04、ウェンディの苦悩
やはりというかなんというか……父の企みはそう簡単には成功しなかった。
午後から王宮で予定されていた新人の着任式と顔合わせを、肝心のエルウィンが平然とすっぽかしたからだ。
自分の嫌なことに関して、あの兄はそういう子供じみたことを平気でする。
そして怒り狂った父から、なんとしてもエルウィンを見つけ、引きずってでも連れて来いという酷く個人的な命令がウェンディに下された。
やっぱり……と頭を抱えたウェンディは渋々ながらエルウィンの探索に出かける。しかし、すっぽかしたと言っても兄の方もコソコソと逃げ回るような人ではないから、どうせいつもいる何処かで適当に時間を潰していて、見つかっても少しも悪びれず、忘れていたとすっと惚けるに違いない。
万事が万事その調子だから友達も出来ないのだ。
やっぱり今度の新人もあの兄と友達になるのは無理か……と始まる前からすっかり諦め気分になったウェンディは、はあ…と大きな溜め息と共に逃げ出す幸せを見送って、気持ちを切り替えた。
さて、兄貴がいそうな場所といえば……敷地内の幾つかの建物に思いを巡らせ、一番手近な図書館へ足を向けようとした時、ヒラリとウェンディの視界を白いものが横切った。
思わず手が出る。騎士としての抜群の動体視力で、人差し指と中指で上手にキャッチしたのは一枚の紙だった。
「すみません!」
途端に聞こえた謝る声。それを掴んだまま顔を上げると、今出てきた建物の二階から男が身を乗り出していた。
「すぐ取りに行きます!」
ウェンディの返事も聞かず、窓から身を乗り出していた青年は大声で言って、即座に姿を消す。言葉から察するに、これを飛ばしてしまったのは彼なのだろう。別に自分の用事は急ぐ必要もない、ウェンディはそこで彼を待つことにした。
身体を彼が来るだろう方向に向き換えながら掴んだ紙を手のひらに持ち替える。その時確認出来たのは、それが広大な敷地を有する王宮の地図だったこと。
咄嗟に閃くものがある。
「すみません、ありがとうございました」
ややあって息を切らして駆け付けてきた青年を見て閃きを確信した。
彼が纏っていたのは真新しい漆黒の導衣だった。
この国の宮廷魔術師は頂点に立つ一人を筆頭にピラミッド式の階級制度があり、それを判別する手段として制服である導衣の差異があった。造形の細かい差異は探せば幾らでもあるが、一番判りやすいのが色。
最高官であるウェンディの父だけ純白の導衣を纏い、それに次ぐ階級の魔術師は漆黒。エルウィンもこれに当たる。
それ以外にも、紺や紫といった白を際立たせるような暗い色が続き、ピラミッドの下に行けば行く程同じ色を着ている魔術師が増える。最下で一番メジャーな深緑の導衣をきた魔術師は掃いて捨てる程いた。
しかし、目の前の人は第二位の漆黒の導衣を纏っている。
ウェンディが知る限り、エルウィンと同じ黒い導衣を着る魔術師は王宮内には十人程しかおらず、その中に彼はいなかった。
……ならば、彼が父がエルウィンに紹介したい新人なのだろう。
確信して、走ってきた動悸を納めている人をじっと観察する。
年は兄と同じくらいだろうか? 呼吸を整えるため胸に手を当てて少し俯いた顔は、どちらかというと薄い……特徴に乏しい造形だった。その所為なのか、何処となく儚い印象を受ける。青白いとも言える肌の白さもそれに拍車を掛けているのかもしれない。
その頬に流れる金色の髪。全体的に長めで、目に掛かる金色の前髪は午後の日差しの穏やかさをそのまま捕らえたようにふわふわと揺れていた。
柔らかそう…と感想を持ったところで彼が顔を上げる。やっと見えた双眸は、青みがかった不思議な灰色をしていた。
その目がウェンディを捕らえて、目が合った時ふと感じた。
……泣き出しそうな空の色だ。
何故こんな明るい雰囲気の中、初めて出会った人を例えるのに思い付いたのがそれなのか、ウェンディ自身にも判らない。
ただ彼の瞳の色を表すのにそれ以上的確な表現はないと思えた。
水分を多量に含んで、今にも涙に似た雨を振らせそうな鉛色の雲……それを見上げ不安を覚えるのと同じものを今、彼の目を見た瞬間感じた。
ウェンディがそんな感想を抱いているなど知らない彼は、窓から吹き込んだ風に持っていた書類を吹き飛ばされた失敗を恥ずかしそうに話す。その様子はやはり明るく、何処にも雨を思わせる湿ったものは感じない。
でも……焼き付いた第一印象は薄れなかった。
やがて彼は話の終わりに手を差し出す。
「助かりました。それがないとまだ歩けなくて……」
それでやっとウェンディも本来の目的を思い出した。慌てて拾った地図を返すと、彼は有り難そうにそれを受け取りもう一度ありがとうと言って、……笑った。
それもやはり儚い笑顔だった。
……でも、なんだかとても…綺麗。
瞬間、とくんと小さくウェンディの胸が鳴る。無意味に体温が上昇したのが判った。
笑って目を細めると彼の灰色の瞳は殆ど判らなくなる。やがて青っぽい灰色の瞳が再び現れ、自分を捕らえたのが判ると動悸は更に激しくなって……ウェンディは何も言えないまま棒立ちになった。
……どうしたの、私?
