19、最終決戦
完全に月が満ちた夜。
夜の帳が下りてから身支度を整えたエルウィンは、家の前でぼんやりと煙草を吹かしながら夜空を見上げていた。
青く見える空に星はなく、晧々と光る月があるだけ。異界への入り口のようにぽっかり浮かぶ月に向かって煙を吐く動作はどこか溜め息にも似ていた。
今夜世界の命運が決まる。
もしかしたら明日はないかもしれない。
この夜は永遠に明けないかもしれない。
……知っているかのように、世界はただ静寂に包まれていた。
獣の鳴き声もない静かな闇にもう一度白い煙を吐いて、軽く目をつぶる。
世界の明日がこの手にかかってる。
己に言い聞かせ瞼を開いたが、……やはり実感はなかった。
世界という大きなものを守ろうとしていることもそうだが、負ければ死ぬということに現実味がない。
今世界の実状を知ってるのはオレ達だけ。
オレ達が世界の命運を握ってる。
オレ達がイライアスを止めないと世界が滅びる。
そうはさせじとイライアスも対抗策を練るだろう。
苛烈な戦いになる。イライアスか自分達か、どちらか一方しか生き残れない。
……判っているのに、何度考えても実感がわかない。それにイライアスを止める、即ち殺すということにもまったく現実味がなく、戸惑うくらい普通にエルウィンは今夜を迎えてしまった。
イライアスを殺すことも、自分が死ぬことも、他人事のように捉えたままなのにもうすぐ約束の時間がくる。そうしたらロードとアシュリーが迎えに来て、エルウィンは行かなければならない。
こんな気持ちで決戦に望んでもいいのだろうか?
もっと重い覚悟が必要じゃないか?
武者震いさえない自分に自分で疑問を抱きながら待っていたエルウィンの目に二つの影が映った。月に出来た染みのような影は徐々に大きくなって近付いているのが判る。
アシュリーとロードだった。
「時間か…」
自分のために呟いて煙草を消して立ち上がる。
いよいよだ。
心の中で呟いてみても、恐れも、不安も、ましてや自信も、どんな感情も浮かばないことを空恐ろしく感じながら、地上に下り立つ二人と向かい合う。
地面に着地した途端、コウモリの翼はいつものようにマントに戻って、うるさそうにそれを後ろに流したアシュリーはちらりとエルウィンを見ただけですぐ顔を背けた。挨拶もない態度が微かに胸を刺す。
やはりアシュリーの冷たい態度は哀しい。
隠すために視線を彷徨わせたエルウィンに気付きもしないで、アシュリーは隣りのロードを急かすように軽く顎をしゃくった。
何かを促す動作にエルウィンもロードを見る。
「どうかしたのか?」
「それが、その…ちょっと予定が変わって…」
「変わった? 今夜はやめってことか?」
「違うんだけど……」
どうにもはっきりしないロードの物言いに焦れたのか、促したくせに途中でアシュリーがしゃしゃり出てきて一気に告げた。
「イライアスの方から、今夜封印の場所で一人で待ってるから絶対お前を連れてこいって言ってきたのよ」
「…オレを?」
封印の場所とは彼が長い間閉じ込められていた丘のことだろうか?
あそこで一人で待ってる?
