24、最期に残した言葉
あの後、エルウィンはどうやってここへ連れてこられたのか知らなかった。
目覚めた時いたのは暗い部屋の柔らかいベッド。絹のシーツに包まれて眠っていた。
もう周囲は真っ暗で、夜になったのだとぼんやり思う。そっとベッドを抜け出し月の光が差し込む窓から外を見たけれど、結局ここが何処かは判らなかった。
でも…正直に言えばそんなことは最早どうでもいい。
判っているのは、ここがアシュリーのいない世界だということだけ。
それだけで充分、エルウィンが生きるに値しない世界だ。
アシュリー。
あの後きっと自分は現実に耐えられず意識を失ったのだろう。気付いた時にはもう、唯一残った血塗れの服もそばにはなかった。
人間達が処分してしまったに違いない。
もうエルウィンのそばに、アシュリーに繋がるものは何も無くなってしまった。
どうして……どうして、人間はこんな酷いことをする?
アシュリーが何をした?
確かに昔は悪い魔族だったかもしれない。人間も殺しただろう…でも、今のアシュリーは…エルウィンと一緒にいたアシュリーは、何も悪いことはしてなかった。
それなのに、どうして魔族というだけで殺されなければならない?
他の魔族がどうだろうと、エルウィンと一緒にいたアシュリーは悪い魔族じゃなかった。外見だけでなく、生活も性格も何も自分と変わらない、言われなければ魔族と気付かないくらい隔たりない生き物として一緒に暮らしていた。
一緒に暮らして、笑って怒って、ただそれだけだったのに……。
今ここで自分が生きていることさえ、アシュリーのおかげなのに……。
どうして話しをすることもなく殺されなければならない?
オレのアシュリーが一体何をした!?
歯を食いしばって窓枠を殴り付ける。二度三度同じことを繰り返し、最後に怒りを込めて窓ガラスを叩き割った。
ガラスの割れた音が夜の闇に響く。同時に拳から鋭い痛みとその所為ではない涙が込み上げてきて、エルウィンはその場に蹲り肩を震わせた。
思い出すのは彼女の姿だけ……。
「アシュリー……アシュリー………」
彼女にもう会えないなんて信じられない。
二人で過ごす時間はこの生命果てるまで永遠に続いていくのだと信じていた。
いつか自分がアシュリーを置いていくまで一緒にいられると無条件に信じていたのに……まさかアシュリーの方が先にいなくなるなんて思いもしなかった。
もう姿も見れない? 声も聞けない? 触れられない?
信じられない!!
『エルウィン』
アシュリーの声が聞こえる。
初めて会った日からずっとずっと一緒にいてくれた、一番大事な人。
一番最初に近付いた他人。
アシュリーが人に害なす魔族だったとしても、オレには絶対に必要だったのに!!
「アシュリー…」
もう一度会いたくて会いたくて、恋しくて……。
アシュリーに焦がれて泣き続けるエルウィンの背後でゆっくりと樫の扉の開く音がした。真っ暗な部屋に差し込んだ一条の灯りが、二つの影を浮かび上がらせる。
「…エルウィン」
呼ばれてぼんやりと顔を上げた。涙で霞む視界に二人の男女の姿が写る。
寄り添うように立つ二人。微かに、見覚えがあるような気がした。でもはっきりとは判らない。
…誰? 声に出す前に、女の方が走り寄ってくる。
「エルウィンっ」
避ける暇もなく抱き締められた。ギューッときつくきつく抱いてエルウィンを確かめた女は、少し離れてすかさずエルウィンの頬を両手で包み、額から顎にかけてのラインを何度もなぞって泣いた。
「エルウィン、エルウィン……ああ、エルウィン。もっと顔を良く見せて…。こんなに大きくなって…知らない間に、こんなに……」
泣きながら呟く女を最初こそ訝しんだ。
誰だと振り払おうとして、でも出来ない自分に気付いた時、自分自身でも忘れていたものが蘇る。
幼い日の…記憶とさえ呼べないような不確かな、でも確かな思い出が胸を駆け抜けた。
アシュリーと出会うまでの短い時間の出来事。
『エルウィンは物覚えがいいわね』
笑いながら言って、ベッドのそばの椅子に座って絵本を読んでくれた人がいたことを思い出す。
病弱でベッドから出ることも出来なかった自分を一番気遣ってくれた……そのことを思い出した途端、無意識に声になっていた。
「……母…さん?」
「ええ……ええっ…」
嬉しそうに笑った人はもう一度エルウィンを抱き締めて盛大に泣いた。
じゃあ……泣く女の肩越し、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ている男と目が合う。
この人が母ならば、当然…。
「…父さん?」
か細い呼び掛けに頷いた男はそのまま顔を伏せた。その肩が微かに震えている。表情が厳しく見えたのは涙を見せまいと堪えていたからだろう。
泣く父母……ではここは、まさか?