声を出したいのに、出ない。
何かが先走って、言葉が声にならない。
言葉が喉に引っ掛かって呼吸さえままならない気がする。
自分の変化に困惑し何も反応出来ないウェンディをどう捕らえたのか……少し困って表情を暗くした彼は、ペコッと頭を下げ踵を返した。
ヒラリと導衣の裾がはためいて、縁取りに使われている真紅がいやに目につく。
警告を示すその色がウェンディを正気に返らせた。
去っていこうとする彼を、ウェンディは無意識に引き止める。
「待ってっ…」
咄嗟に出た声は自分でも予期しなかった程大きく、歩き出していた彼の身体がビクリと震え、足が止まった。恐る恐るといった風にゆっくり振り返った灰色の瞳がまたウェンディを見つめる。
目が合うとまた、頭の中で言葉が消えた。
何もかもが真っ白になっていくようだ。
そのくせ異常な頬の火照りを自覚する。
何かをしたくて、でも何がしたいのか判らなくて……ウェンディはいきなり膝に額がつくくらい深く身体を折り曲げると大きな声で謝罪した。
「あのっ…申し訳ありませんでした!!」
「……………ええ?」
「うちの兄がご迷惑お掛けしました!」
言ってしまってからそのおかしさに気付いても……今更頭は上げられない。
それはエルウィンの非であって、本来ならウェンディには全く関係ないこと。ウェンディが謝る筋はない。
……ただ今のウェンディが知っている彼の情報はそれだけなのだ。無理やり見つけた接点だけが、ウェンディと彼を繋いでいる。筋違いでもそれで今、彼が引き止められるなら構わない。
知らず必死に願って、ギュッと目までつぶって頭を下げ続けていたウェンディの上にしばしの沈黙の後落ちてきたのはしかし、予想もしない言葉だった。
「いやあの、意味がよく判らないのだけど…………兄って誰?」
戸惑った声にハッとさせられ顔を上げる。再び身体をこちらに向けていた彼は心底困り果てた顔でくしゃくしゃと髪を乱していた。
「私は、君のことを、知らないと思うのだけど……どこかで会ったかな?」
小首を傾げて問う仕草を見た瞬間、ウェンディの頬は自覚した羞恥の所為で火を吹きそうになった。
確かにたったあれだけの言葉で、彼がウェンディの素姓を理解するのは不可能に近い。しかもウェンディは、彼が本当に今日エルウィンが約束をすっぽかした相手かどうかも確認してないのだ。
すべて自分の思い込みによる行動、ただの早とちりという可能性だってある。
その事実にまた慌てて、ウェンディは自分の身元を明かし、彼が自分の家族に関わっているのではないかという推測を説明した。ただし、慌てているのと恥ずかしさで、簡潔に……とはいかず、何度も彼の合いの手に助けられた。
ようよう事態をまとめ、彼が判ったと頷いてくれてホッとしたのも束の間、顎に手を当ててしばし考えた彼がポソリと呟いた言葉で心臓が縮み上がる。
「確かに私がその相手だけど、……そうか、急病というのは嘘だったのか」
「あ…」
父が兄の名誉のためを思って取り繕ったのだろう。それを台無しにしてしまった失敗に気付き、ウェンディの顔が苦く歪む。
「少し変わっているとは聞いてたが、相当な変わり者のようだね、君の兄上は。父親とはいえ、上司の命令あっさりすっぽかすなんて宮仕えは向いていないんじゃないかな」
「………すみません」
彼の零す感想がいたたまれなくて、ウェンディはしゅんと肩を落とし我が事のように落ち込んだ。
「いや、君を責めている訳では……」
「いえ、私もその通りだと思いますから……。兄様、本当に変わってるんです。だから友達もいなくて……あなたがそうなってくれるといいと思ってたんですけど……」
などと、ついまた余計なことを口走ってしまう。言ってしまってから失言に気付くと、さすがに今度は彼も苦い顔をしていた。
「そんな企みも? ……それは私でも逃げるよ。この年で友達を親に押し付けられるなんて……」
「そう…なんですけど…」
そこに酷く複雑な事情があること、彼は知らないのだろうか?
