09、この世界の摂理
アシュリーが焦がれに焦がれて殺したという、魔族のイライアス。
過去の人だと思っていた男が、実は現在も存在するかもしれないと気付いたのは、悔しいが彼と争った後だった。
彼の呟いた意味不明な言葉とアシュリーのカケラを壊そうとした行為で思い知った。
彼は『アシュリー』を知っている。
それでやっと、彼が昔話に聞いたイライアス本人かもしれないと思った。
魔族にとって肉体の消滅は完全なる死を意味する出来事ではない。彼もまた、アシュリーと同じ方法で復活を遂げたのかもしれない。イライアスがアシュリーと同じであるなら充分考えられることだった。
今人間の国家を牛耳っているのが、魔族のイライアス。
肯定された事実に目眩がした。
一番エルウィンを打ちのめしたのは、魔族のイライアスが誰にも気付かれぬまま人間の中枢に入り込み、すべてを意のままに操っていること。魔族に操られ勝ち目のない戦争に突入しようとしている同族の愚かさが、哀れで腑甲斐無くて泣いてしまいそうだ。
しかし泣いて蹲っても事態は何も変わらない。自分がなんとかしなければという使命感が現実に立ち向かい続ける力をくれた。
「おいロード、イライアスは人間と魔族を争わせて何をする気なんだ? これはオレ達人間にも関わること、いい加減全部話せっ。アシュリーを返すのはそれからだ!」
アシュリーがこのまま消滅することはないと聞いて安心したからかもしれない。エルウィンはらしい図々しさで打ちひしがれたロードの肩を掴んで揺すった。
そこにも傷があったのだろう、ビクンと身体を引きつらせたロードはやっと正気に返ったように瞳を瞬かせ、やがてエルウィンを見つめる。そして酷く今更なことを聞いてきた。
「エルウィン、……まさか全部判ってる? イライアスのことも…」
「当たり前だ、オレを誰だと思ってる」
イライアスのことに気付いたのがつい先刻だなんておくびにも出さず、偉そうにふん反り返ってやった。
根拠のない自信をさも真実のように演じられるのはエルウィンの才能の一つ。そうすることで今ロードの不安を取り除けるなら尚のこと、根拠のないものもあるように振る舞えた。
「そう…そっか……。そうだよね、昔からエルウィン凄い賢かったし、このくらい判るよね」
はったりに見事に騙されて、頷いたロードはそうかとあっさり納得する。緩んだ気配に擦り寄るように、エルウィンは更に強くロードを促した。
「ロード、オレは真実が知りたい。イライアスのこともアシュリーのことも、魔族のことも全部。一体今何が起こってるんだ?」
じっと彼の紫紺の瞳を覗き込んで、真剣に尋ねた。
ロードの方も気付いたエルウィンが強く迫ることは予想済みだったのかもしれない。彼に躊躇う様子はなく、どう話せばいいかな…と悩む仕草をみせて、やがて少し長くなるけど…と前置きして話し始めた。
「ねぇエルウィン、人間界と魔界がどういう関係か考えたことある?」
「関係?」
「そう、二つの世界の関係」
ゆっくり首を横に振る。人間と魔族は敵対関係にあるけれど、互いが拠点を置く世界の在り方まで考えたことはなかった。大体、人間界と魔界がどう繋がっていて、何処からどう魔族がやってくるのかさえ人間は未だに知らないのだ。
首を横に振ったエルウィンを確認したロードは一呼吸置いて、一息に言い切った。
「この二つの世界は表裏一体なんだよ」
「な…に?」
「人間界があるから魔界がある、その逆もしかり……二つの世界と種族は、互いに支え合いながら均衡を保って存在してるんだ。どちらか一方だけでは存在出来ない」
ロードの言葉はいつもエルウィンの想像の斜め上を行く。今回も例に漏れない、突拍子もないことだった。
二つの世界は表裏一体? そんな話初めて聞いた。
「ちょっと待てっ、そんな話始めて聞いたぞっ」
「昔は両方の住人が知ってたらしいけど、人間はいつの間にか忘れちゃったんだ」
「……そんな大事なことを?」
「うん、大事なことなのにね」
そう呟いたロードは酷く寂しそうに瞳を細めた。彼も今人間が踏み出そうとしている破滅への道程を知っているのだろう。アメジストの瞳に浮かんだ色は、同情という感情に酷似していた。
「オレもどんな原理でそうなってるのかは知らない。でも、片方の世界の変動はもう一方の世界にも多大な影響を与える。例えばこっちの世界の北の大地で頻発してる地震、あれはね、魔界の同じ地域で大きな戦争が起きてるからなんだ。ずっと争ってて、その影響があの地震。そうやって魔界の出来事は人間界へ、人間界の出来事も魔界へ影響する」
「嘘だろ…」
思わず呟いていた。
確かに昔アシュリーと滞在したこともある北の地方で地震が頻発しているのは知っていた。当時の友人の安否を確かめる手紙を送ったこともあった。
でもそれが、魔界で起こっている戦争の所為?
