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至上の愛   作者: 高瀬海之
第二部

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03、ウェンディの憂鬱





 長い間生死不明だった兄が予期せず家に戻ってきたのは、ウェンディが十二歳の時だった。


 兄がいるのだとは幼い時からずっと聞かされていた。でも、その人は五歳の時魔族に連れ去られてしまったそうだ。

 その時産まれたばかりだったウェンディも生命を奪われかけて、一度に子を二人共失いかけた母は狂いそうだったという。けれどウェンディはなんとか生き延びて、成長することが出来た。


 毎年兄が連れ去られた日が巡ってくる度、お前だけでも助かって良かったと父母は言っていたけれど、子を失った彼らの表情から本当の意味で翳りが取れることはなく。


 両親はいつもいなくなった兄を思い心を痛めていた。


 魔族に連れ去られた息子が生きているとは考えにくい。もうきっと……思いながらも諦めきれない彼らは、小さな希望に縋りいなくなった子の無事を祈っていた。

 そんな両親の姿を見て育ったウェンディは、だからせめて、自分は兄の分も両親の期待に応える子でありたいと、兄はもう戻らないとしても自分がいるからそんなに哀しまないでほしいと子供心に願っっていた。


 けれど、思い願うだけで現実がそのとおりになるなら誰も苦労はしないだろう。


 もちろん願うだけでなく、ウェンディ自身努力もした。………しかし、どうしてもウェンディは両親が頭角を表すことを期待した魔法という分野には馴染めなかったのだ。

 その代わり、身体を動かすのは好きだった。剣技や格闘技においては、女子でありながら幼い頃から天才と周囲から認められていた。だが、どれ程武芸に秀でていようとそれでは意味がない。


 父は国家一の魔術師。

 母も宮廷魔術師を多く排出する家柄に連なる血の持ち主である。


 父母が欲したのは、その血を色濃く継いだ魔術師たる子。


 なのにウェンディにまったくその才能はなかった。二人の子でありながら、それを持たぬ自分にどれだけ悔し涙を流しただろう。

 その度過ぎるのは、幼くしていなくなった兄のこと。

 兄は身体こそ病弱であったけれど、秘めた才能は相当なものだった、成長すれば父を遥かに凌ぐ使い手になっただろうとみんなが言っていた。

 そんな兄とは違い、初歩の魔法で躓き、苦労しているウェンディを見つめる皆の目にはいつも、いなくなったもう一人を思う気持ちが同居していた。


『エルウィンだったなら……』


 誰かのうちにその感情を見つける度、いたたまれなくて、消えてしまいたくなった。

 生きていたのが自分で申し訳なくて耐えられない。


 自分ではなく兄が助かれば良かったのに……。

 きっと皆その方が嬉しかっただろう。


 兄がいれば自分なんていらなかったのに……。

 どうして自分が生き残ってしまった?


 卑屈に考え絶望しても、すべてを投げ出す勇気はなかった子供時代。自分なりの努力は一つも実を結ばず、このままでは狂うのではないかという日々の終わりは酷くあっけなく訪れた。


 ある日突然、兄が戻ってきたのだ。


 しかも元気に成長した姿で……これが喜ばすにいられようか?

 父母は驚愕と共に涙を流して兄の生還を喜んでいた。

 ただし、まさか本当に帰ってくるなんて誰も想像してなかったから、それに関して嫌な勘ぐりを入れてくる親戚もいたらしい。


 本当にそれはあの『エルウィン』なのかと……。


 だけど言葉以上に有力な証拠だったのが兄の姿。

 そもそも兄が発見に至ったのは、この頃街で見掛けるようになった青年が父の若い頃にそっくりだと街の住人から通報があったからだ。ウェンディ自身も救出された兄と初めて会った時、父にそっくりだと思った。


 彼の姿そのものが、ウェンディの兄であり、父母の息子である証拠。

 それに兄も幼かったとはいえ家族のことは覚えていたらしい。


 そして彼は十数年の時を経てやっと家族として生家に戻ってきた。

 兄は、行方不明だった間自分をさらった魔族に育てられていたそうだ。

 その魔族がどんなつもりで兄をさらい、そして育てたのかウェンディには判らない……きっと誰にも判らないだろう。魔族の考えなど人間には理解不能だ。

 魔族に育てられて生き延びたのだとしても、とにかく無事に戻ってきたのだ。


 その時のウェンディの喜びは常人には理解出来ないものだと思う。


 確かに永の年月会えなかった、生存を殆ど諦めていたに等しい人の無事を確認出来た、それは喜ばしいことだ。でもそれ以上にウェンディが感じ喜んだのは、これですべての歯車が正常に戻るという安堵感だった。


 あなたさえいればすべては本来あるべき形に戻るだろう。無理をしてあなたの代わりを務める必要はない。


 やっと私は、私としてやりたいことを為せる。


 ウェンディは兄の生還が長く自分を閉じ込めていた檻の鍵であったと確信し、兄という見ず知らずの存在を諸手を上げて歓迎した。

 ……もちろん兄が戻ってきてからの周囲の変化に多少の淋しさはあった。周りがあっさりと自分を見限って兄に乗り換えたのが判ったからだ。やはり自分では駄目だったのだと見せつけられるのは哀しかった。

