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至上の愛   作者: 高瀬海之
第二部

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15、カレンとウェンディ






 エルウィンが反逆者として捕らえられてしばらく経つ。しかし、その事実は未だ世間には伏せられたままであった。


 理由は、現魔術師の頂点にある人の息子が魔族と通じていたという事実は人々にいらぬ不安と混乱を招くだろうとイライアスが判断したから。だからエルウィンは、まだイライアスの屋敷の地下牢に監禁されている。


 捕らえられて以降もエルウィンに反省の色はなく。それどころか、外界を拒絶するように沈黙していた。薄暗い牢で己の思考の殻に閉じ籠り続ける横顔には疲労の色が窺え、ウェンディが何度か家族としての労りを投げ掛けたのに、それにすらエルウィンは応えなかった。


 外界を遮断したエルウィンが考え続けていることはイライアスも充分判っていた。

 ロードを止められなかった以上、確実にそれは起こる。



 アシュリーが、イライアスの悲願達成の最大の障壁が、蘇る。



 ……判っていながらイライアスはそれを妨害する術をとってはいなかった。

 何故だろうと自分でも不思議に思う。

 あの後すぐにロードを探し出すことは難しくなかった。探そうと思えば幾らでも手はあって、彼女を蘇らせる前に見つけだすことは可能だったと思う。

 そうしておけば彼らの来襲に怯える必要はなかったのだ。すべての憂いを断って、悠々と自分の望みを叶えることが出来た。


 ……なのに、しなかった。


 出来ないまま時は過ぎ……アシュリーという存在はこれから先イライアスにとって大きな障害となるだろう。

 判っていながらそれを放置した自分に、イライアスは微かな戸惑いを感じていた。

 どうして自分がそうしたのか、考える度蘇る情景がある。

 エルウィンを捕らえた日、絶望を与えたくて囁いた言葉に彼は言った。


『忘れたなら、もう一度出会って最初から始めればいいだけだろ? アシュリーがオレを忘れてもオレはアシュリーを忘れない。どんなアシュリーでも愛してる。……アシュリーを愛することはオレの誇りだ』


 正々堂々と真っ直ぐ前を見て言い切った彼。

 そこには一切の躊躇いがなかった。

 一片の迷いなく今までも、これからも魔族を愛すると宣言したエルウィンに恐れさえ抱いた。


 だから……そう、だからアシュリーの復活を止められなかったのだと思う。

 止めないのではなく、止められなかった。

 知りたいという疑問がイライアスの中に浮かんだから。


 どんなアシュリーでも愛せると言ったエルウィンの言葉と、そして……蘇る『アシュリー』を。


 イライアスの知っているアシュリーは、ただひたすらに冷酷な魔族だった。

 しかしアシュリーのそれは、大量の流血や無駄な殺戮を好むとかいう意味ではなく、自分の認めたもの以外には限りなく冷たくなれるという類いの冷酷さだった。

 アシュリーが愛しいもの以外に向ける冷めた視線はイライアスの背筋さえ凍り付かることもあり、彼女の一途さから発揮される冷酷な力は時にイライアスをも凌いだ。


 それが、イライアスと同等の魔力を持った異母妹、アシュリー。


 けれどイライアスは、血縁上そうであっても、彼女を妹などと感じたことは一度もなかった。

 イライアスにとって、アシュリーはいつでも友人だった。


 生まれた時から常にそばにあり、共に笑い、共に楽しみ、共に生きた親友。

 ……そして、共に生きていた間には決して判りあえなかった、女。


 イライアスが覚えている最後のアシュリーは、自分の胸を貫いた時のものだった。

 見上げた琥珀の瞳には行為に対しての迷いは一切なく、この胸を刺し貫いても平然としていた。

 彼女が自分に向けていた感情を推し量れば、それは当たり前の態度だった。


 アシュリーは最初から最後まで自分の愛し方を貫き、一度としてイライアスとカレンを受け入れなかった。ただそれだけなのだ。

 あの時のアシュリーにとっては自分が狂った理由さえ忌避すべきものだっただろう。だから、迷わず殺せた。

 その後の自分のいない長い時間をアシュリーがどんな風に過ごしたのか、イライアスには判らない。

 何を想い、何を考え……彼女がそれ程までに変わったのか。


 アシュリーは、人間を…エルウィンを愛したという。


 他人のためには指一本動かさなかったアシュリーが、あれほど恋い慕っていた自分さえ受入れなかったアシュリーが……人間であるエルウィンを愛して、その生命さえも捧げた。


 ロードからそのことを聞いても、最初は全く信じられなかった。彼らが揃って自分を欺こうとしているのかとさえ疑ったくらいだ。しかし、事実アシュリーはエルウィンのそばにあり、その上エルウィンの危機に我が身も省みずイライアスの前に立ちはだかって、意思の力だけでエルウィンを守り通した。


