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至上の愛   作者: 高瀬海之
第二部

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22、背を押す言葉





 置換の術を始める前、イライアスからウェンディの周囲に描かれているのは、天地崩壊の魔法を唱えるための補助魔方陣だと説明を受けた。


 天地崩壊の魔法。読んで字の如く、大地を崩壊させる破壊力を持った古代魔法だ。


 簡単に言えば、ウェンディが起爆剤、魔力が火薬の役目を持ち、ウェンディが目覚めることをきっかけに恐ろしい魔法が発動するように仕掛けられている。

 エルウィンの使命は、起爆装置を押しても爆発しないよう、火薬である結界内に封じ込めた膨大な魔力をすべて取り払うこと。


 不安はあった。

 天地崩壊の魔法など、エルウィンも書物でしか見たことのない上級魔法だ。

 途方もない魔力が必要で、その本には生命と引き換えに……とも書いてあった。

 それ程強力な魔法を発動するだけの魔力を自分が受け入れきれるのか……たとえ受け入れきれたとしても正常に意識を保っていられるか……。


 不安は上げれば切りがない。

 けれど、やめようとは思わなかった。

 自分が諦めたら、その瞬間ウェンディの死が確定する。

 アシュリーはウェンディを殺す。

 それだけは嫌だった。

 望みが0ではない以上、たとえ僅かな可能性でも皆が救われる方に賭けたい。

 たとえそれが殆ど勝ち目のない賭けで、自分を犠牲にする勝ち方になるとしても……。


 気付けば満月は随分と遠くなっていた。

 ここにきたばかりの頃は怖い程近く濃い色をしていたのに、いつの間にか薄く小さくなっていた月を見上げ、エルウィンはたった数時間で随分と変わった状況に軽く溜め息をつく。

