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至上の愛   作者: 高瀬海之
第二部

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33/52

06、アシュリーのカケラ





 イライアスに対する不審が拭えぬまま数日が過ぎた後、彼は唐突にエルウィンの執務室を尋ねてきた。いつも通りの薄笑みを浮かべて、驚いているエルウィンの様子には少しも触れない。


「ちょっといい?」

「……ああ」


 多少躊躇ったエルウィンを意に介さず、さっさと部屋に入ったイライアスは勝手に応接セットのソファーに陣取ると、エルウィンにも座るように促した。来客用に飲み物を運んでくる訳でもなく向かいに腰を下ろしたエルウィンは、先日の一件以来疑うようになったイライアスの張り付けた薄笑みに流されぬよう気を張って彼を見る。


「何か用か?」

「まあね」


 短く言って一旦言葉を切ったイライアスは、一切の前置きをしないままダイレクトにエルウィンの心の一番奥深くに在るものに触れる。


「あのさ、エルウィンが魔族に育てられたって本当?」


 気を張っていたおかげで突然の話題でも大袈裟に驚いたりすることはなかった。ただ予期せず撫でられた傷口の痛さにピクリと眉が跳ね上がり、彼を見つめる視線に険しさが宿る。

 ウェンディが話したのだろうか? ……否、エルウィンの前で口に出さないだけで皆そのことは知っている、彼女とは限らない。寧ろ、家族に深い傷を残した過去をあっさり話したなら他人の可能性が高かった。


『魔族にさらわれ育てられた人間』


 それがエルウィンについて問われ、真っ先に思い浮かぶ情報に違いない。どれ程の時をかけても消えないエルウィンに対する他人の認識。……別に消すつもりもないけれど、情報とはこうして本人も知らぬうちに広まり、後の世にまで伝えられていくものなのだろうか?

 だとしたら酷く勝手なものだと思う。しかし人の口に戸は立てられない、それは仕方ないだろう。

 それよりも、知ってわざわざ本人に確かめにくるイライアスの思惑の方が気掛かりだ。

 お前、それを確かめてどうする気だ?

 疑い思案しながらも先を促した。


「それがどうした?」


 告げた声に躊躇いは一切ない。

 確かな真実として存在するエルウィンの過去。隠さなければならないなどと思ったことは露ほどもなかった。だから、誇るように堂々と彼の質問を肯定する。

 少しも後ろ暗さを感じさせないエルウィンの態度を受け眉を潜めたイライアスは、やがて溜め息をつき、だから…と零して続けた。


「あなたは魔族との共存を望む訳?」


 問い掛ける表情に特に強い感情はなかった。今のエルウィンの態度を見れば、そう推理するのは容易いから、この質問はただの確認なのだろう。

 案の定、そうだと事も無げに続ける前にイライアスは勝手に納得した。


「それも図星か…」


 言って彼はくしゃくしゃと金色の髪を乱し、脱力を表すように大きく息を吐いて身体を後ろに反らせる。天井を見上げてこれみよがしな溜め息をつくと、しばらくその状態でいた。

 エルウィンも黙って彼を見つめ続ける。

 ここまではただの確認、重要なのはこの後だ。エルウィンが真剣にそれを望んでいると確認して、そしてイライアスがどうするのか……考えてふと思い付いた。

 もしかしたら彼はウェンディからそのことについて相談されて、今日ここに来たのかもしれない。聞き分けない兄のことを憂い、その考えを改めさせるために父が選んだこの人を信用して、妹は彼に縋ったのかもしれない。

 ウェンディの行動としては充分に有り得る想像だが、それで動くイライアスというのは正直エルウィンの予想にはなかった。


 イライアスはもっと利己的な男である印象があった。

 他人を思いやって余計なお節介をやき、余計な火の粉を被るのを何よりも嫌うように思っていたのに、違うのだろうか?

 ……それとも、もしやイライアスにとってウェンディが己を犠牲にしてもいい人になった?


