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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部

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26/52

26、冷酷だった、彼女の本音





 昔よくそうしたようにベガの背に乗って、連れて行かれたのはあの丘だった。

 アシュリーの心底愛した人が眠るという場所。

 スルリと先にベガの背中から滑り降りたロードは、ここじゃ嘘ついちゃいけないんだよ、とかつてと同じことを言いながら崖の先端まで歩いて行った。そして大地の切れ目に腰を下ろし、足をプランプランと揺らせながら話し始める。


「アシュリーが死んだのはオレも予想外だった。まさかあの人がこんな簡単に死んじゃうなんて思ってなかったしさ。判んないもんだよね……オレ達が束になっても適わない人が人間に殺されちゃうなんてね」


 その相手がエルウィンの父親だったとロードは知っているんだろうか?


 ……きっと知っているんだろう。ごめんと謝った方がいいのかもしれない。

 どんな事情があるにしろ、彼女の生命を奪ったのはエルウィンの血に連なるもので、その原因はエルウィンなのだ。アシュリーを想うロードにはエルウィンを、ひいては人間を恨む権利がある。

 しかしロードは謝ろうとするエルウィンを遮るように話し続けた。


「死んだの感じてこっちきて確認して………驚いたけど、まあ正直納得もした。あのアシュリーならこういう結末もありかな…って悔しいけど思ったよ」


 言われた瞬間、フッと寂しそうに笑った背中を労るより先にエルウィンの心を支配したのは、やはり怒りだった。


 自分と過ごすようになって変わったアシュリーなら、己の存在を消してまでもエルウィンを人間の世界へ帰そうとするだろうとロードは言うのか?

 そんなものいらないと本人が望んでも、それが正しい想いの在り方なのか?

 どうして勝手にそんなことを思うんだ?


「あのアシュリーなら死んでオレを捨てるのもありってか? じゃあ捨てられた方はどうしたらいいんだよ!!」


 また怒鳴ったエルウィンをロードは首だけで振り返ってからゆっくり立ち上がった。呼応するように、ザーっと崖下から上ってくる上昇気流が紫の髪と漆黒のマントをはためかせる。風が止んで、乱れた髪を直していたロードはやがて、意を決したように真っ直ぐエルウィンと向かい合い、はっきりした声で告げた。





「エルウィンは勘違いしてる。アシュリーは、あなたと生きるために、ここに戻ってきたんだ」





「…え?」





「アシュリーはここに、あなたの罪を消しに戻ってきただけで、離れるつもりなんかなかった」






 ロードの言葉終わりにまた風が吹く。でも言葉は風に流されることなく、エルウィンの鼓膜を揺らし脳へ突き刺さった。


 罪を消しに……?


 ロードは小首を傾げるように言葉を反芻するエルウィンに深く頷いて、当時を思い出すためフッと視線を遠くへ投げた。


「あの頃エルウィンの家は随分と街で話題になってた。いろんな噂や憶測が飛び交ってて……だからアシュリーは両方自分の、魔族の仕業に見せかけることを思い付いたんだと思う。国内一の魔術師の息子だもん、魔族が狙う理由には充分になった」

「それは…いつかオレを帰すために?」

「………そうだよ、時期が来てあなたを人間の世界に帰らせるために、妹の殺人未遂犯はあなたじゃなく魔族だって思わせといた方がいいでしょ?」


 ウェンディが生きていることを知って、アシュリーに慌てて報告に戻った日を思い出す。

 街で仕入れてきた情報を聞いたアシュリーは、一瞬驚いた顔をし、次の瞬間泣き出しそうな顔をして……笑っていた。そして窓の外ベガと戯れるエルウィンを見て、言ったのだ。


『どうもしない…そのことは、今はまだ私にもエルウィンにも関係ない』


 ウェンディが生きているいう事実は酷く重要で、そのことをいつエルウィンに伝えるかも駆け引きが必要になる事柄……それを、今はという言葉で切り捨てたアシュリーの思惑、ロードは後になって知った。


