25話 「下位互換」
月明かりが照らす平原の中で、血を滴らせながら男は口元を醜く歪ませ、嗤う。
そこに罪の意識や反省の色といったものは全く見当たらなかった。
「それでぇ、あんたはどうなの? 冒険者かぁ、それとも違うのかぁ。まぁどっちにせよ殺すことにぃ……変わりはないけどさぁ」
間延びした声で、緊張感の欠片もない声で、しかし確かな脅しをかけてくる。
「その前に、二つ質問していいか? それを聞かなきゃ死ぬに死にきれねえよ」
「良いけど、あんたの目は素直に死を受け入れたようにはぁ、見えねえなぁ」
「そうか? 見えてないだけなのかもしれないぜ」
「それは確かめようがないからぁ、もう良いよ。ほらちゃっちゃと質問してぇ、殺されてくれねえかなぁ」
待ちきれないとでも言いたげに腕を小刻みに揺らす。
これ以上会話を長引かせることもできたが、そうした場合、目の前の男が痺れをきらせて襲いかかってくる可能性が高い。
故に、簡潔に問う。
「お前、自首するつもりはあるか?出来る限り手荒な真似はしたくない」
「……へえ。甘いねぇ、青いねぇ。でもそんなことすると思うかなぁ」
ファルベの質問が想定外だったのだろう。余裕のある表情がその一瞬だけ崩れ、感心したように息を吐く。
だが、それも一瞬の内だけで、元の調子に戻ると彼の言葉を一蹴する。
元よりあり得ない可能性だったのだからファルベの心に動揺はないが、それでも無意識のどこかで落胆したような気持ちが湧くのを感じる。
「まぁ、しないよな。それで二つ目だが」
そこで一度周囲を見回し、眼前の事実を再確認してから、
「ルナは……俺と同乗していた女の子はどこ行った?」
彼女が男の手にかけられたなんてことは万が一にも有り得ないが、それならば何処に消えたのかが分からない。
ファルベは馬車から放り出された時に着地の衝撃を和らげる為、受け身をとっていたがそれのせいで彼女の動向を見失うこととなった。
「あーぁ、あの子なら投げ飛ばされて地面に落ちる直前に、なんかよく分からない力……あれは魔力かなぁ。着地の衝撃を少なくしようとしたのか、地面にそれを思いっきりぶつけてねぇ……逆にあの子の力の方が強かったみたいで、反動で遠くまで吹っ飛んで行ったよ」
「あの馬鹿……」
彼女の力の原理は空気圧と同じだ。普段宙を漂っているだけの魔力はそれ単体で世界に影響を与えることはないが、膨大な量を圧縮し、解き放つと急激に膨張し圧力を伴って周囲の物体に大きな影響を与えることとなる。
ルナの場合、所有する魔力量は普通の人間とは比べ物にならない。諸事情により彼女の魔力も大幅に抑えられてはいるが、それでも彼女の小さな体を吹き飛ばすには十分すぎる力が発生する。
男の言っていたことは事実だろう。それならば、ルナがいないことも、明らかに人工的な大穴が開いていることも、辻褄が合う。
理由が分かったとはいえ、それでルナが戻ってくるわけでもなくこの状況に変化はない。
ファルベが一人で対処しなければいけないことに変わりはない。
それは、それはつまり――
「――いつも通りのことじゃないか」
そもそもルナをあてにしないなんて、いつも通りだ。彼女の制御が効かない強すぎる力を使えば必要以上の被害が出るのだから、極力頼らないようにしている、そんなことは。
「目つきがぁ、変わりましたねぇ。ならぁ――」
言って、男はぶら下げた刀を肩に担ぐようにして構え、
「始めようぜ! さっさと殺させてくれよ!」
先程までのぼんやりとした喋りは何処へやら、目の色を変えて一歩、力強く踏み出す。
通常と戦闘とでテンションの差が違いすぎるのに驚くが、すぐに切り替えて、
「ああ、始めようか」
――戦闘が、始まる。
*
正面から振り下ろしてくる刀を最小限の動きだけで躱す。速さも、精度も、狙いも全てが致命傷になり得る。彼の言った「殺す」という言葉も、嘘ではないようだ。
振り下ろされる刃を横方向に軽くステップして避けると、それを見た男は驚異的な反応速度で、手首を捻り地面に向かう剣先を切り返す。Vの字を描くように振り上げられる刀身が、ステップを終えた直後のファルベを襲う。
