5話
「そなたは本当に変わっているな」
目の前の獅子が感慨深くため息をついた。
私は、「それはともかく陛下もお忙しいでしょうからぜひ本宮にお戻りくださいませ」と言おうとして、その台詞は3分前に口にした時点ですでに20回目を越えていたんだったと思い出して口をつぐんだ。代わりに何か体のいい厄介払いの言葉はないかどうか頭の中で検索してみるが、愉快になるほど見受けられなかった。私の語彙能力の完敗である。
「どこにでもいる普通の小娘です」
権力の魅力に負けて後宮に入ったのは事実である。それを考えたら、私も他の妃候補者と変わりない。
私の言葉に、獅子はますます嬉しそうに喉を震わせた。恐らく笑い声なんだろうが、どう頑張っても威嚇されているようにしか見えない。その姿は、お兄様の書斎にある獅子の剥製とそっくりだった。
肘から下が大きな獣の前足なので、グラスを持つのが両手になってしまうところは、まぁ、少し可愛い。あと、水が飲みにくそうなのも可愛いかもしれない。犬のように水を飲むのはプライドが許さないのだろうか。
「いや、どこにでもいる小娘は、この姿を見て尻尾の有無など確認するまい」
陛下が、耐えきれないといったように笑いを溢す。
よく笑う王様だ。獅子の顔をしているので声音だけで気持ちを読み取らなければならないが、それにしてもこの王様は心中駄々漏れである。本当にこんな調子で王様をこなせているのだろうか。それともやはり、身体が獅子になると心も野生に帰っておしまいになるのだろうか。
「それに、あの場で自分の身に関することを質問しない女もそういないだろうよ。国王がこの状態で、あれほど堂々と関係のないことを訊くとはな」
私は精一杯興味のない仕草で、そうでしょうねと頷いて見せた。私もちょうど、一時の好奇心が身を滅ぼすと学習したばかりだ。
しかし、とんでもない美丈夫でこの国すべてを取り仕切る才能があって溢れんばかりの財力があるこの男を手にするチャンスを与えられてもなお、その対象が異常事態に巻き込まれた時に最善の策を見失うほど馬鹿な女ばかりではないと証明されてよかったじゃないか。なにが不満なんだこの国王陛下は。
ちなみに、普通の令嬢にとって最善の策とは、あの謁見の間で黙って震えていることである。
「ですが、私のような者より、他のご令嬢の方が賢いと思います」
「なぜだ?ああも熱心に権力にこびへつらって、自分がそれにいかにつり合うかを主張するあの者たちは、こう言っては失礼だろうが、馬鹿だとしか思えないぞ」
「だって彼女たちはその生き方しか知りませんから。その生き方しか教えられなかった。教えられた範囲のなかで考えれば、彼女たちは優等生の筆頭です」
教育とはある種の洗脳である。ある意味、欲望むき出しのご令嬢方は教育に忠実に生きようとしているにすぎない。
お前は尊い人に気に入られるんだよ。
そうしたらみんなが幸せに暮らせるんだよ。
だから自分の可愛らしさを精一杯見せつけてやりなさい。
美しく綺麗でないものには価値がない。
綺麗になるためには惜しみない努力をしなさい。
大丈夫、お前は世界一賢くて可愛いお姫様だよ。
そんな甘言を日がな一日聞き続けて、諌める声もなく、ただひたすらに自分を磨きあげるための願いをすべて受け入れられてきたお嬢様方にとって、それ以外の生き方を選択せよと言う方が酷な話だ。彼女たちは、常によりよいものを、より綺麗でより強いものを求めるように躾けられている。それを忠実にこなそうと言うのだから、いずれは公爵家のお荷物になろうと画策している私とは雲泥の差で優等生である。
何故そんな内情を知っているかって、私もその一人だったからだ。べたべたに溶けた砂糖菓子よりまだ甘い私の両親は、ただひたすら、私に美しくいるよう求めた。そのためのおねだりはよほどのことがない限り受け入れられた。そういう「甘い」である。それを普通であると思わずに済んだのは、ハンナがいたからだ。あの魔女がいなかったら私だってこんな風には育たなかった。
つまり何が言いたいかというと、陛下のその不満は、勘違いナルシスト発言も甚だしいってことですよ。お分かりですか?わかったのならさっさと本宮の方に戻っていただけますか?どうして私があなたのナルシストに付き合わなければならんのです。ああめんどくさい。
「しかし、現にそなたの様な公爵令嬢もいる」
「私は特殊です。優秀な教育係がいましたからね」
「…それだけが原因ではあるまい」
「そうですね、私も極論を申し上げました。それでも世の中には、囲いの中だけで生きているとさえ認識できない方もいらっしゃいます。全てが彼女たちのせいだと言ってしまうのも理不尽な話ですし、馬鹿だと仰るなどもっての他かと」
そういうものか、と陛下は笑った。
そうして、その大きな身体を、ごろんと横たえて見せた。…え、ごろんと?何でベッドに横になったんですか?今絶対にそんな流れじゃなかったですよね?まさかものすごいナルシストな話をしているその裏で、どうやってそういう雰囲気に持って行こうか画策していたのだろうか。
それは申し訳ないことをした。小娘が思惑から外れて真面目腐った講釈を垂れ始めて、さぞがっかりしたことだろう。がっかりしたついでに部屋を出ていってくれたらよかったんだけれども、世の中そう上手くは出来ていないものである。
「……」
「何もしない。共に寝ようと思っただけだ。そもそも、獣の身で女性に触れようとは思っていない」
私がよほど汚らわしいものを見る目つきをしていたのか、陛下が笑いながらそう言った。
だから共に寝るの意味がよくわからないのだが、なんだかどうでもよくなって、灯を消してから私も陛下の横に転がる。人一人分のスペースを保ってもなお有り余るほどベッドは広かった。
「…おやすみなさいませ、良い夢を」
反射的に、言葉が出ていた。骨の髄まで叩きこまれた公爵家教育係の躾の賜物である。
人間関係構築の第一歩は挨拶から。出来るなら陛下とはなるべく関係構築を進めたくないが、それでも最低限公爵家の人間として恥ずかしくないように、ただそれだけを思って口をついた言葉だった。
陛下は一瞬口ごもった様で、もぞっと身体を動かしたが、なんだか奇妙にくすぐったそうな声で応じた。
「…ああ、おやすみ」
意外にも、獣臭さは感じなかった。それどころかいいにおいがしたので、なんだかちょっとイラっとした。
歩み寄り…と見せかけて何も進展していない罠




