07、その生命を懸けて
イライアスが目を覚ました時、枕元には涙目のウェンディが座っていた。
「…ウェ…ディ」
「イライアス様っ」
乾ききった喉で呼び掛けると、ウェンディは良かったと繰り返して潤んでいた目を何度もこする。どうしてウェンディがそんな顔をしているのか判らなかった。
「オレ、どうして…?」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい…うちの兄が、兄様がこんな大怪我させて…」
「…大怪我?」
鸚鵡返しに言ってみて身体を動かそうとすると節々が酷く痛んだ。ふと気付けば、右手は包帯でグルグルに巻かれて固定されているし、それ以外にも全身に手当ての跡がある。
……どうなったんだ?
先にしかけたのは自分の方だった。先手を取ったはずなのに、どうして自分がこんなにダメージを受けている? エルウィンの反撃か?
考えて、やっと思い出した。
邪魔が入ったのだ、かつての親友の……。
イライアスが完全に勝ったと思った瞬間、彼女は唐突に現れた。
光に透ける半透明の身体で現れた彼女は、瞬きもせずにこちらを睨み付けながら、長いオレンジの髪を振り乱して立ちふさがる。けれど、両手を広げ、美しい珊瑚色の唇を歪め叫ぶ姿は、見知らぬ人のようだった。
『エルウィン!』
多分、彼女に魔法反射の呪文を使われたのだろう。反撃など予想もしていなかったからこちらにはなんの備えもなく。イライアスは己が放った魔法の全ダメージをそのまま受け、この様……自分のミスに悔しさではなく、おかしさが込み上げた。ウェンディから隠れて唇を歪める。
そして、次第にそのおかしさは、最後の力を振り絞って現れた人に向かっていった。
馬鹿じゃない…お前は何を考えてるの?
残り少ない魔力をこんな下らないことに使って、死ぬ気か? 人間ごときのために……。
お前はエルウィンのために消滅する気なのか?
かつての友に問い掛けながらその答えにも気付いていて、イライアスは沸き上がった不快感に眉をしかめる。
彼女はもう死んだと聞いていた。しかし、それが完全な死ではないこともイライアスは知っていたから、復活されないよう手を打つつもりだった。そしてやっとその所在が判って、一気にケリを付けようとした結果がこれ。
何も出来ないと思っていた人から予想外の反撃を受けた。
けれどその反撃理由がイライアスを更に不快にさせる。
……確かに自分は彼女を狙った。彼女を殺そうとした。
エルウィンは所詮その巻き添えを食ったにすぎない。
狙ったのはエルウィン自身ではなく彼が大事に抱いていた、彼女のカケラ。
あいつが己を守るために現れたのならば、こんなに歯痒い思いをしなくてもすむのに!!
明確に判っていた。
彼女が無理をして現れた理由。
あいつは自分を守るために現れたんじゃない!!
エルウィンを守るために出てきたんだ!!
エルウィンのために己の生命を懸けたその行動が腹立たしい。
あの場に現れた彼女に肉体はなく、精神体だった。
それも当然だろう、イライアスはこんなに近く彼女が在るのにまったく気付かなかった。それは彼女が酷く消耗し、親しいイライアスすら感じ取れない程微かな魔力しか宿してなかった証拠。
復活には程遠い魔力しか残っていないくせに、精神体だけとはいえ可視出来る状態で現れた。残っていた魔力を殆ど使ったのではないだろうか?
魔力を使い果たせばエルウィンが持つカケラも消滅する。
そしたら本当に死んでしまう。
復活されては困るから壊そうと思った。ならば、彼女が魔力を使い果たして自ら壊れるのも結果はイライアスが望んだものと同じ。
けれど…素直には喜べない。
目的を果たせても嬉しくない。
エルウィンのためにそこまでした彼女の行動がただただ腹立たしく、不快感しかなかった。
何故今更お前がそんな真似をする?
そんな真似お前らしくない。
ただ立ちはだかるだけなら倒せばすむことなのに、こんな事態は予想してなかった。
どうしてお前まで……!!
