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至上の愛   作者: 高瀬海之
第二部

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25、地獄の底まで、共に…




 自分を抱いたまま黙ったアシュリーを更に促す。


「覚えてたならなんで記憶のないフリなんかしたんだ?」

「あなたを巻き込みたくなかった」

「馬鹿か」


 即座に切り返すとクスリとアシュリーが笑った気配がする。首を捩って見上げると、案の定彼女は口許を緩めていた。


「……てか、今度こそあなたを諦めようと思ってたんだよ」

「勝手にか!! この馬鹿!!」

「だって、あなたのことが本当に好きだっ……ううん、好きだから……」


 サラリと告白したアシュリーはエルウィンを抱いたまま声を潜める。


「あなた、私に記憶があることが判ったら、代わりにイライアスと戦おうとしたでしょ?」


 きっと彼ならそうすると疑わなかった。

 イライアスはアシュリーが心底愛した人、そして、一度殺した相手。愛しい人に二度も同じ罪は犯させない。

 きっとエルウィンはそう考える、考えてくれる。

 誰よりも私を愛してくれているから……。


「そんなことさせたくなかったから、私がエルウィンを知らないフリすれば、あなたも関わらないかもって思ってた。……結局無駄だったけどね」


 蘇った日、ロードから彼はまだ自分を想って一人でいると聞かされてどんなに嬉しかったか、けれど……同時に、物凄く哀しかった。


 幸せにしたかったエルウィンを一人にしてしまったのは自分なのに、そんな自分を彼は十数年も想い続けている。それはとても不幸なことではないだろうか?

 私のことは忘れていい、どうかあなたはあなたに相応しい相手を見つけて幸せになって……願って、すべてを忘れたフリをして接したのに、あなたは変わらなかった。


 一途なあなたを突き放すことが辛くて辛くて、堪らなくなって会いに行った日を思う。


 思い出の家で、疲れて眠るエルウィンをただ見下ろして、触れられない距離に泣きそうになった夜。

 今ここに自分は生きているのに、かつてのように柔らかい黒髪を撫でることも、知らぬ間にこけた頬を労ることも出来ない。

 今更、優しい言葉など掛けられない。

 どうせ自分達は同じ時間は生きられない。また手放さなければならない。なら、このまま別れる方がいい。中途半端な優しさはもっとあなたを傷つける。

 すべてはあなたの生きる明日のために……。

 かつての願いを噛み締めて、すべてをなかったことにしようとした。

 なのに…………。


「馬鹿か」


 アシュリーが思い浮かべたものを知っているような絶妙の叱咤。

 吃驚して開いた目をエルウィンが真っ直ぐ見上げていた。


「オレがお前を放っておくわけないだろ。お前はオレの、唯一絶対なんだから」


 幼子の頃から変わらない真っ直ぐで自信に満ちた双眸。見つめ合うと知らずまた瞳が濡れる感触がした。


「……でも私とさえ出会わなかったら、こんなことにならなかった」


 人として当たり前の人生を送れただろう?

 人として幸せになれただろう?


 最後まで問えずに睫を伏せるアシュリーの気遣いに、しかし、エルウィンが抱いたのは焦れったさだった。

 自分がいいと言っているのに、どうしてそんなに種族の違いに拘る? 互いが愛しいと想っているならそれだけでいいはず、こうして再会した今もう自分達を阻むものはない。

 今度こそアシュリーが望むとおり、エルウィンは幸せになる。アシュリーと一緒に……。

 幸せはあなたそのものであると何度言えばこの魔族は納得してくれるのだろう?

