44話 「やらないといけない事 sideF」
加筆修正しました。(2020.12.11)
目を開けると、白い天井が見える。シミひとつない綺麗なそれは、寝転がっているファルベの視界を埋め尽くしている。
何かをすることができない彼はそうしてベットの上で横たわって、時間の経過を見届けているしかなかった。否、それすらも難しかった。ファルベの肉体に残された「呪い」は回復の兆しが見えず、四六時中彼の全身に痛覚をもたらしていたからだ。
目を開けているだけでも、空気に触れた眼球が痛みを訴えてきて、指ひとつ動かさなくても頭痛と目の前が回るような気持ち悪さが続く。
吐き気を覚え、痛む体に鞭打って上体を起こすと、ファルベの耳にガチャリ、と扉の音が聞こえた。
ノックもしないで入ってくるなんて、ここ――王城内にはあいつぐらいしかいないだろうと考え、
「何だよ、また来たのか。今度は何の用があるんだ?ラル……」
魔物の研究者である彼の名前を呼ぼうとして起き上がると、部屋に入ってきた人物が目に入り、それを認識した瞬間言葉が止まる。
ファルベの目の前にいたのは、彼が予想していた人間とは性別からして全く違う、よく見知った人物だった。
「まさか、お前が来るとは思ってなかったよ――シャルロット」
白い長髪を揺らし、漆黒の双眸でファルベを見つめる、彼女の名前を呼んだ。
*
「しばらくぶり、なんて程でもなかったかな。こんばんは、ファルベ君」
にっこりと微笑んで、こちらに近づいてくるシャルロット。ただ歩いているだけだというのに、彼女はそれだけで華がある。
「どうしたんだ、急にこんなところまで来て。お前の仕事はいいのか?」
「良くはないだろうね。以前キミが見つけたっていう元中級冒険者の罪人と、それをまとめているらしい組織の調査をしているんだけど、これが中々に手こずっていてね。私もこんなことをしていないで戻らないといけないってことは分かっているんだけど」
そして、チラリとファルベを一瞥してから、
「キミの状態を知ってしまったら、そんなことも言っていられない。だから、今回ばかりは私の個人的な感情を優先させてもらったよ」
「……心配かけて悪かった」
「おや、今日はやけに素直だね。いつものようにすげない対応をされると思ってたけれど」
全身を容赦なく貫いていく痛みと苦しみによって普段のように強がる余裕がなくなっているのだと告白するわけにもいかず、気まずそうに口を噤むファルベ。
「ま、それはいいか。ともあれ私はラルフから聞いた情報でここまで飛んできたわけだけれどね。以降、何か改善の兆しらしきものはあったかい?」
「ないな。相変わらず頭痛も吐き気も治まらねえ。ぶっちゃけ、大分参ってるよ」
痛む頭を押さえながら、毒づく。
「そうかい。ラルフからも一応、ある程度聞いていたから、予想通りといえば予想通りなんだけど……そうだね。私の方でも何か治療方法がないか探ってみるよ」
「いや、気持ちは嬉しいけど、それはいらない」
「……どうしてかな? 本来の仕事に加えてキミの『呪い』に関しての調査で、私にかかる負担が大きくなると心配してくれているなら必要ないよ。私はスキルの関係上、多少の無理はなんとかなるからね」
シャルロットは本気で理解ができないと首を振る。彼女の言葉には恩を売ろうだとか、俗物的な考えはない。本気で心配しているが故の提案であり、それを無碍にするのは心苦しい。
しかし、ファルベにも断るだけの理由があった。
「恐らく、俺のコレは治す方法はない。あいつから聞いたけど、呪いの発生源は俺に対する恨みからだ。だから、それがなくなる以外に治る方法なんてない……と、思う」
その恨みがファルベを刺した彼女のものだけなのか、それとも被害者と関係のある人物全てなのか。どれを指しているかは分からないが、彼ら彼女らに赦されることがない限り、ファルベの身体を蝕む呪いは消えないだろう。
証拠はないが、少なくとも「呪い」を治すことができる存在など一度も聞いたことはないし、有ると思って期待を裏切られるより最初からないと思う方がいい。
それに、