奥歯を噛み締め、思い通りに行かない現実に苛立っていると、その存在すら忘れていたウェンディが上掛けの乱れを直しながらそっと聞いてきた。
「…イライアス様、大丈夫ですか? 辛くありませんか?」
怪我の負担にならないようそっとそっとイライアスの首元まで上掛けを掛け直し、ガーゼの張り付けてある額の髪を梳く。その優しい行動にふと我に返ってウェンディを見つめ返した。
心配という二文字が色濃く浮かぶ褐色の瞳。生まれたての子馬のような純粋さと無垢さを宿して、イライアスを労っていた。
辛いだろうな…と無意識に思う。
ウェンディが自分に好意を寄せているのは、彼女の不器用な感情表現からでもすぐに察しがついた。その相手に自分の兄が暴挙を働いたかもしれない……真実を知らぬウェンディにはただただ辛いことでしかないだろう。
イライアスの怪我を思いやりながら、このまま自分とイライアスを繋ぐものが途切れてしまわないか不安に戸惑っている様が手に取るように判った。
兄と想い人との板挟みのウェンディ。
きっと優しい彼女のこと、どちらのことも想って心底辛く思っているはずだ。その気持ちが額の傷を撫でる指先から伝わってくるようで……微かに笑い掛け、大丈夫と掠れた声を出した。
正直、怪我の具合も聞いていないのでは大丈夫なんて言い切れはしなかったけれど、ウェンディが余りに辛そうだからつい言ってしまった。
ついでにエルウィンの状態も確かめる。
「エルウィンは大丈夫なの?」
「はい、兄は失神してるだけだって」
「そう……」
あいつは守りきったということか……その生命かけて、エルウィンを。
その執念がまた腹立たしく感じ、表情に翳りがさした。
イライアスの変化を敏感に感じたのだろう…ウェンディは顔を歪め、再び謝罪を口にする。
「あの…イライアス様、謝ってすむことじゃありませんけど、申し訳ありません」
深く頭を下げられイライアスはゆっくり首を横に振った。
「ウェンディの所為じゃない」
「でも、私が兄様のこと相談したからイライアス様は兄様の所に行って、それで……こんな…ごめんなさい、いくら謝っても足りない。兄様がこんな酷いことするなんて…」
必死に謝るウェンディの非は、イライアスが何か言う前から完全にエルウィンに向いていた。
ああそうか……理由はどうであれ、エルウィンはイライアスを傷つけた。先にしかけたのはイライアスだけれど、それを証明する術も実はない。この状況は寧ろエルウィンの不利に働いている。
なら、まだ修正の余地があった。こちらが有利だ。
エルウィンが今回の事件を含め、イライアスのことをどう言おうと、まだイライアスの言葉の方が信用されている。
ウェンディだけでなく、世間でも……。
普段の行いというのはやはり大切なものだとイライアスがほくそ笑んでいるとも知らないウェンディは、更に謝り続けた。
「ごめんなさい。私達に関わった所為でこんなことになって、イライアス様は関係ないのに…」
聞いたイライアスは瞬時に、現在はエルウィンとの板挟みであるウェンディの気持ちをこちらにより多く傾けさせる言葉を紡ぐ。
「関係ないなんて言うなよ。オレとウェンディの仲じゃないか」
「イライアス様……」
初めて会った日、彼女が惹かれたのであろうイライアスの姿を演じ、笑う。大人びた優しさでウェンディの傷ついた心を気遣うフリをした。
「今回はオレの言い方が悪かった所為もしれないだろ?」
思ってもいない言葉でエルウィンを庇い、ウェンディの純粋さに付け込む。
「それにしたってっ、話しにきただけの相手に暴力を振るうなんて。……私はもう兄様が判らない。なんでこんな酷いこと……」
呟き、ウェンディが頭を抱えて俯いた途端、イライアスはそれまでの優しさを一片も含まない目でウェンディを見下した。
その瞳に宿るのは侮蔑。
ウェンディは深く事情を聞いてもいないのに、状況だけで勝手に判断して一方的にエルウィンを責めている。今回はそれが自分の有利になるから口出しはしないが……イライアスはそういう短絡的な思考が大嫌いだった。
真実が別にあっても見えなくしてしまう思い込み。公正さを欠いたウェンディの思い込みは唯一の真実を闇に葬ろうとしていた。
もちろん、そのためにウェンディの前で善人を演じてきたのだが、事が計画通りに運ぶ安堵感と行為に対する嫌悪感は別物である。簡単に騙される彼女への嘲りと果てしない嫌悪を込めて心の中で囁いた。
お前の思い込みがどんな事態を引き起こすか、後で存分に後悔するといい。
そして心の中でとはいえ呪詛を吐いたとは思えない声と表情を作ってウェンディに語り掛けた。
「あのさ、こんなことウェンディには言いたくなかったけど、エルウィンはもうダメなのかもしれないな」
「ダメって……?」