 エルウィンにとってはつまらないことで悩み苦しむ彼女に今度こそ判らせたかった。


「なあアシュリー、色々あったけど……結局オレもウェンディも生きてるし、世界の危機も回避されただろ?」

「うん……」

「じゃあもう、文句言うなっ」


 反論を奪うキスを仕掛けて黙らせる。喘ぐまで唇を貪って、撓垂れ掛かってくる身体をベッドに横たえた。

 位置を入れ替え下敷きにしたアシュリーのオレンジの髪を梳き、離れ離れになる前から、離れていた間も、ずっとずっと想い続けてきた気持ちを改めて言い聞かせた。


「世界がどうより、オレはお前がここにいることが嬉しい。だからもう二度とオレを置いていくな」

「エルウィン……」

「お前となら何処にでも行く」

「エルウィン……」

「お前のためなら家族も何もいらない、人間だってやめられる。オレは、今度こそお前と生きる……もう絶対離れない」


 決意の言葉終わりに優しく口付けた。

 それでアシュリーが納得したのかは判らない。けれど、瞬きの間に離れたエルウィンの目に映ったのは伏せられた長い睫の下から零れる雫だった。

 涙を拭いもせず手を伸ばしたアシュリーは強くエルウィンにしがみついて、うるんだ声で綴る。


「ずっとずっとあいたかった……私もホントは離れたく、ない」

「じゃあ、もう馬鹿のこと考えるのやめろよ」

「でも……」

「今回のことは全部許してやるから、もう謝るな」

「……エルウィン、……ごめん…………でも、ありがとう」


 どちらが強大な魔力をもった恐ろしい魔族なのか判らない恋人達の会話の続きは闇に溶けて……出て行くタイミングを失ったロードは、薄く開いていた扉を黙って閉じた。


「まあ今くらいはね……」


 隣りでお座りしていたベガに目で合図して、二人はこっそり扉の前を離れる。

 今くらいは、再会した喜びに浸っていてもいいだろう。




 問題は無視出来ない距離に山済みではあるけれど……。




 行為を終えて一息つくエルウィンの横に身を横たえて、アシュリーはそっとそっと彼の髪を撫でた。

 なんだ? と視線で問う彼の表情は昔のまま、揺らめく蒼い炎がぼんやりと照らす彼の本質は何も変わらない。


 ……でも、変わってしまったものがある。


 確かに変化したもの。

 それを告げる覚悟が持てずにここまで流された。

 しかし黙っていてもすぐ判ること、それを避けて通ることは出来ない。

 変わらぬ彼の想いを全身で体感したことを頼りに覚悟を決め、裸のままベッドを降りたアシュリーは部屋の隅の机から何かを手にし、戻ってそれをエルウィンに差し出した。

 差し出されたのは柄のついた手鏡。

 小首を傾げるエルウィンに構わず、アシュリーは押しつけるようにそれを手渡した。

 面倒臭そうに、無理やり渡された鏡を覗き込んだエルウィンの表情を、……アシュリーは永遠に忘れない。


 それ程に、彼は鏡に写る己の姿に驚愕していた。


「なんだ……これ?」


 思わず呟き、飛び起きたエルウィンは手鏡に写し出された男を食い入るように見つめる。

 写っているのは自分のはずだ。しかし何度瞬きを繰り返しても、綺麗に磨かれた鏡面に写るのは、エルウィンの知っている『エルウィン』という人の姿とはかけ離れていた。


 造形は変わらない。

 なのに……。

 鏡を覗き込んでいるのは……。


 赤い髪、

 薄水色の瞳の男。


 これは誰だ? と問いながらそっと手を伸ばし頬に髪に触れると、同じものが鏡に写る。


 黒い髪、黒い瞳。


 かつては呪ったこともある、慣れ親しんだ色彩がすべて消え去っていた。

 瞬きを繰り返す自分と見つめ合ってから、答えを求めるようにアシュリーを見る。

 困ったような、否、泣き出しそうな顔をしたアシュリーと目が合って……すべてを悟った。


「あの、儀式の所為か……?」


 人の知らぬ魔族の秘術。

 それを行った所為で、この身も人にあらざるものへ変化したのかもしれない。

 予感して問うたエルウィンへ向けて微かに首を横に振ったアシュリーは、悲しげな表情のまま告げた。


「正直私にも判らないの、どうしてあなたが変化したのか。……多分、儀式って言うより、魔族の力を取り込んだことによる変化なんだと思う。あの魔力にはイライアスのものも混じってたし……だとしたら、その程度で済んで良かったとも思う。強大な力を欲して自滅した人間の話は人の間にも残ってるでしょ?」


