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60話 「誰より、大切だったから」

 ――五年前。


 多くの人間が、今日の仕事の話を肴に酒を酌み交わす酒場の中。この場は男も女も関係なく、ただひたすらに騒ぎ、遊び、歌い、楽しむ、そんな空間だった。

 そこは視界を埋め尽くすほどの人間達の熱気で、若干白く見える。


 そんな中で、一人だけ、周囲の賑わいを気にもせず、陰気な雰囲気を醸し出している者がいた。


 その人物は、赤毛を少し伸ばした青年だ。恰幅がいいわけでも、痩せぎすであるともいえない体を、豪勢な装飾の付いた服で覆い隠している。

 普段ならその派手な格好に相応しい堂々とした態度や、誰にでも優しく接する温厚な面を見せているのだが、今日に限ってはそれも見えない。


「はぁ……」


 今日何度吐いたか分からないため息を吐いて、陰気くさい表情がより一層濃くなる。

 そんな彼は近くを通りがかった店員に、「もう一杯」と、酒の追加を要求し、運ばれたそれを一気に飲み干す。


 そして、もう一度ため息を吐く。もう何度繰り返したか分からない、もはやルーティンと言っても過言ではない行動だ。


「よっ! 今日は珍しく酒の進みがいいみたいだねぇ、リーダー」


 赤髪の男――リーダーと呼ばれた青年の方を叩いたのは、彼と同じくらいの年齢の女性だった。

 彼女は、赤髪の男が率いるパーティーの中で、斥候として働く冒険者で、魔物の動向を調査したり、先行して偵察、索敵を行ったりと幅広い仕事をこなす。

 また、彼女は活発な性格であることから、パーティー内のムードメーカーの役割も担っている。


「そうだね……色々なことがありすぎて、どうしたものかと悩んでてね……気づいたら、もうこんなに」


 そう言って、青年が向ける視線の先には空になったグラスが山のように積まれており、明らかに飲み過ぎだというのが分かる。


「まあ、しょうがないよね……ホントに、色々あったし」



 *



 つい数日前、彼らのパーティーは簡単な討伐依頼をこなそうと国境壁から外に出て、いつもの通り安定して狩れる魔物と戦っていた。

 その途中、


『リーダー! 森に近づきすぎ! そこには『奴』がいるんだから、早く戻ってきて!』


 斥候の女性からそう止められた。森はその環境から、元々魔物が巣を作りやすい性質だったのだが、ここに関してはそれ以上に近づいてはならない理由があった。


 そこには、想像を絶するほどの強大な魔物が住み着いている。硬い甲殻で身を包んだ凶暴な化け物。人間程度は一瞬にして葬ることができる凶悪な怪物。


 それを討伐する依頼もギルドには存在するが、挑んだ冒険者が軒並み帰らぬ人となっていることから、誰も受けないのが普通になっている。


 青年は、うっかりその森に近づきそうになってしまったことに気づき、慌てて戻ろうとする。

 その直前、


『――!』


 鼓膜が破れるかと思うほどの大音量が、辺りに響いた。

 それが何かの叫び声だというのに気づいたのは、その音が聞こえてから数秒後のことだった。


『なになに!? 何が起こってるの?」


 その場にいたパーティーメンバーが慌てて周囲に視線を走らせている。ただ、気になるのは、その声の発生源が森の奥からだったこと。


 その違和感のような嫌な予感は、的中することになる。


『――!』


 二度目の、叫び声。それと同時に、


『危ない! 皆、下がれ!』


 リーダーは声を張り上げ、メンバーに号令をかける。それを聞いた各々が素早く臨戦体制を整えながら、言われた通り森から距離を取る。

 そこから大きな足音を立てて出てきたのは、リーダーの背丈をゆうに超える魔物だった。

 誰も近づかず、誰も挑まない、その怪物が今、目の前にいたのだ。


 撤退の命令を出さなければならない。そう判断し、後ろを振り向くと、その行動を予見したかのように魔物が回り込んでくる。


 帰り道を塞がれた形になる一旦森の方まで逃げ込むか、このまま突っ切って逃げ切ることに賭けるか、一瞬で思考を回し、決断する。


『皆、撤退だ! 魔物を振り切って国まで逃げるぞ!」


 森の中に入って、視界を悪くしたり、連携を取りづらくしても意味がない。こちらも隠れられるかもしれないが、そもそも魔物は五感が人間より鋭く、相手の視界から身を隠しただけでは効果はない。