……知らないのだろう。昔のことといえばそうだし、父が自分からその話をするとは思えなかった。寧ろ、彼が知らないのをいいことにエルウィンを押し付けようとしたのかもしれない。
改めて考えてみて、なんて勝手で姑息なんだろうと自分自身でも思った。兄だけではなく彼にも本当の申し訳なさを感じ、再度頭を下げてごめんなさいと謝罪する。
「まあ君に謝って貰うことじゃないからいいんだけど……」
歯切れ悪い返事がもう彼と兄の未来を否定しているように感じた。
兄の方はもちろんだけど、彼もそうやって誰かの策略にのせられるのを嫌う性質なのかもしれない。
……だとしたら、この出会いは最悪だ。
エルウィンと彼が、ではない。
自分と彼の出会い、そしてこれからが完全に否定されたのだ。今これだけ墓穴を掘った自分を彼が快く思ってくれる訳がない。
そのことが哀しくて淋しくて、ウェンディは睫を伏せる。この短い時間で彼という存在を酷く重く捕らえるようになった自分自身に気付かぬまま、ウェンディは激しい後悔と悲しみで潤んだ目を無意識に擦った。
泣きそうになっている自分がよく判らない。
どうしてこんな急に……。
自分に戸惑っているウェンディを置き去りに、彼は自分なりの結論を出したらしい。ぽんと一つ手を打って、まあいい…と零した。
「とりあえず、兄君のところへ案内してくれるだろうか? 今日中に挨拶だけはしておきたい。それから先のことはその時考えよう」
「…え?」
「一応同僚になる訳だし、お友達になれるかどうかは会ってみないと判らないだろう?」
まずは会いに行こうと、意外にも明るく促された。
その瞬間、怒ってないのか? とか、嫌じゃないのか? とか駆け抜けた疑問は多々あった。けれど一番強く意識したのはそんなものではない。
ウェンディにとって今の彼の言葉は、閉ざされたと思って絶望した彼と自分との未来に希望を繋ぐものとしてしか捕らえられなかったのだ。
現れた希望が心底嬉しくて、別の意味で泣きそうになる。
何処に行けば会える? と聞かれても咄嗟には答えられないくらい舞い上がって、落ち着くのに随分時間が掛かった。彼に怪訝そうに見られているのに気付いてやっと正気に返る。慌てて、考えを巡らせた。
「あ、えっと…きっと、この時間なら図書館にいるはずです。ご案内します」
言って、彼と一緒に歩き出そうとしていたウェンディは直前で踏み止どまった。そして並ぶと少し上にある彼の顔を見上げる。
「あの…」
「はい?」
「私、まだあなたのお名前を窺っていませんでした」
灰色の瞳がウェンディを見つめる。
やはり吸い込まれそうに不思議な色をしていて、見惚れた。
「ああ、こちらこそ申し訳ない。私はイライアス、これからよろしくウェンディ嬢」
ウェンディが騎士服だったからだろう、彼は握手を求めて右手を差し出してくれて、……また一つ笑顔が咲く。
その笑顔にまた見惚れてしまって、握手一つに酷く緊張したけれど、彼と自分にこれからがあるのだと思うとウェンディも笑えた。
日の光の中、自分にだけ向けられた笑顔が、痛い程深く胸に焼き付く。
でも……ニコリと笑ってくれた顔はとても綺麗で鮮やかなのに、やはり儚く感じたのはどうしてだろう?




