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至上の愛   作者: 高瀬海之
第二部

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24、二度目の再会





 次にエルウィンが目覚めたのは薄暗い部屋の中だった。

 暗いけど見上げた天井に見覚えがある。

 ここは前に連れてこられた魔界の、アシュリーの居城だ。

 瞳を瞬かせ、ふと気付く。


 ああ、オレ、生きてる。まだ、生きてるんだ。


 大袈裟に喜ぶでなく、まるで人事のように思った。

 近く人の気配を感じて視線を逸らすと窓辺に煙管を吹かす人のシルエットがある。それだけで誰か判って何気なく呼んだ。


「……アシュリー」


 声に反応して即座に振り返った人はややあって、煙管の火種を捨て近寄ってくる。枕元のランプに火を入れる姿を見上げながら聞いた。


「オレ生きてるんだな」

「うん……」

「ウェンディは?」

「イライアスが家へ連れて帰ったわ」

「そっか……」


 ふぅっと深く安堵の吐息を吐いて、そっと身を起こす。大事の後だというのに身体に異常はなかった。それどころか、以前より身体が軽く、力が漲っているような感触がある。

 違和感のない違和感とでも言うような奇妙な感覚に、手のひらを握ったり閉じたりを繰り返しているとそっとその手を掴まれた。


「………まさか、ホントに成功させるとは思ってなかった」


 細く呟かれた声が震えているような気がして、彼女の方を向く。見上げた人は今にも泣き出しそうに瞳をうるませて、珊瑚色の唇が白くなる程噛み締めていた。

 エルウィンの手を包む手も震えていて……心の声が自然に声になった。


「泣くなよ」


 アシュリーは何も言わない。けれど、俯くアシュリーから零れ落ちた雫が繋いだ手の上で弾ける。

 もう一度、泣くなという意味を込めて彼女の髪に手を伸ばし撫でた。


 闇の中でも鮮やかに咲くオレンジ色の髪。

 エルウィンが初めて触れた綺麗な色。


 髪を梳き、繋いだ手をそっと引き寄せる。逆らわず倒れ込んできたアシュリーを胸に抱いて、その感触にエルウィンも泣いてしまいそうになった。

 どうやら今腕の中で震えるアシュリーはエルウィンの覚えているアシュリーらしい。

 どうして? という疑問はある。しかしそれを聞いてしまったら今こうしている時間が消えてしまいそうで……何も言えずにただ抱き締めた。

 強く強く抱いても、アシュリーは拒まなかった。ギュッと背中に爪を立てる彼女はエルウィンの胸で声を立てずに泣く。


 でもあなたには泣かないでほしいから……。


「泣くなよ……」


 同じ言葉だけを繰り返した。

 やがて胸元からくぐもった声が答えた。


「何?」

「無理……」

「ん?」

「無理だって……」

「何が?」

「……だって、あなた自分が何したか判ってるの?」

「………世界を救ったんだ」


 妹を、ひいては世界を救った。


 その事実に胸を張って答えた瞬間、どんと強く胸を叩かれる。鈍い痛みに彼女を抱いていた手の力が緩んだ瞬間、それまでよりも激しくアシュリーが抱き付いてきて悲鳴を上げた。