 だけど、やはりそれ以上に解放感を感じ、嬉しかった。物心ついた時から伸し掛かっていたすべての重圧がエルウィンの登場によって取り払われたのだ。


 もう父母の期待に応える子でいるために、難解な魔法書を寝る間を惜しんで読む必要はない。無駄な努力をそれでも怠らない哀れな子でいる必要はないのだ。


 何もかも自由に、好きなことをしていい。

 ウェンディに出来ないことはすべて兄がやってくれる。

 代わりに自分は兄に出来ないことをするのだ。

 ウェンディとは逆に、兄は身体を動かすことが大嫌いだった。


 片方が得意なことがもう片方は苦手、真逆の兄妹。


 だから、自分達兄妹には最初からそうやって役割分担をして互いを補い合うことが定められていたのだと思う。

 互いに違う分野で一番を極め、その力で互いを補い合う。

 素晴らしい在り方だと胸を張って言えた。


 幼い頃は魔術の才能がない自分を責めて悔しさに泣いたけれど、今はそれが嬉しく思える。半端に才能があったらならきっと、ウェンディは兄を妬んだはずだ。

 たった一人の兄をいきなり帰ってきて自分の居場所を奪った敵と見なしていただろう。そんなことにならなくて良かった。


 そしてウェンディは迷わず騎士の道を選び。

 兄はもちろん魔術師になった。


 兄を兄として尊敬出来る現在がウェンディはとても幸福だった。



◆◆◆◆◆



 エルウィンが家に戻って十数年。


 立派に成長したエルウィンとウェンディは、共に名誉ある地位に就きその職務に勤しんでいた。

 エルウィンは宮廷魔術師として、ウェンディはユニコーン騎士団という女騎士ばかりで構成された騎士団の団長として、共に王宮に勤務している。

 有り難いことに王の信頼も厚く、そして、互いの名声が高まるにつれ兄の不遇の少年時代についての猜疑を孕んだ関心も薄まり、ウェンディはホッと胸を撫で下ろしていた。


 この平和な毎日がずっと続けばいい……それがウェンディの心からの願い。


 今日も一日穏やかに過ごせることを祈ってベッドを下りたウェンディは、身支度を整えると朝食をとりに階下の食堂へ下りていった。

 途中同じように朝食へ向かうエルウィンと出会う。


「兄様、おはようございます」

「ああ…おはよう」


 ウェンディの足音に気付き廊下で待っていてくれた兄は、眠そうに目を擦りながらぼんやりした声で挨拶した。


「寝不足ですか? 目が赤いですよ」

「…まあな」


 並んで歩きだしながら欠伸を噛み殺す横顔は、いつも以上に青白い。もしかしたら殆ど寝ていないのかもしれない。兄の不摂生に眉をしかめた。


「また夜中まで魔法書を読んでたんでしょう」


 兄の勤勉さはよく判っているが、過ぎたるは猶及ばざるが如し。つい責めるような口調になってしまう。そこから軽い兄妹喧嘩に発展するのが常で……判っているのだがやめられない。それもこれも兄が心配だからだ。

 今日も煩がられるのだろうと思いつつ小言を繰り返したウェンディを、案の定エルウィンは、オレの身体はオレが一番良く判ってるから口出しするなと撥ね除け、歩調を速めた。

 置いていかれないように小走りになって隣りに並んだウェンディは、同じ心配に起因する話題を見つけて振ってみた。


「そういえば今日でしょう、新しい魔術師の着任式は」

「ああ、親父推薦の新人な。…ったく、なんでわざわざオレに押し付けるかね。他にもっと相応しいのがいるだろうに……」


 面倒臭そうにエルウィンが顔を歪めた理由は、今日付けで新しく宮廷魔術師に名を連ねることになった新人の世話係を上司である父親から命じられた所為だ。

 エルウィンはしばらく……というか、父がよしと判断して命令を解除するまで、その新人と二人で行動しなければならない。それが面倒なのだろう。

 だから、決まってからもずっと自分よりもそういう仕事が向いている人材はいるし、自分には無理だと言い続けていた。しかし、結局命令は撤回されることはなく……迎える今日が来てしまった。

 エルウィンは本心から嫌がっているが、ウェンディにはそうした父の気持ちがよく判るから父のフォローに回るしかない。


「父様だって兄様が心配なんです。親心ですよ」

「親心ね…。大体今更オトモダチなんか作ってもなぁ……」

「兄様」


 ウェンディの声に籠る非難に気付いて少し首を竦めたエルウィンは、しかしそれだけで、黙って朝食の席に着いた。そしてその後の会話を拒むように運ばれてくる料理にさっさと手を付ける。