 問われ、おとぎ話として各地に数多残る伝承は、決して夢幻ではなかったのだと思ったことを思い出した。

 火のないところに煙は立たない、必ずそこにには元となった事実があった。しかし実際に起こった出来事も悠久の流れの中、事実は忘れ去られ……今はおとぎ話として残るばかり。


 古来より受け継がれる、より強大な力を求め魔性と取引した愚かな人間の物語。

 あれらと同じ? ならば……。


 結末を予感して聞いた。


「これからもっと変化していくかもしれないってことか?」

「……ありえないとは言えない。ごめん、……ごめんなさい、エルウィン。私の所為で……あなたに、こんな……」


 ついに涙を落とし、倒れるようにしがみついてくるアシュリーを慌てて抱き留める。腕の中、震えて謝り続ける魔族は、その身に強大な魔力を宿しているなど信じられない程頼りなく、……そして儚い声で泣いた。

 ただただエルウィンを想って詫びるアシュリーから零れ落ちる透明な雫が肌に触れ伝う感覚にハッとした。だから、裸の肩を必死に掻き抱いて、激しく首を横に振る。


「お前の所為じゃないっ。オレが選んだ、オレの選択の結果だ!!」


 世界の為、ウェンディの為、……そしてアシュリーの為。

 この結果を望んだのはエルウィン自身。

 だから決してお前の所為じゃない。

 この結果はエルウィンが自分で選んで望んだもの。

 その行為の責任をアシュリーに求めたりは絶対にしない!! だからっ……。


「言っただろ、オレはお前のためなら人間やめられるって。だから別にどうなってもいいんだよ!!」

「エルウィン……」

「たとえオレが伝承通りの化け物になっても、お前が一緒にいてくれるなら、それ以上望まない。オレは、お前以外何もいらない!!」


 ……そう、おとぎ話の結末は殆ど同じ。魔性と取引して力を得てもそれは一時の栄華。主人公達は次第にその力を持て余すようになり、やがて身も心も人にあらざるものに成り果て、不幸になって終わる。

 理性を失う前に自ら命を絶つか心を失い同族に退治されるか、地域によって多少の違いはあれど、物語の最後は必ず、愚かな人間の命の終わりで締めくくられる。

 世界中で同じ結末が語り継がれているのは、過分な力を求めるなという戒めを皆が持っていたからではなく……それが実際に起こった出来事だからだ。


 魔族の力を人は受け入れられない。


 それは歴然とした事実で、もう二度と同じ悲劇を繰り返すなと過去の人々は伝えてきたのだ。

 なのに、おとぎ話の主人公と同じことをエルウィンはしてしまった。

 人の身で、魔族の力をその身に受け入れた。

 人にあらざる色に染まった髪と色を無くした瞳はその代償。


 しかし、即座に理解して尚、強く強くそれまで以上にきつく彼女を抱いて叫んだ言葉は強がりでないと、エルウィンには言い切れる自信がある。

 確かに不安はあった。変化は色彩の差異だけですまないかもしれない。これから徐々に肉体的にも、精神的にも変化していくのかもしれない。

 化け物と罵られるようなものになってしまうかもしれない。


 しかし、自分が違う何かに変化していくこと以上にエルウィンを恐怖させたのは、そのことを理由にまた最愛の人を失ってしまうこと、それだけだった。

 白刃に切り裂かれて消えた彼女をなす術失く見送ったあと、ロードに知らされた真意。果てしない愛情の証しとしてあなたがすべてを背負っていったことを頭で理解しても、拭えなかったものがある。


 その、想いは嬉しい。

 その気持ちはありがたい。


 でも…………!!