「バカ!! 自分がどんな無茶したか判ってるの!! 一歩間違えたらあなたまでっ……あなたがっ……死んでたかもしれないのに!!」

「うん……」

「世界なんかどうなっても良かったっ、あなたが生きてたら……それだけで……いいのに! ……馬鹿なことして、馬鹿なことしてぇ……」

「うん……」


 死んでいたかもしれない。恐怖は確かにあった……でも、それよりももっと強い信念があったから死なないだろうという確信もあったんだ。

 何故なら……。


「お前が応援してくれるならオレはどんな困難にも立ち向かえるから、大丈夫だと思ってた」


 胸に縋るアシュリーの髪に頬を擦り寄せて抱き締めて囁く。

 ヒクリと震えたアシュリーが顔を上げる。

 涙でグショグショになった頬を瞬きする度に涙が伝い落ちた。零れる雫を拭い、濡れた頬を包んで確かな肉の感触に歓喜した。


 ああそう、この顔、この姿……全部覚えてる。


 全部懐かしいそのままのアシュリー。

 姿形を愛した訳じゃない。


 姿形、性情、すべてを想い。

 一生に一度、すべてを賭けて愛したただ一人の人。


 魔族だとか、人間だとか、そんな垣根を越えて、たった一人愛した。

 あなた程愛しい人には一緒にいた時間以上の時間一人でいても出会えなくて……ただひたすらに想っていた。


 生きる意味に等しい大切なあなた。


 一度は蘇ったアシュリーの豹変ぶりに絶望して自分の選択を悔いた。


 けれど、あの夜……二人で過ごした家の床で眠るアシュリーを見て思い直した。

 姿形を愛したんじゃない、すべてを愛した。だからこそ、変わってしまったことを哀しいと思う。

 でも……それでも、アシュリーを愛しいと思う気持ちに変わりはなかった。

 どんなアシュリーでも愛しく、このアシュリーが彼女の本質だというなら、それすら愛したいと思った。


 たとえ蘇ったあなたが別人だったとしても、かつて育んだ想いがあなたのなかになかったとしても、…………オレがあなたを想う事実は変わらない。


 だから、あなたの生きる世界を、あなたと生きる世界を、守りたかった。

 あなたのためならどんな困難にも立ち向い、克服していく力を持てる。

 すべてあなたのために……。


 琥珀の瞳から落ちる涙を掬い、ごく自然な動作でエルウィンはアシュリーにキスをした。軽く首を傾けて、啄むようにキスを落とす。

 それが気の遠くなるほど昔、最後に交わしたキスと同じ感触かどうかはもう判らなかったけれど、それでも嬉しかった、愛おしかった。


 縋り付くアシュリーが応えて、深くエルウィンを求める。息を継ぐ間も惜しんで唇に噛み付いて舌を伸ばしてくるアシュリーを抱いて思い出すのは最期の日。


 この腕の中で消えていったアシュリーの姿。

 抱き締めたら溶けて消えてしまった。


 でも今は、抱き締めても消えない。

 暖かな肉の感触は力を込めても絶対に消えない。


 ただそれだけが嬉しくて、何度も何度もキスだけ繰り返し、その合間に彼を呼ぶ。


「アシュリー………」


 長く、呼んでも応える声はなかった。

 でも今は、ある。


「エルウィン…」


 永久に忘れないと誓ったアシュリーの呼ぶ声。

 だが、現実に鼓膜を震わせた声はやはり記憶のものとは少し違った。長すぎる時間は、大切なあなたとの思い出さえも変質させていたらしい。


 ……けれど、そのことが一層の愛しさと懐かしさを紡ぎだす。

 再び出会い、新たに記憶を書き変えられることが純粋に嬉しかった。


「アシュリー、アシュリー……」

「エルウィン……」


 あなたに名前を呼んでもらえる、一度引き離された二人にはそんな当たり前のことが酷く幸福だった。

 抱いて抱いて抱き締めて、会えなかった時間を思う。

 永の年月、会えなくても費えなかった想いに胸を焦がして、久し振りに触れる互いの暖かさに歓喜した。

 そして口付けの合間にエルウィンを押し倒したアシュリーは、彼の上に覆い被さって懐かしい人の顔を両手で包む。当然の流れとして、肌をまさぐる温かい手の感触を期待していた。

 けれど、いつまで経っても予感していた反応がなくて小首を傾げる。身を起こし、エルウィンの顔を覗き込む。


「……なんにもしないの?」

「なんかしたいんだけど……」

「うん」


 してよ、と促すように額にキスしたら、下でもぞもぞと動いたエルウィンは少し困った顔をして視線を逸らし、やがて小さく囁いた。


「お前がいるだけで胸がいっぱいでなんにも考えられない」

「……乙女か!!」

「うるさいっ! ……大体十年以上会えなくて、やっと会えても知らないフリされて、なのに、やっぱり変わってなかったって言われても、すぐには頭も身体も付いてこないだろ!」


