26話 「夜闇の逆転劇」
視界から消えた男の嗤い声が延々と鼓膜を叩く。その煩わしさに耐えながら、ファルベは擬似透明化を解除し、相手の目の前に姿を現す。
魔力切れを起こしたわけではない。集中力が切れたわけでもない。ただ、見えている相手にそれを続けることの無意味さを悟っただけだ。
そして、ファルベが姿を見せた途端、男の嗤い声は止まる。
その後に残るのは、少しの足音だけだ。他には虫の羽音も、鳴き声も、草花の揺れる音もない、静寂のみだ。
自分がやってきたことではあるが、敵の姿が見えないことがこれほど不安を掻き立てるとは予想外だった。
今までこんな状況に陥った経験はない。というより、そんな経験は普通ないはずなのだ。
そもそも冒険者は群れなす魔物を相手取る性質上、広範囲かつ高火力を求められるということと、単独で犯罪を犯す者は自分のスキルにプライドを持っている。人より優れており、他人に頼らなくとも己の才覚のみで成り上がって行けると考えている。
それ故、一人で犯罪に手を染める人間は、目に見えて分かりやすい強さのスキルを持っている場合が多い。
だから、「透明化」などという所有者の運用方法次第で強くも弱くもなり得るスキルを持っていることは殆ど無いのだ。
「お前、そんなスキルを持ってて殺人に手を染めるなんてな。……いや、そんなスキルだからか?」
どこにいるかも分からない、もしかしたらこの場にいないかもしれない男に向けて、言葉を発する。
視界から消え去った男は、しかし確かにその存在を確認させるように、
「ああ、そうだよ! こんなスキルだからさぁ! パーティーにいても、いるかどうか分からないから仲間の攻撃に巻き込まれるし、殲滅力が足りなからって役立たずの烙印を押される! そんな節穴しかねえ冒険者共は、オレのスキルで全員殺してやるって決めたんだぁ!」
「――ッ!?」
なんとなく予想はできていたが、彼の言葉に目を見開く。
他の誰でもなく、ファルベはそれを知っていたはずだ。感じたはずだ。理解していたはずだ。
今の彼にとってこの男の言い分の大半が共感できないし、分かりたくも無い事柄だが、その本質は根底は、よく分かっていた。
「……全く分からないとまでは言わないけどな……いややっぱり全く分からねえや。悪いな」
ほんの少しの意地。全くでは無いが、それを相手に伝える気はない。
「ハッ! 分かれなんざ言わねえよぉ! 今から殺す相手になぁ!」
声だけが支配する空間に、ザッという土をしっかりと踏み締める音が混じる。直後、円を描くように走る音が聞こえてくる。
男の足音である程度の方向は掴めるが、確実な居場所を割るに至らないし、どこからどういった攻撃を仕掛けてくるか特定できない。
少しして、一層大きな足音が聞こえたかと思うと、何かが急接近してくる気配を感じる。
先程まで走り回っていた男が攻勢に転じたのかもしれないし、何か飛び道具でも投げてきたのかもしれない。
ただ考えているだけでは答えが出ない。だから、攻撃が迫ってきていると知っていながら、死がもうすぐそこまでやってきていることを自覚しながら、ファルベは、目を閉じ、呼吸を止める。
使えない感覚、使っても最早意味をなさない感覚はいっそ遮断して、聴覚の一点のみに集中する。
二つの感覚を制限して一層敏感になったその感覚に微かな違和感を覚える。
そよ風にも負けそうなほど小さな、衣擦れの音。それが聞こえるのはファルベの背中側からで、次に訪れるのは何かが風切って迫る音だ。
つまり、接近してきているのは、本体。確実にトドメをさしにきているようだ。
振りむきざまに体を横にずらす。ファルベのできる最速の反応速度で行ったのだが、
「く、そッ……!」
ギリギリ、間に合わなかった。横腹を抉るように突き込まれた刃が皮を破り、鮮血の雨を降らせる。
――熱い。突き刺された横腹が、強烈な痛みを熱と勘違いしているのか、信じられないほどの熱量を脳に伝えてくる。
これはヤバイ。その熱は致命傷とまではいかないが、確かな深傷になっているということを示している。直撃ではないのが不幸中の幸いと言ったところか。
「つ、かまえ……たあ!」
