プロローグ:ある未来の話
東京のホテルの一室は、都会の真ん中にあるとは思えない静けさに包まれていた。
鼻孔をくすぐる花の香りは、傍らにあるピンクのバラのものだった。これからインタビューする人間の好みに合わせ準備された。
時間だ。
壁にかけられた時計の秒針がいくらか動いたところで、扉が開き、ひとりの女性が現れる。
舞花いのり。
有名な歌劇団のトップ娘役として退団したばかりの人物だ。これからも女優として舞台に立つと表明している彼女は、対談直後からインタビューなどの活動を活発に行なっている。
「舞花いのりさん、この度はお時間ありがとうございます」
丁寧に礼をして、椅子をすすめる。
ピンと伸びた背筋、緩やかに巻かれた髪の毛が頭の後ろでまとめられ、背中の半ばまで来ている。
身を包む衣服もシンプルながら上質な材料に包まれており、品の良さを感じさせた。
「いえ、こちらこそ退団後までインタビューをしていただけて嬉しく思っています。夢を叶えることができました」
舞花は微笑を浮かべるとそう言った。
夢を叶えることができた。インタビューする側として、これ以上聞きたい言葉もない。
ペンを握る手にも自然と力が入った。
カチッ。一言断って、ボイスレコーダーのスイッチも入れる。
まずは、定番の質問からだ。
「では、まず、舞台を目指した理由からお聞きしたいです」
「そうですね。ほとんどの方と同じように、小さい頃見た劇団の舞台がキラキラしていて憧れました」
当たり障りのない答え。確かに歌劇団に入団するこの多くが、舞台を見たことで憧れ音楽学校への入学を決める。
入学自体が狭き門だ。その上、トップ娘役となると、さらに人数が限られる。
舞花は音楽学校の頃から成績優秀で、入団してからも劇団の期待に卒なく応えて来たといえる。
だからこそのトップ。
だが、読者が知りたいのは、彼女のもっと根っこの部分なのだ。
「受験に支障はありませんでしたか?」
ジャブにもならない質問だった。
音楽学校を受験するには、親の協力が不可欠だ。ほとんどの人間は家の協力が得られている。
だが、意外なことに舞花は困ったようにわずかに眉を下げた。
「最初は反対されていたのですが、途中から応援してくれる人が現れまして」
「まあ、そうだったんですね」
大概、ここではいかに両親や身内が協力的だったかを聞くことになるのだが、彼女は違うようだ。
驚きのまま聞き返せば、舞花はゆったりとほほ笑みながら頷く。
まるで舞台の上のような仕草だ。ふとした動きさえ計算されているよう――彼女の芝居の評価に、そんな論評がついたこともある。
「ええ。その人が親を説得してくれて受験できたんです」
「そうですか。良かったですね」
舞花が受験できていなかったら。もし、歌劇団に入っていなかったら。きっと出て来る娘役の立ち位置は、また違うようになっただろう。
舞台の上とは残酷だ。能力が丸わかりになってしまう。
そして、舞花いのりは、他の人間の分まで食ってしまうほどの実力があった。彼女のせいで消えた人間は一定数いる。
当たり障りのない返答に、舞花はくすりと口角を上げた。
「反対されても、勝手に受験してたかもしれませんが」
勝手に受験とは、また大きく出た。
歌劇団に入団するための音楽学校は、全国で一つしかない。最終試験は本拠地である兵庫で行われる。
子供一人が勝手に受験できる学校ではない。ないはずなのだが、舞花であれば、と思ってしまう雰囲気が彼女にはあった。
「……舞花さんだと、ありそうですね。舞台でも意思の強い役が大変似合う娘役として評判でしたが、素の性格も似ているのですか?」
娘役の役柄は多岐にわたる。入団したての頃は、男役の子供時代をやったり、妖精をしたりもする。そこから、意地悪な貴族婦人から純粋無垢な令嬢まで。時には荒くれものの役さえ来る。
大抵の娘役は男役が一番映えるように舞台を立ち回るし、それが求められている物でもあった。そんな中で、舞花は意志の強い役が宛がわれる時が多く、また、それが似合う。稀有な娘役だった。
「ありがたいことに、頂くお役は動きやすい役柄ばかりで……それでも納得できないところなどは、相談させていただき――」
舞花いのりの退団直後のインタビューは雑誌に載り、これから女優としての道を歩いていく彼女の最初の足跡になった。
このインタビューが彼女の夢のひとつだったことは、後に明かされることになる。