 馬鹿にされ自棄になって叫んだエルウィンは、一瞬アシュリーを睨み付けすぐに目を逸らした。

 そしてアシュリーは自らの迂闊さを悔いた。

 アシュリーはすべて知っている。でもエルウィンにはまだ判らないことも多い、一瞬は喜びに浸っていても、冷静になって次々溢れる疑問を無視してはいられないのだろう。


 大人になったのだな……とふと思った。


 離れて十年以上、手放した時は十代の少年だった。でも離れている間に彼には彼の時間が流れ、エルウィンも三十を超えた。人間世界なら立派な大人、理不尽もある社会生活を営み分別もモラルも持ち合わせているべき年なのだ。


 忘れていた。


 自分がエルウィンと別れた時のままだったから、勝手に彼もあの日から変わっていないと思っていた。

 ごめん……小さく謝って、エルウィンの上を退いたアシュリーは彼の隣りに身を横たえる。エルウィンの頭を抱くように寄り添いながら、まだ目を逸らしたままの彼に語りかけた。


「聞きなよ、聞きたいこと全部。私も全部答えるから……」

「……お前は最初から全部覚えてたのか?」


 真っ先に口をついて出たのはやはりそれだった。今アシュリーが隣りにいるなら別にどうでもいいこと……思いながらも気になる。

 アシュリーは自分を覚えていた。それは嬉しい。


 でも、だったとしたらいつから?

 もしや最初から何も忘れていなかった?

 それはどうして?


 だってロードは確かに言ったのだ。

 アシュリーを蘇らせる。でも、エルウィンとの思い出は消す。エルウィンの知っているアシュリーではイライアスに対抗出来ないから、エルウィンと出会う前の冷酷な魔族としてアシュリーを蘇らせる、と。

 イライアスもロードはそうするだろうと言っていた。


 なのにどうして覚えてる?


 答えを待つエルウィンの髪を指先で弄ぶアシュリーは、少しの沈黙の後しっかりした声で答えた。


「覚えてたよ、最初から」

「なんで?」


 澱みなく返ってきた疑問が何に対するものか、アシュリーには判らなかった。

 何故、覚えているのか? それとも、何故、覚えていたのに隠していたのか?

 どちらだろうと考えながら、答える言葉を探す。


 何故覚えているのか?

 それに対しての答えは、アシュリー自身にも判らないとしか言えない。


「判んない。忘れるはずだったのに……忘れなかった、忘れられなかった」


 忘れるはずだった。

 ロードはちゃんとアシュリーの記憶を操作した。

 でも、蘇ったアシュリーはエルウィンを忘れてなかった。


 ロードはきちんと定められた儀式に則り、イライアスの殺害からエルウィンと別れた日までの時間をすべて消して、アシュリーを蘇らせた。蘇ったアシュリーは、馬鹿なことを繰り返すイライアスを止めるために行動するはずだった。

 でも……目覚めて最初に口をついて出たのは、誰も予想しなかったもの。




『……エルウィンが死んだの?』




 ロードがかつての願いに準じた行動を取ったと疑わずに問うたアシュリーを見て、ロードが酷く驚いていた。

 慌てふためいたロードから事態の説明を聞いて初めて異常を知った。

 覚えているはずがない人を、過去の情景を、望みを、忘れなかった自分。


 しかし、異常を知っても驚愕はあまりなくて……どちらかというと、納得した。

 自分に納得して、そして泣いた。エルウィンが余りに愛おしくて……好き過ぎて泣けた。

 その気持ちを思い出し、アシュリーはそばのエルウィンを抱き締める。


「……愛してる」


 他に答えが見つからない。

 法則に逆らってでも忘れたくなかった。

 それ程この心に焼き付いた人。好きで好きで堪らなくて忘れられなかったから……忘れたフリをした。











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