では、自分達が天災だと信じている出来事はすべて魔族によって引き起こされているものなのか?
エルウィンの疑問をよそにロードは更に続けた。
「昔、人間と魔族には仲良く暮らしていた時代があった。でも些細な出来事をきっかけに諍いが起こって、やがてそれは二大種族の存亡を賭けた大戦争に発展した。長い争いの末、このまま戦いを続ければどちらも滅びると悟った互いは、共存を諦めて住む世界を分けた。魔族の住む魔界、人間の住む人間界。そして互いの領域を侵さぬ約束の代わりに、世界を表裏一体にして二つの種族は別々の道を歩き始めた、ってね」
魔族なら誰でも知っているこの世界の摂理。
互いは互いを絶対に滅ぼせないように仕組まれている。
全く昔の人はうまいことを考えたものだと、この話を思い出す度思った。
「相手を滅ぼすことは自らを滅ぼすこと。だから人間と魔族は、拮抗し合いながらも今日まで滅びることなく生き残ってきた。人間は知らなくても、魔族はこのことを知ってる。だからオレ達も無意味に人間を殺してはいけないって教えられる………守るかどうかは別にしても、…ね」
つい浮かんだ苦笑は、その昔、無意味な殺しを自分も行ったことがあるからだ。知っていながらこの手を真っ赤な血潮に染めた日もあった。
「このことも最初は正しく受け継がれてたと思う。………でも代を重ねる悠久の時の中で人間は事実そのものを忘れた」
それは二つの種族の生きる時間の違いの所為かもしれない。
口伝で受け継いでいく記憶は代を重ねるごとに曖昧になっていく。
人間より遥かに長く生きる魔族にとって、それはまだ一つの過去。探せば何処かにその出来事に関わったものさえいるかもしれない。
しかし、人間にとってそれは、生き証人などいるはずのない遥か昔、太古の出来事。
かつてこの地で起きた古の大戦争は言葉として繰り返されるうち、伝承となり伝説になり、やがて人々の中で幻に変わった。
おとぎ話が実は真実だと誰が思うだろう。やがて、おとぎ話として語られることもなくなった時、歴史の真実は完全に人間の記憶から消えた。そして人間は再び魔族を自分達を滅ぼす種族であると定め、戦わねばならないと思い始めた。
「その根拠になったのが、オレ達の行いなのは否定できない。真実を知っててもやっぱりいるんだよ、弱者は力で支配しようとか、楽しみだけに人間を弄ぼうとする魔族は……でもそういう人は人間にもいるでしょ? 一緒なんだよ、オレ達も」
無意味に明るく言ったロードは、今の説明で判った? とエルウィンの目を覗き込んだ。
判ったかと聞かれれば話は理解出来た。でも、理解するのと信じるのとは別問題だ。
今まで信じてきたものを根底から覆すこの話をどう信じれば……悩むエルウィンを置き去りに、頷いたことでエルウィンが納得したと受け取ったロードは、だから…と更に話を先に進めた。
「また人間と魔族が争えば、どちらの世界も無事じゃいられない。判ってて、イライアスは人間を使って、両方を滅ぼそうとしてるんだ」
イライアスの名前が出てやっと、そもそもその話をしていたのだったと思い出す。
二つの世界の話はイライアスの目的を知るために必要な説明だったのだ。
二つの世界は表裏一体で、片方だけでは存在出来ない。そのことを知らない人間をけしかけて魔族と戦わせる。
それは何より無意味な殺し合い、この戦いに勝者はいない。
どちらが勝ってもそれはすべての滅びへの序曲だ。
太古の人々が互いを生かすために選んだシステムを利用して、イライアスはすべてを滅ぼそうとしている。
知ってしまった彼の目的に一瞬で背筋が冷えた。血液が一気に足下まで下がって、クラリと身体を揺らしたエルウィンはその場に尻餅を突く。
「大丈夫?」
慌てて支えようとするロードの手を断りながら、大丈夫と繰り返したけれど、実際頭は酷い混乱状態で放心にも近かった。
想像していた以上に話が壮大で、何処から手を付ければいいのか判らない。
それでも額に手を当て、必死に話を整理しようとした。その最中頭に浮かんだ重要な言葉はつい声になる。
「全部を滅ぼす…人間だけじゃなく…。それが、あいつの本当の目的」
「そう」
ロードの相槌を受けて、整理していた途中の頭に突如怒りが沸く。
「全部ってことは、魔族もか? ……そんなことしてなんになる!?」
種族も仲間も関係なくすべてを滅ぼしてイライアスは何を望む?
なんのためにっ、そんな無意味なことを願う?
馬鹿じゃないのかあいつは!!
感情が先走って声にならない怒りに拳を震わせるエルウィンを見ていたロードは哀しそうに瞳を細め、囁くような細さで呟いた。
「イライアスにはもう、魔族も人間も関係ない。あの人はこの世界のすべてを憎んでる」
「どうして!?」
「イライアスが愛した人間を、同じ人間が殺したからだよ」
怒りにたぎっていたエルウィンの頭をロードの言葉がガツンと強く殴り付けた。