それは信用出来るのかとか、どうして自分を名指しで呼ぶのかとか、疑問はたくさんあった。でも、聞いたところで明確な答えなど二人は持っていないだろうし、疑えばきりがない。
そもそも最初から厳重な警備の都に乗り込むつもりだったのだ。イライアスがどうやって待ち構えていようと今更恐れるものでもないだろう。
どんな罠があろうと突き進むだけ。
「判った。ならあそこへ行こう」
あっさり受け入れたエルウィンに、アシュリーもロードも驚いた顔をした。
「いいの?」
先に聞いたのはロード、不安に不審を重ねて一歩前に出る。引き止めるかのように伸ばされる手からそれと判らないくらい自然に身を躱したエルウィンは、迷いのない瞳で深く頷いた。
「場所が変わったってイライアスと今夜戦うことには変わりない。だったら何処でも一緒じゃねぇか」
「そうだけど……」
「罠だったとしても今更だ、覚悟はとっくに出来てる」
寧ろイライアスがそこにいるとはっきり判った分、数分前より事態は好転したのかもしれない。彼を探すために無意味な殺戮を行う必要はなくなるのだ。
儚い希望を抱いて、さあ行こうと二人を促し、エルウィンは遥か遠く都のある方を見つめる。そこで待っている敵を思い浮かべてみたが、やはりこれからのことに関しての現実感はさっぱり浮かんでこなかった。
◆◆◆◆◆
陸路を行けば遥か遠い道程も、翼を持って渡ればそう遠くない。海原も山脈も関係なく飛び越えて真っ直ぐに目的地を目指した。
幾度となく通った場所、間違えるはずもない。
迷うことなく、アシュリーも、エルウィンを抱えたロードも、イライアスが封じられていた丘へ下り立った。
妙に温い風が着地してすぐ元の姿に戻ったマントを靡かせる。
同じ風が彼の金色の髪を揺らしていた。
着地する前から彼の姿は全員の視界にあって。
本当にイライアスは一人で待っていた。
三人と対峙してもイライアスに変化はない。
舞い降りた三人を見つめる彼は非常に穏やかだった。
あまりに落ち着いた様が余計に不気味で罠はないか神経を尖らせるロードを余所に、さっさと前に進み出たアシュリーは後ろのエルウィンを親指で示して世間話をするような気安さで話しかけた。
「約束通り連れてきたわよ。それで、これからどうするの?」
「もちろん戦う。この世界の命運を賭けてな」
「ふうん…」
イライアスの酷く過激な発言にも驚いた風なく、アシュリーは嫌そうに、寧ろ面倒臭そうに眉をしかめ、ならさっさと始めようと首を左右に動かしてコキコキと鳴らす。しかし、やる気のアシュリーをイライアスが遮る。
「ただ、戦う前に聞きたいことがある」
呟いたイライアスの目がアシュリーを通り越した後ろ、会話に置いていかれていたエルウィンに向けられた。
「エルウィン、オレはオレから大切な人を奪ったこの世界が憎い、だから滅ぼしたい。……お前はどうして世界を救いたい?」
同じ恋をして、同じ結末を迎えた。
……なのに、自分達は決別の道を歩んでいる。
何故、彼は絶望しない?
奪われたことを恨みはしなかったのか?
他人の無理解や勝手さを怒りはしなかったのか?
問うイライアスの気持ち、エルウィンには痛い程理解出来た。
十数年前、アシュリーを、幸せを勝手に奪われ、どれ程苦しんだだろう。誰を憎めばいいのか、何に怒ればいいのか判らないで、死ぬことも考えた。
でも……エルウィンは生きていこうと思った。
エルウィンが愛したアシュリーが守り与えてくれた、この一生を、この世界で。
必死に生きていこうと誓った。
正に、この場所で。
だから真っ直ぐ彼を見つめ澱みなく応えられる。
「確かに最初は恨んだし憎んださ、何もかも勝手過ぎるって……。でもオレには…あいつが残してくれたもんがいっぱいあった。それを見捨てる男になったら、あの世であいつに会わす顔がない」
「……残してくれたもの?」
「ああ、ロードもベガも、親もウェンディも、全部あいつが生命を懸けてオレに残してくれたもんだ。あいつが死んでも、オレの周りにはあいつが残してくれたものがある。それ全部オレの大事なものだ、誰かの勝手で奪われたくない」
いらぬことで刺激しないよう、もう名前を呼ぶことさえ出来なくなった最愛の人。こんなにも深く今も愛しているけれど、それを彼女にぶつけることはもう出来ない。