「――俺のやらかしたことの結果が今跳ね返ってきてる、要は自業自得って話だってのに、それを何の苦労もなく治そうって考えるのは都合が良すぎるよな」
仮に呪いを消し去ることができる何かを手に入れたとして、ファルベはそれを使用しないだろう。
呪いという「結果」を消すことができたとしても、罪の「過程」は消えない。被害者の遺族はファルベを恨み続けるだろうし、赦されない。
ならば、自身の犯した罪の「過程」を解決することで呪いという「結果」を無くした方がいい。少なくともファルベは後者の方を選択したいと思っている。
それが、ファルベにできる誠意の形だから。
「なんだか私が置いてきぼりにされているような気が……その辺りは詮索しない方が良さそうだね。キミがそうして欲しいなら、キミの選択を優先するよ。私は自分の仕事に専念して、『呪い』に関してはキミに一任する。それでいいかい?」
「ああ。そもそもこれは俺だけの問題だからな。巻き込んでるルナには悪いが――」
そう言って、直後ファルベのズボンのポケットから仄かな青白い光が漏れ出していた。それは遠方との連絡を行う魔道具が通信を開始した合図であり、つまりは、
「……っと、噂をすればってやつだな。ルナから連絡が入ってきた。悪いが、今日はここまでだな。お前の気遣いは本当にありがたかったよ」
「そうかい。私の力が少しでも必要なら、いつでも言ってくれていいよ。調査の合間っていう制限付きで手伝うよ」
最後にそう言って微笑み、「じゃあ、また」とそれだけ言い残して部屋を出て行った。
扉が完全に閉めきられるまで見届けてから、蓋の隙間から光が見える魔道具を取り出す。
「連絡、思ったより早かったな。今、お前はどこにいる?」
こちらへ連絡をよこしてきた相手――ルナに声をかけたのだ。
『カリアナ王国ってところらしいですよ?それより、ルナとしては、そっちの方が気になりますよ。ね、ししょー』
ルナの口から出たその国名には聞き覚えがあった。いや、聞き覚えがあるなんて程度ではない。
忘れられるはずもない、自分の罪が始まった場所の名前だ。
「カリアナ王国……か……」
予想していなかった事態に思わず、自分でも気づかないほど小さな声で呟く。
どうしてルナがそんな場所に連れて行かれたのか。何の目的があってそこを選んだのか。色々と聞き出したいことが頭に浮かぶが、断続的に続く頭痛がその思考を妨げる。
中々話さないファルベを気遣ってか、ルナは先の言葉を補足するように、
『もっと詳しく言うなら、カリアナ王国の中にある辺境の村ですね。ししょーを刺した人――メルトさんという方から連れてこられた場所なんですけど、どうにもししょーと繋がりのある所みたいで』
そこまで言われて、ファルベは遅まきながら、ある事実に気づく。
それはルナが、ファルベの過去を、罪の記憶を知ってしまったのだと。
動揺する頭に追い討ちをかけるようにルナが続けて、
『ししょーが……いいえ、『冒険者狩り』が殺した人の親族が集まってできている村、ということらしいです』
それが耳に入った瞬間、ファルベの思考は一瞬、完全に停止した。
――「冒険者狩り」の被害者が集まった村。そんな存在はこれまで聞いたこともなかった。この国で新たに活動し始めてから、カリアナ王国に戻ったことがなかったため、知らないのも当然ではあるが。
ただ、ルナの言葉でなんとなく、察するものもあった。どうしてルナがそこへ連れて行かれたのか。どうしてそこでなければいけなかったのか。
その推論に確信を得るために、確認しないといけないことは――
「ルナは……お前は、どこまで聞いた?」
『恐らく、ししょーが話したがらなかったことのほとんど……だと思います』
ルナから帰ってきたのは、予想通りの答えだった。
つまりは、ルナを連れ去った女性の狙いは、ファルベからルナを引き離すことだったのだろう。
ルナはファルベとほとんど一緒に行動している。それをファルベに恨みを持つものが見たら、非人道的な殺人鬼と無垢な少女が共に歩いている光景にしか見えない。
