45話 「いつもと違う朝」
爽やかな一陣の風が、部屋のカーテンを優しく揺らす。それが幾度となく繰り返され、そのたびに朝日の光が差し込まれてくる。
陽光が閉じたまぶたの隙間から忍び込んで来て覚醒を促していることに気づくと、喪失していた意識が現実へ回帰し、必然的にその感触を得ることになる。
柔らかな掌とそこから伸びる細い指が、少女の小柄な肢体に触れている。少しだけ力を込めて、左右に小刻みに揺らしながら、
「――きな。起きな、もう朝だよ」
呆れたような声をかけてくる。その声色とは反対に慈しむような目線に当てられて、少女――ルナは薄らと目を開ける。
暗く閉ざされた視界が次第に色を取り戻していき、自分を起こしている人物を捉える。
どこかぶっきらぼうで、けれど優しさを内に秘めた声をかける者が、ルナのよく知る人間に見えて――
「し……ししょー……?」
寝ぼけ眼を擦りつつ、言う。背中までかかる炎思わせる真っ赤な髪を持つ女性はルナの言葉に一つため息を吐くと、
「はぁ。あの子とは似ても似つかないはずなんだけどね。寝ぼけるにしても限度ってもんが……まぁいいさね。ほら、大好きな師匠に会いに戻るんだろう?早く起きな」
そこまで言われて、ルナは初めて自分に語りかけてきた人物の素性に辿り着く。
現在、ルナが宿泊しているだだっ広い屋敷の所有者であり、彼女の師匠にあたるファルベを更生させた経歴を持つ女性――ラウラその人だ。
髪と服装で赤を印象付ける隻腕の彼女は、残った左腕で目にかかる程度に伸びた前髪をかきあげると、
「目は覚めたかい? ならさっさと居間に来な。もうご飯はできてるからさ」
男勝りな笑顔を浮かべて、親指を背後に突きつけて言った。
*
朝食は案外素朴なものだった。茶碗に盛られた白米に、野菜の入ったスープ、後は名前のよくわからない魚の丸焼きだ。
アイナハル王国での庶民の食事とさほど変わらず、ルナは文化の違いを感じられないと少しだけ残念に思いつつも、ラウラお手製のご飯を口に運ぶ。
「それで、あんたはいつぐらいに戻るんだい? これ食べてすぐにってわけにはいかないけど、なるべくあんたの希望に沿うように、馬車を手配するからさ」
早く帰りたいというルナの気持ちを汲んだのか、そう提案してくるラウラ。
呆けた顔で口いっぱいに放り込んだ料理をなんとか飲み込み、
「んくっ……そう、ですね。そのことなんですが、もうちょっと、この村に留まらせてもらえたらと思ってます。……あ! もちろんラウラさんがいいのでしたら、ですけど」
「それはいいけどねえ……どうしたんだい?」
用事が終わればすぐにでも帰ろうとしていた先日のルナの態度とは一転し、ここでの暮らしに前向きな様子で、ラウラが小首を傾げる。
「ししょーが案外元気そう……でもないですけど、ルナが急いで戻ったところでなんとかできるような問題じゃなさそうでしたので、もう少しだけここの人たちのことを知りたいと思って。それに……メルトさんと分かり合えるかもしれないですし」
『冒険者狩り』の恨みを秘め続けるメルトと、冒険者狩りを師匠として仰ぐルナ。
決して超えられない壁があり分かり合えないはずの二人ではあるが、この村で一緒に時間を過ごして根気強く話して行くことでその壁を崩していけるのではないか。
そして、その結果がファルベに何らかの良い影響を与えられるのなら万々歳、といったところだ。
「ふぅん、そうかい。これも何かの縁だ。あんたがそう望むんなら気が済むまでここに住むといいよ。どうせ部屋も使いきれてないわけだしねえ」
「ありがとうございます。それと、よろしくお願いします!」
ペコリ、と小さな頭を下げる。直後、テーブルの角に額がぶつかり大きな音を立てる。少しだけ赤くなった額を擦りつつ、「いてて……」と恥ずかしげに頬を染める。
そんな一連の流れを微笑ましく眺めたラウラは、未だ額に手を当てるルナに向かって人差し指を突き立てると、
「喜んでいるところで悪いけど、一つだけ注意しておきな。この屋敷内以外の場所で『冒険者狩り』って単語を無闇に出すんじゃないよ。大体の人間がある程度気持ちを割り切っているとはいえ、あくまでそれはあの子――ファルベがもうこの世にいないと思い込んでいるからだ。悪意を向ける相手がいないから、無理やりにでも気持ちに整理をつけているだけで、あの子が生きているとばれれば、どういう行動にでるか分からない」
