49話 「彼女たちの『嫌な予感』」
その時、イルは言葉では表現できないモヤモヤが心の中に蔓延っているのを感じていた。
ルナを連れていった男、この村でも有名な兄弟の弟だ。口は悪いし態度も良いとは言えないが、その言葉とは裏腹に人の傷に寄り添ったり、悩みを聞いてくれたり、子供達全員の兄貴分といえるような人だ。
兄の方はあまり子供が好きではないみたいだったけれど、それを表に出さないように努めているのはみんな知っている。
だから彼がいつもの恐い顔でルナに用があると言ってきた時も、心配することはないと思っていた。思っていたけど、
「どうして……不安がきえないの……?」
家に帰ってからも、意味のわからない不安は消えなかった。いや、より一層大きくなった。不安に思うことは何もない。何度も何度も自分に言い聞かせていても消えない不安は次第にイルの心に焦りを生み出している。
「大丈夫、すぐに話おわってうちに来てくれる……たぶん」
不安を言葉にすることで安心しようとする。どれだけ考えてもこの不安を消す方法は思いつかなかったから。
自室で毛布にくるまって、安寧の時間を過ごすこと数時間。ルナと一緒にいた時は昼頃だったというのに、とうとう日がくれる時間になってしまった。
家に橙色の光が差し込み、それが子供達が家に帰る時間になったことの合図だった。しかし、そんな時間になっても尚、ルナはこちらに来なかった。一瞬、イルの家に寄らずに帰ったのではないかとも思ったのだが、彼女の性格上何の連絡もなしに帰るとは思えない。
なら、ここに来ないのは何かしら来れない事情があるのかもしれない。その予想が、不安や焦りを助長させ、居ても立っても居られなくなった。
何か危険なことが起きている。漠然としたその考えがイルを駆り立て、そこへ導いていた。
イルが親を説得し、単独でやって来たのはこの村で二番目に立場が高い人物の家。村の人達から「英雄」として讃えられている隻腕の女性の家。
この村の中で一番大きな屋敷に住む、ラウラその人であった。
基本的に、問題解決だけでいうならラウラに頼るのが一番だ。彼女の堂々とした態度と、大人故の余裕を持っているためどんな状況でも冷静に対処できるからだ。
それに、彼女はこの国を脅かした大罪人である「冒険者狩り」を捕らえた実績もある。
だから、イルも真っ先に頼るべきは彼女だと思い、そこへ向かったのだ。
急いで扉をノックし、ラウラが出て来るのを待つ。忙しなく逸る鼓動は止まることを知らず、待っている間も焦る気持ちを表すように足踏みを繰り返していた。
イルのそんな希望を叶えるかのように、そう時間も経たず扉は開かれ、
「どうしたんだい? そんなに焦って」
屋敷の中から男勝りの女性が現れる。夕焼けの色にも負けない鮮烈な赤の髪を揺らして凛々しい立ち姿を見せている。
「えっと……どこから言ったらいいかな……」
イルは慌てながら、最初から少しづつ話し始めた。
*
「まあ、大体の事情は分かったよ。連れてった奴の家の位置も知ってるし、まずはそこへ行ってみるかね」
イルからおおよその出来事を伝えられ、取り敢えずの方針を決めるラウラ。とはいえ、彼女はイルほどの不安を抱いてはいないようだった。
というのも、イルは心に湧いたモヤモヤ、有り体に言ってしまえば、「嫌な予感」という感覚を彼女に話していないからだ。
上手く言葉で表せられないものを下手に伝えようとしても無闇に混乱を与えるだけだから。
「それと、あんたはもう家に帰りな。親御さんを心配させるんじゃないよ。急いだ方が良さそうだから、送っていくことはできないけど、気をつけて帰るんだよ」
イルの頭に手を乗せて、安心させるような笑顔でそう言った。
それからイルも少しだけ笑って、
「うん! ありがとうございます!」
使い慣れていない敬語でお礼を言った後、イルはしっかりとした足取りで帰っていった。
彼女の後ろ姿が夕焼け色に染まる道路を走り、完全に見えなくなるまで見送ってから、
「さて、じゃあ行こうかね」
目的とする人物の家に向かって行った。
*
ラウラがそこに到着した時には、異変など起きていなかった。だが、気になることが全くないというわけでもなく、
「おかしいねえ。普段ならあいつらこの時間帯には帰って来てるはずなんだけど……」
彼らの家には、明かりがついていなかった。加えていうなら、近くによっても物音がほとんど聞こえず、生活感が全く感じられなかった。
一瞬、外出という線が頭によぎったが、それにしてもルナが帰っていないのはおかしい。家におらずどこかで集まっているのなら、小さな集落なのだから目撃証言は出て来るはずで、ここまで来る道中にそれらしき話は聞かなかった。