 それに、森は魔物が生息しやすい場所だ。逃げた先で魔物に囲まれないとも限らない。


 だから、見通しのいい平原で、相手の攻撃を掻い潜りながら逃げに徹した方が生存確率は高い……筈だ。


 そうして、彼らはこちらに殺意を浴びせる魔物に向かって、駆け出していった。



 *



「あの時は、もう死んじゃうのか……なんて思ったけど、何とかなって良かったね」


「良かった……か。本当に、良かった、のかな……」


 彼女が励ますように元気に言うが、リーダーの顔色は一向に明るくならない。


 彼らは自分たちの全力を注いで、パーティーの連携を活かした。鍛冶場の馬鹿力とでも言わんばかりの気合いで挑み、その中で数多の偶然が重なったことであの魔物に一矢報いることができた。


 この事態は偶然その場を目撃していた他の冒険者によってギルドに知らされ、彼らのパーティーは一躍注目を浴びることとなった。

 何せ、これまで目立つ活躍がなかった「下級」のパーティーが、中級冒険者ですら何人も返り討ちにされた魔物に、簡単には治らない深傷を負わせたのだから、そうなるのも当然である。


 この事実は、瞬く間に広まり、最終的に国の上層部の耳にまで届くことになった。そして彼らのパーティーの実績が評価され、「中級」のパーティーへと昇格する運びとなった。


 これからはより強い魔物と戦って実績を増やし、パーティーの規模を拡大して、華々しい躍進を遂げる――予定だったのだが、現実はそう甘くなかった。


「まさか……私達が外に出るたびにあの魔物が襲ってくるようになるなんてね……」


 そう、大きな傷を負わせた彼らは魔物から恨みを買い、彼らのパーティーが国境壁から外に出るたびに襲われるようになった。

 外に出るとその匂いを辿ってか、気配を辿ってか平原まで姿を現し、何度も何度も襲われるのだ。周囲に冒険者がいれば、その人間すら巻き込んで。


 パーティーが襲われるようになったことで、流れ弾や、巻き添いを食らって亡くなる冒険者も少なく無く、けれどリーダーはせめて自分たちのパーティーだけでもと生かすようにしてきた。

 自分たちの身を守ることが精一杯で、周りを気にかける余裕なんて、なかったから。


 だけど、そんな状況も続けば悪評が広まる。彼らのパーティーが襲われるだけならまだいいが、それ以外の冒険者の仕事に影響が出るようになったのだ。それを看過できるほど周囲も寛容じゃない。


 元々、棲家に近づかなければ、積極的に襲いかかっては来ない魔物だった。冒険者が自分から突撃しなければ、被害自体も他の魔物に比べて少ない方だったのだ。

 たまたま外に出てきたタイミングで都合悪く、彼らのパーティーが深傷を負わせてしまい、恨みを覚えたことで頻繁に出没することになった。


 巻き添えを食う他の冒険者からすれば、このパーティーが悪い。彼らさえいなければ、と思うのが普通だ。

 実際、ギルドでもそう言う意見は多数見られるようになった。


 だから、彼らが今の状況を変えようと思うのならば、魔物と戦って倒すか、彼らが全滅するかのどちらかしかなかった。

 その決断は、早くしなければならない。いつまで経っても尻込みしたままであれば、被害は増える一方だし、ギルドにも居場所がなくなる。そして何より、仕事ができなければ、パーティーメンバーを食わせてやれなくなる。