 あの時エルウィンを支えていたのは犯した罪を償うという気持ちだった。

 今それを取り上げてしまえば、またエルウィンは生きる意味に悩み苦しむだろう。そうさせないために伏せたアシュリーの気持ち。


 罪を償うために生きるといっても、生きていればいつか何か他に生きがいを見つけられるかもしれない。その日まで、アシュリーは秘密を胸に彼を見守ろうとしていた。


『まあそれがホントなら、それで心配事が一つ減るし、私も気が楽だわ』


 最後にそっと呟いたあれは手放す日を思っての言葉だっただろうに……未来は誰も予想しなかった展開を見せて、今自分達はここにいる。

 再び視線をエルウィンに戻してロードは更に続けた。





「でもアシュリーはあなたを好きになって、あなたと離れられなくなった」





 離れることを前提にそばに置いた子供。人の世界に帰すための布石まで用意していたのに、その人間を愛してしまって……彼の幸せのためにはどうしたらいいか、アシュリーはずっと迷っていた。

 彼のためのより良い選択とは何か、必死に考えて……その決断を促したのがなんであったのかロードは知らない。知らないけれど…、何かがあってアシュリーはあの荒野でやっと答えを出したのだと思う。


 誰よりも愛しいエルウィンを一番幸せにする方法。


「これから先も二人で生きていくって決めた時、………アシュリーは罪じゃないものであなたとつながっていたいって思ったんだ」


 かつて二人を繋いだのは互いが犯した罪の鎖。


 でもエルウィンのそれは実は存在しないことをアシュリーは知っていたから……エルウィンの自分に寄せてくれる想いをただ信じて、決断した。


「同情でも憐憫でもない、……『愛情』ってものがあるから自分達は一緒にいるんだって胸を張って言うためには、ウェンディは生きてるってあなたに教えなきゃいけなかった。そのためだけに帰ってきたんだよ、あなたを捨てるためなんかじゃ決してない」


 アシュリーも危険が伴うのは覚悟の上で戻ったのだろう。都に集う魔術師や兵士相手にエルウィンを庇いながら逃げ切れると楽観は出来ないから、用が済んだら早々にこの地を離れるよう忠告もしたのに……この結果。


 アシュリーは人間に狩られて死んだ。


 原因が、エルウィンが父親そっくりに成長していたからなんて笑わせてくれる。アシュリーの迂闊さに心底呆れた。

 自然にエルウィンの耳に入るまで待っていないで、さっさと墓にでも連れて行けばよかったのにと怒って泣いたのもこの場所でだった。


 だけど………彼女が満足して逝ったのだろうこともロードにはよく判っていた。たとえ志し半ばで死んだとたとしても、アシュリーは誰一人恨んではいない。

 判るから、ロードはエルウィンに会いにこなければならなかった。


「アシュリーが……、オレと生きるために……」


 呆然と呟くエルウィンの声がロードを現実へと引き戻す。

 瞳を見開いて涙を落としたエルウィンは遠く月を見て震えていた。


 あなたはオレを捨てたのではなかった、精一杯、一緒に生きようとしてくれた。


 二人の間にあった負の鎖による確かな繋がりよりも、危うい…でも貴い『愛情』というものを信じて、生きていこうとしていた。

 魔族であるアシュリーが…アシュリーが…、そう嗚咽を漏らしてベガのそばに蹲るエルウィンのそばにきたロードは、しゃがんで彼に語り掛ける。


「もう、どうしてアシュリーが死んだか判るよね? アシュリーは自分の生命を狙う人間でも、エルウィンのお父さんだって判った人に剣は向けられなかった。でもきっとそれでいいってアシュリーも納得してたはずだから、エルウィンも責めないで。自分のことも、アシュリーのことも、家族のことも……あなたが誰かを憎んで不幸になることをアシュリーは望まない、絶対に」