 あの時の必死なアシュリーの姿、見覚えがある。あれは、自分を魔界に連れ戻そうとしていた時の姿に似ていて……アシュリーが本気でエルウィンを庇ったのが判った。

 人間のカレンのために戦えなくなったイライアスを忌み嫌い殺したアシュリーが、人間のエルウィンを愛して、彼のために生命を賭けた。


 ……なんて因果な運命だろう。同じように生きて同じように死んで、今度は敵味方に分かれて争う。自分とアシュリーは、兄妹という星の下に生まれても、決して互いの歩む道が交錯しないように仕組まれているのかもしれない。


 だからアシュリーはまたイライアスの前に立ちはだかる。

 その『アシュリー』と(まみ)えたいと思うことは愚かなことだろう。

 ……判っている、でも確かめたいと思ってしまったのだ。



 アシュリー、お前は本当にエルウィンを忘れるのか?



 二人がどんな時を過ごしたのか、

 どんな風に愛し合って、

 そして引き裂かれたのか、

 イライアスは何も知らない。


 でも、アシュリーを変えた程の愛情。

 今も愛しているとあんな真摯な眼差しで言わせる程の愛情。


 そんなに大切なものを本当に忘れることが出来るのだろうか?


 イライアスは数百年の時を超えても、カレンを失った悲しみも、カレンを奪ったものへの憎しみも、何も忘れなかった。忘れられなかったからこうしている。


 それらすべてカレンへの愛情故だ。


 アシュリーも同じではないだろうか?

 たとえ外側からどんな干渉があったとしても、どうしても覆せない。

 そんな場所にエルウィンという存在はあるのではないのか?


 だとしたら……。


 戸惑いは、躊躇いとなってイライアスの全身を包む。青灰色の瞳に再び満ち始めた月の姿が写った。

 刃のように薄い月。いっそ本物の刃となって雑多な感情をこの心から切り離してくれたらいいのに……。

 親友の変化という思いも寄らぬ出来事がイライアスの完璧な計画を狂わせようとしている。それらを無視出来ない自分が酷く弱く思えた。

 だから強くあろうと思い出す。

 優しく笑ってくれた人の姿を…。


「カレン、オレはお前を絶対に忘れない」


 言葉にして己の決意を確かめた。


 ……だが、過去の人を愛しているではなく、忘れない。そう呟き始めた自分にイライアスは気付けなかった。それは、かつて心のすべてを支配していた彼女の存在が薄れ始めた証拠。

 忘れぬはずの憎悪を緩和させる存在がイライアスのすぐそばに迫っていた。


「イライアス様……?」


 突然背後から声を掛けられ、ハッと瞳を瞬かせる。ふと気付けば、窓際に立ったイライアスから二三歩後ろにウェンディがいた。


 ……いつの間に部屋に入って来たのだろう?


 深く思考の海を漂っていたイライアスはノックの音どころか、ドアが開閉したのさえ気付かなかった。

 まさか先刻の呟き、聞かれなかっただろうな?


 不安に思いながらウェンディを窺う。彼女はイライアスの驚き具合に自らも驚いて、どうしたらいいのか困っているようだった。褐色の瞳が所在無さげに彷徨う。

 どうやら大丈夫らしいと確信して、イライアスは取り繕うように、おかえりと微笑みながら早速彼女の頬に手を伸ばした。


「ただいまもどりました」


 すぐに深い抱擁で応えてくれるウェンディを抱き締め、彼女に判らないようにホッと安堵の溜め息をつく。

 ウェンディには何も気付かせてはならない。

 それは今のイライアスが何より強く願うことだった。

 そして願いは、ここ数日でより切実で純粋なものへと変わっていた。


 ウェンディには何も知られたくない、といってもいい程に……。


 逢瀬の挨拶を済ませ、僅かに距離をとってウェンディを見つめる。心労のためか、健康的に日焼けした顔には地下のエルウィンにも劣らない疲労の色が濃く浮き出していた。反逆者の兄を持ったこと自体よりも、その事実を世間に直隠しにしていることがウェンディの性格的に余計に負担になっているのだろう。

 気の毒に思って、少し痩せた気のする頬に手を伸ばす。手のひらにぶつかる頬骨の感触がやけにリアルで憐れだった。


 エルウィンの反逆だけでもウェンディはこんなに傷ついている。

 その上、自分の企みまで知ったらきっと彼女の心は壊れてしまうだろう。

 それは嫌だった。


 ……おかしなことを考えていると自分でも思う。

 滅ぼそうとしている人間の心配をするなんて酷い矛盾。そんなことをしてなんになる?

