55話 「因縁の相手」
飛びかかってくる怪物に向けて、腕を振るう。ルナはその時、何かを考えていたわけではなかった。ただ、可哀想だと、それ以外には何も。
魔物だって、人を襲うがそれは魔物という生物に生まれ落ちてしまったが故の現象だ。人のように感情を持たず、楽しい、悲しい、虚しい、愛しい、感謝、感激、感動、安心、共感、満足、尊敬、期待、そういったものを一切感じず、生きている。
可哀想な生き物だ、ルナは心からそう思う。誰が、なんの目的で、いや人工的でなく自然の環境が生み出したのかもしれないが、作られた意味さえ誰にも理解されないただ本能のままに行動するそれを可哀想だと言わずして何と言う。
ルナの身体から、魔力が発せられる。それは至近距離まで迫ってきた怪物に直撃し、体勢を崩させる。
勢いよく突っ込んできた怪物は馬車から軌道が逸れて突き刺さるように地面に落ちる。
「制御に……成功した……!」
馬車に影響はない。ルナはこの土壇場で、一発勝負の賭けに勝ったのだ。今日一日練習してもできなかったこと、それを達成したことに喜んでいるのも束の間、
「――!」
怪物は空気を震わせる叫び声を上げ、再び飛び掛からんと足を曲げている。
踏ん張った足が地面に沈み、直後、踏み込んだ箇所が小さな爆発と共に抉られる。踏ん張る地面を失ったことで力が行き場をなくし、怪物の全身が大きく揺れる。再び地に足をつけ、馬車の方向に目を向けたときにはすでに国境壁を超えていた。
怪物は鼻息荒く自分の体勢を崩した相手を睨みつける。
その先にいたのは、ラウラだ。彼女はまだ怪物とルナが対峙する場所まで辿り着いていないが、先ほど怪物の注意を引いた小さな玉――小規模の爆発を起こす道具を放り投げてこちらの手助けをしてくれたようだ。
馬車はすでに国内に入った。これで安全は確保されただろう。
怪物はしばらくこちらを警戒するように唸り声を発していたが、その後興味を失ったのか、森の見える方角に向かって走り去っていった。
「ふぅ、今回はアタシがあんたに教えてやるって話だったのに、助けられちまったね」
怪物が立ち去った後、ラウラがホッとしたような声で言った。ラウラは結構走り回ったり、ルナの手助けをしたりして忙しかったと思うのだが、全く息を切らせていない。
「ルナもラウラさんに助けて頂きましたから、お互い様だと思います。……さっきの怪物も、魔物なんですよね」
ルナが疑問に思っていたことを質問する。ルナは経験上、多様な種類の魔物を見てきたが、あれほど大きい魔物は見たことがなかった。ファルベと出会って以降は、魔物との遭遇より犯罪を犯した冒険者との出会いの方が多かったため、見る機会がそもそも無かった。
「そうさねえ。あれもれっきとした魔物だ。それも、五年前からこの国を困らせてる、迷惑な魔物だよ」
「五年前……」
その数字には聞き覚えがあった。五年前、それはルナの師匠、ファルベが当時所属していたパーティーから籍を外され、今も続く罪を背負うことになった期間だ。
その時からこの国を困らせていたと言うのなら、ファルベも知っているのか。もしかしたら、直接対峙したこともあったのかもしれない。
「そんなに迷惑がかかっているんでしたら、討伐隊か何かが編成されたりとかされなかったんですか?」
「そういう意見もあったんだけどねえ……冒険者もあいつだけを相手するわけじゃあないし、編成しようって動き始めた時期には、冒険者だけを殺す誰かさんが出てきちまったからねえ。そっちに手を回す余裕がなかったのさ。それに、あいつは基本的に攻撃しない限り向こうから攻めてくることはほとんどなかったからさ。放っておいた方が下手に手を出すより被害が少なかったんだ」
「でも、今は襲いかかってきましたよね」
丁度馬車がここを通りがかった時、なんの前触れもなく現れた。こちらから手出ししたわけではないし、ルナはその存在すら知らなかった。
ならどうして襲いかかってきたのか。そんなルナの率直な疑問は、
「そう、だねえ……心当たりはあるけど、こっちの事情だ。あんたは気にしなくてもいいさね」
ポンとルナの頭に手を乗せて、優しく言う。ルナを不安にさせないという気遣いからなのだろうが、正直気になる。知ろうとしなかったファルベの過去と向き合い、彼ことをもっと知ろうと思っているルナにとっては、聞いておきたい話だ。しかし、ラウラはそれ以上話す気がなさそうで、ここから先に踏み込むことは躊躇われた。
「さ、もう時間も遅いし、帰るとするかね」
だから、ラウラのその言葉に頷くことしかできず、彼女の後を追って、国内に入っていった。