 そうやって悩み続けて、こうして酒場で現実逃避するものの、結論は出なかった。


「あの魔物……明らかに傷を負ってからの方が強いよね。多分、私達が戦いに行ったとして、勝てる可能性は……」


「……」


「……ごめん。余計悩ませちゃったね」


 魔物は、傷を負わせてから恨みの力なのか、明らかに動きが変わっている。かつて戦った時より遥かに強くなり、毎回敗走する羽目になっている。


 逃げるだけなら、国境壁さえ超えてしまえばいいが、挑むとなれば恐らく、死ぬ。

 でも、挑まなければ他の冒険者も死ぬ。だから、彼らの選ぶ道はもう一つしかないのだ。


「……」


「……」


 沈痛な空気がその場に流れる。周りは騒ぐのに夢中で、彼らに気づいていない。二人の座る場所だけが孤立しているような感覚だ。まるで、ギルドにおける、今の立場と同じだ。


「……決めたよ。明日、俺たちはあの魔物と戦いに行こう」


 未だ恐怖に震える腕を頑張って抑えながら、リーダーはそう言い切った。


 それから、パーティーメンバーを呼び出して、戦いに行く時間や作戦を伝えた。

 内容はおおよそこうだ。明日の昼ごろ、森の入り口あたりに陣取る。朝は身体をならすための時間に使い、最大のポテンシャルが発揮できるようにだ。

 そして、森の入り口あたりであれば、平原を横断する道路から遠く離れており、他の冒険者への影響も少ないだろう。


 魔物が誘き出されたら、そこで迎え撃つという形だ。


 全員が満足のいくまで作戦をつめて、それから解散となった。

 酒場からパーティーメンバーは出ていき、そこに残ったのは、リーダーだけ。そこで彼は、一つの覚悟を決める。



 *



 酒場は相変わらず騒がしい。いや、夜も更けたことでより一層騒がしくなった気がする。

 現在、リーダーである赤髪の青年は、ある人物を待っていた。


 その人物はそう時間が経たないうちに姿を見せた。それは、見窄らしい格好をし、痩せ細った少年だった。艶やかだった黒髪は今や見る影もない。


 リーダーは、そんな少年の姿を見るたびに心苦しい思いをしていた。

 彼らのパーティーはそれほど資金は多くない。リーダーはある程度舐められないように良い服や装備を身につけているが、それでほとんど金が失われ、残ったものも直接戦闘に関与するメンバーを優先的に使っているので、この少年――雑用係であるファルベには良い物を買ってやれない。


 いつも、苦しかった。孤児院で何もなく、空っぽの生き方をしていた彼の人生を豊かにしてやりたいと、救ってあげたいと思って引き取ったのに、このザマだ。ファルベには恨まれても仕方がないと思っていた。

 満足に食べさせてやれない、自分の無力さで押し潰されそうだった。リーダーは弱さを見せてはいけない。強くなくてはいけない。だから、ファルベは勿論、他のメンバーにも気づかれないように気丈に振る舞っていた。


 だけど、その陰では、自責の念から何度も吐いたし、自傷行為もやっていた。


 しかし、そんな日々もようやくおさらばだ。リーダーは、ファルベの顔をしっかりと見つめて、はっきりと言った。


「ファルベ君。悪いが今日この場を持って僕のパーティーから抜けてくれないか」



 *



「……え?」


 ファルベは、信じられないような顔で、間抜けな声を発した。だけど、それも無理もないことだと思っている。だって、ファルベは何も知らないのだから。


「急で悪いが、君のやってた雑用業務は他の人が引き継ぐからもう君はいなくなっても大丈夫なんだ」


 今日中にこのパーティーから外さなければ、ファルベも明日の突貫に巻き込むことになる。

 それだけはダメだ。これまで散々苦労をかけて、金がないなんて個人的な都合で貧相な格好をさせて、その上命を散らせるなど、絶対にあってはならない。


 全てを説明したいが、それをすると責任感の強い彼のことだ。出来ることが少ないながらに自分たちのすることを手伝おうとするだろう。だから、突き放すしかない。自分たちが恨まれることで、彼の命を助けられるのなら、それでいい。