 着々と準備を進めていくロードとイライアスを横目に手持ち沙汰でポケットを探って煙草を探した。けれど死地にまでそれを持ってくる余裕はなかったようで、見つからない。

 微かに笑い諦めようとしたとき、すっと目の前に煙草の箱が差し出された。


「いる?」


 先刻まで離れた場所にいたアシュリーが知らぬ間に隣りに立っていた。


「……ありがとう」


 彼女の意外な行動に驚きつつ、礼を言って一本抜き取る。火を求めると指を差し出され、その先に灯る炎で一服目を吐き出した。

 昔のアシュリーとキスした時と同じ味のする煙草だった。

 そういえば昔、自分と香りの違う煙草の味が嫌で文句を言って、喧嘩したことがあった。

 自分だって吸うくせに私にだけ文句言わないで! と怒鳴り合い、二三日口を利かなかった。

 よくもあんなくだらないことで喧嘩出来たものだと今なら思う。

 あの頃はあの日々が、アシュリーがそばにいる日々が、永遠に続くと信じていた。


 別れは自分が死ぬ時だと信じて疑いもせず、置いていく不安はあっても、置いていかれることなど考えもしなかったのに……。

 あなたを失って、そして……。


 隣りのアシュリーをそっと窺った。

 感情の乏しい顔で自分と同じように煙草を吹かしている。その横顔はエルウィンが愛したアシュリーと何等変わらない。

 姿形を愛した訳じゃない。

 アシュリーの全部を愛した。

 だから中身の違うこのアシュリーは、自分が愛したアシュリーじゃない。

 判っていても……やはりアシュリーは愛おしい。

 割り切れない感情に促され、声を掛ける。


「なあアシュリー」


 蘇った彼女に直接呼び掛けるのは多分初めてで。

 呼ばれこちらを見る彼女の反応が、前とは違う人なのだと判っていても嬉しかった。

 予想外に、呼び捨てにされたことを怒るでなくアシュリーは、何? と問う。


「一つだけ頼みたい。もし失敗して、ウェンディもオレも眠り続けることになったら……オレを先に殺してくれ」


 そういう可能性もあるのだ、だから頼んでおきたかった。

 人の感情など気にしないアシュリーなら、実行するかは別にしてあっさり了解すると思っていた。しかし予想に反し、なんで? と問われる。


「なんで先に殺してほしい訳?」

「……妹が死ぬのを見送るしかないのは嫌だ」

「ほんの数分の差よ」

「それでも……オレが先にいってウェンディを待っててやりたいんだ」


 訳も分からずくる彼女が迷わないように導いてやりたい、兄として、せめて……。

 呟いたエルウィンの声に被るように、低くアシュリーが何か言った。


「なに?」

「そんな下らない心配するならやめれば?」


 大袈裟な溜め息と共に吐き捨て、ついでに煙草の煙もエルウィンに吐きかける。煙さに顔をしかめるエルウィンをせせら笑い、投げ捨てた吸い殻を靴先で踏みつぶしながら続けた。


「妹を助けるって言いながら失敗すること考えてるなら、やめさないって言ってるよ。結局あんたは妹を見殺しにして卑怯者になるのが嫌なだけなんでしょ? 人のためじゃない、自分の見栄のため。そんな覚悟でしかないなら、卑怯者になって生き延びたほうがまだマシ。わざわざ短い生命無駄にしなくても、今ならまだ逃げたって誰も知らない、妹殺しが怖いなら私が代わってあげるから」


 逃げなさい……と肩を押される。軽く突き飛ばされ、数歩後ろへ下がったエルウィンは即座に怒鳴り返した。


「おまっ…ふざけんな!!」


 人がどんな覚悟でっ……続く言葉を遮ったのは睨むように見てくる琥珀の瞳だった。

 真っ直ぐエルウィンを見て、アシュリーは続ける。


「別にふざけてないわよ。本当に失敗したくないなら、後のことなんて考えないで前だけ見て、成功して二人とも生き残ったらどうなるか、そっちを心配した方がよっぽど建設的だと思うけど?」


 言って、面倒臭そうに髪を掻き上げたアシュリーはすかさず二本目の煙草に火をつけ、横目でエルウィンを窺う。

 その間エルウィンは、投げ付けられた言葉の意味に呆然としていた。


 もし二人とも生き残ったら?


 考えもしなかった新たな道。

 確かにそちらの方がよほど困難だ。


 今、生命を懸けて救おうとしているウェンディは真実を何も知らなくて……ウェンディを含む人間はエルウィンを魔族の手先だと思っているし、魔界侵攻計画も発布されたまま、イライアスが今後どうする気かも聞いてない。