「あっちにいた時間が長すぎて、オレ達の言葉は届かないのかもしれない。エルウィンは魔族を近く感じ過ぎてる、あいつを説得するなんて誰にも出来ないんじゃないかな…」
神妙な表情で、わざと突き付けた。案の定ウェンディの顔は絶望に染まる。
「………やっぱり、そうなのかなぁ。せっかく帰ってきてくれたのに…、なんで…なんで……兄様」
自分でも薄々感じていたとはいえ、更にはっきり突き付けられるのは余計に辛いだろう。堪えきれない涙を落として、ウェンディは両手で顔面を覆った。
細い肩が哀しみで頼りなく震える。
「…ウェンディ」
無理をして身体を起こし、手を伸ばす。顔を覆って泣く手を剥がして、代わりに頬を滑る涙を拭ってあげた。
「泣かないで、ウェンディが泣いてるとオレも泣きたくなる…」
「…イライアス様」
「ごめん、ウェンディを泣かせるようなこと言って。きっと大丈夫、こんなに想ってくれる妹がいるんだ、エルウィンだっていつか判ってくれる。だから泣くな」
「イライアス様」
思ってもいない言葉で慰め、縋りついてくるウェンディを受け止める。仮初の優しさで抱き締めて、イライアスは彼女のすべてを捕らえた。
……これでウェンディが自分の敵に回ることはないだろう。
そう確信した時にはもう、イライアスの意識はウェンディにはなかった。
思いを巡らした先、真っ先に思い浮かんだのは必死な琥珀の瞳と落陽を思い出すような鮮やかなオレンジ色の髪だ。今日、珊瑚色の唇を噛み締めて己を睨み付けていた人を思い描き、イライアスは空を睨んだ。
お前は、いつでもオレの邪魔ばかりするんだな……、アシュリー。
◆◆◆◆◆
自室のベッドでようやく目を覚ましたエルウィンを待っていたのは、優しい労りの言葉ではなく、事態の飲み込めない憤りを溢れんばかりに含んだ怒声だった。
寝覚めに父親に怒鳴られ大体の事態を理解したエルウィンは反論するでもなくただ黙って叱られた。そして父の退出に大きく溜め息を零す。
どうやらイライアスの怪我は相当らしい。仕掛けてきたのは彼の方だったのにおかしなものだ。
思いながらもその理由はちゃんと判っていて、ベットを抜けだし窓辺に立つ。
先刻まで眠っていた身体は非常に怠いけれど、別に何処も痛くない。それどころか衝撃を受け壁際まで吹き飛ばされた記憶はあるのに、魔法の直撃を受けたはずの自分は無傷で、逆にイライアスが怪我をしたという。
普通ではない状況に納得出来ているのは、あの場にいたのが自分達二人だけではないと確信しているからだろう。
もう一人の姿をエルウィンははっきり見た。
イライアスの手のひらから放たれた閃光を身に受ける直前。
『エルウィン!!』
聞こえるはずのない声が聞こえ、閃光に浮かんだ後ろ姿。見間違えるはずなどないオレンジ色の髪は在りし日のものと同じだった。
………カケラになってしまっても、彼女は自分を守ってくれたのだろう。
彼女が今もまだ自分を見守ってくれていると思うだけで強くなれる気がした。
これからのことを考えれば喜んでなどいられない事態だと思う。普段の言動等を見比べて周りは完全にエルウィンを加害者と見ているようだし、イライアスもそれに沿う証言をするだろう。この不利を覆す手段などまったく思い浮かばないけれど、……それでも、今は幸福だった。
「アシュリー…」
呼んで胸元のカケラを握り締める。やがて…カケラを抱き締めて彼女への愛しさに浸っていたエルウィンの脳裏を、不可解なイライアスの科白が掠めた。
『今度こそ、お前に邪魔はさせないっ』
その前にもイライアスは誰かに向けた意味不明な言葉を発していた。
あの場にいたエルウィン以外……一人しかいない。だったらあの攻撃はエルウィンではなく、このカケラに向けられたものだったのだ。
嫌な予感、というよりもう、確信がエルウィンの胸を支配していた。
そこでやっと気付く。
イライアスの攻撃を受けて、自分は無事でも庇ってくれたアシュリーは大丈夫だったのだろうか?
今更思い至って、革袋の口を緩めるのももどかしく中身を手のひらにひっくり返す。コロリと零れたカケラを見てエルウィンの頬が引きつった。
石に無数のひび割れが走っている。崩れないのが不思議な程多く深く走るヒビに思わず悲鳴が溢れた。
「そんな!!」
今朝までこんなものなかった。だったら原因ははっきり判っている。
ゾッとした。
これはアシュリーの魔力の結晶。
これを使って彼女は蘇る。
なのに、もしこの結晶が壊れてしまったら……?
最悪の結末を思い描き、エルウィンは今にも崩れそうなカケラを前に震えながら、唯一縋れる相手の名前を絶叫した。
ロード!!
◆◆◆◆◆
次の日、イライアスの策略にはまって言い訳も出来ないエルウィンは、私的な乱闘の責任をとらされ、無期限の謹慎と一階級降格を言い渡された。