ラウラは、「それに」と言葉を付け加えて、
「村社会ってのは恐ろしいもんでね、本当か嘘か分からない噂話ってのはすぐに広まるんだ。そういうのが好きな連中だっているしね。だから、『冒険者狩り』って単語を聞かれたら、それが嘘か本当か確かめずに広められて立場が悪くなる可能性がある。そうなっちまえばアタシでも助けてやれないよ」
ラウラは冒険者狩りを捕らえた英雄と認識されていても、この村の住人に対して絶対的な権力を持っているわけではない。
だから、民衆から非難を浴びるような状況になった時に必ずしも手を差し伸べてくれるとは言えない。
考えてみれば当然のことだ。「冒険者狩り」による被害者の集まったこの場所で、禁句ともいえるその単語を発することの危険性は他の街とは比較にならないということは。
「……何か気になることでもあったのかい?」
ルナの顔を覗き込むように見てくるラウラはどこか心配しているような雰囲気だった。
その理由は、ルナの表情の急変だ。のほほんとした顔から一変して不安を隠せない表情になっており、明らかな異変となって表れている。
ルナがこうして不安げな表情を浮かべるのは、先ほどのラウラの言葉に一つだけ心当たりがあったからだ。
それはつい先日のこと、メルトとの対話を終えてラウラの屋敷へ向かう途中のことだ。
あらかじめ渡されていた遠隔通信用の魔道具を使用してファルベへ連絡をした際、記憶が確かなら屋外でその単語を口にした。
嫌な予感で緩んだ精神が引き締まるのを感じながら、先日の会話を思い出す。
『ししょーが……いいえ、『冒険者狩り』が殺した人の親族が集まってできている村、ということらしいです』
――割りかしガッツリ発言していた。取り繕うことも、言い訳することもできないぐらいに明らかに。
これがもし仮に村の誰かに聞かれでもすれば、と一瞬焦りの色が浮かび始めるが、忙しなく音を立てる心臓を抑えるかのように胸に手をあてて思考を巡らせる。
ルナはこの村における「冒険者狩り」という単語の危うさをある程度予想できていたし、だからこそ人気のない茂みの中へ移動してから連絡したのだ。
そして、ファルベと話しながらも周囲の警戒は怠っていなかった筈だ。
故に、ルナの発言が誰かに聞かれていることは有り得ない……のだが、別にルナはファルベみたく人の気配を感じるような超感覚を持ち合わせていないし、加えて夜の暗闇の中を難なく見渡せるような視覚も持ち合わせていない。
確実に聞かれていないと言い切れる保証はない。このことをラウラに伝えるべきだろうか。
本来ならば、素直に伝えてしまうのが正しいのだろう。だが、
「いえ、なんでもありません」
ルナはその正しい発言をしなかった。できなかったわけではない。しなかったのだ。
何か理由があったわけではない。ただ単に、正直に話してしまうと怒られるという幼稚な危機感と、聞かれていなかっただろうから大丈夫だという楽観的な考えでしかない。
心の奥にチクリとした罪悪感が湧き出てくるのを感じながら、ラウラの返答を待つ。
射抜くように鋭い視線をルナに向け、しばらく訝しむような表情を浮かべてから、
「……まあ、いいさね。あんたを信じてみるよ」
納得していないのが見て取れるが、取り敢えず引き下がってはもらえたようだ。
安心したのをおくびに出さないように努めながら、
「ごちそうさまでした。それから、少しだけお散歩に行ってきますね。なるべく遅くはならないようにしますから」
「他人に迷惑をかけないってんなら、好きなだけ行ったらいいさね。それと、使った食器は置いといてくれたらいいよ」
見送るラウラの言葉に背を押されて、ルナは一礼してから外に出る。
――この時ラウラに伝えなかったことで、後の出来事の引き金になるとは、気づかずに。
更新が遅れてしまって申し訳ありません。これから更新頻度を上げていきますので、これからも引き続き読んでいただければ嬉しいです。