 無駄だと判りつつ、これ以上ウェンディを追い詰めることはしたくないのも本音。


 これもまたアシュリーのこと同様、予期せぬ誤算だった。まさか利用するだけのつもりだったウェンディにこんなにも心乱されるなるなんて……本当に計算外だ。

 考えながら見つめた先、円らな瞳と視線がぶつかる。


 ああ、本当に思い出の中のカレンの慈しみを含んだ目とウェンディの目は似ていた。

 その目に見つめられると苦しくて、イライアスは逃げるようにまたウェンディを抱き寄せた。


 ウェンディとカレンが重なる理由、最初は全く判らなくてただ混乱させられたが、……今はもう判っている。


 二人が似ているのは当たり前なのだ。

 二人が滲ませているもの、それは愛しい人への情愛なのだから……。


 気付いた時何故か吃驚した。


 イライアスはウェンディを利用するため、これまで意図的にウェンディから愛される人物を演じてきた。だから愛されて当然なのだ。しかし、そうなるように自分で仕組んだくせに、彼女から想われている事実に改めて気付いた時、イライアスは酷く狼狽えた。


 ウェンディは本気で自分を愛している。


 確かにウェンディは何も知らない。しかし、知らないままに本心から、ここにいるイライアスという存在を愛した。

 ウェンディが愛したイライアスが偽りでも、ウェンディが抱いている感情は偽りではない。


 <ウェンディ>はただ<イライアス>を愛している。


 愛されているという事実が己を躊躇わせていることに、更に驚かされた。

 カレンを失った時、イライアスはすべてをなくした。愛も情も夢も希望もすべて……あの日勝手に奪われた。

 だから、奪った人間を憎み、原因となった自分自身を含めた魔族を呪った。


 争うことしか出来ないなら人間も魔族もすべて死に絶えればいい!!

 復讐の名の下に、オレがすべてを消し去ってやる!!


 人間と魔族、否、この世界の消滅がイライアスの望み。


 そのためだけに生きてきたのだ。

 全部を終わらせるために練った計画。それを達成するためならどんな非情なことも出来ると思っていた。


 ……なのに、憎悪しかないはずの胸に沸き上がるのは、利用しているウェンディへの罪悪感。純粋な彼女を裏切る行為を辛いと感じ始めていた。

 再び出会ったカレンと同じ種類の人間を復讐の道具としている己の悪辣さに悍ましさまで感じる。


 ………でも、謝る言葉は見つからなかった。

 カレンの復讐をやめることは出来ない。


 彼女にはなんの落ち度もなかったのに、ただ魔族の自分を愛したというだけでカレンは殺された。その事実をなかったことして、人間の行為を許すことは絶対に出来ない。

 一部の過ちであろうと人類すべてで贖ってもらう他に手段が思い付かないのだ。

 たとえそれがウェンディを裏切り、彼女をも消してしまうことだとしても……。

 強くしがみつくイライアスの腕の異常な強さに不信感を抱いたウェンディは、そっと身を引きはがし彼の顔を覗き込もうとする。


「イライアス様? どうしたのですか?」


 気遣う優しい声が心に鋭い棘を刺す。


 一番大事なものを失った日、すべてを滅ぼそうと決めた。

 何もかも消えてしまえばいいと力の限り願った。


 すべてを無に帰すこと、躊躇いなどなかったのに……。

 ここまできて、躊躇う理由が出来てしまった。


 ウェンディがいなくなる。

 オレはウェンディを殺そうとしている。


 思い浮かべた途端涙が溢れそうになった。


「カレン……」


 聞こえないよう愛した人を呼んで、ウェンディに抱き付く。華奢なのに、彼女はイライアスが抱き付いても揺らぐことなくすべてを受け止めた。


 迷いが、走る。


 カレンのことは絶対忘れない。

 でも、きっと…………オレはウェンディを愛している。


 自分がまた誰かを好きになるなんてイライアスは考えてもいなかった。










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