「いや……そうじゃ、なくって……」


「ん?」


「なんで、そんなことに……? 僕はこれまで……っ!」


 苦しそうに、悲しそうに、ファルベはこちらに何かを訴えかけようとする。

 彼が最後まで言葉を紡がずとも、何が言いたいかは分かる。


 ――分かるさ。何もやってやれない自分たちのために、いつもいつも働いて、働き詰めで、それでもついて来てくれたこと。全部、知ってる。


「君が今まで僕たちに尽くしていたのは知ってるよ。それこそ僕が君を雇った時から」


 出来る限り、冷たい言葉で彼を傷つける。それがちゃんとできているかは分からない。もしかしたら、内に秘める弱さが露呈しているかもしれない。

 だから、


「だけど、君も知っている通り、最近になってようやく僕のパーティーも『中級』になった。それでギルドから雑用を任せられる人材をこっちに回してくれるって言われてね。昔はそれこそ資金がなかったから、孤児を保護するという名目で君をパーティーに入れて雑用係にするしか選択肢がなかったんだけど、今では君と違って、戦闘にも参加できる大人を正規の手段で雇える」


 嘘を、吐いた。ファルベを拾い上げた当時だって、無理をすれば雇うことはできただろう。だけど、彼をパーティーに入れたのは、自分がそうしたかったからだ。

 適当な方便だ。空っぽで、中身がなくて、その場で作り上げた、ただの虚言。


 苦しい。一つ嘘を吐く度に、心が締め付けられていく。


「なら、僕も手伝いますから……っ!戦闘でも、雑用も今まで以上に……」


 戦闘。その単語を聞いた瞬間、足りていなかったのだと悟った。

 冷たく突き放したつもりでも、足りなかった。そこまで食い下がってくるなんて、そこまで一緒にいようとするなんて。


 でも、ダメだ。認めてはいけない。折れてはいけない。パーティーから追い出さなければいけない。

 それが、彼の命を助けることになるから。彼だけは、助けられるから。


 もっと突き放さなくては。彼が自分たちを恨むぐらい、憎むぐらい、きつく言わなければならない。


「君が戦闘で? どうやって?」


 鋭い目で、言葉で、ファルベを問い詰める。ファルベは言葉に詰まって何も言えないようだった。


 それも当然だ。何故なら、自分が言うことは事実なのだから。そして、それはファルベ自身も理解していることだから。


 だから――


「だって君のスキルは――『物体に色を付ける』だけなんだから」


 その言葉を、突きつけた。



 *



 そして、現在。ファルベは、ラウラの話を聞き終わって、しばらく放心したように二の句を告げなかった。


「それが……俺を追放した……本当の理由」


 ようやく絞り出したのは、掠れた、情けない声。それをラウラは肯定して、


「そうさね。あんたは本当に役立たずだったから追い出されたわけじゃない。そうしないとあんたを助けられなかったから、そうするしか、なかったんだよ」


 言葉が出てこない。今までの考えが、意思が、決意が、全て崩れ去っていくような感覚を覚えた。


「でも、どうして……どうして、そこまで……」


「分からないわけないだろう。考えてみて、一番最初に出てくるものが、その答えさ」


 本当は、考えなくても分かっていた。考えるまでも、なかった。


「あいつらは、あんたのことが――」



 *



 日が丁度真上まで登った時間。目の前にある森に向かって立っていた。


 手も足も、小刻みに震える。これから自分たちは挑んで、そして死ぬだろう。今まで何度も戦って、その結論しか出てこなかった。


 ふと、空を見上げる。彼は、僕らを恨んでいるだろうか。自分の台詞は大半が嘘だったけれど、それをどう受け取っただろう。


 もし仮に、あれほど言われても、僕たちのことを恨んでいないのならば、信じているのならば、言わなければいけないことがある。


 ファルベをああやって、追放する形になったのは、そうしなければと思った理由は。


「僕たちは、君のことが――」


 最期の言葉は、雲一つない青空に響いて――消えた。



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