幸いついでに、見えざる敵のどこかの部位を掴む。得物を突き刺しにきたということは、それの先には得物を持つ手がある筈だ。当てずっぽうで掴んだが、今ファルベの手の感触的に手の甲といったところだろう。
その、確かな光明は直後凄まじい力によって振り解かれる。中級冒険者というだけあって、相当体を鍛えていたのか。ファルベの握力を遥かに上回っている。
「ハッ、危ねえなぁ……けど、その傷じゃあ次の攻撃は避けられねえよなぁ……」
男はまた、ファルベの周囲を走り出す。
正直なところ、彼の言っていることは事実だ。万全の反応で、完全に避けることができず深傷を負った。
それなのに、怪我がある状態で満足に体が動かせないままで、避けられる筈がない。
だが、ファルベは何かを狙っているかのように、立ち止まる。
今度は、しっかりと目を開いたままで。
再び地面を踏み締める音が聞こえたかと思うと、敵がこちらに接近してくる気配。
このままでは先程の再現になる。だが――
ファルベの体に刀が直撃する寸前、金属同士がぶつかり合った時の甲高い音が、夜の草原に響く。
男が放ったトドメの斬撃は、ファルベの長剣によって阻まれていた。
*
そもそも、何故人は物に色を付けるのか。絵を描くのも、文字を書くのも、全ては物に着色している。なら何故そうするのだろう。
答えは単純、「可視化」するためだ。文字を書いても、無色透明であれば誰にも伝わらない。景色を記録に残すために絵を描いても、目に見えなければ意味がない。
ファルベのスキルもその例に漏れない。彼はあくまで、可視化する能力を応用して見えなくなる状態を作り出すことに成功したというだけで、元々は「見えるようにする」のが目的だ。
例えば、透明化した相手をしっかりと視界に捉える為とか。
――ファルベが掴んだ彼の右手の甲には、指の形に黒い色が付着していた。
全身が透明になっているというのに、指の形に沿った黒色だけが宙に浮いている(ように見える)のは、少しのシュールさすら感じるが、今この状況では大事な情報源だ。
手の甲の位置から相手の刀がどこにあるのかを推測し、自分の体に触れるタイミングに合わせて弾く。
ファルベが先程やったことを簡潔に説明するとこうなる。
それに加えて、ファルベにとって幸運なことが他にもあった。それは、
「な、何で……だよ」
相手が、自分の手の甲に着色されていることに気付いていないことだ。
というのも、これは彼がぬけているからではない。いや、それもあるかもしれないが、ここに至ってはそうではない。
男は、ファルベのことを同類、と呼んでいた。つまり彼はファルベのスキルを透明化するものだと認識していたのだ。
彼は擬似透明化するファルベしか見ていないのだから、それも当然と言えるが。
ファルベのいる場所だけ作り物と言っていたが、それは色を全身に付着させて背景と同化していると見抜いた訳ではなく、単に練度が不足している為起きた状態だと勘違いしていたようだ。
「さぁて、お前の攻撃は届かなかった訳だけど、どうした? 『下位互換』相手に苦戦して」
色の浮いている場所、男がそこに立っているだろう場所に、長剣の先を向ける。
完全に居場所がバレている、見えない筈の男は、
「この、クソがあ!」
ファルベの煽りに反応して、こちらに走ってくる。しかし、最早見えているのと同じ状態の彼の攻撃を弾くのはそう難しくない。
何度も振られる透明な刀を、その度に弾き、そして。
色の付いた右手と反対の腕があるだろう場所に剣を振り抜く。
剣の柄を持つ掌に残る、肉を斬る感覚。手に馴染むそれを無視して、更に力を込める。数秒、抵抗感を感じたが、すぐにそれもなくなる。
突如軽くなった剣と同時に、何かが地面に落ちる音がする。
「あ、あああああ!」
その叫び声が聞こえたかと思うと、透明だった男が姿を現す。その体に左腕は存在せず、ただ血を垂れ流すばかりとなっていた。
悲痛な表情で叫び続ける男の喉元に、得物の切っ先を向ける。
それが、この戦いの終結を示していた。
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