 不自然に会話を切られてムッとしたものの、上手く切り返す言葉を見つけ出せなかったウェンディもそれに従った。


 エルウィンが軽んじて、ウェンディが非難した父の親心とは、エルウィンに新人を押し付ける行為そのものにある。

 エルウィンは確かに優秀な魔術師だ。その実力は数いる宮廷魔術師の中でも一、二を争い、いづれ親の七光などではなく実力で、父の跡を継ぐことになるだろう。それは誰もが認めている。

 ただしそれとは関係ない場面で、エルウィンはいつも他の魔術師から孤立しているのだ。

 もちろんそれには実力に裏付けられた不遜な態度と他人と馴れ合うのを好まない性格にも原因はある。しかし、一番の原因は彼が一番強く主張するある理想の所為だった。


 兄は魔族と人間の共存を望んでいるらしい。


 ウェンディ自身、いくら尊敬する兄の言葉でもそれにだけは同調出来ない。一番エルウィンに近いと思っているウェンディが同調出来ないのだから、他の誰かになど理解出来るはずがないだろう。

 その主張の所為でエルウィンは孤立している。

 ただウェンディは同調は出来ないものの、そう考えるエルウィンの気持ちが判らないわけではなかった。


 兄を育てた魔族は、兄に優しかったそうだ。


 攫うという野蛮な行為からは考えられない程大切してもらい、彼の人がいなければ今の自分はないとまでエルウィンは言う。本人の証言でなければ信じないところだが、事実エルウィンは立派に成長していたし、一緒に生活していた間のことを楽しそうに語る表情は嘘をついているものではない。


 ただ……彼女と一緒に旅をして暮らした時間は本当に楽しかった、と嬉しそうに笑う兄を見る度、ウェンディは複雑な気持ちになるしかなかったが……。



 自分が魔族と接した経験から、エルウィンは魔族=悪という概念は間違っていて、魔族と人間は判り合えると言って譲らない。



 だから魔族であったとしても無害なら駆逐する必要はないし、もし仮に被害があったとしても、まず何故魔族に襲われたのか原因を探り、その上で解決策が見つからなかった場合にのみ『討伐』を行うべきで、武力行使は飽くまで最終手段とすべきだと訴えていた。

 それには正直ウェンディも呆れている。

 そう出来ないことは連綿と受け継がれた歴史が証明していた。


 人間と魔族の対立の歴史。


 長い歴史の中、闇の魔族による人間への侵略は数えきれない程多く繰り返され、その度人間は生きるために戦ってきた。

 大地を、家族を、自分を守るために……それはこれからも続くはずだ。

 大体、魔族との関係が話し合いで軟化するならとっくにそうなっているんじゃないだろうか? 出来ないから今も争い続けているんだろう?


 確かに兄を育ててくれたような奇特な魔族も存在するのだろう。それは事実なのだから否定はしない。

 ただ、一部に聡明な魔族がいたとしても、大半が凶暴で獰猛なら意味がない。エルウィンの経験が事実でも、一つの事例だけを信じて危険な賭けには出られない。

 魔族を信じて裏切られる時、それは人間世界の崩壊を…人間の滅亡を意味する。

 だからエルウィンの主張は殆ど黙殺されていた。

 誰もそんなこと出来る訳ないと信じている。


 ……魔族と共存など有り得ない。


 だから、兄がその理想を追う背景に不遇だった少年時代の経験が在るのなら、早くその頃を忘れ、人間らしくなれるように…父は兄に人間の友人が出来ることを願うのだ。

 それが今回無理やり新人の世話係を押し付けるという行為に繋がった。

 つまりその人は父が選んだエルウィンの友人候補。父自身が厳選し、信用に足ると言う判断を下した人物らしい。

 どんな人物なのかはウェンディも知らない。

 ただウェンディにも父と同じ望みがあるから……その人が少しでも兄を変えてくれれば良いと願っている。その人が兄を変えて、そして兄が夢見るように語る思い出の魔族の存在を掻き消してくれればいい。


 父が討伐し、もう生きてもないのにまだ兄の心を捕らえて放さない、たった一人の魔族のことを……。


 そのことを考えると同時に、いつの頃からか気付いた兄の癖を思い出し、ウェンディはチラリと向かいに座るエルウィンの胸元に目をやった。


 エルウィンには何かある度胸元を、正確には首から下げた石の入った革袋を握り締める癖がある。最初はその意味まったく判らなかったけれど、年を経てなんとなく判るようになった。

 それはきっと、兄をさらった魔族との思い出に連なる、形見のようなものなのだろう。だからエルウィンは今もそれを大事に持っている。


 昔……兄がまだ家に戻ったばかりの頃、酷く大切そうにそれを握って呟いた言葉を思い出した。


『ウェンディ、アシュリーは魔族だったけど、オレ達と変わらない弱さも、…哀しみも持った優しいいいヤツだったんだよ、本当に……』


 噛み締めるように囁いた表情は、苦しそうにも淋しそうにも見え……幼いウェンディには兄に掛ける言葉が見つけられなかったのだ。


 アシュリー。


 今も兄の心に住み続けている魔族。


 諸悪の根源である彼女から解き放たれなければ、兄は一生幸せになることなど出来ないだろう。

 それが哀しくて……ウェンディの胸もまた痛んだ。













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