 考えながら、どちらの可能性も薄いと即否定した。

 イライアスが実はいい人で、ウェンディのことを真実を愛し、彼女を想って行動したと思うより、エルウィンの動向がイライアス自身の損得につながるものだからであると考える方が余程納得出来る。

 ……ならば、イライアスのこの行動のきっかけがウェンディに相談されてのことだったとしても、理由は自分を慕うウェンディを思いやったのでも、エルウィンの異質な考え方を非難矯正するためでもないだろう。

 エルウィンの印象が正しければ彼は、他人の思考に思いを巡らすことすら面倒臭く思う男であるはずだ。

 他人は他人、自分は自分。きっちり別けて考え、自らに迷惑のかからぬ範囲でなら他人がどうであろうと興味を示さない。

 その彼が今動いている理由は何か別にある。

 何かイライアス自身に絡む事情が……。

 自分の理想がどうイライアスに影響しているか考えていたエルウィンの前で突然ガバッと身体を起こし前屈みになったイライアスは、灰色の瞳に翳りのない意志を宿して言い放った。


「エルウィン、魔族と人間は共存出来ない。どちらかが滅びない限りこの戦いは終わらない。それはこれまでの歴史が証明してるだろ」


 手始めにイライアスが並べたのは、もう何百回も聞かされ聞き飽きた当たり前の理論だった。

 歴史が証明する人間と魔族の争い。

 太古の昔より、力で劣る人間は魔族の理不尽な暴力に脅かされ怯えながら生きてきた。だから、魔族のいない安心出来る世界を手に入れるために魔族と戦うようになったという。


 無意味な暴力を振るう『魔族』という種族をこの地から一掃しなければ『人間』に安息は訪れない、というのがこの世界の通説。


 だから、エルウィンの訴える優しい魔族の存在など誰も信じていなかった。

 ……でもそれは、単に魔族と人間の交わりが、戦いの歴史の中にしか残されていないからではないだろうか?

 歴史とはいつでも、残す側の主観に寄って綴られるもの。もしかしたら過去の何処かには、自分達のように関わった人間と魔族もいたかもしれない。

 それなのにイライアスの述べる理論をもった大多数が、それらの声を無理に押し潰し消して、歴史に埋もれさせたのではないと誰に言える?


 それに、今のエルウィンのように白い目で見られ迫害されるのが判っている世界で声を上げるには膨大な勇気がいる。真実を伝えられないまま耐えるしかなかった人達も存在していたのかもしれないのに、口を塞いでおいてその声は聞こえなかった、だからないのだと言い張るのは横暴だ。


 自分とアシュリーがいる以上、それ以外がないとは言い切れない。否、あってもなかったことにされたと考えるべきだ。そういうものを一つ一つ紐解いていけば案外簡単に平和的解決策は見つかるかもしれない。

 愛しい人の姿がそれを強く強く信じさせてくれた。


 魔族も人間も互いをまだよく判っていないだけ……だから話し合って判り合えばきっと共存の道はある。


 念じて、暗い灰色の瞳を見つめ返した。

 冷静な意志を宿す黒真珠の双眸。宝石の光沢を放つ瞳は、その汚れなさからエルウィンの信念の純粋さと強固さを伝えてくる。

 ただ、元来思い込みが激しく、己の信念のためには他を顧ないエルウィンが自分自身の経験を元にした確信を持っていて、何も知らない他人の杓子定規な説得に応じる訳がないのはイライアスも承知の上だったのだろう。