 だから、エルウィンは生きて……。

 囁いたロードの声にアシュリーの言葉が重なる。


『罪は背負っていくから、何処へ行っても胸張って生きろ』


 最後に託された言葉。

 そう言った彼女は儚かったけれど、笑みを浮かべていたのをやっと思い出す。痛みに泣いてさえいなかった。


 終わりは、苦渋に満ちたものではなかったのだ。だって彼女はあんなに穏やかに消えたのだから……。


 確かにあなたがいなくなったことは悲しいけれど、それを理由に自分が生きることをやめたらあなたに申し訳ない。あなたが本当にすべてを賭けて愛してくれたことが判ったのだから、その意味を大切に……これからも生きていかなければ。


 魔族と人間が死んで同じ場所に行けるのか判らないけど、きっとまた会えると信じて……あなたのくれた生命の限り生きるから、そこで待っててアシュリー。


 そう決めても、想うが故に溢れる涙は止まらなくて……エルウィンが泣きやむまでずっと、ロードはただ背中を撫でていてくれた。



◆◆◆◆◆



 遠い東の空がロードの髪と同じ色に変わるころ、やっと顔を上げたエルウィンは隣りで真っ直ぐ前を見ているロードに少し照れながらペコッと頭を下げた。


「…ありがとな」

「えー何が? エルウィンが泣き虫なのなんか昔っから知ってるって。子供の頃だってちょっとつついたらすぐビービー泣いてたし、気にしない気にしない」

「おまっ…」


 アハハと大口を開けて笑ったロードは、よいしょと立ち上がって大きく伸びをする。

 彼のマントが朝の冷たい空気に靡き、同じ風はエルウィンの涙の乾いた頬も撫でた。


 別れの時間がきたようだ。


 これから自分は本当に一人で生きていくのだと感じて、無意識にエルウィンは身を竦ませていた。気付いているのかいないのか……振り返ったロードは、首の後ろに手を回して首から下げていた小さな革袋を外し、エルウィンに差し出した。


「はいこれ、エルウィンにあげる」

「…なんだ?」


 口を緩めた革袋からコロリと零れたのは、雫型の綺麗な輝石。

 アシュリーの瞳の色にも髪の色にも似た、親指サイズの石は、大きさの割に手のひらにずっしりと重く、微かな陽光に煌めいていた。


「アシュリーの形見。オレが持ってるよりエルウィンが持ってた方がアシュリーも喜ぶだろうから」

「……そんな大事なもの、オレにくれていいのか?」

「いいよ、どうせアシュリーのもの何も残ってないんだろ? だったらそれ支えにこれから頑張って」


 笑って肩を叩いたロードは纏っていたマントを翻し黙って待っていたベガに跨がる。

 帰る準備を始めた友人を見たエルウィンは、また泣いてしまいそうになって唇を噛むことしか出来なかった。やはりすべてに気付いていて、こうして支えをくれたお礼も言わなければいけないのに……今言葉を発すればすべて涙に取って代わられるだろう。


「もう会うことないと思うけど、元気でね」

「ああ…」


 ようやくそれだけ絞りだして、今もらった石を握り締める。その硬さが今喋り続ける力をくれた。


「お前達も…元気で」

「魔族にそんなこと言う人間も珍しいよね。まあ少々のことじゃ死なないから、大丈夫。………もし間違ってどっかで会っちゃったらオレとベガは見逃してね、未来の宮廷魔術師さん」

「…悪さ、してなかったらな」

「条件付きかよ、…まあいいや。………じゃあ、さよなら」


 会話の終わりにベガがそばのエルウィンの頬をぺろりと撫でて、その瞬間また零れ始めた涙を見ないように彼らは去ってくれたのだろう。

 ロード達には見えないと判りながらエルウィンは深く深く腰を折って、もう会えない友人達に感謝を込めて頭を下げ続けた。



 同じように生きて、でもまったく別の終わりを選んだ二人の魔族。


 二人の生き様を見送ったロードは一人で魔界へ戻っていった。












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