だから、ここにいるはずなのに家に明かりがついていないところを見ると、イルの言う異変とやらもあながち間違っていないのかもしれない。
ラウラはまず、家の扉を叩いて様子を伺う。すると、そう時間も経たないうちに家主が現れる。出て来たのはルナを連れていった男の兄だった。
「あ? ……なんだ、『英雄』さんじゃねえか」
「その呼び方はむず痒いから、普通に名前呼びでいいさね」
「……チッ、そんなことより、何の用だよ。あんたみたいなやつがこんなところまで来て」
目に見えて不快そうに表情を変える男は、早く帰って欲しそうな雰囲気を醸し出しているが、それに従ってやるわけにもいかない。
「最近この村に来たルナって子がね、アタシの屋敷に泊まってるんだけど、いつも帰って来てる時間に帰ってこないからさ、あの子と最後に会ったあんたらが何か知らないかって思ってね」
「誰がちくりやがったのかは知らねえが、あんたの言う通りだ。あのガキはこの奥にいる」
「そうかい。嘘を吐かずに素直に話してくれたのは嬉しいね。それで、出来るならさっさと返して欲しいもんなんだけど」
「そいつは無理だな。あのガキは『冒険者狩り』の話を誰かとしてやがったらしい。この村でそれがどれだけ忌み嫌われているか、あんたも分かってんだろ? もしかしたら奴と何か関係があるのかもしれない。そんな人間を野放しにはできねえよ」
ラウラは男のその言葉に一瞬だけポーカーフェイスが崩れそうになった。男の言葉が正しければ、ルナはどこかで口を滑らせていたようだ。……滑らせていたようなのだが、
「はあ……やっぱりねぇ……」
一つ、溜め息を吐いて頭に手を当てる。あの時、ルナに『冒険者狩り』という単語を発しないようにと注意した瞬間、彼女の表情が明らかに悪い意味で変化した。それに気づいていたし、言ったのかどうかはともかくとしてそれに近しいことはやらかしているのだと察したのだ。
だから、ラウラは「信じてみる」と言った。ルナの性格人格性質気質を知る意味でも、彼女の言葉をそのまま受け取ってはいたのだが、結果はこの通りである。
とはいえ、嘘をつかれたことに不快感はなかった。ただ、意外だっただけだ。ルナは出会った時から何故か不思議な雰囲気を感じていた。まだ成長途上の子供でありながら、どこか大人びた様子だった気がした。子供らしからぬ敬語の使い方などそれの最たるものだ。
しかし、この嘘はバレたらまずいという後ろめたさと、言わなければ大丈夫だとという子供じみた意地を感じて、むしろ安心感すらあった。
「ただまあ、注意くらいはしてやらないとね」
「は? 何の話だよ」
「何でもないさね。こっちの話だ」
怪訝そうな視線をぶつけてくる男を横目に少し微笑みを浮かべながら、適当に誤魔化す。
「取り敢えず、あんたの言い分は理解したよ。だから、もうちょっとだけルナをそこに置いとくといい。この村の住人はそれくらいしても仕方ない下地ができちまってるからね。ただ――」
そこで、男に鋭く射抜くような視線を向けると、
「――ただ、あの子に手を出したら、この村にいられると思うなよ」
明るいラウラの声から一転して、ドスの効いた低い声が発せられる。
その声に男は萎縮して、
「お、おう。なるべく手荒な真似はしねえ、よ」
「そんな怖がることはないさね。今のはあくまで忠告さ。何も手を出さなければアタシも何もしない。それを知っておいて欲しかっただけだよ」
目の前の男は、この村でも一定以上の信頼を受けていることを知っているし、実際にはそんなことをしないと分かっているから、これ以上は言わなかった。一応、万が一の為の念押しだ。
「ま、アタシからはそれだけさ。ある程度満足したら、家から出してやってくれ。アタシはこの近くで待っておくからさ」
近くの石垣に腰掛けつつ、声をかける。男は納得したように頷いて、
「ああ。分かったよ」
短く言って、家の中へと入っていく。それを見届けて、ラウラは星が光り始めた夜の空を見上げて待ち続けた。
――そして、異変は少し後に起きた。何か異様な力の気配を感じて、ラウラは立ち上がる。この力の発生源は、ルナが閉じ込められている家だ。
一瞬、何かのスキルが使用されたのかと思い、ルナの身を案じて飛び込もうと走り出した瞬間、
「――違う、これは『魔力』か!」
力の正体に感づいた。魔力は本来、空気と同じような状態――そこにあるのが当たり前で、あったところで何かを感じたりはしない、そういうものだ。
だから、これほど圧の感じる魔力は初めてだった。あまりに量が多すぎて、圧力を発生させるほどのものは。
何か嫌な予感がする、と思った直後――
とてつもない轟音とともに建物全体が震え、家が破壊の渦に呑み込まれた。