アシュリー…というたった一言を声に出来ないまま、エルウィンはイライアスに判るように視線を前にいる人の後頭部に向けて言葉を噛み締める。
「それに何より……こいつがオレのことを忘れても、オレが好きなことに変わりはない。……大切な人を二回も奪われるなんて冗談じゃない」
まるで自分とは関係ない話題だと思っているのか、話している最中彼女がエルウィンを振り返ることはなかった。代わりに視界の端でロードが哀しそうに目を伏せたのが判る。
でもそれは判りきったこと、今更彼女には何も期待していない。
だから哀しいと思う感情を押さえ付けて、イライアスへ視線を戻す。
「それがオレがお前と戦う理由だ」
はっきり宣言したエルウィンを、一瞬哀れむように見たイライアスは睫を伏せ、溜め息に似た吐息と一緒に小さく呟く。
「そうか…」
「そうだよ」
短く沈黙が流れた。
その時間にイライアスが何を考えたかは判らない。しかし再び灰色の瞳が覗いた時、そこに迷いはなかった。
同じ立場にあった彼の言葉にも揺らがない決意を秘めた目に、憐憫も同情も最早ない。
復讐に燃える目でエルウィンを睨み、腰に携えた剣の柄に手を掛ける。
「………オレにはカレンを殺した奴等への復讐以外何も残ってない。人間は何百年経っても変わらなかった、だから全部終わらせるっ。もう誰もオレみたいな思いをしなくてすむように!!」
それがイライアスの結論。
数百年を懸けて彼が出した答え。
人間は変わらない。
もちろん魔族も。
ならば、どちらも滅びてしまえ。
理解しあえない二つの種族が共にあることが間違いなのだ。
関わり合いながらも相容れない互いなら、どちらも消えてしまえばいい。
そうすればこの先、同じ悲劇が繰り返されることはない。
自分とカレンのような、エルウィンとアシュリーのような……出会うべきでない二人が出会い、想い合った罪を生命で贖うような過ちが繰り返されることを、イライアスはもう望まない。
原因である存在そのものが消えてしまえばいい!!
憎しみを込めた最初の一薙をアシュリーとロードは虚空に舞い上がって易々と避ける。エルウィンだけが剣を抜き、衝撃波を同じ威力の斬撃で相殺し対峙した。
空中でぶつかった衝撃が霧散する前にイライアスがぶつかるようにエルウィンに飛び掛かる。受け止めたエルウィンと火花散らす剣を挟んだだけの至近距離でイライアスは心のうちに蟠るものを彼にぶつけた。
「そもそも最初から間違いだったんだっ」
「何、が!?」
「オレ達が出会ったことが、だっ」
語尾に被る勢いで繰り出された蹴りを紙一重で避けたエルウィンをすかさず斬撃が追う。それもすれすれで躱したが、正直何度も無傷で躱す自信はなかった。
元々エルウィンは肉弾戦が得意ではない。彼は魔術師であって剣士ではないのだ。武術は齧った程度、肉弾戦なら圧倒的に不利だ。知っているのかイライアスはひたすら剣で切りかかってくる。詠唱の暇を与えない剣撃にエルウィンは防戦一方だった。
しかも相手は魔族。人間離れした力で振り下ろされる剣撃は、なんとか受け止めても両手を痺れさせる重さを備えていた。その上風圧が刃となって襲いかかり、数瞬遅れて血をしぶかせる。エルウィンの腕や肩には痛みも感じない無数の切り傷が出来ていた。
受け止めるエルウィンを追い詰めるようにイライアスの攻撃は容赦なく続く。
一撃一撃を繰り出す度彼は叫び続けた。
「オレと出会った所為でカレンは殺されたっ。出会いさえしなけりゃ!」
「お前はそうでもオレは出会えて嬉しかった。あいつが魔族でも、オレが人間でも!」
「けど引き離されただろう? 理解しない奴等の所為でっ」
「だからって全部滅びろなんてオレは思わない!!」
渾身の力で斬撃を跳ね返し距離を取る。ハアハアと息を乱すエルウィンは数瞬の間にボロボロになっていた。
イライアスには一撃も浴びせていないのに、もう血塗れで……少しも勝てる気がしない。しかし、ロードとアシュリーに助けを求める気にもならなかった。
勝てる見込みはないが、彼らの手を借りて以前と同じ方法で止めても意味がない。彼を説得出来るのは同じ立場にある自分だけ……同じ思いをした自分以外に、本当の意味で彼を止められるものはいないと確信していた。
絶対にオレが止めてみせる!!