 彼の表情にいつもの薄笑みはなく。覗き込んだ暗い水の底色の瞳には、深さ故に揺らがぬものが存在していた。

 それが自分と同等の、そして真逆の信念だとエルウィンが気付くのに時間はいらない。

 イライアスは通説をエルウィンに押しつけようとしているのではなく、己の信念でエルウィンを説き伏せようとしているのだと感じた。

 真逆のベクトルで存在する互いの信念が視線を媒介にぶつかりあって火花を散らす。



 純粋に『魔族』=『悪』を信じる口調でイライアスが囁いた。



「人間を想う魔族なんて絶対に存在しない。魔族なんて滅びるべき悪なんだよ」

「そんなことはない。あいつらだってオレ達と変わらない感情を持つ生き物だ。時間を掛ければ必ず判りあえる」


 自分とアシュリーが愛情を育てたように…。

 自分とロードが友情を感じたように…。


 触れ合って、気持ちのやり取りが正しく行われたなら、結果もそれに伴うものであるのだ。実際そうだったことをエルウィンは知っている。

 訴えるエルウィンを見て肩を竦めたイライアスは、鼻で笑って続けた。


「はっ、魔族と人間が判り合う? …無理だね。どちらかしか残れないよう運命さだめられてるんだよ、オレ達は」

「違う。それは人間の一方的な思い込みだ。大体、相手を理解する努力もしないで最初っから滅ぼそうなんて、人間の方が野蛮でどうしようもない生き物じゃないか」

「何百年もかけて魔族は人間がそうせざるを得ない状況に追い込んできたってことだ。魔族は人間の言葉なんて聞かない。理解しようとしない奴等に話しかけたって無駄だ」

「それは人間同士も同じだろ? 判りあえない人間がいるように、判りあえる魔族がいたっておかしくない。オレはそれを身をもって知ってる」


 暗にそれはお前とオレだ、という含みを持たせてイライアスを睨め付けた。

 少なくともエルウィンには、イライアスよりもアシュリーやロードの方が余程近いものに思えるのだから……。


 しかしイライアスは小さな刺に気を悪くした風もなく、ああ言えばこう言うエルウィンにただただ呆れているようだった。エルウィンの中に根付く魔族への親しさの根深さを甘く見ていたのだろう。

 いっそ呆れて見放してくれればこれ以上欝陶しい話を聞く必要もなくなる。エルウィン自身は自分の理想にイライアスを付き合わせる気は露ほどもないから、彼がさっさと諦めてこの実りのない会話を断ち切ってくれることを望んでいた。

 しかし、イライアスは意外な場所に切り込みを入れる言葉を続けた。


「………エルウィン、いい加減目ぇ覚ましたら?」

「どういう意味だ」

「古来から魔族は卑怯で姑息な生き物だっていわれてる、それにまんまとたぶらかされて……恥ずかしくないの?」


 己に対する明確な侮辱を感じ、俄かに視線が険しくなる。だが、怒気を孕む視線を向けてもイライアスは尚も言い募った。


「あなたをさらった魔族は優しかった? それがあいつらの手だったら? そうやってあなたに付け入ろうとして……ううん、もう付け入れられてるのか。そうやってあなたは魔族に利用されてるんだよ」


 イライアスのいわんとしていることに気付いて、即座に怒りがすべてを支配した。


「取り消せっ、今の科白は取り消せ! オレはそんなつもりで言ってるんじゃない!!」


 必死になるエルウィンを冷めた目で見据え、イライアスは更に嫌な見解を披露する。


「信じられないね。そもそもあなたが無事に戻ってきたことだって充分疑う材料になる。例えば、あなたは健康な身体と引き換えに自ら望んで魔族と契約した、とか」

「ありえない!!」

「たぶらかされてるにしろ、進んで協力してるにしろ、だからあなたは無事に人間世界に戻された。あなたの役割は内側から人間世界の崩壊を手助けすること。魔族を擁護する言動も、だからだって考えた方がよっぽど理屈が通ると思わない?」


 咄嗟に言い返す言葉が見つけられないくらい、彼の仮説には説得力がある。他人なら、素直にイライアスの意見に同意するだろう。


 エルウィンは魔族の手先、あるいは傀儡である。


 そもそもこういった疑いはかねてからあった。それこそ連れ戻されてすぐの頃から、かつてのエルウィンの病弱さを知っている大人達の中に、同じ疑いを抱くものがいた。

 それが一応沈下しているのは父親の権力故、未だ疑いを捨てきれないものにイライアスの言葉は酷くリアルに響くだろう。


 すべては幸運によるものではなく、巧妙に仕組まれた罠である。


 悔しいがその推理を覆す術がエルウィンにはなかった。状況は圧倒的に不利で、どんな言葉をもってしてもイライアスを論破することは不可能だ。

 絶望が、忍び寄ってくる。

 それを遠ざけようと言葉を探すエルウィンの上に、イライアスは殊更潜めた声で、優しささえ含んだ言葉の刃を振り下ろした。


「こんなこと知ったらきっと哀しむだろうね、ご両親も…、ウェンディも……」


 ひくりとエルウィンの全身が痙攣する。

 無事に戻ったはずの家族が魔族の手先かもしれないという疑念は、どれ程酷く彼らを傷つけるだろうか……しかも精神的に傷つけるだけではない、現実に身内すべての居場所を奪ってしまうことにもなりかねない。