だから、刃物をファルベに突き刺しルナを物理的に引き離した後、ファルベの過去を知っているカリアナ王国で信用ならない人間だと訴え、精神的にも引き離そうとしたのだろう。
バラバラだった点に一つの線が引かれて、繋がりを得た時、ファルベの動揺も少しづつなりを潜めて行き、落ち着きを取り戻していく。
『ししょーに内緒で詮索するような真似したことは、悪いと思っています。でも――』
だから、後ろめたさを感じさせるルナの言葉を聞いても、
「なんか勘違いしてるみたいだけどな。別に、俺の過去を知ろうとしたことを悪く思う必要はねえよ。それに、どんだけ隠したところで、いずれはバレるだろうって思ってたからな」
ルナに気を使わせまいと、いつも通りの態度を装うことができた。
ぶっきらぼうで、口が悪い。かつて追放された時の自分とは正反対の姿。
今も大概ではあるが、今以上に弱かったあの頃の自分を忌避して、無意識的に作り出したもう一つの自分だ。
「それよりルナは、俺の過去を知ってどう思ったんだ。軽蔑したか? いや、するよな。何せ一年半で五十人殺した犯罪者だ。この世で一番のクズだ。軽蔑されて当然の人間なんだよ。だから、ルナも――」
けれど、こうして自分の罪を語ると、隠している弱さが、心の奥底にしまった臆病さが溢れ出てくるのを感じる。
少しだけ声が震え、それが情けなくて嫌になってくる。
どこまでも弱くて、せめてルナの前ではその弱さを隠し強くあろうと口調を変えて、けれどその虚勢もこれほど簡単に剥がれ落ちて。
薄っぺらい嘘で塗り固められた作り物の人格を信じて付いてきた彼女は、きっと自分のことを見放すだろう。
ルナを連れ出した時の言葉だって、その場しのぎの言い訳じみた単語の羅列だった。
ただ、彼女がその言葉を望んでいたから。ただ、そう言ってくれる人が来て欲しいと望んでいたから。それだけのことだ。
だから、今まで隠していた自分の弱さを知られてしまった時、見限られるのが当然の対応なのだ。そうならないとおかしい筈なのだ。
おかしい筈、だというのに――
『――信じてますよ、ルナは。ルナを連れ出してくれたあの日にかけてくれた言葉も、これまで見てきたししょーの姿も。それに、ルナはししょーの過去の姿を直接見たことはありませんし、ルナがついていきたいと思ったのは、『ししょー』であって、『冒険者狩り』ではないですから』
通信器の向こうから聞こえてきたルナの言葉は想像とかけ離れたものだった。
こちらに気を遣って言っているような感じはない。恐らく、本気で心の底から思ったことを伝えてきているのだ。
ファルベという弱さにまみれた人間より、全てにおいて優っている少女は、それでも信用してくれている。
それがあまりに意外で驚くべき事柄ではあるのだが、それ以上にファルベは――
――そうまで言われても何も感じていない自分の心境に、驚いていた。
いよいよもって本当に、自分の心が理解できなくなってくる。
本来なら嬉しいという感情が生じてきて然るべきだというのに、己の空虚な心が満たされることはない。
人間性を捨てたつもりはないし、感情が他人に比べて特別希薄なわけでもない。ならば、どうして自分は一切の感動もないのか。
『だから、信じています。きっと、今の仕事も最後には色んな人のためになるんですよね』
ルナが、再び優しい声色で語りかけてくる。
彼女の言葉は間違っていない。ファルベの目標が達せられるのであれば、それは人どころかこの世界全てのためになると言っても過言ではない。
「……なるよ。それがいつになるかは、分からないけど。アレさえ防げたら……きっと……」
『アレ?』
「――」
流れるように返してきたルナの言葉に、思わず返答しようと口を開いて、直後その異変に気づく。
伝えるべき言葉が、出てこないのだ。
元から無闇に話してはいけない類のものではあったが、ルナに話すだけで、それもちゃんと口止めするよう言っておけば問題はない。
ない、がしかし。それでも言葉が出てこない。まるで無意識と意識が乖離しているかのように。
急に押し黙ったファルベに、何かまずいものを感じ取ったのか、