 あなたがいない場所にはどんな『幸福』も有り得ない。


 なのに、エルウィンが人外へ変化することの責任を感じたら、アシュリーはまた勝手に離れていってしまうかもしれない。勝手に己を責めて、勝手に決断してしまうかもしれない。


 ……そんなのはもう嫌だ!!

 置いていかないで、離れないで、ずっとずっと一緒にいて!!


 子供の頃願った望みそのままにアシュリーを掻き抱いて必死に紡ぐ。


「アシュリー以外いらない。何もいらない。だから、オレを置いていくな。もう一人にしないでくれ。頼むアシュリー、アシュリー、アシュリー……」


 そんなわがまま、誰に言ったこともなかった幼い日。

 我慢しか知らなかったエルウィンに子供らしい幸せをくれたのは、冷酷無比の魔族の彼女だった。


 初めて隣りで寝てくれた人。

 初めて外へ連れ出してくれた人。

 初めて好きになった人。


 エルウィンにとっての初めてをすべて与えてくれた人。

 もう絶対放したくない!!


「アシュリーさえいてくれたらオレは他には何もいらないっ」


 少年の日と同じ無邪気さ必死さを滲ませて宣言するエルウィンは、アシュリーの胸に顔を埋め叫び続けた。

 自分の胸に縋りついて子供のように泣く人を見下ろし、アシュリーもまた泣いていた。


 彼が泣く意味が理解出来るから、涙が溢れて止まらない。

 彼をこんな運命に巻き込んでしまったのは自分。


 何度も何度も頷いて、アシュリーは幼い彼を見つけ手を差し伸べたあの夜を思いながら堅く目をつぶり、彼に負けない強さですべてを抱きしめた。


「エルウィン……」


 万感の思いを込めて噛みしめ名前を呼んでも、もう謝罪は浮かばない。

 あの日出会わなければ、否、あれ以降でも彼を手放してさえいれば……分岐が幾つもあったのだろうことは予想出来る。けれど結局、アシュリー自らの選択の末今日、今に至った。


 ……ではもう謝るまい。


 自分で選んだ、自分で決めたことの結果がこれなのだ。

 最愛のあなたを人にあらざるものにした。


 けれどそのことを、愛おしいあなたを『不幸』にしたとは思わない。


 幸不幸の判断は本人の主観による。

 あなたは、魔族の自分と一緒にいることを至上の幸福だと言ってくれる。ならば、全力でその言葉を信じてあなたを愛することが私に出来るすべて。


 エルウィンは今幸せなのだ。


 姿が変わっても、もう二度と家族と会えなくなっても、エルウィンは幸せなのだ。

 納得して、アシュリーは何度も頷いた。


 かつても願ったのは、ただあなたの幸福だけで……あなたを幸せにするにはどうすればいいのか夜も眠れぬ程悩んだ。離れることが頭を過ぎったのも一度ではない。でも出来ないまま、ことここに至って……こうなった。


 彼の赤い髪を梳きながら抱き締めた人に語り掛けた。


「エルウィン、泣きやんで……私はもうあなたを置いて何処にも行かないから」


 やっと納得した決意を語って聞かせる。


「私はあなたと生きる。もう絶対離れない」


 それでも泣きやんでくれないあなた。私はどれだけあなたを不安にさせてきたんだろう?


 けれど、今度こそ約束を違えないと誓うから。

 もう絶対にあなたを手放さない。


 地獄の底まで共に……。


 抱いて、抱いて、抱き締めて……あなたに誓う。

 この生命果てるまであなたのそばに……。


「愛してる、エルウィン。もう絶対放さない」


 彼が納得して泣きやんでくれるまでずっと、アシュリーは同じ言葉を繰り返した。












ようやく二人が再会したので満足です。

長らくお付き合い頂きありがとうございました。

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