 家族の、自分と良く似た瞳が哀しそうに潤む様に目眩がした。

 堪えるようにギュッと両手を強く握る。その手がか細く震えているのに気付いて、唇も噛んだ。


 家族が…これまでも散々哀しませた人達が、また苦しむ。

 自分の身勝手な想いのために……。


 考え、躊躇わなかったと言ったら嘘になる。

 数瞬の逡巡はあった。だが、結局は譲れなかった。


 それでも偽れない、想い。

 あなたを愛した気持ち。

 愛していると、今も言葉にしたい願い。


 アシュリー達と過ごした時間をなかったことには出来なくて、けれど家族を無下にすることも出来ない。

 どちらも大切で悩み苦しみ、明確な態度が示せないまま俯いたエルウィンの上に、はぁ…とこれみよがしな溜め息が落ちる。それきりイライアスは黙り込んだ。

 エルウィンも俯いたまま動かない。しばらくしてイライアスが席を立つ気配がした。

 彼はテーブルを回り込み、わざわざエルウィンのそばにしゃがみ込んだ。


「もしあなたが考えを改めないならあなたはオレの敵、邪魔するなら容赦しない。意味、判るよね?」


 ウェンディや家族を巻き込むという意味だろう。

 明確な脅迫だった。


 そんなものに屈するのは嫌だが、今この場で反論する言葉が思い浮かばないのも事実で……どうすることも出来ない自分が腑甲斐無く、ままならない状況の悔しさで瞼を開けることも出来ない。

 無意識に胸元のアシュリーのカケラを掴んでいた。助けを求めるように心の中でアシュリーの名前を繰り返し唱えて、強く強く握り締める。

 そうやって完全に自分の世界に入り込んでいたエルウィンは、だから、気付かなかった。


 彼が必死に自分の仕草を見つめ、やがて確信の笑みを浮かべたことを……。


 薄く笑ったイライアスは胸元を押さえる手からエルウィンの横顔へ視線を移し、低く独り言のように呟いた。


「馬鹿だね………誰も認めないのに、そんなもの」


 ククっと笑ったイライアスはゆっくり立ち上がった。

 彼が去るのだと思ったエルウィンは目を開け、こっそり真横にいるイライアスを見上げる。しかし、意外にもイライアスはその場を動かず、挑むような鋭い視線と目が合ってしまった。

 瞬間、氷水を直接心臓にかけられたような熱くて冷たい衝撃があり、鼓動が一瞬止まる。全身が、凍り付いたように動かなくなった。

 イライアスはエルウィンのすべてを凍て付かせた視線同様の冷めた声で、でも何処かぼんやりと紡ぐ。



「どれだけの時間を掛けたって、誰がどんなに望んだって、人間と魔族が愛し合える世界なんて来ない。そんな時代、来る訳ないんだ。…………………だからお前は死んだだろう?」



 え?



 疑問が頭を掠めた瞬間、キラリと輝いた灰色の瞳が視線を下げる。

 胸元を貫くイライアスの視線。


 ……そこにあるのはアシュリーのカケラ。


 意識した途端、先刻まで冷めていた灰色の瞳に激情の炎が宿った。急速に燃え上がった感情はその場にいるエルウィンではないところへ向けられている。


 なに?


 問い返す暇はなかった。

 スッと優雅な動作で目の前に翳されたイライアスの手のひらを青白い炎が取り巻く。瞬き出来ない黒真珠の双眸を青い色が染め上げた。

 ……だが、皮肉にもその炎がエルウィンを縛っていた視線の呪縛を解く。正気に返った咄嗟の間に出来たのは、両手で自身を抱き締め身体を竦ませることだけだった。

 エルウィンの僅かな抵抗に片頬歪めたイライアスは、魔力を放つ瞬間勝ち誇ったように叫んだ。


「今度こそ、お前に邪魔はさせないっ」


 彼が言い終える前にエルウィンの瞼の裏が白く白く染まる。

 同時に鼓膜が破れそうな耳鳴りがして、意思に反して身体がのけ反った。

 魔法の直撃を受け吹き飛ばされたエルウィンの身体が宙に浮く。それでも必死に両手は自身を、彼女のカケラを抱き締めて……。


 その瞬間、声が、…した。


『……エルウィン!!』


 光の洪水に凛と響く、声。


 壁に叩き付けられた衝撃で意識を失うまでの刹那の時間。

 でもエルウィンははっきりと見た。

 エルウィンを飲み込もうと押し寄せる閃光から彼を守るように両手を広げて立つ人の後ろ姿。



 爆風がオレンジ色の髪を靡かせていた。











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