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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部

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22/52

22、いつもと違う日





 季節は移り変わっても、アシュリーとエルウィンの生活に変化はなく。その日も、いつものようにエルウィンは街へ薬を届けに行った。

 手を振って見送り、一人家に残ったアシュリーはいつもと同じように作業部屋に籠る。もくもくと作業を続け一息つこうとしてやっと、周囲の異変に気付いた。いつもなら窓の外、喧しい程に囀っている小鳥の鳴き声がまったくしない。…否、小鳥だけでなく、獣の気配が一切しなかった。


 不信感を抱きながらそっと立ち上がり窓辺に寄って耳を澄ませる。やはり何も聞こえない。森中が何かを警戒し息を潜めているような雰囲気に肌が粟だった。


 何かが起こる予感がする。


 サッと周囲に視線を走らせた瞬間、木立ちの隙間で何かが光った。キラリと日の光を反射した白銀の………それが何か判った途端、アシュリーは反射的に身を屈め窓枠の下にしゃがみ込む。


 まさか…!?


 疑いながらも確認するためにもう一度立ち上がることすら出来ない。警戒して壁に張り付き、壁に耳を押し当てた。人間のそれよりよほど優れた聴覚に神経を集中させ、どんな小さな音も取り零さぬよう息を止めた。

 微かに…ガチャガチャと金属の擦れ合う音がする。


 やっぱり!!


 パッと目を開け拳を握った。

 森の中で光ったのは白銀の鎧。あれはこの国の兵士が身に付けているものだ。

 何故兵士達がこんな山奥をうろついているかは考える必要もないだろう。


 アシュリーが……魔族が、ここにいるからだ。


 やはり帰ってくるには早すぎたのだろう。些細な後悔が心を過ぎったが、今はそんなことを考えている場合ではない。


 気付かれたなら一刻も早く逃げなければ……こんなところで退治されるつもりはない。

 逃げ切る自信はある。人の世界で暮らし始めてから追われることは何度かあった。その度上手く切り抜けてきたのだから今回も大丈夫。


 キュッと唇を噛んで入り口へ向かった。きっともう囲まれてしまっているだろうから、こっそり逃げ出すことは出来ない。ならば、こちらも、そして向こうにも被害は最小限に逃げる方法は一つだけ。

 真っ向勝負をして、適当に戦って、やられたフリをして逃げよう。

 決めて、バンと殊更乱暴に玄関ドアを開けステップを降りる。家の前で仁王立ちになり周囲に聞こえるよう声を張り上げた。


「居るのは判ってる、隠れてないで出て来いっ」


 言いながら、両手に魔力を集める。こちらが攻撃態勢であるのを見せつけ向こうの出方を窺った。

 アシュリーの声の余韻の後、森はシンと静まり返ったまま木の葉の擦れる音さえしない。

 だが敵は確実にそこにいる。耳を澄まし、自分の息を止めて相手の呼吸音を数えた。


 一、二、三……予想以上に多くの人間の気配がする。グルリと家の周囲を囲むように配置された魔術師と兵士が、自分に向かって武器を構え合図を待っているのが判った。

 即座に、しくじったと感じる。

 これだけの数が集められているということは、中途半端に逃がすつもりはなく。はっきりとアシュリーを討伐するつもりで来ている。

 ということは、あちらも死に物狂いで来るだろう。

 だとすると手加減は難しい、しくじった……。

 余裕たっぷりに思案していたアシュリーの項を、ゾクリとした殺気が撫でた。


 来る!!


 本能が感じた瞬間、両手に宿していた魔力で自らの周囲に爆風を起こす。アシュリーを中心にして渦巻いた竜巻が四方八方の茂みから繰り出された矢を余さず弾き返した。

 しかし、すかさず攻撃の第二波がくる。弓を弾いた竜巻が消えるのを待たずに、鎧に身を包んだ兵士達が茂みを飛び出し、剣を振りかぶって躍りかかってきた。

 もちろんそれも予想済み。

 ガチンと剣同士がぶつかる音がした時にはもう地面にアシュリーの姿はなく、爆風の力を利用して虚空に舞い上がって、くるりと一回転してから屋根の上に着地した。

 そこにまた浴びせられる矢の雨も、両手を頭上に振り上げて風を起こし、空気の流れを大きく変えることで左右に流して避ける。おかげで赤い屋根には無数の矢が突き刺り、屋根はまるでサボテンのようになってしまった。