「良く無事で……。あなたが無事で良かった…本当に、良かった」
耳元で繰り返す母と涙を拭って歩み寄ってきた父が交互に話し始める。
「正直お前のことは諦めていた。魔族にさらわれて無事でいられる訳がない…と。けれど諦めなくて良かった……幼いお前を魔族の手に渡してしまったのは私の落ち度だ、許してくれエルウィン」
跪いた父が母ごと、エルウィンを抱き締めてくれる。
しかしそのことよりも今父の零した言葉が、エルウィンを驚かせていた。
魔族に攫われた? 誰が?
………まさか、オレが?
「私たちは本当に運が良かった。ウェンディだけでなくお前まで取り戻せるなんて…」
ウェンディ!?
この手にかけた妹の名前が出た途端、エルウィンの身体が恐怖に震えた。忘れきっていた罪のことをやっと思い出す。
……でも、やはり父の言葉は何処かおかしかった。
おかしさを指摘する前に母がもっと意味不明なことを言う。
「これでやっと家族四人で暮らせる……」
心底嬉しそうに母の紡ぐ言葉が更にエルウィンを混乱させた。
「家族、………四人?」
「ああ…あなたは小さくて覚えてないかしら? あなたが攫われた年に生まれたのがウェンディ……あなたの妹よ」
それは知ってる、それは覚えてる。そうじゃなくて……。
「あの魔族は幼いお前を攫い、生まれたばかりのウェンディまで……」
あの魔族…とはアシュリーのことか?
アシュリーが、ウェンディを?
……待って、違う。ウェンディを殺したのはオレだ!!
アシュリーじゃない! オレがウェンディを……。
殺した………声にする前に、父と母の入ってきた場所に誰かが立っていることに気付く。
こちらを見る表情は逆光の所為で良く判らない、でも……。
エルウィンの見つめる先に気付いた母が身体を起こし後ろを振り向く。そして殊更優しい声で呼び掛けた。
「ウェンディ、こっちにいらっしゃい。あなたの、お兄さんよ」
ウェンディ?
母に呼び寄せられ硬い足取りで近寄ってくる銀髪の少女が、あのウェンディ?
あの……あの時オレが押さえ付けた赤ん坊?
驚愕に瞬きさえ出来ないエルウィンの前に跪いた妹は、戸惑いを浮かべた表情で、それでも笑いかけてきた。
「初めまして、…お兄様、でいいかしら?」
はにかんで笑う少女は確かに自分と似ているかもしれない。
「お前が…ウェンディ? あの…赤ちゃんだった」
「私もう十二歳よ」
判らせるようにエルウィンの手をとる手は、細く繊細ではあったけれど、自分と殆ど大きさの変わらないものだった。
十二年も前のことなのかあの出来事は?
オレはこの手で、小さな妹の口と鼻を塞いだ。最初は異変に暴れていた小さな身体は、力を込めて押さえ続けるとやがて動かなくなって……ぐったりした妹を見下ろし、怖くなって逃げ出したんだ。
殺したのだと思い込んで!!
その時の小さな赤ちゃんがこの少女?
ここまで大きく育った?
ウェンディは死んでなかった!?
下らない嫉妬心で殺したと信じていたウェンディが生きていた。
では、殺したと信じて、一時は自殺まで考えた妹殺しの罪は、実は未遂で終わっていたというのか?
知って……涙が溢れて止まらなくなった。
見開いた黒い瞳から大量の涙が滴り落ちる。
それは決して、犯したと信じていた罪が未遂で終わっていた所為ではなく。
彼女が最後に残した言葉の意味を正しく理解したら、もう………泣くことしか出来なくなった。
最愛の人が最期に残した科白。
『あなたの罪全部私が背負っていくから』
お前は全部知ってたんだな、アシュリー。
ウェンディが生きていることも、オレの背負う罪がお前とは違うことも、全部全部知っていて……。
だからこんなことになったのか!?
まさかお前は……本当にこれで良かったなんて思いながら死んだのか!?
ぶざけるなよ、アシュリー!!
そんなの自分勝手過ぎる!!
読んで頂きありがとうございました。
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