『すみません、つい。……ルナからの報告は異常です。ししょーからほかに連絡することはありますか?』
ルナが、分かりやすく話題を変えようとする。
「俺からは……ないな」
『でしたら、ここまでですね。通信を切りますよ』
本当に、今日はルナに気を使わせてばっかりだった。
話さないといけないことを話してやれず、隠していた弱さを受け入れてくれても、それに一抹の感慨すら抱けず、どこまでも情けない自分が、それでも唯一言えることがあるとするならば、それは――
「――ごめんな」
小さく、そう呟くだけだった。聞こえたかどうかは分からない。
直後、通信器の淡い光が消えて、ルナの姿を写していた水晶は、透き通ったその表面にファルベの鏡像だけを残していた。
*
ルナとの対話を終えて、しばらくベットに起き上がった体勢のまま、ファルベは考え事をしていた。
それは、彼女との会話の際に感じた心の異常のことだ。あれほどの言葉を投げかけられて一切心が動かないなんて明らかにおかしい。
それも、一年ほど行動を共にした間柄であるにも関わらず、だ。
小一時間程度考えたが、明確な答えは思い浮かばないかった。とはいえ、全く心当たりがないわけではなかった。
なんとなく、本能的に察しているもので、これが答えだと言えるほど確かなものではないが、恐らく――ファルベにはまだやらないといけないことが数多くあり、精神的な余裕がないから他人からの好意すら受け止められないほど容量が少なくなっているのではないか。
ファルベの肉体に刻まれた「呪い」によってただでさえ少ない余裕が一層削られ、その結果が顕著に現れているのだろう。
ならば、自分がやらなくてはいけないことを一つ一つ終わらせていくしかない。
幸いにも、というのは適当ではないが、ルナから気になる情報が聞けた。
「まず、それから終わらせないとな」
瞳の奥に強い意志を宿らせて、ファルベはある決意をした。
*
そこは、書類が積み重なって、足の踏み場があるかどうかも怪しい部屋だった。
埃が舞う汚らしいその部屋で、一人の男が埋まるように座っていた。
薄汚れた白衣を身にまとい、ズレた眼鏡の位置も気にせず散らばった紙をかき集め睨むように見つめている。
髪もボサボサで、清潔感とはかけ離れた姿のその男性は、この国――アイナハル王国随一の魔物研究家、ラルフだった。
「ふーむ……これはこれは。興味深いね」
顎に指を添えて、眼鏡をキラリと光らせる。一人で勝手に盛り上がって異常なテンションになり、周囲の人間からドン引かれる彼の仕草にしては大人しめであるが、それが功を奏した。
ラルフの書斎(そう呼ぶにはあまりに乱雑だが)の扉を強く叩く音が聞こえてきた。
「ん? 誰だろう。ま、いいか。入ってきていいよ」
一瞬怪訝な表情を浮かべるも、すぐに楽観的な声色に変わり、あっさりと入室を認める。
仮にも王国内で国王に次ぐ立場であるラルフの部屋に無遠慮に入ってきたのは、王城に住み込みで働くメイドの一人だった。
幼さの残る可愛らしい顔のメイドは、表情に焦りと戸惑いの色を浮かべて、
「ラ、ラルフ様……! 非常事態にございます……ッ!」
息を切らせながら、その言葉を絞り出した。彼女の表情からして無視できるような話ではないと感じ、
「一体、何があったんだい? そんなに急いで」
申し訳なさそうな彼女に優しく声をかける。王城のメイド達はそうそう簡単に取り乱さないよう訓練されている。予想外の事態にいちいち慌てふためいて、普段のパフォーマンスを発揮できない人間だと王城という格式高い場所において相応しくないためだ。
だから、新人であろうと感情を乱さないメイドが、隠し切れないほど焦り、ラルフの元に事前連絡もなく訪れるのは相当な事態が起こっている筈だ。
王城そのものに何らかの不具合が起きたか、それとも内部の人間に関係していることか。ある程度の推論を脳内に巡らせて、ラルフは次の言葉を待つ。
そして、直後。彼女から放たれた言葉は――
「――ファルベ様が昨晩から病室より姿を消し、現在捜索するも見つかっておりません」
その全ての予想を覆したものだった。