 弓兵が矢を番えるまでの一瞬の隙に、やっと姿を表した敵を高い位置からグルリと見渡したアシュリーは狙いを定めて屋根を蹴る。


 この戦いをさっさと終わらせる方法。

 それは、敵の将を討ち取ること。


 それが統率の取れた群れであればある程、頭を失えば混乱する。

 特に軍という場所はその傾向が強い。現場の混乱を避けるために命令を下す司令官は一人で、兵は司令官の命令に従うことを教えられる。だから、命令がこなくなった途端、烏合の衆に代わるのだ。


 なるべく犠牲を少なく逃げおおせるために、司令官らしき装いの男に狙いを定めた。


 だが、流石統率された軍隊。司令官を守るように配置されている兵士や魔術師が邪魔で、そう簡単にはいかない。

 ……否、アシュリーが本気を出せば一瞬で終わらせることは出来る。


 ただ、弓を防ぎ、魔法の火の粉を払って、剣を避けつつ、手加減して攻撃するというのが、難しい。今回は被害を無視してすべてを魔法で殲滅させるわけにはいかないのだ。


 昔の私ならこんなこと考えなかったのに……。


 威力を考えながら、魔法で地面を槍のように隆起させて、突撃してきた兵士達を後方へ吹き飛ばす。叩き付けられた地面で呻きをあげる兵士を見てぼんやり思った。


 きっと、昔の自分なら今の攻撃で迷わず全員串刺しにしていただろう。

 この私に挑んでくる方が馬鹿で、実力の差も判らない馬鹿は死んで当然だと考えていた。



 だけど、今は……たとえ自分の邪魔になると判っていても、出来るなら誰も殺したくなかった。



 だって………きっと彼らにも帰りを待つ誰かがいるだろう。

 アシュリーにとってのエルウィンと同じに……。


 そして、彼らがここで戦う理由は、帰りを待つ誰かを守るためなのだ。彼らのテリトリーを犯しているのが自分の方だと判っている以上、無意味にその生命奪うことはしたくなかった。


 だから……。


 倒れた兵士から奪った剣に魔力を帯びさせ、襲いかかる兵士を蹴り飛ばしてから思いっきり大地を蹴って、ようやっと全身が見える位置まで迫った司令官へと躍りかかる。

 相手もアシュリーと対峙するため素早く剣を抜き、抜き身に魔力を宿らせたのが判った。

 生命までは取るつもりはない、腹を狙うアシュリーの剣と受け止めた相手のそれがガキンと火花を散らしてぶつかった瞬間、アシュリーは我が目を疑った。


 間近に迫った豪華な兜の下、よく知った顔が自分を睨み付けていた。


「……エルウィン!?」


 驚きは思わず声になる。けれど、すぐに彼ではないと気付く。

 剣を受けたのはアシュリーさえも見間違えそうな程に、エルウィンと良く似た面差しの男だった。


 彼と同じ黒い瞳、ぽってりした唇……随所にエルウィンと同じ特徴があった。


 だが、その男にはエルウィンにはない年輪を刻んだ皺や眼光の鋭さがある。年を経ればエルウィンもそうなるのだろうと彼の未来を予感させる男が誰なのか……考える必要もない。


 だから瞬時に、彼らが何故アシュリーが魔族であると気付いたのかも、本気で討伐隊を寄越した理由も理解出来た。

 一瞬の攻防の後、腕力で刃を押し返され後方の地面に着地したアシュリーは、あまりの衝撃に今何をしているかも忘れ呆然と彼を見つめた。


 この人はエルウィンの……。


 判って、押さえきれない悲鳴が零れる。


「………ああ…ぁ…、そんな!!」


 突然悲鳴を上げてうろたえ始めた魔族を前に訳が判らない兵達も一瞬は怯んだが、この好機をみすみす逃がす程馬鹿ではない。

 隙を突いて浴びせかけられた矢。

 避けきれずに肩と太腿に一本ずつ突き刺さった。


「…ぐっ」


 すぐさま抜こうとした指が矢に触れる寸前、バチッと音を立てて弾かれる。青白い火花が矢を取り巻いていた。対魔族用に呪文を刻んだ特殊武器が魔力を吸い取っているのが判る。

 その所為で腕と足から見る見る力が抜け、アシュリーはその場に蹲った。

 動けなくなった魔族を、まだ無事な兵士と魔術師は警戒しながら取り囲む。

 ジリジリと近寄ってくる人間を見上げ、軽く舌打ちした。

 この状態では先刻までのように手加減した戦い方は出来ない。しかし簡単に逃げさせてもくれないだろう。


 本気を出すか? だけど、そしたら……。


 葛藤するアシュリーの目の前にいる男。

 魔族を見下す黒い目は、やはりエルウィンに似ていた。


 エルウィン……あなたはどうする?