 自分達を取り巻く状況は何も変わっていない。

 正直、後のことなんて何も考えてなかった。


 ……否、生き残ることを、考えてなかった。


 彼女を救うことを、ウェンディの代わりに死ぬことだけを、考えていた。

 生き残ったら……なんて意識にも上らなかった。


 ハッとして思わず口許を手で覆った。

 自分がどれ程後ろ向きになっていたかアシュリーに教えられる。

 死に方を検討している場合じゃない。それじゃ…始める前から賭けに負けている。

 既に気持ちの上で負けを予想していた自分が恥ずかしくなって、ハハ…と笑ったエルウィンは急速に胸にわき上がる何か暖かいものを感じて、何度も何度も頷いた。


「……………そうだ、お前の言うとおりだ。ありがとう」


 気を張っていないと泣いてしまいそうだった。

 そのくらい嬉しい。

 だって、彼女はもう別人になってしまったんだと思っていた。

 自分の知っているアシュリーではない……諦めていたのに、アシュリーは別人になってすら、自分を救ってくれる。

 彼女にそのつもりはないだろう。でも、アシュリーの言葉が後ろ向きだったエルウィンの背中を押し、前を見る力をくれる。


 変わっても、忘れても、アシュリーはアシュリーだった。

 エルウィンの愛したアシュリー。


 失った日々に感じたものと同じ愛情を噛み締めて、やがてエルウィンは勇気をふり絞って声を出した。


「なあ」

「今度は何?」

「棒読みでいいから言ってほしい」

「……何を?」

「エルウィンになら出来る、って。お前が言ってくれたらオレはどんな困難にも立ち向かえるから」


 今のアシュリーには訳の判らない言葉だろう。案の定アシュリーは怪訝そうに顔をしかめている。

 しかし、やがて彼女は居住まいを正し、真っ直ぐエルウィンの目を見て言い切った。




「あなたになら絶対出来る」




 それは在りし日の彼女の言葉とまったく同じだった。




 言葉の一つ一つの放つ雰囲気までまったく同じに感じる。

 同じ人が紡いだのだから同じで当たり前なのだけれど……同じ人じゃないと判っているから違和感があった。

 多分、それはアシュリーの癖で特別な意味などないのだろう。


 しかしかつても<エルウィン>と名前を呼ぶのと同じくらい呼んでくれた。

 <あなた>と……。


 慣れ親しんだ呼び掛けは確かにエルウィンを奮い立たせた。


「……ありがとな、アシュリー」


 礼を言って背を向ける。


 もう思い残すことはない。

 ………なんて、露ほども思わなかった。



◆◆◆◆◆



 深く呼吸してウェンディを包む結界に手のひらを翳したエルウィンのそばに立ったイライアスは、確認の意味を込めて最悪の想定を声にした。


「もしお前が全部を受け止めきれないって判ったら、オレはその時点で封呪の結界を重ねて張る。その後は……言わなくても判るよな?」

「ああ」

「今ならまだやめられるよっ」


 イライアスの隣りに並ぶロードはもう涙目で、まだ諦めずに引き返すようエルウィンを促す。


「ロード、お前しつこすぎ」

「だって……」

「大丈夫だって、オレを信じろ。絶対成功させるから」


 尚、言い募ろうとしていたロードを遮って、エルウィンは不敵に笑ってきっぱり言い切る。俄かに変わった彼の雰囲気にロードは瞳を瞬かせた。


「エルウィン……?」


 先刻までもエルウィンはロードの哀願をきっぱり拒否していたが、今のエルウィンは何か違っていた。

 そう、先刻までは大丈夫なんて言わなかった。自分がどうなっても、最悪ウェンディだけは救う……捨て身の覚悟しかなかったエルウィンの中に、希望があるのを感じた。

 描く未来に何かしらの希望を抱いて、彼はもう一度はっきり告げる。




「オレにはまだ生きてたい理由がある、オレはまだ死ねない。だから、絶対大丈夫だ」




 笑う顔には自信が満ち溢れていた。

 どうせ根拠のない自信なのだろうに、そんなことは一切悟らせない鉄壁の笑顔。

 この人に任せておけば何の心配もない、絶対に大丈夫。

 そう無意識に他者に信じさせるエルウィンらしい顔で、また大丈夫と笑う。

 吃驚して言葉を失ったロードは、ハッとしてアシュリーを探した。三人とは距離をとって、木の幹に凭れて腕組みしているアシュリーに変化はない。

 でもきっと……きっと何かあったんだろう、彼らの間に。

 それ以外に、諦めに俯いていたエルウィンがもう一度顔を上げる理由が思い浮かばない。エルウィンの想いの深さに唇を噛んだ。


 幼い日に芽生えた想いは、ずっとずっとエルウィンの人生に絡み付き、彼の人生に影響を与え続けた。

 それは不幸なことではないだろうか?

 もしあの日彼らが出会わなければ……そうすべてを否定ようとしたこともあった。

 しかし、彼らがあの日出会わなければ今こうしている現在はなく。

 イライアスを止めることも出来たかどうか判らない。


 彼の想いが現在を作った。


 強い強い一途な思いが……。

 <奇跡>を呼んだ。


 滅多に起こらないから<奇跡>と呼ぶのに、それに類するものをロードは何度も目の当たりにしてきた。


 最初の一つ、それから次々と……。

 エルウィンが起こした奇跡の数々を思い返し、涙を拭う。

 エルウィンの抱く根拠のない自信と同じくらい希薄な、曖昧なものだけど、信じよう。

 信じて願えば、また、必ず奇跡は起こる。


「頑張って……」


 呟いたロードを見て、まかせろとエルウィンは笑った。












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