして、見えたものが、
「ルナ……」
ファルベの知る限り一番頼りになる戦力でありながら、人が多いこの状況では一番いてほしくない人物だった。