雄たけびを上げ自身を奮い立たせ、エルウィンは再び大地を蹴った。
対峙する二人をハラハラしながら見ていたロードは、そばのアシュリーがいつ間に割って入るのかにも神経を尖らせていた。
どうせアシュリーのことだから、二人の真剣勝負にもまったく興味は無いだろう。隙を見つければ卑怯も何も構わずに、手を出すに違いない。
しかしいつまで経ってもアシュリーが手を出す気配はなかった。
不思議に思い隣りを窺うと、アシュリーは眉をしかめた顎に手を当て唸っていた。どうした? と聞く前に口を開く。
「…ねぇロード」
「何?」
「変じゃない」
「何が?」
「イライアスはどうして魔力を使わないの?」
「…え?」
「エルウィンくらいあいつが本気を出せばどうってことない相手よ。なのに……わざわざ手を抜いてる?」
言われてハッとした。
確かにそうだ、先刻からイライアスは魔力による攻撃を一切行っていない。
剣撃は風圧によるものだし、それ以外イライアスは攻撃らしい攻撃をしてない。手を抜いていると言われても仕方のない戦い方をしていた。
少し考えたロードは重なる二人の過去を思い、馬鹿にされるだろうと予想しながらも言ってみた。
「エルウィンに殺されたい…とか」
「……そんなわけないでしょ」
心底馬鹿にした顔でロードを睨んだアシュリーは、ハッと顔を上げ自分達の後ろの広がる森林を振り返った。見られたことに怯えたように木々が風に震えてざわめく。
その向こう側、アシュリーの視線の先には昔彼らが過ごした家の跡地があった。
嫌な予感をロードも感じる。
「何か企んでる…?」
「オレ、見てくる!」
言いながら走り出したロードは、疾風となってアシュリーの前から消えた。
◆◆◆◆◆
戦ううちにコツを掴んだエルウィンは、短い詠唱で刃先に魔力を宿らせ、剣撃に乗せて放つことが出来るようになった。本来は大きな魔法の使えない剣闘士が使う技だが、長い詠唱を唱える暇がない以上有効な手段だった。
エルウィンの攻撃がイライアスに傷を負わせるようになり、やっと決闘らしい雰囲気が生まれたと感じた瞬間、突然何もない空間から現れた茨がイライアスの全身を縛り、身動き出来ないよう捕らえる。
エルウィンも吃驚した。慌てて周囲を見回すとアシュリーがイライアスに向かって片手を突き出している。彼女が捕縛の呪文を使ったのだ。
「アシュリー!!」
邪魔したことを純粋に怒って怒鳴ったが、彼女は一切気にすることなく地面に倒れ込んだイライアスに罵声を浴びせた。
「何処まで性悪なの!! 手の込んだことして!!」
がなるアシュリーのそばにロードがいないことで何となく事態を飲み込んだイライアスは観念して身体から力を抜いた。
「………あー、ばれちゃったか」
「当たり前よ!! …ほら立ってっ、行くわよ」
走り寄ってきたアシュリーは倒れたイライアスの脇腹を容赦なく蹴りつけながら、行為にそぐわないことを言ってイライアスを急かす。確かに茨が縛っているのは胸から二の腕にかけてだから歩くのに支障はない、イライアスは渋々立ち上がった。
エルウィンは何がどうなったのか判らないまま、彼らのやり取りを見守っていた。
今までイライアスと対峙していたのは自分だったのに、急にアシュリーが邪魔をして、急にイライアスがおとなしくなった。
事態においてけぼりを食って呆然としていると、アシュリーではなくイライアスがエルウィンを誘う。
「エルウィンも来た方がいいよ」
「…何処へ?」
「この馬鹿が仕掛けた罠のとこよ!!」
それだけはアシュリーが言い、彼女は触れたら火傷しそうな目でイライアスを睨んだ。応えて、イライアスは薄く笑う。
イライアスのその薄笑みにエルウィンは見覚えがあった。
儚い、泣いてしまいそうな笑顔。
あれはそう……諦めの表情だ。
思い出したエルウィンが何か言う前に、イライアスはエルウィンの前を通り過ぎてアシュリーに従った。