 彼を想った瞬間、応える声が現実に響いた。


「アシュリー!!」


 突然自分達以外の存在が現れて、全員が声の方を振り返る。人垣の隙間から馬に跨がりこちらにかけてくる彼の姿が見えた。


「…っ、エルウィン! なんで…!!」


 アシュリーの叫びが周囲をざわつかせる。

 その隙を突いてアシュリーは必死で立ち上がった。思うように動かない足を引きずり、こちらへ向かってくるエルウィンに手を伸ばして叫ぶ。


「エルウィンっ、来ちゃ駄目!! 危ないから!!」


 走り寄ろうとするアシュリーとエルウィンの間に立つ男は一瞬の逡巡の後、自分はアシュリーに向かって剣を構え、数人の兵にエルウィンを止めるよう命令した。


「絶対に近付かせるな!!」

「はっ」


 命令を受けた兵士達がエルウィンに向かって走っていく。


「どけぇ!!」


 怒声を張り上げたエルウィンは、群がる兵士の壁を馬で無理やり突っ切ろうとしたが、実践で鍛えられた兵士には適わない。馬上から引きずり下ろされ地面に押さえ付けられた。


「エルウィン!!」


 すぐに駆け寄りたいアシュリーの前にエルウィンに似た男が立ち塞がる。絶対にアシュリーを彼のそばには行かせまいとする男からは、これまで以上の殺気が放たれていた。

 男の殺気がアシュリーの中で眠るものを刺激する。胸の内側をざらりしたものが撫で、何かが腹の底からフツフツと沸き上がってくるのを感じた。

 闘え、邪魔者は排除しろとアシュリーを促すそれは、好戦的な魔族の本能というべきものかもしれない。


 ……目の前のこの男が何者でも、この私の前に立ちはだかるなら消す!!


 苛立つアシュリーの身体からゆらりと薄紫の靄が立ち上ぼった。

 その気になればこの程度の魔術を跳ね返すくらい苦もなく。本気を出せば手傷を負っていても決して人間などに負けはしない。


 ……力の差、思い知らせてやろうか?


 酷い加虐心を持って魔族としての本能に従おうとした瞬間。




「アシュリー!! オレに構わず、逃げろ!!」




 『アシュリー』を想う、『エルウィン』の声が聞こえた。




 ビクンと全身が痙攣する。

 そして、ハッとした。


 駄目だっ、今ここで魔法を放ったらエルウィンはどうなる!?


 あの荒野の映像が脳裏を過ぎた。

 彼を想うが故、ギリギリで踏み止どまったアシュリーから魔力の高まりが消える。途端に失った魔力が疲労に代わり再び膝をついた。

 勝手に呼吸が荒くなり、頬を冷や汗が伝う。

 こんなに不自由な思いをするのは、生まれて初めてだった。


「くそっ…」


 ままならない思いを吐き捨てながら、今度は本能ではなく自分の意思で必死に立ち上がり、エルウィンを助けるためにそちらへ手を伸ばした。


 ……だが、弱った魔族に対し人間達は容赦しない。


「今だ、放てぇ!!」


 隙だらけのアシュリーに向かって野太い掛け声と共に浴びせかけられた矢は、吸い込まれるように体中に突き刺り、息も止まる激痛が全身を駆け抜けた。


「………あああ!!」

「アシュリー!」


 悲鳴と共に喉の奥から溢れた血飛沫が空を舞う。

 矢の突き刺さった勢いで前後に揺れた身体はしかし、それでも地面に倒れることはなく……アシュリーは二歩三歩と愛しい人へ向かって進んだ。


「エ…ウィ…ン」


 血の混じった声で呼び、彼に手を伸ばす。

 だが、パチパチと火花を纏う矢は急速に魔族の生命の源である魔力を吸い取り、思うように足が動かない。しかも魔力だけではない、全身の矢傷からは止めどなく鮮血が溢れ、真っ赤に染まった服が重い。


 それでもエルウィンのそばへ……。


「アシュリー……」


 残り少ない生命さえも前進のために使って、ふらふらとこちらへ近付いてくるアシュリーを瞬きも出来ず見上げていたエルウィンは、彼女の背後を見て再びがむしゃらに暴れ始めた。


「やめろー!!」


 アシュリーの背後、白刃が日の光を受けて輝いていた。












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