地面に着地してすぐで、このままでは回避行動したとして間に合わない。
月明かりを反射して暗闇に白い軌跡を描く致死の刃が脇腹の辺りから迫ってくる。
「……ハッ!」
ファルベはインパクトの瞬間だけ自身の長剣を持つ手に力を入れ、向かいくるそれを弾き返す。
刃を刃で迎撃するのは得物の耐久度を下げる危険性があるから、出来る限りしたくはなかったがこの状況に至っては仕方がないと割り切るしかない。
とはいえ、先の衝撃で二人の間に距離ができる。それは、数歩で詰められる距離ではあるけれどその数歩がチャンスを生む。
「……ッ!」
男が、目を見開いて驚愕する。目の前にいた少年、ファルベの姿が闇に溶けるように消えたからだ。
彼の「着色」スキルでの戦い方の一つである、擬似透明化である。
男の視界から消えたファルベは、死角を潜って接近し左肩に担ぐようにして構えた剣を振るう――が。
甲高い金属音が夜空をこだまする。見えないはずの剣が、感知できないはずの攻撃が、男の体に当たる直前に弾かれる。
金属の硬い感触をその手に得ながら、ファルベは思考を巡らせる。
どうして、弾かれたのか。どうして、反応できたのか。視覚は勿論、ほとんど体臭も消しているため人の嗅覚で認識するのは難しいし、足音を殺して動くのも無意識でできるほど体に馴染ませているため、動作する時の音もほぼ無い。
それこそ、人間より感覚の優れた魔物でも無い限りバレない程に。
「く、はははは! 透明化とはなぁ! 良いねえ、良いなぁ! 良いけどよぉ……お前のそれはお粗末だなぁ! お前のいるところだけ、景色が作り物なんだよぉ!」
その答えはすぐに明かされる。ほとんど完璧に背景をトレースしたはずだが、男の眼は普通以上に研ぎ澄まされていたようだ。
やはりテンションの振り幅がおかしい男は、見えない攻撃を的確に防ぎ、躱す。
「にしてもよぉ……すげえ偶然もあるもんだなぁ!こんなところで同類に会えるなんてなぁ!」
「同、類…?」
耳ざとくその言葉に反応する。同類、そのたった二文字に、心がざわつく感覚を覚える。
もしかしたら、彼は、
「さぁ……ならオレのスキルも見せてやんねぇとなぁ!」
そう言って、男は――完全に、本当の意味で、擬似的でも何でもなく、その姿を消した。
*
ファルベのスキルによる擬似透明化は、相手の視界からほとんど完璧に姿を消すことができるとはいえ、その力にもデメリットは存在する。
その中でも特筆すべきものといえば、集中力の消耗が激しいことだ。常に相手から見える景色をイメージしながらそれと同化するように自身の肉体に色を付けるのは、難しいなんてものじゃ無い。
更にそれを攻撃や移動と並行して行う必要があって、それは、無理・無茶・無謀、その領域に踏み入っている。
だが、ファルベはそれを実現した。そのために必要な集中力と想像力は、経験で埋めて。
そこまでしてもファルベが擬似透明化を使えるのはせいぜい一時間が限界だ。
それを過ぎると背景と自分の認識が曖昧になり、ある種、ゲシュタルト崩壊ともいえる現象を引き起こすこととなる。
それに彼のスキルは完璧に同化ではなく、ほぼ完璧に同化する、だ。
不意打ちや、相手が動揺している状態ならバレる可能性はゼロに等しいが、そこにいると知られた状態で、スキルを使っても、よくよく目を凝らすと絶対に見破られないとは言い切れない。
だから、擬似透明化が見破られたとて動揺しても、それはすぐに切り替えられる。
ただ、男は、ファルベと同じような姿を消すスキルを持っていたのだ。それも彼のように擬似的ではなく、
「完全な透明化……『同類』って、そういうことか……」
遅い理解、そして手遅れの事態だ。人間にとって視覚は脳の感覚神経の三分の一を占めると言われているほど重要な感覚だ。
その視覚から完全に消えられると、それを見つけるのは容易くない。
「完全な透明化。そう、完全なんだよぉ! お前の真似事とは格が違うくらいに完全! お前のスキルはオレの『下位互換』でしかねぇんだよ!」
男の高笑いが、夜の帳で包まれた世界に響き渡る。気分がいいという風な、いっそ清々しいほどの嗤い声が、響く。




